背脂豚骨ラーメン
背脂豚骨ラーメンが食べたい日というのは、だいたい人生に負けている。
仕事で褒められていない。
人に気を使いすぎた。
あるいは、特に理由はないが、自分を雑に扱いたい。
そういう日に、私は背脂を欲する。
店に入る前から、匂いが重い。
豚骨の主張が強い。
「覚悟して入れ」と言われている気がする。
入る。
床が少し滑る。
もう信用できる。
カウンターに座ると、
店主が何も聞かずに水を置く。
これも信頼ポイントだ。
メニューを見る。
背脂豚骨ラーメン。
替え玉。
以上。
余計な情報がない。
注文するとき、
私は一瞬だけ迷う。
「担々麺もありますよ」
この一言で、空気が揺れる。
担々麺。
辛い。
正確には、辛いという概念が嫌いなのではない。
痛いのが嫌いだ。
辛さは味覚ではなく、暴力だと思っている。
「担々麺、人気ですから」
分かっている。
人気なのは知っている。
だが私は、
舌を鍛えに来たわけではない。
私は背脂に癒されに来た。
「背脂豚骨で」
店主は何も言わない。
勝負は終わった。
待っている間、
隣の人の担々麺が来る。
赤い。
赤すぎる。
ごまの香り?
違う。
刺激の匂いだ。
一口食べた瞬間、
その人の顔が一瞬だけ歪む。
あれを私は、
「おいしい」とは呼ばない。
修行だ。
そして、来た。
背脂豚骨ラーメン。
表面に、
白い粒が浮いている。
油なのに、優しそうな顔をしている。
スープをすくう。
重い。
だが、期待通りの重さ。
口に入れる。
……ああ。
これは、
誰にも怒られない味だ。
塩分がどうとか、
脂がどうとか、
今は全部どうでもいい。
背脂は、
「大丈夫だよ」と言いながら、
全力で抱きしめてくる。
麺は細め。
歯切れがいい。
スープを連れてくることに特化している。
担々麺の麺は、
自分を主張する。
辛さと張り合おうとする。
背脂豚骨の麺は違う。
完全に従順だ。
チャーシューを食べる。
柔らかい。
だが感動はしない。
いい。
脇役は、これでいい。
途中で、また担々麺を見る。
赤い。
相変わらず赤い。
担々麺は、
食べる側に覚悟を要求する。
「辛さは大丈夫ですか?」
「辛さ増しますか?」
質問が多い。
背脂豚骨は聞かない。
「分かって来てますよね?」
その前提で出してくる。
私はそれが好きだ。
半分食べたあたりで、
汗が出てくる。
辛くないのに、汗が出る。
これが背脂の力だ。
体が「処理中です」と報告してくる。
替え玉を頼むか迷う。
理性が止める。
欲が進める。
私は欲を取る。
替え玉投入。
スープが少し薄まる。
それでもいい。
担々麺は、
途中で薄まると破綻する。
辛さだけが残る。
背脂豚骨は違う。
余裕がある。
土台が強い。
完食。
器の底に、
白い膜が残る。
これは、
食べた証だ。
店を出る。
胃が重い。
だが、心は軽い。
担々麺を否定したいわけではない。
ただ、私は辛さに向いていない。
辛いものが好きな人は、
強い人だと思う。
私は弱い。
だから、背脂を選ぶ。
背脂豚骨ラーメンは、
弱者の味方だ。




