おチヨ婆と冥府の門
世奈はコインと無病息災の御守りをポケットに忍ばせて潤を迎えに行った。
今日は“たくき君”は来るだろうか??
先生はきちんと潤に言ってくれているだろうか??
幼稚園は世奈のトラブルはつゆ知らず、いつものように子どもを向かい入れている。
「潤君ママさん!こんにちは!」
「潤!!潤はいますか!?!?」
潤はパタパタと世奈に駆けて来てそのまま飛び込むように抱きしめた。
先生は少し悲しそうに微笑むと連絡帳を手渡した。
世奈は潤に悟られないように会話する。
「・・先生、潤は・・(たくき君の事を)話していましたか?」
「はい。でも、今日はクラス内で遊んで貰うようにしました。ね??潤君??」
潤は世奈のお腹の部分で頷く。
潤はなにを考えているのだろうか・・?
得体の知れない者とはいえ、世奈は潤が構築した友達を大人の手で切り離してしまったのだ。
そう思うと、この世界に舞い降りて5年と数ヶ月した経っていない潤が気の毒で世奈は心がズキンと傷んだ。
──────
潤の手をひきながら帰り道を歩く。
無意識に周りを気にしてしまい、その挙動が誘拐犯と思われていないか余計にビクビクする。
本来“たくき君”が来る前は、こうして親子で歩きながら幼稚園の出来事を話したのだ。
その何気ない日常が懐かしく、世奈は潤に何と声をかけたらいいのか迷った。
2人は何も話さずにスーパーを抜け、線路の通っている車が一台通れるほどの道を歩いた。
「潤・・今日は誰と遊んだの??」
「楓ちゃんと、裕太君」
「他には?”いつもの子”は?」
世奈は遠回しに”たくき君”の事を聞き、幼稚園児相手にポーカーのような心理戦をしている自分に少しだけ呆れた。
しかし潤から信じられない言葉が返ってきた。
「怒ってる」
「え!?」
「たくき君・・怒ってる」
「たくき君が・・怒ってる!?!?」
世奈は異形の存在が感情を持って腹を立てていると言う事実に戸惑った。
「それは幼稚園で・・!?それとも近くに来てるの!?」
潤は世奈を見上げて頷いた。
え?どっち!?と問いただそうとした瞬間世奈は慌てて口を噤んだ。
問ただしても潤は正直には話さないだろう。
・・世奈は深呼吸して気分を落ち着かせると、なるべく“たくき君”をイメージしないように作り笑顔をした。
「潤??帰ったら何をするの??」
潤は世奈の言葉に少しだけ驚き、瞳を右と左に動かした。
そして指を口に当てて少し考えたあと。
「熱いから“ぎょうずい”はいる??」
と、絞り出した答えを世奈に行った。
「そうだね。パパより先に入ろうね?」
「うん!」
世奈は潤に笑顔を向けると不意に後ろを向いた。
特に変わった所もなく、買い物袋をもった子ども連れが何事もなく歩いていた。
それから特に何も変わらずに潤は世奈に手を引かれながら歩いた。
蝉の鳴き声。
バイクの音。
「あ、だんごむし!」
「本当だ。戻してあげようね」
───塀から顔を出す犬。
潤は驚きながら顔が出てきた塀の穴を警戒するように見る。
───剥き出しの配管から水の音がする。
潤は立ち止まり、小さくコロコロと鳴る音を聞く。
────溝の蓋。
潤はそれに乗るとコトコトと音をだして遊んだ。
「・・これ、なぁに?」
「ラクガキ。潤はしない子だよね?」
「うん!」
世奈は何気なく潤を見た。
電信柱の下の方に『門』の中に『県市』が詰め込まれた。よくわからない漢字の組み合わせが書いてある。
たまたまかは分からないが、その塀の横に花をたむけたような、ペットボトルを切り抜いた物が括り付けてあり。
中には緑色の汚い水が入っている。
「いこ、潤」
潤の背中を押して促すも、潤は微動だにしない。
「どうしたの?潤?」
「・・・行っちゃった」
「え?」
「たくき君、行っちゃった」
潤が指す先は軽自動車がギリギリ通れるくらいの小道になっていた。
「あっち?あっちに行ったの!?」
「うん」
今までスーパーや幼稚園の送り迎えでしか使わないので近所といえど使った事はおろか通ったこともない道だった。
「潤??たくき君、この先で間違いない??」
「うん。今もあそこを歩いてる」
「"あそこ"にいるのね?」
立派な竹林と竹で出来た塀が並んでいるのが見えた。
電信柱は木製で、年季の入ったトタンの家屋には古い消費者金融のホーロー看板が錆びた状態で打ち付けられていた。
どこに居るかは分からないが、潤ははっきりと“たくき君”を認識し、指差す方向が動いているので移動している事は確かみたいだ。
目に見えないけど潤は確実にそれを見ている。
それは、潤が計らずとも教える冥界の住人の存在の確かな証拠に他ならなかった。
ジーーーーーーーーーー。
アブラゼミは何事もなく一定の音量で鳴き、竹林の日陰はひんやりと冷たい風が吹いていた。
先ほどの流れる曇り空は何処かに消え、夕方の空は青空が残っている。
カッタン!!
自転車のスタンドを倒しながら走り去る音。
住宅街の造りはどれも80年代くらいで、庭の施工を完全に無視して道路の側溝いっぱいに窓が迫り出していた。
道路もほとんど私物化しており、そこら辺の住人の鉢植えが道路に迫らんとする勢いで所狭しと置かれている。
たまに老人同士で会釈をし、ちょっとした祠に付いていた風鈴が鳴った。
「…たくき君が止まった」
「えっ!?」
世奈がしゃがんで潤と同じ背丈になって聞いた。
「…どこにいるの??」
「あそこで窓を覗いてる・・・あ、歩いた」
どうやら姿は見えなくても、思考は児童のそれらしい。
窓は網戸になっていて、リクライニングベットを椅子のように上げた老人が懇々と眠っていた。
たくき君は老人の寝顔を観察していたのだ。
潤は世奈が遊びに付き合っているのだと勘違いしたのかヒソヒソ声を真似し。
たくき君をつぶさに観察して世奈に報告した。
「…ねぇ、たくき君は何してる?」
「…前を歩いてる…ボヤーーッて」
「…ボヤー??」
「…うん。えっとね。おしっこするピノキオみたいな」
「…操り人形みたいなの?」
「…ちがくって。おーきくなったり、ちーさくなったりするの。夏に見るワラワラ(陽炎?)みたい」
───「…たくき君は、他にお友達はいるの?」
「いるって」
「…同じ組の子?」
「おうちにいるって」
「…何人?」
「ごはんくらい」
ごはん。
それは、米粒のように数えきれない様を潤が表現した言葉だった。
それほどの何かが、たくき君の家にいる。
世奈は息を呑み淡くも考えていた
『たくき君の正体を掴み、なんとか潤との関わりを断つ』作戦が揺らぎ始めた。
そもそも幽霊と言うのは、成仏する事を諦め、到底解決できない問題を抱えて現世に漂っている存在ではないのか。
そのような面倒くさい存在が面倒くさい問題を抱えて見える人を探す。
そんな存在、ハッキリ言って関わりたくないのが本音であるし。
それを知らずに関わってしまった潤が気の毒で、その無垢な優しさに親馬鹿ながらも愛おしく、切なく感じてしまうのだった。
唯一の救いは老婆がくれたコインと、トートバックの手に下げている交通安全のお守りくらいだ。
「ここ??ここに入っていったの??」
「うん!」
それは住宅街に紛れるようにあった。
ガラクタが頭をのぞく雑草のしげる庭。
ノウゼンカズラの蔦が家を覆い、それが雨どいをなぞりながらオレンジの花を咲かせていた。
窓は雨戸が固く閉められ、ベニアの表面が剥がれて垂れ下がっていた。
二階建ての木造家屋で、壁の所々に赤い文字が書かれた形跡があった。
今では蔦や雑草があるものの、様々な色の文字や造形が書き込まれた異様な光景だったのだろう。
門扉は閂が朽ちていて簡単に開いた。
世奈は滑り込むように開けると念の為にインターホンを押した。
「ここで何やってんだ!!」
「きゃ!!」
あまりのドスの効いた声に世奈が飛び上がる。
見ると、自転車に乗ったこの間の初老の男だった。
男は乱暴に自転車を降りると、口に泡を噛み、焦点の合わない目で睨みながらツカツカとやってきた。
身なりも、いつ洗濯したか分からないヨレヨレの白いTシャツに踵がボロボロになったデニムを履いていて、まるで獣のようだった。
「ゴメンなさい!!ゴメンなさい!!あなたの家とは知らなくて!」
「あ?なんだと!?」
「ごめんなさい!!」
気付けばドアが開き、男が乱暴に世奈の二の腕を掴む。
連れさらわれる!と思った瞬間、男性は世奈に言った。
「ここから離れるんだ!!あんたは家に呼ばれたんだ!!わかるか!?」
「へ!?」
信じられない言葉に、世奈は男を見る。
「ここはあなたの家じゃないんですか!?」
「・・へ・・?」
男は戸惑いながら世奈を見る。
そしてようやく目を見開いて理解した。
「はぁー!?こんな汚い家に住むかよ!?失礼だなぁー!!俺はご近所さん!!あんた、この間も危なくて自転車で止めたんだぞ!?知らなかったのか!?」
「きゃーやだ!ごめんなさい!てっきり、ここに住んでる変質者かと…!」
「失礼すぎる!!ほんっと、ここのヤバい人と一緒にしてもらわないで欲しいね!!確かに同級生で知ってるけれども、変な奴だったからねー!」
男は家主の事をペラペラと話し始めた。
とにかく家が金持ちで、よく家でゲームをした。
不良に目をつけられ、何かと金銭を要求されていた。
学校に来なくなり、夜の商店街で見かけるようになった。
一族から隔離するように親族の一軒家で一人暮らしを始めた。
一族の信念を歪んだ形で継承し、独自に構築を始めた。
男は目を見開きながら唾を飛ばして話し、世奈は潤を脇に避難させながら話を聞いた。
玄関には踵が踏まれた革靴が脱いだそのままの状態で放置され、靴箱は開いたままスコップが入ったビニール袋が無造作に突っ込まれている。
世奈の目的はただ一つ。
『たくき君の呪縛から潤を解き放つ事だ』
「・・じゃ、とりあえず良いですか??」
「良いって何が?」
「たくき君を説得してください」
「は?やだね」
「何でですか!?」
「は?俺には関係ないもん!」
「関係ない訳ないでしょ!?やりましょうよ!?」
「えーー!危なくなったら俺は帰る!」
「帰らせません!!最後まで協力してください!!男でしょ!!」
世奈は凄まじい剣幕でガンガンと詰め寄った。
こっちは息子の命がかかっているのだ、何としても協力者を失う訳にはいかない。
「わ、分かったよ…」
男はすっかり根負けすると両手をあげて玄関框を登った。
ギギギギギ…。
人の家の臭いと通り越して、土とカビの臭いがする。
男は土足であがりこんだので少しだけ迷ったが、世奈も続く。
傘置きに刺さっている靴べらを見つけて武器にすると潤を後ろに歩かせた。
潤は何かを発見し指をさした!
「あっ!!たくき君!!」
「えっ!!」
トタタタタッ!
その時、世奈達は確かに見た。
玄関があり、その薄暗い廊下の先に走る真っ黒な男の子を。
もはや見る必要もないくらい強烈な負の存在感と圧力が通りかかる。
「うぐう!・・かはぁ!」
男はその圧力に驚いて壁にピタリとつくと世奈を見た!
世奈も驚くと、男に顎で(行け!)としゃくった。
「・・くわぁ!くぅ・・!」
男は天を仰ぐような悲痛な顔をすると、Tシャツの襟で顔の汗を拭った。
バサバサバサバサ・・。
バサバサバサバサ・・。
どこかから布を叩くような音がする。
男の子が歩いて行ったのに、うっすらと埃が積もったフローリングがそのままだ。
リビングは薄暗く、所々に緑色の光が漏れていた。
2階から天井の明かり取りまで続く巨大な吹き抜けに、80年代を思わせる革のソファ。
そしてあたりには赤い文字や幾何学模様が風化する事なく鮮明に書き殴ぐられ、新聞やメモが散乱していた。
『吐鳥狂28区大生図、来カ!?!?』
『大生図羽、地下ヲ杯、二本ヲ走リ回ル』
「すげぇな・・」
男が壁を見ながら言う。
その壁に赤いスプレーで吹きつけたような跡があり、日付けと文字が書かれていた。
『鳥1996年因果関係 的中!!』
『鳥1998年因果関係』
「これ、鳥か?」
男が吹きつけた跡の中心にある色の付いていない場所を触る。
「・・死骸を付けてスプレーで吹きつけたんですね・・」
「なんでそんな事を??」
・・バサバサバサバサ。
バサバサバサバサバサバサ!
なぜ??
世奈はその答えを探すためにスマホのライトを点けて落ちているものを探る。
壁に付けられているカレンダーは1999年で止まっているものの、落ちている新聞は1997年であったりバラバラだ。
新聞は大震災の被害を報じたもので、犠牲者の数が記させていた。
そこにこれみよがしに『的中!!』と赤マジックで書かれ、住人が何らかの法則のもとで書いているのが分かった。
「きっと“出来事を保存”しておく為だったんでしょうね」
「うええっ!」
男は冷蔵庫の中身を見た。
慌てて閉めた瞬間、鼻を突くような腐敗臭が部屋に立ち込める。
「動物が・・入っていたんでしょう??」
世奈の問いに男が何度も頷く。
潤はあまりの非現実さに絶句し、世奈の服を力強く握っていた。
世奈は“ここの住人”が異常ながら何を考え、何を研究していたかが何となく理解できるのが怖かった。
『血場(千葉)蓮族札翔自県(連続殺傷事件)』→→『血場(千葉)吐ン寝ル自県(トンネル事件)的中!!』
「無理やりにでも繋げてる・・でも言いたい事はわかる。ここにいると頭がおかしくなりそう・・!」
男はリビングの横の和室に行く。
そこは仏間らしく、守井家と書かれた墓参り用の真新しい手桶が置かれていた。
仏壇は固く閉ざされ、赤い文字が書かれている『門』に複雑な漢字が書かれている。
「窓が開いてる」
「え!?」
薄暗くて気が付かなかったが、雨戸は閉まっているものの掃き出し窓の両側が合わさり『門』に小さな『県』と『市』が合わさっていた。
「こ・・これは何かの呪いか?・・」
「閉めなきゃ・・!」
世奈が窓を閉めると漢字が分解され『門』と『県・市』になる。
「これは逆結界ですね?」
「そう言うのか??・・どこでそれを!?」
「この方法自体は『幽霊を見る方法』でネットで上がっている方法なんですよ。
ここの家の人は、因果を研究した後に、さらにそれを文字として当てはめたんです。
文字の因果を使って異界の者を呼び寄せようとしたのではないでしょうか?」
ギシッ・・パチン・・!
世奈の解釈を妨害するように2階からラップ音がする。
・・バタン!!
そして、乱暴にドアが閉まる音がして静かになった。
「おじさん、部屋中の窓に書かれた文字を分解しましょう!」
「だから俺には・・」
「ここまで来たからには私達を守ってください!!」
「・・はいよ・・」
やはりこれは霊的な何かを呼ぶための作られた文字らしい。
この男はどこまで知っていて何に詳しいのかはわからないが、こうして“たくき君”が離れることは漠然と理解していた。
「あった・・お風呂場・・!
昔ながらのタイル貼りの、底が深い浴槽があった。
水のはっていない浴槽には枕が投げ込まれ、錆か血かわからないものが付いている。
「ここで自炊していたのか??」
「・・わからない」
床にはカビた米粒が散乱し、開け放たれた窓には例の文字があった。
世奈は男と共に入り込む葛の蔦を千切ると、ようやく窓を閉めた。
東側に位置するここは、雨戸が閉まってなくとも薄暗い。
「やばい。早くしないと暗くなっちまう」
「うん。いそぎましょう」
「たくき君がヤメてって言ってる・・!」
「耳を傾けないで!潤!!」
───「あそこにもあった!」────
───「あそこも・・!!」────
台所の上の窓。
トイレの上の窓。
世奈は次から次へと窓を閉めてゆく。
やはりこれは、昔朋恵が話してくれたネットにある『幽霊を見る方法』のそれだった。
「やっぱりコレ『幽霊を見る方法』ですよ」
「だから、なんなんだい?それは?」
「本当なら寝る前に行うんですけど、何でも良いので具体的な『建物』をイメージするんです。
それで建物に入って、中の建物の窓を開けて行きます。
一通り開け終わると、次に窓を閉める。
全てを締め終わり出口に向かうとき、そこで“何か”を見るらしいです・・」
「それを俺らがやってると?」
「はい。これで“たくき君”を閉じ込める事ができる・・!!」
「かぁーー」
とりあえず一階は閉め終わる。
────「全部閉め終わった!?」
「ああ・・!」
「じゃあ、2階ね!?!?早く!!早く!」
世奈は男の尻を靴ベラで叩くと前進を促した。
リビングにある階段を登ると吹き抜けの上にリビングが見下ろせる廊下があり、左右に部屋があった。
2階から見下ろす丸い玉の巨大なシャンデリアは圧巻で、90年代風のデザインは一周回ってモダンだった。
今は吹き抜けのある家はそこそこあるが、当時としては最先端の建築物だった筈だ。
世奈達は階段を登ったすぐにある部屋を見る。
ドアは開いていて、一昔前のアイドルグループのポスターが貼られている部屋のようだった。
「なにここ。女の子もいたの??」
「いや・・これは・・うわぁ・・」
ポスターは居酒屋であるようなビールのポスターであったり剥がしてきた選挙ポスターであったり様々だった。
それが部屋と部屋に対角になるように貼られており、まるでポスターの人物同士が向かい合っているようだった。
大量のポスターの先には年代物の学習机があり、明らかに使われていない着崩れていないランドセルと、筆箱が置いてあった。
どれも購入したまま放置され、開いた窓から吹き込む雨風で風化したようだ。
窓は相変わらずあの赤い漢字のマークがあり、それを覆い隠すように雨戸の隙間から植物の蔦が入り込んでいた。
世奈は迷う事なく窓には向かうとピシャリとそれを閉めた。
「もしかして次の部屋は・・」
「なんだ??」
「合わせ鏡になってたりして・・」
「なんでそう思うんだ??」
「合わせポスターは目と目が霊道になるって噂があるの。きっこれもそれを狙っての事だと思います」
「・・なんでそんな事・・」
「ずっと考えていましたが・・もしかしたら・・」
「なんだ??」
「寂しかったのではないでしょうか??」
「・・さみしかった・・!?」
世奈は錆びついた窓を閉めた。
次は隣の部屋だ。
隣の部屋はドアが閉まっていた。
「あけるぞ??」
「はい」
開けた瞬間、風が吹き抜ける!
「おわっ!!」
「凄い風!!」
ドアを開けると、相変わらず窓が開いておりバタバタと重そうなカーテンが壁を打ちつけていた。
一階の音はこれだったらしい。
「なんの臭いだ!?」
「なんでしょうね・・」
風の中に腐った銀杏を甘くしたような今まで嗅いだことのない部類の悪臭がする。
「気持ちわりい・・!早く締めようぜ??」
「はい!」
フローリングには破られた鏡の破片が散らばっており、毛布が幾重にも重なって不気味に膨れた汚いベットが置いてあった。
「潤をお願いします」
「わかった・・!!気をつけろよ!?黄昏れ時だ!!」
「ちょっと!変な事言うの辞めてくださいよ!」
日は陰り、蔦に差して緑の光を作っていた陽も影を潜むようになった。
世奈はなるべくベットを見ないようにしながら部屋を進んでゆく。
パキッ・・。
パキッ・・。
進ごとに床に撒かれた鏡片が割れ、世奈は無意識に音を立てずに慎重に進んだ。
前の家主は、この割れた鏡片の中を生活していたのだろうか?
それとも異界とこの世界を行き来する物怪に成り果てたのだろうか?
窓に到達する。
外は暗く、街灯が点くも雲が僅かに明るかった。
外からはちょうど世奈達が来た道路が見え、今も家路を急ぐ様々な人や車が行き来していた。
ここの住人はどんな思いでここから外を見ていたのだろう?
窓を閉めた瞬間、僅か数ミリのガラスから外が遠くに感じ、まるで自分がここの家の主である気がしてきた。
「・・終わりました。これで全部ですね」
そう言って振り返ると、男が声に出さない大きなリアクションで必死に手招きをしていた。
潤は目を見開きながら必死に口を抑えている。
窓を閉めたからか、例の甘い腐った臭いが強烈さを増す。
そして、ふとベットの方を見た瞬間、壁際に追いやられて膨らんだ毛布が、芋虫のようにグネリと動くのを見た・・!
「(早く早く!!早く来いって!!)」
男がヒソヒソと叫ぶ。
甘く腐った銀杏。
不潔な男が舐めまわして渇いた唾液。
腐った乳製品。
鼻の横を擦って何倍も腐らせた物。
その全ての例えの答えは一つだが・・その答えに行き着いた時、きっと世奈は嘔吐するだろうと何よりも自身が理解していた。
ほんの数センチの窓からドアは遠く、その間にも悪臭と共に重い負の空気が立ち込めた。
立ちくらみにも似た重い空気、視界は暗くなりその中で確かな“怒り”の熱を帯びた“赤”を感じる。
世奈は息を止めながら鏡の破片を音を立てないように踏み締め、男と潤を見つめる。
「(潤と一緒に・・!!逃げてください!!!!)」
世奈が涙を堪えながら男に靴ベラを振って訴える!
男は何度も頷くと潤を抱き抱え、先に逃げ出した!
「ウ・・ウ・・ウ・・」
ベッドから声が聴こえる・・!
世奈は恐怖に耐えきれず、残り数センチのドアへ意を決して走った!!
その瞬間、ベッドの“何か”も毛布から出てくる。
「ウ・・ウ・・ウ・・ウオァーーー!!!」
異形の何かがベリベリと風化した毛布を剥がしながら飛び出す。
「ひいいっ!!!!」
しかし、世奈の方が僅かに早く。
世奈に飛び掛からんとした瞬間にドアを閉めた!!
何度もドアのぶを回され、中の“何か”が必死にドアを開けようとする!
「ちょっと!!助けてください!!」
男と潤が乱暴に階段を滑り降りる音がして世奈が叫ぶ!
「・・あ!?何だって!?!?」
世奈は部屋の突き当たりにあったナイトスタンドを花瓶を倒しながら足で手繰り寄せると、ドアを塞ぐ支えにした。
「いいから外に出てください!!!!」
「分かった・・!!」
世奈は転げ降りるように階段を降ると、和室や他の部屋から複数の囁き声と”しゃぼん玉“のような物が浮遊するのを見た。
しゃぼん玉の幾つかは顔になっていて、薄暗いリビングをボヤリと照らして壁に消える。
「イヤネ コノゴジセイダカラシカタガナイケレドモ ミニフリカカルノハイヤネ」
「ココニモイルカモシレヌ ダンジテユダンハスルナ スグニカエッテクルカラ オニイサントイッショニネテ イフコトヲシッカリトキキナサイ」
「テンニオワシマス クズギリサマ アリガタヤアリガタヤ」
「フビラウケンソワカ オンダカギャカネイソワカ オンダバギャカネイソワカ」
和室から白い顔が覗き、水が叩きつけるような囁き声となって耳を支配する。
頭上の2階のドアが開く音が聞こえ、世奈は男と潤が開けて待つ玄関まで全速力で走った。
「早く走れぇぇええ!!!!!」
「きゃあああああーー!!!!!」
男が叫び、世奈は囁き声を吹き飛ばすように叫びながら外に飛び出すと、男が思い切り玄関のドアを閉めた!!
世奈はそのまま道路に飛び出し!
向いの塀まで転がり込むと堰を切ったように号泣した!
「だ、大丈夫か!?!?」
「潤!!潤は!?!?こっちへおいで潤!!!!ああああ!潤!!」
世奈は潤を抱きしめて泣く。
「なんなんだありゃ・・!!なんなんだありゃあよ!?」
男は玄関の扉を警戒したまま、先ほどあった事が信じられないように騒いでいた。
家は信じられないほど静かで、先ほどの出来事が嘘のようだ。
「・・静かすぎないか・・??」
「え!?」
世奈が見ると、潤が口を開けたまま玄関を見ていた。
玄関の両サイドは磨りガラスになっており、そこに青白い手がボンヤリと映っていた。
「ぐわわ!!でた!!」
男が情けない悲鳴をあげ腰をぬかす。
「たくき君!!もう辞めて!!あなたはここに居て良い存在じゃないの!!どうか潤を放っておいて!!私の宝物の潤を連れて行かないで!!!!」
玄関のドアが開き、様々な囁き声と光すら通さぬ暗黒があった。
その奥に無邪気な少年の白い手が空中で暴れている。
・・それはもはや見るのでは無く、感じるのだ。
世奈は潤を抱きしめ、その邪悪な手から必死になって守った。
「おチヨばあば!!」
男が後ろで叫ぶ。
「え!?」
カラン…カラン…・。
後ろで大きな鈴の音がした。
世奈が涙でボロボロになりながら横を見る。
すると、商店で会った老婆が“あの時”の姿でそこに居た。
突然の静寂中、音もなく老婆が歩いている。
「・・祝福のコイン・・もっててくれたんだねぇ」
「お婆ちゃん・・!!」
“おチヨ婆ば”はニコリと微笑むと、世奈のポケットがモゾモゾと動きコインが勝手に飛び出した。
コインは金色に輝きながら小さな羽根を開いてコガネムシになり。
どこかに飛んで消えてしまった。
チヨ婆さんは世奈の肩を優しく触り。
「だいじょうぶ・・この子は・・連れて行くよ・・」
と小さく言って玄関へ歩いて行った。
「おチヨ婆ちゃん!!!!!」
世奈が老婆の背中に叫ぶ。
たくき君は老婆に手を掴まれると、戸惑うように潤を見ながら暗黒の中に消えて行った。
そして風の抵抗を受けた時のように玄関のドアが乱暴に閉められ本当の静寂があたりを包んだ。
「はあ・・・はぁ・・」
長い悪夢を見ていたかのような、そんな気持ちが支配した。
「おわった・・。おチヨ婆さんが・・身を呈して明王様にお願いして連れてってくれた・・!!ありがとう・・!!婆ちゃん!!」
男が頭をアスファルトにつけて土下座するように感謝を表し、その声と同時に何事も無かったかのようにコオロギやカエルの鳴き声が戻った。
───────
夜道を男が自転車を押し、潤と世奈で歩く。
スーパーは煌々と電気が点き、軽快なテンポのBGMが駐車場のあるこちらまで聴こえた。
買い物客もたくさんおり、それだけでも世奈はホッとした。
「・・ここでいいのか??」
「はい。えっと・・ありがとうございました」
「なんか憑き物がとれたようなスッキリした顔になったな」
「・・本当ですか!?」
「ああ。」
男はぶっきらぼうに笑う。
「あの・・なにかお礼でも。潤を守ってくれましたし」
「あ?ああ。いいのいいの。本当は俺もそう言う役目なんだからさ」
「え??」
どう言う意味か世奈は男を見る。
しかしスーパーと闇夜の暗がりで顔は見えず、潤は男の顔を指さして笑った。
「あっ!!お猿さん!!」
「ちょっ!失礼な事言っちゃだめでしょ」
と、世奈は潤を注意した。
「いいんだよ。いいんだよ。それじゃあお二人さん、元気でな」
男は目を隠し、口を隠し、耳を隠すと、先ほどの竹林のある小道に歩いて行ってしまった。
自転車は無人のまま男の真横をピタリと付いていく。
「あ・・あの・・!」
男が歩いて行った小道には相変わらず自転車が置いてあった。
「・・あっ!」
しかし塀に立てかけてあった自転車は朽ち果てており、タイヤの部分が無くなっていた。
───────
朝のアパート。
いつものように幼稚園バスが停まる。
明るく挨拶をする幼稚園の先生。
子供達を乗せ走り去るバス。
朋恵の子供も体調が良くなり、子供達を送ると、堰を切ったように壮絶な看病生活を冗談を交えて話し始めた。
加奈子と世奈は何事もなかったかのようにそれを聞き、時より大きなリアクションで驚いて見せた。
朋恵は家に置いてきた3歳の娘を思いだして家に戻る。
加奈子と世奈が2人きりになると・・ようやく加奈子が口を開いた。
「突然帰ってしまってごめなさい“世奈さん”。あれから、私も色々調べてみて例の占い師の守井さんに話をしたの…それで連絡先を教えるから…」
「ううん。加奈子。もう大丈夫」
「へ??」
「自分で解決した。おチヨさんと変な男の人が解決してくれたの」
「えーー!そうなんだ。・・はぁー、よかったぁ・・」
加奈子は余程気にしていたのかアパートのフェンスに倒れかかった。
「あはははは!」
世奈は屈託のない笑顔で笑うと、魂の抜けたように呆ける加奈子をみた。
「ねぇねぇ!?どうしたの??そんなに私の話、衝撃的だった!?」
朋恵が駆けつけ、異様な光景に驚く。
「「なんでもなーい」」
世奈と加奈子は笑い合い、朋恵に返した。
近所にある。
ごくごくありふれた日常。
閑静な住宅の昼下がり。
熱せられたアスファルト。
夏の匂い。
蝉の声。
ゲェア!!!
カカカカカ!!
カカカカカカカ!!
イソヒヨドリの雌が警戒声を出す。
しかし、すぐに危険が無いとわかるとサッと飛び立ってしまった。
スーパーを少し歩いた先にある竹林。
そこに古びた自転車と風化して文字すら読み取れない庚申塔があった。
不思議な事。
異世界の入り口はすぐそこにある。
人間の可視光域は380nm〜780nmしかないのだ。
その中で人間は己の広域で目視した物を盲目的に信じ、科学的な根拠があるものしか信用をしない。
しかし、その科学では”視線を感じる“と言った第6感的なものを、科学が発展した今日でも十分に説明することすらできないのだ。
───おわり────
幽霊を見る方法(危険なので自己責任で)
行うのは寝る前。
まず建物を想像する。
自宅でも可能だが勧めない。
具体的に建物を想像し入り口から入る。
そして建物の窓を開けて行く。
そして、すべての窓を開けると、次に閉めてゆく。
全てを閉め終わり、最後の玄関を閉め終わる時、そこに“何か”がいるらしい。
ちなみに私の友達は、亡くなった叔父を。
私は女性を見ました。
夢から醒める夢の悪夢を見た後、目覚めた途端身体が動かなくなりました。