井戸端会議にて
近所にある。
ごくごくありふれた日常。
閑静な住宅の昼下がり。
熱せられたアスファルト。
夏の匂い。
蝉の声。
雑木林が風でざわめき、木陰で黒猫がこちらを見る。
コンビニで売られているみたらし団子が道祖神に供えられている。
郵便配達員のバイクが通りすぎ、真新しい白い一軒家の、小さな窓の網戸が風でフワリと張り付いた。
誰もいない公園に、水を撒いた痕がある。
朝にラジオ体操をした老人が気を利かせて打ち水をしたのだ。
信号機が青になる。
あそこの家の室外機の上には放置された水槽があり、得体の知れない緑色の水が内部を満たしていた。
コンクリートに覆われた崖。
その壁に木の棒で書いた白い落書きがあった。
・・ビビッ!
チチチチチチ!
ヒヨドリが鳴く。
コの字になっている真新しいアパートが3棟。
そこでは幼稚園バスに乗せたついでに集まった道路族の“ママさん“の3人組が井戸端会議をしていた。
5歳の息子を持つ世奈もその中の1人だ。
世奈は毛量の多い茶髪をポニーテールに縛り、Tシャツにデニムシャツ、ファストファッションのパンツを履いていた。
3歳児の子ども達が道路で玩具の車を走らせる。
ママさん達はそれを横目に見ながら様々なゴシップ話は尽きることがない。
口紅が花のように開いたり閉じたりし、近所迷惑に対する配慮と守秘義務でヒソヒソ声になる。
「───ねえねえ、女優の〇〇さん不倫していたらしいよ??」
「──うちの旦那がね・・」
「────孝一君のママさんがさーー」
会話が身近になるにつれて自分たちが裏でなんと言われているか不安になり、ママさんグループの1人である朋恵が子育てで乱れたスカートを無意識に直す。
朋恵は白いフリルシャツと黒いパンツでモノトーンコーデできめていた。
いつも2人の聞き役が多く、別の教室繋がりのママさんとも交流があるらしい。
彼女達はゴシップ話をやめず、この平凡な日常の裏にあるヒヤリとするスリルにゾッとし。
そして自身の身の周りの平和さに安堵するのだった。
口火をきったのは加奈子だ。
「───ねぇねぇ『たくき君』って知ってる??」
加奈子は長い茶色い髪を胸のまで垂らして麦わら帽子をかぶり、青いサロペットパンツを履いていた。
いつもこうしてスピリチュアルな話や都市伝説などを何処からともなく仕入れてくるのだ。
「え?」
その話がいつ出たのか分からないが、不意に出た子供の名前に世奈と朋恵は思わず首を傾げて聞き返す。
どんなゴシップ話でも子供自身をネタにするような話はしない。
それは親である彼女達の暗黙のルールである筈だった。
「・・・どちらのお子さん??」
朋恵が聞く。
「それがねぇ・・分からないの」
と加奈子。
「その『たくき君』がどうしたの??もしかして・・・・・ネグレト!?」
“ネグレト”
世奈の発言に朋恵がヒッと凍りつく。
彼女達の禁忌を犯してまで話す子供の話の言うのは緊急性が高い話だ。
その多くは虐待や、重大な伝染病や近所の事故が殆どだったからだ。
「ネグレト・・・と言う訳ではないんだけどぉ」
「なになに??事故・・!?まさか・・病気?」
話の発端の加奈子は顎に指をかけて考え(変な話なんだけど・・)と言う前置きを持って話し始めた。
「優一君っていたじゃない??」
「ええ・・最近ご病気で亡くなった?」
「うん。その優一君がさ・・帰りに言ってたらしいの“今日はたくき君と帰るーー”ってそれかららしいの」
「たくき君って言うのは??」
「それが分からないの。どこの組かも。それも不思議なのは優一君は必ず帰り側に言うんだって。それでね・・道路の途中で“たくき君じゃーーねーー”って。まるでそこに居るみたいに・・サヨナラを言うんだって」
ゾワッと言う音と共に下から風で巻き上げられ、3人を包む。
朋恵はその不気味さに目を見開き、思わず近くで遊んでいた子供を手で寄り添わせていた。
「たくき君ね。調べてみよ」
朋恵が早速スマートフォンで調べ始める。
朋恵の子供がを隙をついて玩具遊びを再開する。
世奈は朋恵を見ながら聞いた。
「それって・・何なの??幽霊??」
「んー、わかんない。でも、このくらいの歳の子はよくある事なんだってさ。
イマジナリーフレンド?って言うらしいんだけど。
よくお人形を使ってアニメとかのキャラクターの名前を使って呼ぶ時があるじゃない??
そういう類の話なんじゃないかって先生はおっしゃっていたらしいんだけど」
「だけど??」
「こんなに具体的なものなのかなーって、ほら、優一君って病弱だったじゃない??もしかしたら…」
「妄想癖ね!」
「へ??」
朋恵の謎の推理に加奈子は間抜けな声で聞き返した。
「ごめんなさい。AIコンシェルジュに聞いちゃった。そんな名前のアニメキャラも、都市伝説もないみたい。これだけ無いと妄想癖なのかもしれないって!」
朋恵がAIが弾き出した答えを得意げに話す。
「そっかぁー無いかぁー」
世奈はネットにヒットしないこと、優一君が他とは違ってもともと病弱体質であった事にどこか安心した。
きっと病気がちで内向的で、想像力が豊かな子だったのだろう。
「ねぇねぇそれよりさぁ!」
朋恵がすっかり飽きてしまい、新しい会話をふってあっさり終わってしまった。
───────
夕方の幼稚園。
延長保育ギリギリの17時30分でも夏場の外は明るい。
「あ!!潤君ママさん!!じゅんくーーん!ママさんが来たよー!!」
「ごめんなさい!パートが長引いちゃってーー!!」
「良いんですよーー潤君、また遊ぼうねーー」
「うん!!」
世奈の息子の潤が両手を上げながら向かってくる。
今日は泣いてグズッていなかった事に安堵する。
「今日はね!潤君?」
「ねーーー!」
幼稚園の先生と潤が話をする。
「なんですかぁ??潤君何かしたのーー!?」
世奈が潤のほっぺたを突きながらきく。
「きょうこ先生、ないしょだよねーーー!!」
「ねーーーー!!」
幼稚園には他に親が数人居て、個々に親が迎えに来て忙しなく出入り口を行き来していた。
潤のいる『さくら組』には誰もおらず毎度の事ながら、世奈は潤にも先生にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「あとで潤君に聞いてあげてください!はい!」
幼稚園の先生の京子から連絡帳を受け取ると世奈は深くお辞儀をした。
「ありがとうございます。うちは共働きなので毎回こんな遅くなっちゃって・・」
「いいんですよー。潤君ママさんが大変なのは潤君から伺っていますから」
「ありがとうございます・・すいません」
幼稚園の先生は偉大だ。
ガラス細工のように脆く宝石のようにかけがえのない子ども達が、一斉に散らばるのを管理しなければならないのだから・・。
世奈はそう思いながら潤を抱きしめた。
「アポー!」
「アップル」
「グレープ!」
「グレープねー」
世奈と潤は手を繋ぎながら帰る。
いつも歩いて帰るのは、近所である事と道中に小さなスーパーがあるからだ。
「潤くん、スーパーで惣菜買っていい?」
「えー、ろってぃーある」
「あ、そっか。そっか。ろってぃー大事ねー」
しかし今日は『ろってぃー』言うアニメが18時から始まるので帰路を急いだ。
「でも潤君??撮り溜めてあるよ??」
「やだ。生ろってぃーが観たい」
「そうねーライブ放送がいいんだもんねー」
「うん!」
────
夜。
家事を終え、潤と父である大輔がお風呂に入る。
時より聞こえるシャワーとバスチェアの引かれる音。
そして潤の楽しそうな声。
外からの風は心地よく、カエルの鳴き声が響いていた。
洗濯物を畳みながら他愛もないゴシップネタが特集されている動画配信サイトを1・5倍速で観る。
それをBGMにして畳んでいると、扇風機の風に負けてテーブルに置いてあった幼稚園の連絡帳がトランクスの上に落ちた。
『今日は潤君が他の園児と仲良くしていました』
ふーん。そんな事もあるのかと、世奈は軽く読みながらペンでサインをする。
ドタッ!バタバタバタ!!
と言う音がして、怪獣が風呂場から脱走した事を知らせた。
「ワーーーー!!」
潤が裸の状態で駆け出す。
「潤君!?頭フキフキしたのーー!?フキフキしない子は出ちゃだめだって言ったよねぇ??」
「うふふふふ!!」
潤が股間を隠しながら笑う。
仕方がないので畳んだばかりのバスタオルで潤の頭を拭く。
「バスタオルが無かったんだ!!俺のも頼むわ!」
世奈の旦那である大輔がお風呂場から上半身を出して訴える。
「あーーー!そっかそっか!ごめんなさい!忘れてたー!!」
世奈は連絡帳を適当に投げると、とりあえず目の前の怪獣の頭を拭いた。
「バスタオル、バスタオル!」
待ちかねた大輔が冷蔵庫のビールと、バスタオルをひったくる。
世奈は潤の頭を拭きながら1日を振り返るように話した。
「今日は違う子と遊んだの??」
「うん!ダンゴムシ好きって言うから一緒に捕まえた」
「別の組の子??いつもの楓ちゃん達とは遊ばなかったの??」
「遊んだよ??楓ちゃんと裕太くんとねー」
「うんうん」
「あと────たくきくん────」
「────!」
世奈に戦慄が走り、潤は何か不味い事でも言ってしまったのかと静かになった。
大輔が風呂場で放屁する。
・・世奈は口角をあげて何でもないように取り繕うと、潤に聞く。
「その、たくき君はどこの子なの?隣の組の子?」
「ないしょー!」
「なんで教えてくれないのー?」
「ないしょー!」
潤は、世奈の一瞬の表情の変化に怒られる事を警戒したのか『ナイショ』ではぐらかす。
考えすぎかもしれないし、珍しい名前ではあるがザラにいるかもしれない。
「・・どんな子なの??延長保育にも居た??」
世奈の問いに潤はパチクリと瞬きをして見つめ。
そしてブンブンと首を横に振たのだった。