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水之巻 第五節 足使ひの事

一 足づかいの事


(原文)

足のはこびやうの事、爪先を少しうけてきびすを強くふむべし。足づかいは、ことによりて大小遅速はありとも常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。此道の大事にいはく、陰陽の足と云ふことあり。是れ肝要なり。陰陽の足とは、片足ばかり動かさぬ物なり。きる時、引時、受る時までも、陰陽とて右左ゝゝとふむ足なり。返すゞゝ、片足ふむことあるべからず。能々吟味すべきものなり。


(現代語訳)

 足の運びかたは、爪先を少し浮かせて踵を強く踏むこと。足使いは時に応じて大きく・小さく・遅く・早くするが、常に普通に歩く様にする。

 飛ぶ、足を浮かせる、腰を落として踏みつける、の三つはやってはいけない。

 兵法の大切なことに『陰陽の足』という教えがある。これは当流(二天一流のこと)にとっても重要なことだ。

 陰陽の足使いとは、片足だけを動かしてはならないということだ。

 斬る時、引く時、刀を受ける時でも、陰陽の両極を交互に渡る様に、右左右左と踏んでいく。何度も言うようだが、どちらかの片足だけ中心にして、スキップを踏むような足運びをしてはならない。良く吟味して欲しい。



(解説)

 これを読んで、現代剣道とは大分違うなと思われた読者は多いと思います。


 現代剣道の足運びは、主に右足を前に出して踏み込み、引き、防ぎます。後ろ足はつま先立ってます。踏み換えて稽古することはまずありません。却って滑稽に見えるかも知れません。

 現代剣道で、武蔵が教えるような足の使い方が有効なのか私には分かりません。剣道家で『五輪書』を読まれた方のご意見を聞いてみたいと思います。それとも『足を踏み換えていたらスピードが落ちて打ち込まれるさ。これは昔の教えだよ』、と言うことかも知れません。


 一般の人が読むと、身体の動かし方としては意味が分からず、ここは飛ばしてしまう方が多いのではないでしょうか。

 古武道と現代剣道の決定的な違いがこの節で明らかになりました。

 要約した次の三点は全く現代剣道の動きと違います。


(1)決して飛び跳ねたりせず、普通に歩む様にする。

(2)爪先だってはいけない。両足とも指を上げるようにして、足の裏(踵)で床を踏んでいなければならない。

(3)斬る時、引く時などは、足を交互に踏み換えてつかう。


 大正・昭和期の柳生新陰流の第二十世宗家、柳生厳長先生が『剣道八講』という著書で、現代剣道を批判している部分がありますが、その理由の一つがまさにこの違いであります。


 それに講談や映画によると、武蔵は巌流島で飛び上がって佐々木小次郎の頭を撃ったんじゃないか!

 これを読むと嘘っぱちの様ですね。大体、砂浜で飛び上がるなど出来ないと思いますが・・・


 どうして古武道は、この様な『どん亀』の様な動きを重視するのか?

 理由は、真剣の『重さ』と『刃の向き』にあると私は考えています。そして、何を『勝ち』とするかという、勝負の本質の違いでもあると。


 真剣の重さと刃の向きに関して、私の経験を例にお話ししましょう。

 私も剣道をやっていましたが、いつも小説やテレビに出てくる剣豪に憧れていました。

 ある日、真剣と同じ重さ・長さを持つ居合刀(模造刀)を手に入れて、素振りをしました。竹刀と違って、刀は重く、重心の重さが手先に掛かります。自己流でも正しく振れれば、ひょうと空気を切る音がすると考えました。

 慎重に刀の切る方向に刃先を合わせようとますが、有効な切り方をするには慣れが必要です。失敗する方が多かった。

 身体を鍛えればいつか、映画の剣豪のように、真剣も竹刀のようにびゅんびゅんと振れる様になる、と思ってました。

 ところが、練習を続けていくうちに腕の筋肉が痛み出し、手首も壊してしまいました。

 何がいけなかったのか?

 私は悩みましたが、古武道の研究をし始めてから大分時間が経って、その原因が分かってきました。

 真剣を剣道でやるように、手首を使って振ろうとしていたのです。


 重い真剣を宙に飛んでひゅうと振り、相手を倒す。こんな幻想を持って刀を振ったのが間違いでした。

 いくら練習しても、うまく当たればご覧じろ。手首を使った振り方は、刀がどこで止まるか分からず、刃が斬るものに正しく垂直に当たっているかも時の運です。

 自分が格好良く切り抜いても、相手がすばやく、避けられていたら、・・・次の瞬間、私の首は飛んでいるでしょう。なにせ、刀の重さで手首は曲がり、身体が泳いで、へっぴり腰になっているはずですから。


 たとえ話が長くなりましたが、真剣を以てその『斬るという使命』を成就させるには、武蔵は前述の三点を守れないと、駄目だと言っているのです。


 『足を踏み換える』なんて、想像出来ないぞ、とおおかたの人は考えると思いますが、それを積極的に実践している古武道の流派が一つだけ現在に残ってます。

 この著作の最初から引き合いに出している柳生新陰流です。

 実は、『五輪書』を読んでいて思ったのですが、武蔵が書いている要点は、新陰流の伝書にあることと殆ど同じなのです。まるで交流があったようにです。


 これは一道を突き詰めていけば、真理は同じなのだということなのかも知れません。

 あるいは、仮説ですが、元来、古武道は基本的な身勢法は同じだったのかも知れません。


 『足を踏み換える』を文章で説明するのは至難の技ですが、挑戦してみましょう。


(1)刀を真っ直ぐに振る時は、どちらの足を先にして踏み換えても良いでしょう。

(2)刀を左右に振る時に始めて踏み替えの習いが需要になります。

(3)刀を右上から左下に振る時は『右足』を踏み込みます。

 左上から右下に振る場合は『左足』を踏み込みます。

 これは『ナンバ』と呼ばれる日本特有の身のこなし方です。

(4)よって連続して打ち込む時は、右上から打ち込む時は右足で踏み込み、刀を引き上げて今度は左足を踏み込んで、左上から斬り込みます。


 『ナンバ』を剣の振り方の基本と考えると、『足を踏み換える』のは当然の刀の操り方となります。驚くことに、武蔵はこれをわざわざ『五輪書』に書いているのです。姿勢、刀の持ち方という『基本』も書いている。これは一体、何を意味するか、重く受けとめなくてはなりません。


 先ほど、巌流島での小次郎との戦いを笑い話の様に書いてしまいましたが、特に砂浜で現代剣道の様に右足だけ軸足を置く事は危険のように感じます。爪先立った後ろ足で、砂を蹴れるとは思いません。前に打突した後、伸びきった前後の足では攻撃は止まります。逆に、足の指を上に反らせて足の裏で砂を踏めば、腰を安定させて戦う事が出来ます。

 武蔵は他の節で、戦う時は路面がどういう風になっているか分からない。だから、飛んだりせず、安定した踏み方を行え、とも教えています。

 この様に、古武道の伝書というものは要点があちこちに散らばっているのが普通で、全体をじっくりと学ばないと見落としがあるのです。

 これを書いている時、武蔵の頭には、あの巌流島の砂浜での戦いの思い出が浮かんでいたのかも知れませんね。


 思うに、ここで述べられていることは、本来ならば口伝されるべき『極意』の一部です。

 武蔵が始めてそれを弟子のために文書化してくれたので、新陰流という実践的古武道との共通性も分かりました。歴史的文書です。


 つけたり

 (古文書で使う追加の意味)


 まだ、ナンバと斬り合いの本質の関係が分かっていない読者がいらっしゃると思います。

 簡単に説明してみます。


 刀を右肩上から左下に切り下ろす『袈裟切り』をするとしましょう。ナンバの要領では切り下ろす時、右足を踏み込みます。この時、左足を踏み込んで見るとどうでしょう?

 身体を捻らなければ左下に切り下ろす事は出来ません。就中なかんずく、左足を切りそうではないでしょうか?

 少し新陰流の説明にかたぶいてしまいますが、右袈裟切りを行う時は、新陰流では肩、腰、足を同じ方向に回して踏み込みます。これが斬り合いを行う時、身体の回転をフルに使って刀の重さと性能を十分に引き出す唯一の方法だからです。


 二天一流は両刀使いなので、大刀は右片手で切り下ろさねばなりません。この時、このナンバを積極的に行わなければ、効果的な斬撃は決して生まれないでしょう。







初稿 2009/7/4 深夜




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― 新着の感想 ―
[一言] 非常に興味深く読ませて頂きました。 また何度も読み返させて頂くと思います。
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