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悪役令嬢後宮物語  作者: 涼風
にねんめ
220/237

昔語りを終えて

視点ディアナ、時間軸は現在に戻ります。


「……これが、マリアと出逢い、別れるまでの全てです」


 静かに話を閉じたマグノム夫人に、珍しく、カイが困惑の視線を向けている。

 ここは彼を待つべきと判断し、ディアナは静かに、お茶を口に運んで見守った。


「待って。……ちょっと、待って」


 混乱する思考を整理するように、カイは額に手を当て、しばし黙考し。

 ――やがて顔を上げた彼は、覚悟を決めたように、マグノム夫人を見据えて口を開いた。


「要するに、マグノム女官長さんは、俺がその……マリアさんって人が産んだ子だと考えてる、ってこと、だよね?」

「ほぼ十割、間違いないと考えています。あの子は、ちょうど十九年前の今ごろ――森月の半ばに、出産しました。あなたと、歳の頃も合うでしょう」

「いやまぁ確かに、父さんが俺を拾ったのは、十九年前の秋だったらしいけど……」

「あなたがいた場所も、〝メルナオの森〟の外れだったと」

「それも、うん、合ってる」

「――何より、侍女の扮装をしていたあなたは、在りし日のマリアと瓜二つでした。見た目だけではなく、纏う雰囲気も、その所作も」

「あ~……」


 ウロウロと視線を彷徨わせたカイは、ややあって、ディアナの方を向く。


「……そうなの、ディー?」

「私は、マリアンヌ様――シュラザード侯爵夫人と直接お会いしたことはないの。シュラザード家と我が家では、社交の範囲も被らないし。侯爵はともかく、夫人が大きな社交を控えられるようになって長いから、王宮の夜会でお見かけする機会もなかったしね」

「そっか」

「でも、以前何かの機会にシュラザード侯爵家について聞いたことがあって。そのとき、類い稀な美貌を持つ侯爵夫人についても、少しだけどお聞きしたわ。――艶やかな枯葉色の髪と、透き通った紫水晶のような瞳が印象的な、楚々として儚げな麗人でいらした、って。リファーニア王太后様に侍っても霞まないほどの美人だった、って聞いて、相当だなと思ったのを覚えてる」

「髪の色はともかく、他は俺とあんまり被ってる感ないけど」

「普段のカイは、確かにそうね。けど、できた侍女風に化けたあなたは、お淑やかで控えめな風情だったのもあって、私の目から見ても〝楚々として儚げな美人〟だったわ。元々あなた、顔立ちは抜群に整ってるから、女装するとそうなるのも頷けるけど」

「顔は昔から褒められるんだよねぇ……俺の仕事の特性上、無駄この上ないんだけど」

「あら。色仕掛けによる情報収集では、大いに重宝するでしょう?」

「リタさん、突然出てきて刺しに来るのやめて? ちょっと前、ディーにも言ったけどさ。あの手の仕事で必要になってくるのは、顔より手練手管の方だから。いくら顔が良くても、俺の性格的に、色仕掛けで情報抜くなんて不可能に近いよ」

「ソラ様筆頭に、諸先輩方から口を揃えて、『向かないからやめとけ』って言われてるんだっけ?」

〈……誠にお恥ずかしい話ながら、その通りです。このような仕事を生業にしておきながら、なかなか得意分野に偏りのある子でして〉


 それより、話がずれております、と軌道修正してきたソラに、カイは恨めしげな目を向けた。


「……わざとズラしたのにさぁ。父さん、優しくない」

〈お前にとって愉快でない話なのは分かるが、こうなった以上、知らないで済む内容でもあるまい〉

「そりゃそうだけど。まさか今頃になって、自分の生まれの話が出てくるなんて、普通思わないだろ。……十九年も経って、今更」

〈その〝生まれ〟が現在進行形で影響を及ぼしているのだ。今更とは言い切れない。もちろん、お前のせいではないがな〉

「……そうね。カイのせいじゃないことだけは、はっきりしてる」

「この場合むしろ、カイは徹頭徹尾、被害者です」


 言い切って、マグノム夫人は、はっきりと贖罪の色を宿した眼差しをカイへ向けた。


「最後に会ったとき、マリアの様子に違和感を覚えはしたのです。それを些細なことと流さず、突き詰めて調べれば、もしかしたら……」

「あぁ、そこは良いよ。気にしてないから」


 もしかしたら貴族として生きられたかもしれない世界線を、カイは笑って否定する。


「俺別に、貴族として生きることに、興味も憧れも一切ないんだよね。子どもの頃から裏側ばっかり見てきたせいかもしれないけど、表面上はきらきらしてても実際はドス黒い世界だな、っていうのが正直な感想。そんな世界でまともに生きられたとも思えないし、捨てられて、父さんに拾ってもらえて、マジで良かったって思ってるから」

「しかし……苦労したでしょう」

「何を苦労と思うのかなんて、人それぞれじゃない? 確かに全く苦労のなかった人生とは言えないけど、お貴族様の生活だって、それなりの苦労はあるでしょ。……話に聞く、俺の母らしき人、みたいに」


 マリアのことを話すときだけ、カイの歯切れは悪くなる。その表情は、大抵の物事はすぐさま割り切る彼にしては珍しく、複雑そうだ。


「……考えたこともなかったよね。俺を産んだ人が、どういう思いで俺を産んで、捨てたかなんて。産みたかったから産んで、産んでみたら理想と違ったから捨てたんだ、って勝手に思い込んでた」

「仕方、ないわ。あなたを捨てた人がどういう気持ちだったかなんて、生まれて間もなかったあなたに分かるわけがないんだから」

〈……お前のご生母君に関しては、情報を伝えなかった俺が悪い。いつか話そうとは、考えていたのだが。話せないままこうなってしまったのは、間違いなく、俺のミスだ〉


 重い口調の、ソラの声が降ってくる。ディアナは視線を上げ、首を傾げてみせた。


「ソラ様も、マリア様についてご存知だったのですか?」

〈いいえ。もしも私が知っていたら、カイが侍女の扮装をしてスタンザ帝国へ行くのを、何としてでも止めさせたでしょう。かつて王宮内でそれほど評判であった侍女殿であれば、今でも鮮明に覚えておいでの方は多いはず。侍女としてついていくにしても、せめて人目につかないよう、予め馬車の中で控えていた方が良いなど、助言したでしょうね〉

「そりゃそうだ。……そっか、出立式でバレたのか」

「はい。出立式に参加した貴族が〝カリン〟を見て、『かつてのマリアンヌに生き写しの侍女がいたが、あれは彼女の血縁か』とシュラザード家に問い合わせたことがきっかけだったようです。トランボーノ伯爵家はすでに絶えており、マリアの他に子がなかった伯爵夫妻も、既にこの世の人ではありません。マリアの血縁は、あのとき〝死産〟した子しか居ないのです」

「で、〝カリン〟の歳の頃が一致すれば……『あのとき捨てた子が生きてた!?』ってなるのも、頷けることは頷けるわね。生まれたての赤子は男女の別なんてほぼ無いから、男だと思ったのが勘違いだったかも、ともなるでしょうし」

「マジでめちゃくちゃ今更ではあるけど……お貴族様が裏稼業の人間の顔をじっくり見る機会なんてそうそう無いから、その辺は言ったら可哀想か」

「……だとしても、あれほど執着する我が子なら、もっと前から必死になって探していても良いのでは、と思いますが」


 ミアの落とした感想に、ユーリが大きく、何度も、頷いている。シュラザード侯爵の様子は異常の一言に尽きたので、正直それは、ディアナも同感だ。

 と、いうか。


「その前に、そもそも捨てるなって話なんだけどね?」

「もちろん、それは大前提です」

「いやうん、俺は捨てられて助かったから、別に良いんだけども。自分から捨てておきながら、今になっていきなり、血縁っぽい人間に執着し出すのが矛盾してるって話なら、同感かな?」

「その辺りの事情に関しては、目下のところ、調査中ではございますが……」


 マグノム夫人が苦虫を噛み潰したような顔で言うのを、ほんのり苦笑して眺めつつ。

 ディアナは、再び視線を天井へと向けた。


「ソラ様は、カイのご生母様について、何をご存知だったのです?」

〈……知っていることは、ほぼございません。ただ、カイを拾ったときの状況から推測できることなら、いくつかありました〉

「推測できること?」


 カイも、ディアナと同じく視線を上げる。

 息子に説明を求められたソラは、しばしの間、沈黙して。


〈〝メルナオの森〟とは、野生動物も多く、生まれたての赤子が何日も生きていられる場所ではない。そんな危険なところへ赤子を放置した割には、バスケットはしっかりした造りでおくるみの保温保湿性も高かった。あれは、相当良い布で作られたものだろう。裾には、おそらく母君が手ずから施したのであろう、刺繍も施されていた〉

「おくるみの刺繍……エルグランド王国に古くから伝わる、おまじないの一種ですね。生まれてすぐの赤子を最初に包むおくるみに魔除けのものを刺繍することで、悪いものから我が子を守る、という」

〈はい。そのようなものがあることを、私も後で知りました〉

「……マリアの生家、トランボーノ伯爵家は、エルグランド王国建国時より続いた古参貴族です。当然、おくるみの魔除け刺繍の伝統についても聞かされていたことでしょう」

〈……刺繍の図案は複雑で、丁寧に刺されたと分かるもの。それが赤子のためなのだとしたら――少なくとも、この刺繍を刺した人は、赤子の誕生を心待ちにしていたのだろうと、〝魔除け〟の意味を知って思ったのは確かです。そして、〉

「まだ、あるの?」

〈――お前を寝かせていたクッションの、その下には。小粒だが価値は高いと分かる宝飾品が詰め込まれた、小袋が隠されていた。袋の中には、一筆書かれた紙もあってな〉

「……紙?」

〈当時の俺は、エルグランド語の読み書きが得意ではなかった。だから、おくるみの刺繍について教えてくれた……下宿屋の女将に読んでもらったんだ〉

「え、それってもしかして、パルサさん?」

〈あぁ。女将が読んでくれたところによると、紙にはただ一言、こう書かれていたらしい。――『養育費として、どうぞお受け取りください』と〉

「養育費……」


 少し目を見開いたカイが、思わずといった風に口を開く。


「そんな袋、父さん持ってた?」

〈あんな高価なもの、おいそれと持ち歩けるか。下宿屋の主人伝いで、信頼できる筋へ預けてある〉

「預けるって……養育費としてもらったなら、売って金にすれば良かったじゃん。そうすれば、あんなに苦労して金を稼ぐ必要もなかったのに」

〈馬鹿を言うな。一目で高額と分かる宝飾品の数々だぞ。売りに出したが最後、足がつくのは避けられん。ああいう品は、本当に追い詰められてどうにもならない危急時まで、手をつけないのが定石だ〉

「その〝危急時〟、普通に去年あっただろ……」

〈お前の金だ。俺の治療費なんぞで溶かせるか〉

「俺の金って言うなら、使い道くらい俺に選ばせてよ」


 獅子親子の言い分はどちらも正論で、正論ゆえに交わらないのが痛いところだ。どちらの言葉も分かるだけに、なかなか片側へ肩入れはしづらい。

 ――少し考え、ディアナは一旦、話をまとめることにした。


「つまり――ソラ様は、カイを〝捨てた〟ご両親のうち、おそらくお母君の方は、捨てたくて捨てたわけではなく、手放すしかない事情があったのかもしれないという推論を、早いうちから抱いていらした、ということでしょうか?」


 ディアナの、横槍に近い総括を受け、獅子親子の言い合いはぴたりと止まり。

 数拍を数えた後、ゆっくりと、ソラの言葉が降ってくる。


〈……いいえ。当時は私も若く、考え足らずで。おくるみや〝養育費〟の件から、どうやらこの子の母は子どもに生きていて欲しいと思っているようだとは感じましたが、捨てた事情まで慮ることができるようになったのは最近のことです。恥ずかしながら、捻くれていた若い頃は、『捨てておきながら生きて欲しいと願うなど、金持ちの考えることはよく分からない』と、そこで思考が停止しておりました〉

「無理もないことです。普通に考えれば、生きて欲しいと願う我が子を森へ置き去りにするなど、矛盾しかない行為ですもの」

「……うん。父さんが細かいことを言わなかった理由は分かるよ。どれだけバスケットを頑丈にしようが、おくるみに刺繍入れようが、宝石詰めた袋を養育費として忍ばせようが――生まれたばかりの赤ん坊を森に放置した時点で、九割無意味だもんね」

「えぇ、本当に」


 カイはたまたま、ソラに拾ってもらえたが。自力で動くことすらできない、泣くことしかできない赤子を大人の目と手の届かないところへ置き去りにした時点で、どれほど生きることを願っていようが、消極的な嬰児殺害であることに変わりはないのだ。「あなたの母親はあなたが生きることを願っていたけれど、何か事情があって森の中へ捨てたようだ」なんて、言う方も聞く方も反応に困るし、言ったところで何が変わるわけでもないだろう。それなら、ひとまずこの事実は自分の胸の中だけにしまっておいた方が――と考えたソラはむしろ、実に真っ当な父親である。


〈しかし……カイのご生母君だという方のお話をお聞きするに、ことは〝普通〟に考えて収まる話でもなさそうです〉

「それ、なんだよねぇ」


 獅子親子の声は、揃って複雑そうな心情を宿していて。

 本当に似たもの親子だなぁ、と微笑ましい気持ちになりつつ、ディアナは敢えてのんびり、口を開く。


「……カイは、マミア以西の文化について、どの程度のことを知ってる?」

「マミア以西……? マミアって、王国の北から南に流れる、マミア大河のことだよね?」

「そうよ」

「うーん、そんなに詳しくは……ところどころで、なんか風習というか、しきたりが違うなぁって感じたことはあるけど」

「――えぇ、そうでしょうね」


 大きく頷き、ディアナはぐるりと室内を見回した。


「私たちの中だと、クリスお義姉様とミアもマミア以西に領地を持つお家、なのだけど。二人のご実家は、アスト王のご治世以降に国王より以西側の領地を賜っているから、家の文化としてはエルグランド――〝湖の王国〟の系統でね」

「湖の王国?」

「そう。私たちが今居る〝エルグランド王国〟は、歴史的に見ると、ざっくり四つの系統に分けられるの」


 北から南に流れるマミア大河で、半島を西と東に分け。

 さらに、分けた東西も、それぞれ南北でふんわり分けると、それぞれ南東、北東、南西、北西に、4分割される。

 今から、およそ五百年ほど前。それぞれの地域には、今とは異なる、四つの国々があった。


「一つは、このエルグランド王国の前身となる、エルグランド王家が治めていた〝湖の王国〟を中心とした、都市国家群。――都市国家というのは、一つの街を中心に独立した(まつりごと)を行い、周辺地域を支配する国家のことね」

「……今の領主制にちょっと似てる?」

「まぁ、前身だし。当時の都市国家群は、その中でも中心的存在だった〝湖の王国〟と、その庇護下に入った多くの都市国家が、盟約の下で緩く繋がっていた感じかしら。まだ、大きな領土を持った国家って雰囲気じゃなかったと聞くわ。クレスター地帯なんか、九割が森で、残り一割に『賢者』の館と『森の民』の集落がある、都市国家とも言えないような土地だったし」

「へぇー……その場合、他所から侵略されたりしなかったの?」

「周辺国から、『あそこは森の民の土地だ』って認識されてたから、平気だったみたいよ。――都市国家群における、最も重要な盟約は、『侵略戦争を起こすべからず』だからね」

「あ、それも今のエルグランド王国と一緒だ」

「そういうこと」


 頷いて、ディアナは説明を続ける。


「その都市国家群の北、半島の南東にあったのが、ギアル帝国。――『アルメニア神話』を主軸とする『アルメニア教』を最初に興した〝ギアル〟という国が、長い時間をかけて周辺国を併合し、大きくなった国よ。現在のエルグランド王国でいえば、ちょうどミスト神殿があるミスト湖周辺がギアル帝国発祥の地とされているわ」

「アルメニア教って、元々はエルグランド王国の宗教じゃなかったんだ?」

「なかったのよね。〝湖の王国〟を含む都市国家群に明確な神様は存在しなくて、自然界の至るところに人智を超えた存在は宿っている、っていう聖霊信仰的な考えだったみたい。多神教で自由度の高いアルメニア教と親和性の高い観念だったことは確かだけど、実は別モノ」


 ディアナの説明には、教わっているカイより、周囲の王宮侍女たちが驚いている。……そういえばこの国は、アメノス神より王権を賜った的な逸話があるんだったか。


「……ギアル帝国とエルグランド王国は、戦による勝ち負けではなく、国家同士の交渉によって併合した。ギアル帝国は国名を喪う代わりに、アルメニア教をエルグランド王国の国教とし、当時の皇女をエルグランド王太子の妃として嫁がせたそうよ。ギアル帝国とエルグランド王国で、国家統一に際し、なんらかの取り決めがあったのでしょうね」

「ディアナ様は……詳細をご存知ないのですか?」

「わたくし、そこまで歴史に詳しくないわ。王国的にも機密扱いでしょうから、知っているとしたら、スウォン家の方々くらいね」

「あぁ、確かに」


 アルフォードを個人的によく知るリタが頷き、カイも「スウォンさんって、歴史研究の大家だったっけ」と頷いている。

 侍女たちへ向けての補足を終えたディアナは、再びカイの方を向いて。


「で、マミア大河を挟んだ西側の南、南西の海岸線沿いに広がっていたのが、ブラム連合国。海の恵みを受けて生活していた海洋民族たちと、カラッとした過ごしやすい気候のもと、農耕牧畜と豊かな食文化が発達した内陸民族たちが作る小国家が集まった国ね。〝ブラム〟というのはどこか一つの国を指すのではなく、『海の民』が『ブーラ』、『陸の民』が『ラーム』と自分たちを呼んでいたのを繋げて、国家名としたみたい」

「話を聞く限り、都市国家群と似てるね?」

「えぇ、とてもよく似てる。違いはそれこそ、〝湖の王国〟のような中心的国家の有無くらいじゃないかしら。ブラム連合国にそういうものはなくて、それぞれの小国が選出した代表者が集まって、合議制で連合国全体の方針を決定していたそうよ」

「突出したリーダーが居ないと、独裁者の暴走のリスクは減らせるね」

「その代わり、意思決定に時間がかかるから、緊急性の高い事態だとどうしても対応力が下がってしまうデメリットもあるけど」


 細く息を吐き、ディアナはいよいよ、本丸に迫る。


「そして――そのブラム連合国の北側、半島の北西部で巨大な勢力を誇っていたのが、アント聖教国。この世の全てを創造したという唯一神〝アント〟を信仰する一神教、アント聖教が興した宗教国家で、世界はアント神に造られたのだから、アント神に捧げられるべきという考え方のもと、世界統一を目指していたわ」

「めちゃくちゃ壮大な野望……」

「けど、強かったのよ。聖教国発祥の地は、今のエルグランド王国で言うと、北西部にあるアメルナ山脈の麓になるんだけど」

「あー、あそこ。そっか、あそこって、有名な鉱山があったよね」

「えぇ。鉄鋼石の鉱脈とかもあったから、良質な武器が作り放題でね。幼い頃から〝神の意思〟を刷り込まれた聖教軍の兵士たちも戦うことに躊躇いがなくて、とにかく侵略戦争は負け知らずだったって」

「なるほど……それだけ聞くと、よくエルグランド王国が勝てたね? って思っちゃう」


 カイの質問に、周囲で話を聞いていた侍女たちがうんうん頷き、リタが半笑いの困惑顔になっている。

 ディアナも正直、リタの気分にほとんど同意だったが、ひとまずそこには触れず、アント聖教国の説明を続けることにした。


「まぁ、そんな宗教国家だから、とにかく戒律が厳しかったみたいで。日常の生活にも細かな決まりがあったり、季節ごとに何らかの修行期があったり、食べるものや身につけるものも階級によって決められていたり……その中でも大きな教義の一つが、〝黒は不吉ゆえ、決して身に纏うべからず〟だったのよ」


 カイと、次いでルリィが目を丸くした。


「黒を忌避する文化って、エルグランド発祥じゃなかったんだ?」

「割と王国全体、そういう雰囲気ですよね?」

「厳密に言えば、黒を好ましく思わない風土は、それぞれ各地にあったみたい。ものは腐ると黒くなるし、血も渇くと黒くなる。他にもいくつか理由は考えられるけれど……〝死〟を象徴する色の一つが黒なのは、理解できるでしょう?」

「それは、まぁ」

「けれど同時に、良い土は黒いし、オーリの実だって熟して美味しいのは黒色だしで、特にブラム連合国を前身とする地域では、さほど黒に対する偏見がなかったのも確かよ。――そうよね、ミア?」


 エルグランド王国最南端に領地を持つメルトロワ子爵家は、過去にブラム連合国だった地域を治めている家である。ディアナに振られたミアは、大きく首肯した。


「はい。我が領では、〝黒が不吉〟などという言説はほとんど聞きません。ですから、王宮勤めをするようになって、黒は不吉な色だから使わないよう指導されたときは、大変驚いたのを覚えています」

「そう、なんですね」


 目を丸くしたままのルリィが頷くのを確認してから、ディアナもまた、頷いて。


「あまり好ましい色ではないから、自分から服飾のメインには選ばないけれど、だからといって必死に避けるほどではない――アント聖教国以外の国々では、黒は概ねそのような扱いをされていたはずよ。そんな中で、殊更に黒を忌避して極端に排除していたのが、アント聖教国だったの」

「極端に排除、ですか?」

「えぇ。アント聖教信者たちは、黒髪黒目やそれに近い色を持って生まれた人を〝神の祝福を受けぬ者〟〝魔に魅入られた者〟として、真っ当な国民どころか人としてすら扱わなかった。敬虔な聖教信者はその教えを信じ込んでいたから、〝黒〟を宿した赤子が家に生まれたら、〝死産〟にするのが当たり前だったそうよ」

「それ……生きられるはずだった子を殺した、ってこと?」

「彼らにとって、その赤子はおそらく、〝人〟ではなかったのでしょうね。たぶん、〝殺した〟って認識ですらなかったのよ。たまたま女の胎に紛れ込んだ〝悪魔〟を始末した――そんなつもりだったんじゃないかしら」


 ルリィのみならず、話を聞いていた王宮侍女たちの顔色が青ざめる。……この国の教育、特に貴族女性への教育は各家庭の裁量に委ねられている部分が大きく、必須とされているのは主に、社交界での振る舞い方や女主人としての心得など、〝貴族〟としてのマナーが中心だ。正妃を輩出するような家柄ともなってくると、妃教育の一環として座学の歴史を幼いうちから取り入れることもあるが、全体で見れば少数派だろう。もちろん、家の書庫で勝手に歴史書をふむふむと読んで、半島の歴史概要をざっくり学んだディアナは、例外中の例外である。

 王宮勤めの侍女や女官なら、自国の成り立ちを大枠だけでも押さえておくのは大事なんじゃないかな、とぼんやり考えつつ、ディアナはゆっくり瞳を閉じた。


「エルグランド王国に本格的な戦の記録はほとんどないけれど、例外が二つあってね。一つは、百五十年ほど前に起きた〝アズール内乱〟で、もう一つが――アント聖教国と小競りあってた、通称〝五十年戦争〟。〝英雄王〟アストが英雄と謳われるのは、その〝五十年戦争〟を奇跡のような手腕で勝利へ導き終結させた国王だからよ」

「……俺、知ってる。この国のそういう王様キラキラエピソードの陰には、どっかの森で『賢者』とか言われてる一族の暗躍があったって」

「あー、うんまぁ、そうね? 初代クレスター伯爵ポーラストが叙爵されたのも、〝五十年戦争〟の功労によるものだしね?」

「むしろそこまで一般人だったことが驚きなんだけど……」

「昔も今も、ウチの一族、地位とか権力とか、そういうモノに興味関心が欠片もないから……初代のポーラストだって、ただの引きこもりの研究オタクで、どっちかといえば人の目が怖い対人恐怖症気味だったそうだし」

「それがどうして叙爵?」

「その辺は、当時の事情によるんだけど……とにかく、半島を統一したアスト王は、アント聖教国だった土地を改めて調査し、戦に関わる賞罰を決めて、聖教国と王国の文化風土が喧嘩しないよう、落とし所を探っていって。そこで初めて、〝黒〟を極端に忌避する聖教の教えと嬰児殺害が常態化している内実を知って、深く苦悩されたそうよ」


 エルグランド王国は――〝湖の王国〟は、他国の文化風土を否定しない。他者への批判や否定は、状況が変われば容易く己へ跳ね返ってくることを、長年の経験則から知っているからだ。自分たちとは相容れない文化や風習であっても、「ウチの国でそれを受け入れることはできないけれど、あなたの国にそういうモノがあると理解はします」と線引きだけして関わらないのが基本的な方針で。

 しかし……それゆえに、アント聖教国で〝黒〟を持って生まれた赤子たちが、他ならない親の手で命を奪われてきた悲劇に、王国は手を差し伸べることができなかった。


「〝黒〟への忌避が殊の外強い風土であることは知っていたけれど、まさか我が子を殺して罪悪感を抱けないほど、その考えが浸透してしまっていることは、アント聖教国を統合したエルグランド王国にとっても、大きな脅威の一つとなったわ。……何かを拒むこと、避けることそのものはそれぞれの内心の自由だから、止めさせるわけにもいかない。結局、嬰児殺害を殺人罪として周知することで止め、あとはじわじわ時間をかけて、〝黒〟を忌避する思想そのものを薄めていくしかない、って結論に落ち着いたのよ」

「……薄まってるかな?」

「〝黒〟を何となく避ける風習は他の土地にもあったから、薄まるのに思ったよりも世代を経る必要があったのは間違いないと思うけど……今はルリィみたいに黒髪黒目でも王宮職を得られるようになったし、これでもマシにはなっているのよ。もちろん、まだまだ全然足りないけれど」


 はぁ、とため息をついて、ディアナはいよいよ本題へと差し掛かる。


「マリア様が嫁いだシュラザード侯爵家は、元を辿ればアント聖教国の有力貴族で、〝五十年戦争〟にて秘密裏に王国側の協力者となった功績から、統一後、新たにアスト王からエルグランド王国の侯爵位を叙爵されたお家なの。当時の侯爵が敬虔な聖教信者だったこともあって、今でも侯爵家はアント聖教を信仰しているはずよ」

「アント聖教って、今もあるんだ?」

「信者の数は年々減ってきているけれどね。エルグランド王国は、いちおうアルメニア教が国教っぽくなっているけれど、別にアルメニア教徒であることを強制もしていないから。どんな神様を信じようが信じまいが自由で、宗教によって罰せられることはないわ」

「てことは、黒を極端に排除する戒律もそのまま?」

「その辺は、裏から手を回してやんわりと、もう少しマイルドな戒律に変えてもらったはずだけど」

〈……あくまでも、エルグランド王国向けのポーズでしょう。聖教の力が未だ残るいくつかの地域では、黒を持つ人間を排除する教義と風習もまた、少しも廃れておりません〉


 重々しく降ってきたソラの言葉には、知識だけではない実感が込められていた。

 深くは語られずとも内実を理解し、ディアナは静かに、頭を下げる。


「……申し訳ございません、ソラ様。王国全土に目と手が行き届いておらぬは、我らエルグランド王国の不徳といたすところ。国の上層部に代わり、心よりお詫び申し上げます」

〈末姫様が謝罪されることではございませんよ。そもそも、その件につきましては、二十年以上前にデュアリス様からお詫びの言葉を頂戴しております〉

「……そう、なのですか?」

〈えぇ。――末姫様は本当に、デュアリス様とよく似ておいでですね〉


 過去を懐かしむ声音を響かせたソラは、しかし次の瞬間、ぐっと声を固くして。


〈……末姫様のお話から推測するに、あの侯爵がアント聖教の教義に凝り固まった思想の持ち主だとするならば、生まれたカイの瞳の色を見た瞬間、殺すことを考えたはずです。だとすれば、カイが捨てられた理由は、もしや〉

「……黒に近い色の瞳が原因なのは、変わらないけど。瞳の色を理由に殺されそうだった俺を、――あの男から、逃がすためだった?」


 全て、憶測である。マグノム夫人の知るマリアンヌ、ソラの知るカイを拾ったときの状況と――ディアナが知る歴史的背景とシュラザード侯爵についての情報を組み合わせて見えてくる、それは一つの推論でしかない。真実を知るのは、マリアンヌとシュラザード侯爵家の人々のみである。


 しかし。


「シュラザード侯爵家に関しては、一つ、はっきりしていることがあるわ。二十年前にご嫡男を〝死産〟なさった侯爵夫人は、それからずっと体を壊して、今も領地で療養を続けておいでで、社交界には滅多に姿を現さないこと。夫人がそんな状態ではもちろん、新しい子などできるはずもなく、シュラザード侯爵は未だ、後継を得ていないこと。養子を得ようにも親戚筋に適当な年齢の子がおらず、このままでは家の存続すら、危ぶまれていること――」


 す、と顔を上げ、ディアナはカイを真っ直ぐに見る。


「回廊で対峙したシュラザード侯爵の雰囲気は、追い詰められて後がない人間特有の決死感に、よく似ていたわ。〝カリン〟へのあの執着ぶりから見ても、ただ〝我が子〟を探しているだけとは思えない」

「……信仰する宗教の教えに反しても、棄てた子どもを〝後継〟にしようとしてる、って感じ?」

「その可能性は、大いにあると思う」


 ディアナの推理に、シュラザード侯爵の異常な様子を目の当たりにしたミアとユーリが深々と頷いている。あれは間違っても、生き別れた息子との感動の再会を望む父親の仕草ではなかったから、いくつか情報を得ていれば、この結論に辿り着くのはそう難しくない。


「ただでさえディーが忙しいときにさぁ……」


 瞳を剣呑に光らせたカイは、けれど次の瞬間、何かが引っかかったらしく、何度か目を瞬かせた。

 そのまま、彼はしばし、黙考して。


「――ねぇ、クリスさん。シーズン開始の夜会のとき、無駄な大立ち回りをしてたグレイシー男爵って、全然似てないけどクリスさんのお兄さんだったよね?」


 突然、質問の矛先を、これまでずっと黙って聞き役に回っていたクリスへ向けた。

 向けられたクリスは完全に想定外だったようで、目をぱちくりさせてから頷く。


「え? あぁうん、身内の恥でしかない男だけど、血縁上はそうだよ」

「会場内に持ち込んでた武器の入手ルートも、なんで夜会の場で暴れようと思ったのかの動機も、微妙にはっきりしてないんだよね?」

「……うん、スッキリしない終わり方だった」


 グレイシー男爵の取り調べについては、国王近衛騎士が主導する形で一旦終わり、男爵は領地で無期限謹慎との沙汰が下りたと聞かされている。武器は怪しい雑貨を売っている王都の店で仕入れ、会場内に持ち込んだのは自衛のつもりだったという話だが、彼が話した場所に店はなく、自衛で武器を持ち込むなんて常識外れにもほどがある行いをした理由についてははっきりせず、何か裏があるのは明白だった。エドワードは『闇』を導入して深掘りする気満々だったが、スタンザ帝国にディアナが赴くことになったり、王宮でも動きがあったりで、「この忙しいときにこれ以上『闇』へ負担をかけたくない」とクリスの方から断ったらしい。


「……カイ? どうしたの、何か気になることでも?」

「……うん。この件、感情に惑わされて下手に動くのは、〝敵〟の思う壺かもしれない」


 そう、静かに呟いたカイは、稼業者らしい冴えた光を紫紺の瞳に宿して、ディアナを強く見据えてくる。


「ディー。この件、一度俺に預けてもらってもいい?」

「それは……あなたのことだから、もちろん構わないけれど。無理、してない?」

「全然。――むしろ今、人生イチくらい、やる気に満ちてる」


 カイから漏れ出す、彼特有の闘気……これこそがおそらく、カイの持つ霊力(スピラ)、そのものなのだろう。全てを圧倒するほど〝強い〟気配は、確かにソラが言う通り、あまり融通の利く力ではなさそうだ。例えるならば、そう。


(自身の前に立ちはだかる障害総て、問答無用で薙ぎ倒していく……獅子のような荒々しい力)


 その霊力(スピラ)が滾っている今、心配すべきはむしろ、シュラザード侯爵の方かもしれない。

 ほんの少し遠い目をして、ディアナはこの先に思いを馳せつつ、次の展開を考えるのであった。


そんなわけで、カイにまつわる過去話編でした。正直、カイの背景については裏設定だけあって、表へ出すつもりは微塵もなかったのですが、敵味方諸々の思惑ががっつり絡まった結果、本編のメインに出張ってくる勢いで全面に出てきて、誰より作者が驚いています。

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