聖女ですが「虐待の傷は治癒魔法で無くせる」と濡れ衣を着せられて追放されました
「つまりこういうことだ。ジゼル、君がアネットを傷つけ、そして"聖女の奇跡"によって癒やして証拠を隠滅した。陰湿にも程がある」
勇者ミカエルにジゼルは剣を突きつけられた。彼の瞳は義憤に燃えている。なんとか誰も傷つかずに済む解決策はないか、そうジゼルは思考を巡らせた。
「もっと早く気づくべきだった。癒し手で後方支援役のアネットがこんなにも"聖女の奇跡"を受け取ることがあるなんておかしいと」
癒し手の治癒魔法はただ傷を癒やすだけだが"聖女の奇跡"は傷を癒やした際に能力の向上をもたらす。アネットは"聖女の奇跡"を受け続け、出会った当初とは比べ物にならないくらい強くなった。彼女の治癒魔法は腕一本くらいなら一瞬で再生出来る。それは膨大な数の自傷行為という狂気から生み出された力だ。
「君を追放する。二度と俺たちの前に現れるな」
ジゼルはちらりとアネットの方を見た。申し訳なさそうに顔を伏せている。仕方ない、邪魔者なのはあとから入ってきた自分の方だ。
「いいでしょう。私は国に帰ります。お幸せに」
聖女ジゼルはその場から立ち去った。そしてしばらく歩いたとき背後から声をかけられた。
「あの……」
※※※ ジゼル ※※※
聖女として見出されたジゼルが、同じように勇者として見出されたミカエルと共に魔王討伐の旅に向かうのは必然の成り行きだった。突然神に選ばれた二人が手と手を取り合い魔王に挑み、最後には結ばれる。そんな昔話がそこらじゅうで語られていた。
しかし選ばれた二人からすればお互いに全くの赤の他人だった。勇者ミカエルは以前から幼馴染であり治癒魔法師のアネットと共に旅をしており、ジゼルは貴族の令嬢という立場から勇者の旅に同行しろという命令に逆らうことなど出来なかった。
勇者の側から断って貰えればまだ良かったのだが、幼馴染からの想いに気づきもしないミカエルはジゼルを満面の笑みで仲間に加えてしまった。
そして聖女としての適性によりジゼルはアネットより優れた癒し手だった。その上"聖女の奇跡"により能力が向上するとなれば、ミカエルはますますジゼルを頼るようになる。それは癒し手としてもあるが、仲間としてもそうだった。
そしてジゼルはアネットからの暗い視線を受け続けながら勇者を癒やし続けるのである。
ジゼルはいたたまれなくて仕方がなかった。しかし職務を放棄するわけにはいかない。アネットからの視線に気づかぬふりをしながら旅を続けていた。
そしてある日事件は起きる。アネットが血塗れの姿でジゼルの目の前に現れたのだ。ジゼルはすぐにアネットの意図することが分かった。
本来アネットは癒し手なのだから自分で治すことが出来る。しかしそうしなかった。もちろん"聖女の奇跡"による能力の向上を求めてのことだ。
ジゼルは彼女を癒やした。その日からジゼルの恐怖の日々が始まった。
ことあるごとに大怪我をしたアネットが目の前に現れるのである。時には腕が逆向きになっていることや、骨が見えていることもあった。自傷行為は辞めたほうが良いと言うと階段で転んだとか、包丁を持って転んだとか、あからさまな嘘をつき誤魔化される。ジゼルは拒否することが出来なくなっていた。
"聖女の奇跡"を受け続け、アネットはみるみる強くなった。治癒魔法だけでなく基礎身体能力も上がった。それなりに杖術に心得のあったジゼルだが、今ではアネットに片手でひねられてしまうだろう。
勇者に相談しようにもアネットが監視するようにつきまとう。甲斐甲斐しくお茶を用意したりと、やたらとジゼルの世話を焼こうとする。なによりアネットはジゼルよりも身体能力で勝っているのである。強引に向かおうにも必ず先回りして来た。
だが、ここまでくれば流石に鈍い勇者でも気づく。ミカエルは気弱な幼馴染が高慢な貴族の娘である聖女にいじめられていると考えたのだ。
そしてジゼルを追放したのである。
「……ジゼルさん」
背後から聞こえた声にジゼルは足を止めた。恐る恐る振り返るとアネットがいた。手には何か大きな袋のようなものを持っていた。
ジゼルは杖に手をかけた。口封じに殺しに来たのかもしれない。今のアネットは恐ろしく強い。素手でゴーレムを叩き割ることが出来るのだ。
「なにかしら」
「一つ、聞いてほしい話があるのです」
※※※ アネット ※※※
虐待の傷は治癒魔法で無くすことが出来る。傷が跡形もなく治ってしまうと、殴った側はまるで自分の罪もなくなったかのように思ってしまう。それは癒し手が虐待を受けやすい原因の一つだった。
その日、ミカエルは珍しくケーキをご馳走してくれた。いつも食べるものにも困る貧乏旅をしていたアネット達にとって、これは初めてのことだった。
「戦士と癒し手は互いを無くして生きていくことは出来ない。つまりだ、アネット。俺たちは家族のようなものなんだ。わかるか?」
わかるか? という言葉が彼の口癖だった。
「家族ということはたとえどんな場所に行くとしても一緒だと言うことだ。わかるか?」
「……はい」
「もし俺が死んで君が一人残されたら、君は魔物の群れの中に一人残されるということだ。これがどういうことかわかるか?」
「……死にます」
「………………はぁ」
ミカエルは子供に失望した親のようにため息をついた。
「お前は何もわかっちゃいない。魔物ってのは人間を食べるんだ。俺達と同じくらいの大きさの奴でもあいつらは気にせず食べる。それが何を意味するかわかるか? 君は生きたまま少しずつ食われる。奴らは君をいっぺんに平らげることは出来ないからな。そして君は痛みを和らげるために自分に治癒魔法を使う。そうするとどうだ。奴らはお前を永久に食べることの出来る家畜として飼うんだ。そうなれば君は自分を治癒する以外の事は何もできないまま、永遠に食われ続けることになる」
「でも学校では……」
バンッ!!
ミカエルが勢いよくテーブルを叩いた。ケーキが一瞬宙に浮いた。
「今、俺が話してるんだろうが! 聞け!」
アネットは黙ってうつむいた。
「学校なんてものは偉い奴らに都合のいいことしか教えねぇんだ! 確かに魔物共が人間を飼っているような動きは見られない。でもそれは隠してるだけだ! あいつらは戦士に自殺されたら困るからな。俺とあいつら、どっちが正しいかわかるか!?」
「ミカエル様です……」
「そうだ。わかったら下らない口答えはするな。わかるな?」
「……はい」
ミカエルは威圧するように周りを見回した。こちらを見ていた他の客達が顔を背ける。ミカエルは満足したように微笑むとアネットに向き合った。
「いいか、俺達は家族だ。そして一家の主である俺には責任というものがある。俺は君をそんな目には合わせるわけにはいかない。最悪の結末を迎える前に手を打たなければならない。わかるか?」
「…………」
フォークの先が震えていた。このケーキを食べ終えた先にある未来が恐ろしくてならなかった。
「よく考えてみろ、アネット。この国はもうおしまいだ。いまだに勇者と聖女なんておとぎ話を信じている。きっといずれ崩壊する。今でも苦しい生活をしているのにもっと酷くなるんだ。そうなれば俺たちも正しいだけではいられない。その時には癒し手狩りも始まるだろう。みんな食べるものに困っているんだからな。いくら聖人でも自分の身を食わせるなんて真似をしていたらおしまいだ。そうならないためには何をするべきか、わかるか?」
アネットの瞳の端から涙が零れ落ちた。
「…………もういいだろう。行くぞ」
ミカエルがアネットの腕をつかむ。アネットはされるがままに立ち上がった。その時──
「すみません。こちらにミカエルという方はいらっしゃいませんか?」
銀色の髪をした女性だった。伸びた背筋はどこか高貴な雰囲気を漂わせ、声には人を従わせるような威厳があった。
「……俺だが」
ミカエルは警戒するように名乗りでた。アネットは隠れるようにミカエルの後ろに立った。
「おめでとうございます。ミカエル様。あなたは勇者に選ばれました。この剣は勇者にしか扱うことのできないといわれている勇者の剣です」
そう言うと彼女はうやうやしく黄金の剣を差し出した。
「お、俺が!? 勇者に?」
ミカエルは興奮を隠しきれないといった感じで剣を受け取った。ミカエルが手にしたとたん剣が激しく輝きだす。
──さっきはおとぎ話だなんて言っていたくせに。
そんなアネットの思いなどつゆ知らず、ミカエルが嬉しそうに剣を掲げる。店のそこかしこから歓声が上がった。一通り盛り上がりきったのを確認し、剣を差し出した女性が口を開く。
「申し遅れました。わたくしはジゼルと申します。この度は私が聖女に選ばれました。どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、ああ。よろしく頼む」
ミカエルは好色そうな瞳をジゼルに向けたがジゼルは気づいていないようだった。
「さあ、一緒に魔王を倒しに行こう!」
「……そちらの女性は?」
ジゼルの問いかけに、ミカエルは今気づいたとばかりにアネットを紹介した。ジゼルは思慮深そうな瞳をわずかに曇らせて答えた。
「それならばアネット様。あなたにも旅に同行していただいた方がよろしそうですね」
「は、はい。よろしくお願いします」
そうして三人の旅が始まった。
※ ※ ※
旅を続けるうちに、日に日にミカエルの不満が強まっていった。ジゼルはただの貴族の令嬢だったとは思えないほど強かったのである。これまでの二人旅で絶対的な地位を持っていたミカエルは酷く自尊心を傷つけられたように見えた。
そしてジゼルはミカエルの誘いを全く相手にしなかった。それでもミカエルは諦めず、紙で手を切った程度の傷ですらジゼルに治して貰いたがった。
しかしジゼルは絶対にミカエルと親密にしようとしなかった。ミカエルに誘われてもすぐアネットの名前を出しては、誘いをうやむやにするのである。
アネットは気づいた。彼女はきっと自分とミカエルの関係を恋人か何かのように考えているのだ。
当然ミカエルの不満はアネットに向いた。お前さえいなければ。そういう感情がありありと見えた。
ジゼルが加入してから無くなっていた暴力が再び始まった。しかしジゼルという新しい要素が出来たことで、過去のアネットと違い物事をまともに見ることができるようになっていた。
アネットは虐待を受けてすぐにジゼルの元に向かった。どこからどう見ても人間による折檻の傷だった。しかし彼女は何も聞かずに怯えたような素振りを見せながら傷を癒し、こう言ったのだった。
「その、ご両親から貰った体なのですから、大事にした方が良いと思います」
アネットは愕然とした。彼女はこの傷を"聖女の奇跡"によって力を得るための自傷行為によるものだと思っている。貴族の令嬢として幸せに生きてきた彼女には虐待など想像もつかない出来事なのだ。
これまで美しくも強い女性として憧れの念を抱いていた相手は、ただ無垢で世間知らずな少女でしかなかった。
アネットの中にフツフツと怒りが湧き上がってきた。
──同じ癒し手だというのにどうして私はこんな悲惨な人生を送っていて、彼女は何不自由ない生活を送っているのだろう。
ジゼルが悪くないのはわかっていた。自分が憎むべきなのはミカエルだと。それでもジゼルへの憎しみを止められなかった。
アネットはジゼルに虐待のことを報告するのを辞めた。彼女に言えばアネットの言葉を疑いもせずに信じるだろう。彼女はミカエルを叩きのめし、英雄のようにもてはやされる。
そして自分はまた新しい戦士の奴隷として癒し手を続ける。これでは何も解決しない。これではダメなのだ。
その日の夜、再びミカエルから暴行を受けた。しかしいつもと違うことが起こった。いくら殴られても痛くないのだ。自分の体から血がドロドロと流れ落ちても冷静に考えることが出来た。
すぐに"聖女の奇跡"の効果だと分かった。これほどまでに劇的な変化が起きるとは思いもしなかった。ジゼルが誤解したのも頷ける。これは自傷してでも得たいと思う力だった。
アネットに新しい目的が生まれた。
※ ※ ※
ミカエルがジゼルを追放した。自分のしたことを棚に上げてあの無垢なジゼルがアネットをいじめているだなんて、よく言えたものだ。
「ま、あんな気取ったクソ女はほっといて、これまで通り二人でやってこうぜ。俺達は家族なんだ。わかるだろ?」
ミカエルが馴れ馴れしくアネットの肩に手を置く。アネットはその腕を捻りあげた。
「がぁっっ!」
アネットはミカエルを地面に引き倒し、腕をちぎりとった。ミカエルが絶叫し、涙目でアネットを見る。その顔を見てアネットは笑った。
「ほら、癒して差し上げますよ」
虐待の傷は治癒魔法で無くせる。
※※※ ジゼル ※※※
「ごめんなさい、ジゼルさん。あのときは言い出せなくて」
アネットは慣れた手付きで野営の準備を終えた。スープに火をかけながら、彼女はこれまで虐待を受けていた事実を語った。
「いえ、そんなことがあったなんて思いもしませんでした。気づけなくて申し訳ありません」
「いえいえ、ジゼルさんが悪いわけではありませんから」
アネットは楽しそうにスープをかき混ぜていた。明るくなった。ジゼルはそんな印象を抱いた。やはり一緒に旅をしていたときは少し心を病んでいたのかもしれない。
「私、初めてジゼルさんに会ったとき、救世主様が現れたのだと思いました。あの時は本当に酷くて、心中も考えていたんです。でもジゼルさんのおかげで何もかも解決しました」
「そんな、私は何も……」
「好きです」
「…………えっ」
「好きです。ジゼルさん。私、並の戦士の方より戦える自信があります。私と一緒にパーティを組みませんか」
ジゼルは迷った。アネットは真剣な眼差しで見つめている。しかし勇者がいなくなってしまった以上、戦士は絶対に必要だ。魔王を倒さずに国に帰るわけにはいかない。アネットの好意を利用するのは気が引けるが、ここは協力するしかない。
「わかりました。これからよろしくお願いします」
「やったぁ」
アネットは満面の笑みを浮かべながらスープの火を止め、食器に盛りつけはじめた。
「そうだ、ジゼルさん。旅をしている時に聞いた噂で、貴族の方にあったら確かめたいと思ってたことがあるですが」
「なんでしょう?」
「魔物が癒し手を食用の家畜にすることがあるという噂です」
ジゼルはあり得ないといったように笑った。
「なんですかそのデタラメな話は。魔物には消化器官が無く魔力で動いているので、殺すために食べることはあっても食べるために人を飼うなんてありえませんよ」
「そうですよね。おかしいと思いました。そんな異常なことを考えるのは人間だけですよね」
アネットはジゼルにスープを差し出した。ジゼルはずっと気になっていたことを問うた。
「そういえばミカエルはどこにいったのですか?」
アネットはニコリと笑った。
「どこにいったのでしょうね」