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水之巻 第二節 兵法の身なりの事

宮本武蔵 「五輪書」の技を解説する




「水之巻」第二節


一 兵法の身なりの事


(原文)

身のかかり、顔はうつむかず、仰のかず、かたむかず、ひずまず、目をみださず、額にしわをよせず、眉あいに皺をよせて目の玉動かざるやうにして、瞬きをせぬやうにおもひて、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見るるかを、鼻すじ直にして、少しおとがいを出す心なり。首は後ろの筋を直に、うなじに力を入て、肩より惣身はひとしく覚え、両の肩をさげ、脊筋をろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる様に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹をもたせ、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云ふ教へあり。総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくゝゝ吟味すべし。


(現代語訳)

 敵と向かう時、顔は俯かせず、上げ過ぎず、斜めにせず、歪ませず、目をきょろきょろさせず、顔を顰めず、眉に力を入れて目玉を動かさず、またたきを抑えて、遠くを見るような目で、落ち着いて眺め、鼻筋を通す様に真っ直ぐ立ち、少しあごを出す感じにする。

 首筋を伸ばし、うなじに力を入れ、肩から全身に気を回し、両肩は自然に垂らし、背筋をぴんとし、尻を突き出さずに、膝から下に力を充実させ、腰が屈まないように腹に力を入れ、くさびを絞めると言われるところの脇差しの鞘に腹を押しつける感じで、帯が緩まないようにするという古来の教えに従え。

 全てに於いて、兵法をやるからにはこの身勢を常に保つことが大事だ。よく考えて工夫すべし。


(解説)

 これは敵と相対した時の『身体のありかた』を教えていることはすぐ分かりますが、現代人にとってこの姿勢を取れる人は希ではないでしょうか?

 居合をやっている人や礼法を習っている人の身のこなしに似ているとは思いますが、首の後ろを張って『少しおとがい(顎)を出し』ている人は少ないと思います。


 顎を出すのは新陰流でいわれる『位を取る』姿に通じると思われ、相手と戦う前から見下ろし、心の中では既に勝っている状態になることを示します。新陰流ではこれを『先々の先』の位と言います。

 首の後ろに力を入れ、両肩を自然に下げ、背筋を伸ばすが尻を出さず、というのは今の私たちでは非常に難しい格好です。現代のアスリートなら胸を張り胸筋に力を入れ、尻を突き出しますよね。これが西欧流の正しい『直立』ですが、日本の古武道では違うのです。


 ここで教えられた通りに立つと、肩はどちらかというと前方に垂れます。手に何も持っていないと、胸をあまり張らず普通に立つ格好ですが、刀を両手で前に下げた時は胸を張ると窮屈になります。そこで胸はあまり張らずに自然に肩が前に垂れます(垂らします)。そして肩の関節を肩胛骨から独立させて伸ばせるようになると、刀を振る時の円が大きくなり、遠い間合いから打ち込むことが可能になるわけです。


 『くさびをしむる』というのは、脇差しを『楔』に例えて、腹を張って腰を落ち着かせるということの様に思えます。臍下丹田に力を入れろということは昔から言われてますが、どういうことでしょうか?


 私の解釈では、背骨の最下部の『仙骨』の下(尾てい骨側)を前方に丸める様に力を入れることと考えます。そうすると、尻は突き出ずに却って引っ込みます。

 これは相撲を取る時に、相手を押し倒す腰の入れ方と同じです。腰を反らしていると、押される力に上体が対抗出来ません。刀を持って、片足を大きく踏み込んで斬り込む瞬間もこの腰を保てと武蔵は教えています。ここでは詳しく書きませんが、この習いの通り、踏み込む時、後ろの脚は真っ直ぐに踏ん張らなくてはなりません。刀と刀で押し合いをする時に、後ろ足の膝が曲がったままだと、この姿勢を貫くことが難しくなります。


 仙骨を張ったまま動くことの重要さは、斬り合いの基本となります。この巻の他の部分にも出てきますが、斬り込む時に『腰から動く』ことが肝要なので、このように教えるのです。

 腕だけで刀を振ることと身体が前のめりになることを禁習とするための、一つの身体矯正法と言えるでしょう。仙骨に力が入ってないと『へっぴり腰』になります。

 腕だけで刀を振ったり、へっぴり腰になったりすると、相手を刀のもの打ち(刀の切っ先から9センチぐらい手前のところ)で打った時、最大の破壊力は生まれません。どこかしら不十分な攻撃になります。不十分な攻撃ということは、自分を危険に晒すことと同じです。

 不十分な動作は自由度が大きく、その分、正しい姿勢が崩れやすくなります。崩れると、次の瞬間に身体が『居着く』(両脚の体重移動が自由に出来なくなる、など)可能性が高くなります。つまり、相手の反撃に晒された時、動けず斬られる危険性が高くなります。


 またこの節で驚くのは、この背を伸ばして立つことは、戦国時代の腰を十分落として構える『沈なる構え』ではないということです。


 歴史上、現代剣道の様に真っ直ぐ立った姿勢で構えることは、柳生新陰流第三世の、柳生兵庫助(天正7年(1579年)〜 慶安3年(1650年))が始めたと言われています。彼が仕えた尾張徳川家で、それまでの構えを変革した体勢なのです。武蔵が『五輪書』を書き始めたのが寛永二十年(1643)と言われるので、この二人が生きた時代は丁度同じ頃です。吉川英治が、武蔵が兵庫助と邂逅するエピソードを書いていますが、あながち架空とは言えなくなりました。ひょっとすると、お互いに研鑽し合い、似た様な結論に至ったのかも知れません・・・


 このように人間の身体を正しく使うことを伝えるために、文章を以てしても難しいということは、古今の真理であります。どの流派の伝書を見ても、一文にて全てを述べる事はしておらず好習(良い習い)・禁習(悪い習い)の『一言』が横串を刺すように色々な箇所で述べられます。確かに私も一つの技の解説を試みる時に、付随する全てを述べるとポイントがぶれてしまうというジレンマに陥ります。五輪書も、各論を通してその『横串』が有機的に刺さっているために、全文を総じて見ないと駄目な分けです。

 武蔵も『この書のみに従え修行せよ。出ないと間違った方向にいくぞ』ということを強調しており、『五輪書』の全体を一貫して身につけないと、彼が『到達』した技は伝えられないと考えていたに違いありません。



初稿 2009/7/4未明



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