12
翌日マーシャが目を覚まして階下へ行くと、すぐに店は大変な騒ぎになった。
外がいやに騒がしいので入口の扉を開けてみたら、町の人々がわんさと押し寄せてきたのだ。
「本当にありがとうねえ……!」
「マーシャちゃんがこの町に居てくれて良かった!」
「割れた皿を修復するだけじゃなかったんだな!」
(ムカッ!)
中には引っかかる言葉もあったが、ほとんどがマーシャを称える賛辞ばかりだった。
いや、賛辞だけではない。
怪我人や看護人に提供するために炊き出しをしたそうで、まだ湯気のたつ料理がテーブルの上に並べられた。
「お腹が空いているだろう? さあ、お食べ」
炊き出しのリーダーは風見亭のアビーさんだ。
「ありがとうございます! いただきます!」
良い香りを嗅いでお腹が空いていたことに気付いたマーシャは、温かいスープから飲み始めた。野菜たっぷりの優しい味が胃に染み込んでいく。
フレアの店の白パンも籠に山盛りで届けられている。フレアの姿が見えないのは、ようやく家に戻って休息を取っているからだろう。
食べている間に、男たちもずかずかと店に入ってきた。
「俺たちにもぜひ礼をさせてくれよ」
「あー、こりゃ駄目だ。重い物でも乗せようものなら、すぐに壊れちまう」
「おおい、そこの釘を取ってくれ」
マーシャが彼らの行動を目で追うと、自分で取り付けた壁の棚が頑丈な棚に取り換えられた。
風が吹くたびにガタガタ鳴っていた木の窓も、あっという間に修復された。
それだけではない。食事が終わったテーブルは直ちに片付けられ、お礼の品だと言って、果物、野菜、鉢に植えられた花、服などが所狭しと乗せられていく。何故か鍋やスコップ、ぬいぐるみなど、おおよそお礼にはふさわしくない日常品も紛れ込んでいる。各自の家や店にあったものを片っ端から持ってきたように見えた。
「な、何か多くないですか?」
「二人分だからねえ」
「二人分って、クラウドのことですよね? どうして私のところに?」
確かにクラウドの家はここから離れているが、小さい町内のことだ、ここに全て持ってこなければならないという理由はない。
「さっき彼の家に行ってみたんだけど、留守みたいなんだよ」
「留守?」
マーシャは驚きの声を上げた。いくら魔力が高いとはいえ、あれだけの怪我人に治癒魔法を施したクラウドだ。今日一日寝込んでいてもおかしくないほど疲れているはずだ。それなのにもう出掛けているとは。その底知れぬ魔力と体力にマーシャは愕然とした。
(負けたくない、とか思っていたけど、もしかしなくても私ってクラウドの足元にも及ばないんじゃ……)
元々マーシャはクラウドの実力だけは密かに認めていた。決して認めたくはなかったが、個人的感情に流されて相手を見誤るほど愚かではない。
(実際、あいつがいなかったらヤンのお父さんは助からなかっただろうし)
今回のような騒動は滅多にある訳じゃないだろうが、クラウドが居て助かったのは事実。これからは多少は敬意を払った態度を取るべきだろうか――とマーシャは葛藤した。
(いやいや、そんな一晩で長年の恨みが消える訳ないし! それとこれとは話が別なんだから!)
マーシャは意固地を通し、首をぶんぶんと振った。
そして人々が去り、すっかり快適な居住空間になった我が家を見回していると、馴染んだ顔が二つ、入口から飛び込んできた。
「フレア! ヤン!」
「マーシャ、一晩ですっかり英雄ね!」
フレアは疲れた顔をしつつも笑顔だった。手にしている籠に|布<タオル>が大量に入っているのは、これからまた町長の別宅に向かって清拭をするためだろう。
マーシャも手伝いに行くつもりだったので、必要な物を持ってフレアに同行しようとすぐに決心する。
ヤンの方はいつもとは全く違う、改まった態度でマーシャに深く頭を下げた。
「マーシャ。本当にありがとう。おかげでオヤジ、大丈夫そうだ」
「ほんと!? それは良かった!」
一晩で快方に向かうとは、やはりクラウドの治癒魔法の効果が絶大だったようだ。
マーシャはポケットの中に入れっぱなしだった紙の存在を思い出し、取り出した。
「これ、クラウドから預かったの。たぶんお父さんにだと思う」
フレアとヤンが紙に書かれた文字を覗き込む。
「あいつ、いいやつだな」
同意するにはまだわだかまりがあったため、マーシャは軽く頷くだけに留めた。
「でも、義足って高価なんでしょう?」
「大丈夫、何年かかってでも俺の稼ぎでオヤジに買ってやるよ」
不安を口にしたフレアに、ヤンは何でもないような様子で笑ってみせる。
「俺、そろそろ行くわ。オヤジの方にも顔を出さなきゃ」
「私たちも後から行くね」
ヤンは「うん、ありがとう」とまたお礼を言って、店を出ていった――と思ったら、ひょいと顔だけ覗かせる。その表情は昨日の事件が嘘のように晴れやかな笑顔だった。
「どうしたの? 忘れ物?」
「いや。あいつ――クラウドになら、マーシャを任せてもいいかなって思って。 それだけ! じゃーな!」
「はっ!?」
マーシャが素っ頓狂な声を出した時には、ヤンはすでに走り去っていた。残ったフレアがくすくすと笑う。
「良かったじゃない、ヤンのお許しが出て。町の人たちも大賛成だと思うわよ?」
「いやいやいや。訳分かんないし、有り得ないから!」
どうやらヤンもフレアもマーシャとクラウドの仲をすっかり誤解してしまっているようだった。昨夜の二人の協力体制を、見たり聞いたりしたのだから無理もない。
(もしかしてここにクラウド宛てのお礼の品を運び入れたのも、町中の人たちが誤解しているせい!? ……冗談じゃないっ!)
マーシャはテーブルの上に積まれたクラウド宛ての荷物を忌々しげに見る。
「馬鹿なこと言ってないで、そろそろ行こう!」
役に立ちそうな物を乱暴に籠に詰め込んだマーシャは、まだ笑っているフレアの背中を押すようにして店を出た。
その後、預かったお礼の品を早く届けたい一心で何度かクラウドの家を訪ねたが、その全てにおいてクラウドは留守だった。
そして事件から一週間経った日の早朝。
マーシャがそろそろ店を開けようかと思っていたら、店の扉が乱暴に開けられた。その扉から無遠慮に入ってきたのは、ここ数日探していたはずの金の髪を持つ男である。
「クラウド!」
マーシャは思わず駆け寄った。ようやく邪魔な荷物を渡せると思えば、会えて嬉しかったといっても過言ではない。
「ちょうど良かった! 先日のお礼にって、あんた宛てのお礼も預かってるの。持って帰ってくれる?」
だが、クラウドは返事をしなかった。そこでようやくクラウドの様子に注視してみれば、彼は旅先から帰ってきたばかりといった格好で、少々やつれているようだった。
「ちょっと聞いてるの?」
するとようやくマーシャを見下ろしたクラウドが口を開く。
「さっさと準備をしろ」
「準備って……何の?」
「王都に行く準備だ」
「王都? クラウド、一体何を言ってるの?」
クラウドは赤い封筒を二枚、懐から取り出した。
「召集令状が出た。俺とお前宛てだ」
「召集……令状?」
聞きなれない単語に、マーシャはただただ相手の言葉を繰り返すしかなかった。封筒がマーシャの手に渡る。表にはマーシャの名が書かれているが、差出人の名は無い。
「今頃、国中の魔法使いにこの令状が行き渡っているはずだ」
「これ、誰が?」
「人に聞いてばかりいないで、自分で中身を見ろ」
教えてくれればいいものを、と思いつつ、マーシャはペーパーナイフで手紙を開封する。
中身は便箋が一枚ばかり。これを受け取った者は直ちに王城まで来るように、と書かれている。そして最後に差出人の名前が記されていた。その名前を目にしたマーシャは、信じられない思いで叫ぶ。
「国王!?」
よく見れば封筒には国王を示す封蝋が施されている。
なんで? どうして?
驚きすぎて、そんな簡単なことさえ問い返すことが出来なかった。そんなマーシャの心情を顧みることなく、クラウドが冷静な声で命令する。
「もう一度言うが、時間が無い。さっさと準備をしろ」
その時、マーシャは自分の平凡な日常が崩れていく音を聞いた気がした。




