水之巻 第四節 太刀の持ちやうの事
一 太刀の持様の事
(原文)
太刀のとりやうは大ゆび人指ひとさしを浮ける心にもち、丈高指(中指)はしめずゆるまず、くすし指小指をしむる心にして持つ也。手の内にはくつろぎの有る事あ(悪)しし。敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。敵を切時も手のうちに変りなく、手のすくまざるやうに持べし。若し敵の太刀をはる事、受る事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆび人さし指ばかりを少し替わる心にして、兎にも角にも、きると思ひて太刀を取るべし。ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきる時の手の内も、人を切るといふ手の内に替わる事なし、総じて、太刀にても、手にても、いつくと云事を嫌ふ。いつくはしぬる手なり。いつかざるはいきる手也。能く心得べきもの也。
(現代語訳)
刀を持つ時は、親指と人差し指を浮かす気持ちで持ち、中指は絞めすぎたり緩めすぎたりしないようにして、薬指と小指で絞めるように持つ。
手の内(この持ち方)には隙間があってはならない。敵を必ず殺すんだという気持ちで刀を持て。敵を斬り殺す時もこの手の内をそのまま保ち、手の一所に力が入りすぎるなどあってはならない。
もし敵の刀を『張る』時、受ける時、当てる時、抑える時でも、親指人差し指に少し力を入れる事があるが、とにかく、そのまま斬るんだと決めて刀を持て。
試し切りをする時でもこの兵法で斬る時でも、人を斬るというこの手の内は同じなのだ。
基本的に、刀にも、手にも、『居着く』ということが無いようにせよ。居着くと攻撃をさばけず死に至り、居着かず自由に刀を振れれば死地に生を見いだせる。良く心得よ。
(解説)
原文で出てくる『てのうち』という言葉は、柳生新陰流でも同じ言葉を使い、刀の持ち方のこと、ということをお知らせしておきます。訳して驚きましたが、全く同じことを教えているようです。
この節では、2つのことを教えています。
(1) 『手の内』と呼ばれる刀の持ち方。
(2) 斬る時の心の持ち方と、『居着く』という禁習。
まず(1)から。
刀の握り方は親指と人差し指を浮かせ、中指は軽く押さえ、薬指・小指でしっかりと刀の柄を巻くように押さえる。
剣道か居合をやっておられる読者で、真剣か居合刀を持っていらっしゃる方は、刀を抜いて中段に構えて見て下さい。両手ともこのように握っておられる方はどれほどいるでしょうか?
ゴルフをやっておられる方は、クラブの持ち方に似ている、と思われるかも知れません。
また、武蔵も全てを言い表しているわけではありませんので、武蔵が『常識』と考えていることは実はここには書いてないのです。武蔵と雖も、人間です、完全ではありません。ここは他の古武道に伝わっている『常識』を加味して説明します。
私はここで記述されている『手の内』の形は、ゴルフの握り方を両手の間隔を空けて、刀の柄を持った形に非常に近い、と考えてます。
上から見ると、親指と人差し指は丸くなって柄から少し浮き、酒のお猪口を持つような形になってます。落語家が酒を飲む振りをする、あの指の形です。
ゴルフの初心者用の教本によると、その親指と人差し指の付け根は鋭い角度でえぐれて、その『口』の筋は右手なら左の肩の方を指すようになっています。これはゴルフクラブのグリップが丸く細いので手首を絞り込むためですが、刀を握る場合は、そこまで搾ると振りにくくなります。両手首がほんの少し反るぐらいで自然に刀を握ります。
手首がほんの少し外側に反ることで、斬った瞬間、肘を伸ばして、肘・手首から体重を乗せることが出来ます。
(2)ではその手の内をそのまま、敵を斬り殺す時に使えと教えています。
試し切りをするときも、戦う時も、手の内は変えてはならないということです。
次ぎに『居着く』とはどんなことでしょうか。
よく巻き藁を切って稽古している場面を見ますが、敵を斬るために練習しているとは思えないことがあります。切る前に弾みを付けたり、手首を使ったり(古武道では『くねり打ち』と呼ばれている脇道の一つ)、力を妙に抜いたりです。
うまく切った後、『残心』という心身の状況に入りますが、もしも、相手が死にきれず、再び挑み掛かられたらどうでしょう?簡単に斬り殺されてしまっては稽古する意味はありません。
相手の反撃にたちまち対処出来ない状況に身体があれば、戦闘で生き抜くことは難しく、これを武蔵は『居着く』と言っているのです。攻撃する時は一心に攻撃を行わなければなりませんが、一旦動作を停止した時に勝負の分かれ道が訪れます。
『居着く』とは、身体のどこかに力み・たるみがあって、次の瞬間に攻撃された時、すぐに正しい動作が出来ない状況を意味しています。これは足腰の状態も関係しますが、この節では、武蔵は手の内に関して言っています。
居着かないためには、相手を真っ二つにし、刀をさらにめり込ましている時でさえ、武蔵は手の内を握った時と同じにしておけと教えています。常人では出来そうも無いですが。
ここで大切なのは、全編に一貫して教えている『平常心』という観念です。
平常心を以て、『兵法の身なりの事』で出てきた姿勢、そしてこの節で教えた『手の内』を常に保つこと。
よくよく読者の御工夫の成果を祈ります。でも辻斬りはしないでくださいね。
よってくだんの如くなり。
了
初稿 2009/7/4 昼過ぎ