第一話 朱雀と白虎
夜の帳が降りると、この学園の空気は一変する。
昼間の喧騒は影を潜め、四季を冠した寮の窓々に、灯火がひとつ、またひとつと揺れる。だがその静けさは決して安らぎではなかった。
人の眼には映らぬ怪異が、闇の奥底でざわめくのを、学園の者たちは肌で感じ取っていた。
春宮朱音は、朱雀の紋章が縫い込まれた巫女装束の袖を正し、深呼吸をひとつ。
今日から、新たな白虎と共に任務に臨む。
「行くよ、隼人」
「……はい」
低く応じる声。
白虎に選ばれた二年生、秋月隼人。精悍な顔立ちに似合わず、どこか人を拒むような鋭さを纏っている。
まだ互いを知るには遠い距離感。だが戦場では迷っていられない。朱雀と白虎は常に対を成し、前衛と後衛として息を合わせねばならなかった。
夜の学園を抜け、二人は結界の外へと足を踏み出す。
その瞬間、ぬるりとした瘴気が肌にまとわりついた。
「……来る」
朱音は直感で告げ、右手に御札を構える。
樹々の影から、黒い靄がにじむように溢れ出す。
やがて形を成したのは、人の背丈を超える異形の怪異。角のように伸びた枝、滴るような闇の液体。歪んだ笑い声が空気を震わせた。
「後ろは任せる」
「了解」
朱音が一歩前へ躍り出ると同時に、隼人が後衛に立ち弓を引き絞る。
矢先には霊力の光が凝縮され、緊張が走る。
怪異が咆哮とともに飛びかかる。
朱音は紙札を投げ放ち、瞬時に火の奔流を呼び起こした。炎が獣の前足を焼き裂く。怪異がのたうつ隙を逃さず、隼人の矢が光となって飛んだ。
――ズドンッ。
矢は怪異の胸を正確に射抜き、悲鳴が森に響く。
「やるじゃない」
朱音が短く言えば、隼人は表情を崩さぬまま矢を継いだ。
「…仕事だから。先輩こそ、今日調子いいんじゃないですか??」
そのやり取りも束の間、怪異は再び姿を歪めた。
矢で穿たれた胸から、黒い瘴気が逆流し、もう一匹の怪異を形作っていく。
「分裂か……!」
「厄介だな」
前衛と後衛の役割を瞬時に切り替え、二人は連携を取り直す。朱音が炎で片方を牽制し、隼人が矢を連射してもう一方を削る。互いに背を預ける戦いは、まだぎこちない。だが確かな力を重ね合わせることで、徐々に呼吸が合っていった。
――やがて。
最後の一体が炎に呑まれ、光の矢で心臓を射抜かれると、瘴気は夜風に散って消えた。
静寂が戻る。
朱音は小さく息を吐いた。胸の奥に、別の重苦しい痛みが広がる。
――もし陽真がここにいたら、どんな戦い方をしていただろう。
背中合わせに笑い合いながら、もっと鮮やかに怪異を斬り伏せていたのではないか。
朱音はその思考を振り払い、口元を引き結ぶ。
「……任務完了だ。戻ろう」
「はい」
隼人の短い返事が、妙に遠く響いた。
彼は陽真とは違う。代わりではない。けれど――。
朱音は、その距離を埋めるように歩みを進めた。
夜空には、朱雀のように赤く瞬く星がひとつ。
朱音の決意を、静かに見守っていた。




