魔力令嬢の実験室
宰相の息子、カイゼルは子供の頃から勉強漬けだった。
未来の国政に関わるため、過密なスケジュールで毎日を過ごしていた。どんな困難も努力でねじ伏せてきた。
だが、彼にも努力ではどうにもならないものがある。
魔法の才能だ。
父も母も政略結婚で結ばれた。どちらも風魔法しか扱えない。血は薄まり、結果は見えていた。
幼い頃に受けた魔力審査。
結果は――風魔法のみ。
順当な結果だ。
だが貴族の中では、二属性を持つのが当然とされる。宰相家の嫡男でありながら一属性しか持たないという事実は、陰で何度も嘲笑の種にされた。
だから用意された。
四属性を持つ婚約者。
借金まみれの男爵家に生まれた、異例の才を持つ少女。その血を取り込めば、次代は補える。
ロゼッタ。
カイゼルは、この婚約者が嫌いだった。
月に一度の懇親会。
香りの良い紅茶と焼き菓子が並ぶ席で、ロゼッタは退屈そうにカップを揺らしていた。
「カイゼル、あなた、風魔法しか使えないんですって?」
唐突な言葉だった。
「私は四属性も使えるのに?」
カイゼルは答えなかった。ただ指先に力を込める。
「何か言ったらどう?せっかくのお茶会なのに、つまらないわ」
「風魔法の制御なら負けない。君は先日、魔力暴走を起こしたと聞いた」
ロゼッタは鼻で笑った。
「四属性で高魔力な私が特別なだけ。少しくらいの失敗で騒ぐなんて、小さい男ね」
その一言で、カイゼルは会話を打ち切った。
この女と話す価値はない。
やがて二人は魔法学院に入学する。
そこでカイゼルは、一人の少女と出会った。
「勉強ばかりで世間を知らないなんて、真の政治家になれないわ」
まっすぐに言い切るその声は、軽く、だが芯があった。
光魔法。希少な属性。しかも高魔力。
カイゼルは、少しずつその少女に惹かれていった。
ロゼッタは気付いた。
このままでは婚約を失う。
家に訴えた。
男爵は、ならず者を雇った。
少女を殺すために。
失敗した。
すべてが露見した。
婚約は破棄された。
男爵家は破産した。
そして――ロゼッタは売られた。
窓のない部屋だった。
壁は石で、湿り気を帯びている。空気は冷たく、重く、わずかに鉄と薬品の匂いが混じっていた。
光源は一つだけ。天井近くに埋め込まれた魔導灯が、白く無機質な光を落としている。
床に座らされている。
いや、固定されている。
手首に巻かれた鉄輪が骨に食い込むほどきつい。そこから伸びた鎖が壁に打ち付けられている。足も同じだ。逃げるどころか、身体を伸ばすことすらできない。
呼吸をすると胸が痛む。
理由はすぐに分かった。
胸に何かが取り付けられている。
冷たい金属の板。そこから複数の細い管が伸びている。皮膚に食い込み、心臓の鼓動に合わせてわずかに震える。
ドクン。
鼓動と同時に、管の中の液体がゆっくりと動く。
まるで、自分の中から何かを抜き取られているようだった。
「……ぁ……」
声が出ない。
喉が乾いている。何度も叫んだ記憶だけが残っているが、今は空気しか漏れない。
口の中が鉄の味で満たされていた。
視線を動かす。
ドレスが破れている。胸元は裂け、布は汚れ、かつての華やかさは欠片も残っていない。
あれは気に入っていたものだった。母が選んでくれた、数少ない“まともな”贈り物。
「……いや……」
声にならない。
返事もない。
鎖がわずかに動くたび、金属音が響く。それだけが、この部屋に存在する音だった。
誰も来ない。
誰も見ない。
誰も止めない。
光はあるのに、世界は閉じている。
逃げ場はどこにもない。
時間の感覚も、すでに曖昧だった。
どれだけここにいるのかも分からない。
ただ一つ分かるのは――
終わらない、ということだけだった。
⸻
カイゼルは報告書を閉じた。
「そうか」
短くそう言って、机の上に置く。
――愚かな女だ。
そう思った。
だが、その感情もすぐに薄れていく。
ロゼッタの話は、もう、関係のない話だった。
ただ一つ、確かなことがある。
昔から、大嫌いだった。
この短編は、乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜の中に出てくるゲームの内容です。




