封印された魔女は婚約破棄する悪い子に呪いをかける
私は深淵の魔石。
遙か昔。偉大なる力を恐れられ、魔石に封印されし、深淵の魔女。
私の体は長い年月を経て魔石に溶け込み、奥深く混じわり……そう。ただの異物 [インクルージョン] となってしまったのだ。
だけどほんのり、意識だけは残っている。
自分が何者で、誰に封印されたのかは最早わからないが、今、目の前に起きている事は、ハッキリと見えている。
男女が……抱き合っているのだ!
「ああ、エルザ。君が愛しい。なんて可愛らしいのだ」
「おお、ダリス。私も愛しています。心から……」
こらこら。
偉大なる深淵の魔石の前で、なんとふしだらな。
しかもこの2人、浮気ではないか。
ここはオースティン伯爵家の館である。
伯爵の娘フェリシア令嬢の婚約者であるダリスが、よりによってフェリシアの幼馴染みであるエルザに、横恋慕されているのだ。
「では、婚約を破棄してくださるのね?ダリス」
「勿論だとも。僕は出会った時から、フェリシアよりも君を愛していたんだ」
なんと、まぁ。
魔石もさすがに、凹む。
あの娘……フェリシアがどれだけ傷つくことか。
あんなにいい子なのに。
抱き合っていた不埒な2人はふと、魔石を振り返る。
豪華な客室の中央には、背の高い金細工の台座があり、そこには光り輝く深淵の魔石が、堂々と飾られているのだ。
深紅と濃紫のグラデーションから成る魔石は、星空のように煌びやかなインクルージョンを内包し、妖しいまでに美しい。掌より大きなそれは、まるで人以上の存在感を放っていた。
「不気味ですわ。あの石……何だか見られているみたい」
エルザの勘の良さに、魔石に顔は無いが、思わずニヤリとする。
あら、視線を感じる?
そうよ。私は見てるのよ、ずっと。
貴方達がフェリシアが席を外すたびに、スリルを味わうように絡み合い、浮気をしている様をね。
ダリスは鼻で笑う。
「何でも数百年前から存在する魔石だとか。大層な魔力が籠められていて、手にする者に富や名誉をもたらすと、オースティン伯爵は言っていたが……まぁ、迷信だろ」
エルザは客室に置かれた、数々の絵画や装飾品を見回す。
美術品の蒐集家であるオースティン伯爵は、特に魔力に纏わる品を好むようだ。
だが中央に飾られたこの魔石には、他の美術品を圧倒するほどの妖しさを持っていた。
「魔石だなんて。邪教を崇めるようで、悪趣味ですわ」
石だけに、カチンときましたわ。
この私の価値がわからぬとは。
だけど私は魔石。
ただここに、鎮座しているだけの石。
見聞きする事はできても、手も足も、口さえも無い。
あーあ。
怒号で一喝、ビンタの一発でも、できたらいいのに。
悔しいわね。
「エルザ、ダリス。お待たせ」
客室のドアがノックされて、この伯爵家の娘であるフェリシアが入ってきた。途端に不埒な浮気者は離れて、まるで何事も無かった顔をして、フェリシアを迎える。
エルザに至っては、略奪欲が満たされたのか、満面の笑みだ。
「まぁ、フェリシア。綺麗な薔薇ね。使用人に任せないで、自分で手入れをするなんて」
「ええ。この子達の成長を見守るのが嬉しくて」
フェリシアは優しく美しい子だが、派手な装いを好むエルザと比べると、大人しく地味に見える。自分を飾るよりも、花を愛で、美術品を敬うのに時間を費やす子なのだ。そう。魔石の事も……。
フェリシアは魔石のもとへやって来ると、周りに摘んだ薔薇を飾り、柔らかな布で、魔石を優しく磨いた。毎日こうして、この子は私を大切にしてくれる。蒐集家のオースティン伯爵でも、重宝はしても、ここまでの愛は与えてくれない。
その姿を後ろから眺めているエルザは、退屈そうに、そして苛立ちを込めて、首を傾げている。
彼女にとっての興味は自己愛にあり、慈しみや敬いなど、微塵も理解ができないようだ。この娘はいつだって、自分の狭い見識によって、フェリシアを見下している。
エルザは暇を潰すように、いたずらにダリスに寄りかかり、手に触れ、いやらしく指を絡ませ出した。
こんな瞬間の背徳心さえも愉しむなんて、なんという悪趣味な遊びだろうか。
魔石はフェリシアの甲斐甲斐しい顔と、その向こうにある無慈悲な現実に、怒りで内から燃え上がるようだった。
「あら?」
フェリシアの魔石を拭く手が止まり、エルザは慌ててダリスから離れて、手を引いた。
「ど、どうしたの?フェリシア」
「この魔石……今、赤く光った気がしたの」
えぇ?と、魔石が一番驚いた。
光った?私が?
怒ったから、光ったの?
魔石が動揺している間に、エルザとダリスはフェリシアを促し、客室の外へ向かった。
「きっと太陽が当たっただけよ。行きましょう、フェリシア。レストランの予約時間が近いわ」
ドアが閉まる直前に、エルザは邪悪な物を見下げるように、魔石を睨んで、出て行った。
……。
魔石はひとり、だだ広い部屋に残されて、もやもやとする。
小娘め。この偉大なる深淵の私を、蔑むとは……。
いやいや、と無い首を振る。
今はそんなことより、フェリシアだ。
毎日自分を磨いて、話しかけてくれるあの優しい子に、私は情が移ってしまったのだろうか。意識が芽生えてからこんな気持ちは、初めてだ。いや、意識がはっきりと芽生えたのも、あの子のおかげなのかもしれない。
何しろ何百年も、魔石は宝箱の中や金庫の中、ある時は壁穴や地面に埋められ隠されたりと、殆ど真っ暗な中で過ごし、人間との接触が無かったのだ。
たまに日の光を見たと思えば、欲深い盗人や、邪教の教祖やら、業の深い錬金術師やら……
魔石は数々の悪意との出会いを思い出し、無い顔を顰める。
私を純粋に美しいと称えてくれたのは、フェリシアだけだ。
魔石は胸がギュッとなるような、苦しみを感じていた。
* * * *
「魔石さん、ただいま」
フェリシアは律儀に、深淵の魔石に帰宅の挨拶をする。
夜も更けて、魔石の色は真紅から濃紺に、濃紫は黒となって、妖しさを深めていた。
「今日はエルザとダリスと、3人でお食事に行ったのよ。エルザが婚約の記念日をお祝いしてくれて……今夜はいつもの朗読ができなくて、ごめんなさい」
詩や物語を魔石に読んでくれる日課がキャンセルになった事を、詫びている。
ああ、いいのだ。そんな事は。
いや、楽しみにはしているけども。
「不思議ね……私には、魔石である貴方が、高貴で美しい女性に見えるのよ。だからこうして、ついお話してしまうの」
うふふ。さすがフェリシア。
美への洞察力が、素晴らしいわね。
フェリシアはふと、悲しい顔で瞳を伏せた。
窓から差す月光が、俯く顔を青白く見せている。
「あのね。今日……お食事の時に、見てしまったのよ。ダリスが……あの2人が、私のいない間に、手を握り合っているのを」
!!
心配していた浮気バレはまさに、今夜起きたのだった。
あんのヘッタクソ!と、魔石は下品に叫びたかった。
不埒な遊びならせめて、バレないようにしろと……
フェリシアの瞳から、大粒の涙が溢れていた。
「私ね。なんとなく、ずっと、ダリスはエルザが好きなんじゃないかって、思ってた。だって、エルザは可愛らしくて、お洒落で、社交上手で……家同士が決めた私との婚約を、ダリスはきっと鬱陶しく感じていたんだわ」
フェリシアの涙は止まらない。
ああ。
魔石から飛び出して、抱きしめられたら、どんなにいいか。
しかし、慰めようもない悲しみの背後に、さらに酷い追撃が来ようとは、フェリシアも魔石も、予想だにしていなかった。
「フェリシア!話を聞いてくれ!」
このバカチン!いや、ダリスが!
何を言い訳するつもりか、フェリシアを追いかけて、客室に飛び込んで来たのだ。
「フェリシア!酷いわ、何も言わずに帰ってしまうなんて!」
立て続けにどの口が……エルザまで!
なんと、2人合わせて押し掛けて来るとは。
人を欺く遊びがバレて、逆ギレか。
ここで啖呵をかますんだ、フェリシア!
と言いたいところだが、フェリシアは案の定、涙に濡れたまま、喉を詰まらせて、黙ってしまった。
頭を掻いて目を逸らすダリスと、それを見上げて、物言いたげなエルザ。張り詰めた空気の中で、今、ここで言いなさいよというエルザの無言の圧力が、増幅していた。
「その……フェリシア。僕は……すまない」
歯切れの悪いダリスの横腹に、エルザは左肘をグイと差し込んだ。ダリスはどちらにもいい顔をする立場に限界を感じて、とうとう開き直った。
「フェリシア。君との婚約は破棄させてもらう」
思い切った言葉と同時に、エルザの腰を強く引き寄せた。
「僕は初めて君にエルザを紹介された時から、強く惹かれて……君と違って、エルザは明るくて、女の子らしくて。とても……魅力的だったんだ」
弁解というより惚気を披露しながら、ダリスとエルザは背徳をスパイスに盛り上がって、熱心に見つめ合っている。
ショックのあまり声を押し殺して固まるフェリシアの横で、魔石は声にならない叫び声を上げていた。
私は見てたわよ!
あんたは、エルザのしつこいボディタッチや媚びた目つきを、女の子らしさと勘違いしてるのよ。エルザの中身は猛獣だってば!
俯いて唇に指を当てるエルザは、困ったような、申し訳なさそうな雰囲気を出しつつ、口元が独占欲の悦びに満ちて歪んでいるのが、魔石からは見えていた。
どれだけの強欲を。
どれだけの邪悪な人間達を。
私は見てきたというのだ。
魔石の目は誤魔化せないぞ。
深淵の魔石は奥底から赤黒く光を灯し、内なる怒りを外の世界に放っていた。赤い光線が魔石から一瞬、ダリスとエルザの瞳孔を横切り、その直後に、猛獣のような叫び声が響いた。
「ッギャーー!化物!!」
ダリスとエルザは、互いを指して、同じ言葉を叫んでいた。
磁石が反発するように2人は後方へ飛び退くと、ダリスはテーブルの下に、エルザは椅子の影に、身を隠した。
フェリシアは突然の奇行に驚いて、2人を見比べる。
どちらもびっしょりと汗をかいて、顔面が蒼白だ。
だが、化物はどこにもいない。
アッハッハ。
魔石は声にならない高らかな笑いを、石の中で響かせた。
どうだ。あの2人には、心の醜さが可視化される呪いを掛けてやったのだ。どうやら互いに、醜いゴブリンの、雄と雌に見えるらしい。
燻んだ緑色の大きな顔に、黄色く濁った目。浅ましく裂けた口からは涎を垂らして、ゴツゴツとした皮膚には、硬い毛が生えている。
実際には、どちらの顔も人間のままなのだが、眼球に魔石の呪いがかかって、心の醜悪さが顔に映って見えるのだ。
「オエェッ!」
「な、なんて醜さだ!!」
互いに目を見開いて酷評しあう様に、魔石は台座から落ちそうなほど、笑い転げた。
「ちょ、ちょっと、ダリス、エルザ!どうしたの!?」
ダリスはフェリシアの声に気づいて、情けない顔になると、立ち上がって、こちらに突進して来た。
「フェリシア!助けてくれ!僕が間違っていた!騙されたんだ、この化物に!」
まぁ。なんとも都合のいい。
だが、ダリスはフェリシアに触れる直前に、真後ろにひっくり返った。
「ま、眩しい!眩しすぎる!」
ダリスは目が潰れんばかりに顔を覆って、地面の上で伏せながら、後退した。
そうよ。
ゴブリンの目には、この子の澄んだ心は眩くて、直視できないだろう。
己の心の醜さを正さない限り、お前達の目は永遠に濁ったまま。鏡の中でも化物なのだよ。
魔石はそっと、横を見る。
フェリシアは唖然として、ダリスを見下ろしていた。
こんなにずるく、みっともない男を見たのは、初めてだろう。
目が覚めて、一段と光輝くフェリシアはもう、涙を流さなかった。
で。
それから、どうしたって?
フェリシアはお父様と話し合って、綺麗に婚約を解消したわ。
もともとダリスの家側が申し入れた縁談を、身勝手な浮気でフェリシアを傷付けた挙句に、図々しくも復縁まで頼み込まれて、オースティン伯爵はお怒りのご様子。
フェリシアは心機一転、自分がやりたかった美術史の勉強に、打ち込んでいるの。魔石には見えるわね。近々、あの子に相応しい、知的な王子様が現れるって。
ん?
あのゴブリンの2人?
まだ改心は遠く、鏡を見ては、絶叫する毎日のようね。あれでは恋どころではないし、しばらく火遊びもお預けだわ。
で、私、魔石は……
今はまた、真っ暗な場所にいるの。
ここは地上から何百メートルも深く潜った、泉の底。複雑な水脈を持ち、人が潜れば即ち死を意味するという、畏れ多い泉らしいわ。水底は暗すぎて、魚も見えないのが残念ね。
あの後、不実を断罪する呪いの魔石だと騒がれて、フェリシアの必死の願いも受け入れられず、私は教会に運び込まれたの。
聖水に漬けられ、お香で焚かれ。
司祭様も聖女様も、みんな恐れ戦いていたわ。
最後には、お怒りをお鎮めくださいって、聖なる泉にドボーン、よ。
まさか魔石に自我が芽生えた挙句に、呪いが使えるとは、私が一番びっくりしたわ。
久しぶりに、大笑いしたしね。
ああ……きっとまた何百年も、暇になる。
フェリシアの笑顔が、恋しいわね……。
しばらく、深淵の魔石は眠る事にしよう。
世界よ、おやすみなさい……。
最後までお読みくださりありがとうございました!
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