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「おい」

「……うーん」

「さっさと起きろ」

「……もう少し寝かせ……て……」

「寝汚いやつめ」


 頭上から降ってくる声で重たい瞼を開けると、クラウドが冷たい目をして見下ろす顔が目に飛び込んできた。


 最悪の目覚めだ。


 クラウドはさっさと部屋を出ていき、マーシャはまだ眠いまぶたを擦りながら身支度を整えた。


 簡単な食事を取り、宿を後にする。


 乗合馬車に乗りこむと、すぐに馬車が動き出した。


 二日目ともなれば、座りすぎで身体の節々が痛くなっている。定期的に伸びをしたりふくらはぎを擦ったりしていると、クラウドが「落ち着きのないやつだ」とでも言いたげな目線を寄越す。それがまたマーシャの苛立ちを呼び起こした。


「あなた様ほどのお偉い魔法使い様なら、移動魔法で王都までびゅーんって飛べばよろしいんじゃありませんか」


 マーシャは嫌味をこめてそう言ってやった。だがクラウドはそんな嫌味をものともしない。


「移動魔法を使えば、魔力が大幅に消費される。何か起きた時のために、魔力は常に温存しておかなければならない」


 つまり、移動魔法を使おうと思えばいつでも使えるという訳である。


 甘いものを食べれば魔力が回復する特異な体質のマーシャと違い、クラウドの魔力は一定の休息を取らなければ回復しないタイプの魔法使いだ。


 やらないのは出来ないせいだと思っていたマーシャは当てがはずれ、結果、自分の劣等感を刺激されただけに終わった。そればかりか、クラウドは更に追い打ちをかけた。


「お前はわずかな距離さえ移動出来なさそうだな」

「……あのさあ。前から一度聞きたかったんだけど、どうしてそんなにひどい態度なわけ? それも私にだけ。私、あんたに何かしたっけ?」


 そんなはずはないだろう、というニュアンスを含ませてマーシャは尋ねた。

 何しろ、初めて会った入学式の時のクラウドとは、とても和やかな雰囲気だったはずなのだ。それが数時間後にはすっかり様子が変わっていた。まるでクラウドの中身が入れ替わってしまったかのように。


 マーシャは当時のことを何度か振り返ったことがあるが、別段、彼の逆鱗に触れるようなことをした覚えは一切無かった。


「……自分の胸に聞いてみろ」


 そう言ってクラウドは腕を組んで目を閉じた。だが、眠るようには見えない。クラウドはこれ以上のマーシャと会話はしないという態度を示したのだ。


(私の胸に聞いてみろって……。つまり、クラウドのこの態度の原因は、私にあるってこと!?)


 マーシャは再び過去に思いを馳せてみたが、やはり心当たりはまるで見つからない。


 原因が思い当たらないのだから、謝りようがない。そもそも、何故自分から謝らなければならないのか。その後の彼の態度を鑑みれば、おつりがくるはずだ。


(どうせ私の蹴った小石が当たったとか、食べたかったお菓子を私が先に買い占めちゃったとか、そういうみみっちいことなんでしょ。あーもう、やめやめっ)


 考えを放棄したマーシャは、伸びをして視線を馬車の外へ向けた。


 王都が近付くにつれて、行けども行けども自然ばかりだった景色が、人の手の入ったものへと変わっていくのが見て取れる。


(何だか、どことなく様子が変? どこかって言われても答えられないけど)


 クラウドに確認しようにも、聞くに聞けず、マーシャはむっつりと黙り込んだ。こうなったら意地だ。マーシャのだんまりは、次の宿泊地に到着するまで続いた。


「おい、宿はこっちだぞ」

「……」


 違う方へ歩いていたマーシャは、無言のまま方向を変える。


 宿屋は前日と同様に混んでいたが、早い時間帯だったために、ちょうど個室が二つと二人部屋が一つだけ空いていた。料金は高くなるが、背に腹は代えられない。マーシャは一も二もなく個室を選んだ。


「明日の朝は起きなければ置いていくからな」

「……」


 クラウドはマーシャのだんまりを意に介すことなく告げる。


 会話も無いまま食事を終え、それぞれの部屋の扉を閉めようとした時――


「夜這いするなよ」

「だから、誰がっ!」


 マーシャはドアをバタンと乱暴に閉めた。ベッドとサイドテーブルがあるだけの簡素な狭い部屋だったが、ようやく一人になれたマーシャはほっと息をついた。


(嫌いなら無視してくれればいいのに、何故あんな腹立たしいことを言ってくるんだろう? クラウドと一緒だと、怒ってばっかりだな、私……)


 苛々してばかりは身体に悪い、さっさと寝ようと薄い布団を引っ被る。

 するとすぐに睡魔が訪れた。マーシャは眠りに落ちながら、つくづくアイツとは相性が悪すぎる、と感じていた。




「やっと着いた……!」


 王都に着いたのは、翌日の昼だった。


 わずか数か月前まで自らも王都に居たはずだが、マーシャは馬車から見たその景色に懐かしさを感じていた。


 だが、景色は懐かしくとも雰囲気はかつて見た明るく華やかなものとは違い、物々しい雰囲気が漂っている。


 王都は多くの人で溢れかえっていた。その者たちの胸元にはそれぞれ色の違う石のブローチが輝いている。ラヴィエール魔法学園を卒業した、魔法使いの証明である。

 彼らの表情は硬く険しく、だが静寂とは程遠く、至るところでぼそぼそと会話がなされていた。


「何だか、ざわついてる?」

「本当に、お前はうらやましいくらいに能天気だな」


 クラウドがため息をつく。

 すると、群衆の奥からマーシャを呼ぶ声がした。


「マーシャ!」

「あっ! お父さん、お母さん!」


 人の波をかき分けながらこちらに向かってくるのは、マーシャの両親だった。ひげを蓄えた壮年の父親の名はアルク、それよりいくらか年の若い柔和な母親の名はセイラ。ともに王都で魔術を生業にしている夫婦である。


「間に合ったようだな」

「手紙を送ったのだけれど、入れ違いになったみたいね」

「お父さんお母さん、一体何があったの? 国王様は何で私たちを召集したの?」


 駆け寄ったマーシャの問いには答えず、少し心配そうな眼差しで見つめる二人。


 するとアルクがマーシャの後方に立つクラウドの存在に気付いた。


「そちらの彼は?」

「ああ、こっちはラヴィエールで同級生だったクラウド。クラウド、この二人は私の両親」


 マーシャが渋々紹介すると、クラウドは丁寧に会釈をしながら挨拶をした。マーシャ以外には人当たりがいいのだ。


「いつもマーシャがお世話になっています」


 アルクが頭を下げ、セイラもそれに続く。


(お世話になんて、なってないけどね!)


 否定の言葉は心の内だけに留めておく。


 するとセイラがクラウドを見て小首を傾げた。


「あら? あなた、“加護の力”が……」

「加護の力?」


 加護の力とは、魔法使いの親が子に授けるお守りのようなものだ。お守りといっても、形のあるものではない。子が成人するまで災厄を免れることが出来るようにする、(まじな)いである。

 魔力は遺伝する。つまり、全ての魔法使いは、その親から加護の力を授かっている。当然、マーシャも両親から加護の力を受けていた。


「加護の力が、どうしたの?」


 再び尋ねたマーシャに応える者はいなかった。


 仕方なくマーシャはクラウドを見上げたが、セイラの言葉の続きを推し量ることは出来なかった。加護の力は、ある一定の魔力を持つ者しか見ることが出来ないのだ。


 アルクとセイラはどちらも魔力の高い魔法使いであった。が、その才能は残念ながら娘であるマーシャには遺伝しなかったのだ。


 マーシャが疎外感を感じていると、聖堂の鐘の音が王都に響き渡った。


 それを合図に、群衆が歩き出す。


「鐘が鳴ったな」

「一緒に行きましょう、王宮へ」


 両親に従い、マーシャも歩き出した。クラウドは少し後からついてくる。


(いよいよね。一体、王様は何で私たち魔法使いを呼んだんだろう?)


 忘れていた不安が押し寄せてくる。何かよくないことが起こる予感がする。


 前方にそびえ立つ王宮を見据え、マーシャの喉がごくりと鳴った。


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