13
ガタッ、ガラガラ、ゴトンッ
乗合馬車の車輪が石に乗り上げ、軋んだ音を立てる。
草と木と空しか見るものがないような道が、ひたすら続く。
(何で何もしゃべんないのよ!)
マーシャは隣に座るクラウドを忌々しげに見遣った。隣といっても二人の間には人が一人座れるくらいの距離があり、クラウドは腕と足を組み、瞑想しているかのように目を閉じていた。
このままでは埒が明かないと悟ったマーシャは、手の中にある召集令状を再び見た。
何度読んでみても、王宮に集まれという文言以外には何も書かれていない。何のために国中の魔法使いを集める必要があるのか。
全く分からなくても、異常事態なことだけは分かる。
(まさか、どこかの国と戦争を始める、とかじゃないよね……)
マーシャは歴史の授業を思い出していた。その昔、この国がまだ他国と領地を争い、奪い合っていた頃。当時の王は魔法を奨励し、魔法使いの育成に力を入れていた。だが、それはいずれ来る有事のためだった。実際、戦争が始まると、王は国中の魔法使いを集め、魔力を行使して他国を侵略し、領地を奪取していったのだ。
だが、和平条約が結ばれて以来、久しく戦争は起きていない。
(そんな訳ないか。もし戦争なんて話になるなら、もっと前からそんな噂が耳に入ってただろうし)
マーシャは自分の考えを打ち消して、首を左右に振った。
道のりはまだまだ長い。
いつの間にか、マーシャはウトウトしていた。ずっと同じような景色ばかり見ていたので無理もない。馬車は街道を走っており、たまに町が見えるものの、降りる者が居ないので、立ち寄らずに素通りばかりしていたのだ。
ガタンッ
一際大きな音を立てて、馬車が止まった。
「終点だ。行くぞ、さっさと降りろ」
先に立ち上がったクラウドが、マーシャに声を掛ける。
一方、寝ぼけていたマーシャは、目をこすりながら尋ねた。
「行くって、どこに?」
「宿屋だ。お前、野宿でもする気か?」
その言葉で、今自分がどこにいるかを思い出したマーシャは飛び起きた。見れば、クラウドはマーシャを待つことなく馬車を降りている。マーシャも慌てて運賃を払って後を追う。
マーシャが寝ている間に、空は真っ暗になっていた。今日はこの町で宿を取るしかない。何しろ、王都に行くまでに三日は掛かるのだ。
その町には宿屋が四つあった。その内の三つが満室だったため、二人は残り一つの宿屋へやってきたのだが――。
「えっ! 部屋が一つしか空いていないんですか!?」
思わぬ展開に、マーシャは素っ頓狂な声を上げた。
「ごめんねえ、いつもだったらもっと空室があるんだけど」
ご覧の通りさ、と宿屋のおかみが肩をすくめた。確かに、周囲が何だか騒がしい。マーシャがひょいと覗いてみると、一階の食堂には人が溢れかえり、話し声や食器のぶつかる音がひっきりなしに聞こえてくる。
「長椅子で良ければもう一人寝られるけどね。どうするかい?」
宿屋のおかみの言葉を聞いて、マーシャは思いっきり顔をしかめた。
(クラウドと一緒の部屋なんて、ずえったいに、嫌っ!)
だが、隣に立つクラウドは飄々とした顔のままだ。
「俺は別に構わない」
「私が構うのよ!」
すかさずツッコむマーシャ。するとクラウドはさっさと宿帳に名前を書き、料金を支払ってしまった。
「俺はここに泊まる。お前は他の町に行くなり、野宿するなりすればいい」
マーシャはぐっと詰まった。夜間に一人で他の町に行くのは、自殺行為だ。どんな怪物に出会うか分からない上に、道に迷う可能性だってある。同じ理由で野宿も出来ない。知り合いのいないこの町で、一晩の宿を求めるのも、一人では心細かった。
「……泊まるわよ。泊まればいいんでしょ!」
とうとうマーシャが折れた。
(一晩くらい、どうってことないよね。置物か何かと思えばいいんだし)
二人はおかみに案内され、二階へ上がった。細長い廊下の突き当りが今夜泊まる部屋だ。安価な大部屋が埋まっていたため、少々値が張る個室だった。
部屋はベッドが一つ、木で出来た長椅子が一つ、窓が一つ。質素だが掃除は行き届いている。
クラウドはベッドに自分の荷物を置き、入口の扉から中に入ろうとしないマーシャを振り返った。
「お前はずっと寝ていたから、長椅子でいいだろう?」
「なっ!」
腹が立ったが、クラウドの言った通りなので、マーシャはぐっと堪えた。そしてわざと足音を立てて部屋に入り、長椅子にどかりと座った。
するとクラウドがフッと笑う。マーシャ以外の人間に向ける爽やかな笑顔ではなく、唇の端を上げる笑みだ。
「まあ、お前も一応女だ、ここは譲ろう」
「一言余計なんだけど! 大丈夫よ、私はこっちで!」
意固地になったマーシャとしばらく押し問答になったが、結局、マーシャがベッドに寝る代わりに、枕と布団をクラウドが使うことになった。
割り当てが決まると、二人は荷物を置いたまま一階に下り、食堂へ入る。食事代が宿代に含まれているのだ。ここでも隅の小さなテーブルしか空いておらず、マーシャはしぶしぶクラウドの向かいの席に着いた。
すぐにおかみが食事を運んでくる。今日のメニューは野菜を煮込んだスープと硬いパンだった。
マーシャには十分だったが、男であるクラウドには少々足りない量だ。だが、クラウドはお代わりや追加の料理を頼むことなく食事を終えた。
しかし、部屋に戻った途端に、クラウドは自分の荷物からゴソゴソと何かを取り出した。
それが何か気付いたマーシャは、思いっきり顔をしかめる。
「ちょっと、そんなの持って来たの?」
クラウドが取り出したのは、何とフレアの店の白パンだった。クラウドは返事をせずに白パンを食べ始めた。
今日は魔法を使っていないから、糖分を補給する必要はない。だが、目の前で甘いものを食べているところを見せつけられると、自分も欲しくなってしまう。
(でも、欲しいなんて言えないし、くれるって言っても誰がもらうもんか!)
意地を張ったマーシャは、白パンから無理やり目を逸らした。口の中に溢れる唾をクラウドにばれないように飲み込む。
そんなマーシャに、クラウドは一向に意に介さない様子で持って来た白パンをムシャムシャと食べ尽くした。
自覚は無かったが、横目で少しだけ残念そうに見ていたマーシャは、大事なことを思い出した。
「そうだ、ここの宿泊代……」
「貧乏人から取る気はない」
クラウドは就寝の準備をしながら、そう言った。つくづく嫌味な男である。
(確かに暮らしていくのがやっとだけど、その言い方はないんじゃない!?)
苛立ったマーシャは、自分も就寝の準備をしてベッドへ寝転がった。特に話題もないし、会話したいとも思わなかったからだ。
いや、聞きたいことはたくさんあった。王都で何かあったのか、王は自分たちを呼び寄せ、一体何をさせる気なのか。
だが、心とは裏腹に聞きたくない気持ちもあった。聞いたら二度と後には引けない……そんな重圧を感じるのだ。
背後でクラウドが長椅子に横たわったのが、木の軋む音で分かる。
(何か、気配さえも腹立たしい……。そのせいで全く眠くならないし。いやいや、平常心を保つのよ、マーシャ。旅の基本は疲れを翌日まで持ち越さないことなんだから。あんなやつ、いないと思い込めばいいのよ)
マーシャは深呼吸をして心を落ち着かせた。だが、そんな努力もクラウドの一言で泡と消える。
「襲うなよ」
「誰が襲うかっ!」
すかさず言いかえしてしまった。そんな自分に嫌気がさし、マーシャは今度こそ相手にしないで寝よう、と決心して目を閉じた。
昼間たっぷり寝ていたのため、なかなか睡魔は襲ってこない。
それでも、言い知れぬ不安が少しだけ消えているのを感じていた。




