水之巻 序〜第一節 兵法心持の事
〜主に身体のありかた、使い方、技などについて
はじめに
今までの一般的な訳から脱却して、古武道としての教え、考え方を武蔵に傾倒することなく、客観的に解説していきたいと考えています。
また、身体勢法として多くの技を現在に残している、尾張柳生新陰流と対比させながら、分析も行います。二天一流と新陰流の剣理は、双子の様に似ている事が分かります。これは元々古武道というものが底流にて同じものであったのか、それぞれの創出者が同じ境地に至ったためか、今となっては不明です。
五輪書は、地・水・火・風・空 の五巻で構成されています。奥付によると正保二年(1645)五月十二日、一番弟子の寺尾孫之丞信正に与えた口伝書です。武蔵はその一週間後、五月十九日に六十二歳に没します。
地之巻 兵法者の平生の心構え
水之巻 二天一流の技の基礎
火之巻 兵法の駆け引き、利を得ること
風之巻 他流派の癖、弱点を知る事
空之巻 二天一流の境地
本著では、二天一流の斬り合いの方法を記述した『水之巻』を徹底的に解説しようと試みています。
まず(原文)、(現代語訳)の順序に各節を説明します。必要に応じて(解説)を記しました。
原文は、岩波書店、「五輪書」渡辺一郎氏の細川家蔵書の翻刻を参考にさせて頂きました。現代語訳と解説は私の著作であります。
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水之巻
(原文序)
兵法二天一流の心、水を本として、利方の法を行ふにより水の巻として、一流の太刀筋、此書に書顕すものなり。此道何れも細やかに心の侭には書分がたし。たとひことばは続かざると云ふとも、利は自から聞ゆべし。此書に書つけたる処、一ことゝゝ、一字々々にて思案すべし。大方におもひては、道のちがふことおおかるべし。兵法の利におゐて、一人一人との勝負のやうに書付たる所なり共、万人と万人との合戦の理に心得、大きに見立るところ肝要なり。此道に限って、少しなりとも、道を見違へ、道の迷ひありては、悪道におつるものなり。此書付ばかりを見て、兵法の道には及ぶ事にあらず。此書に書付たるを、我身に取つての書付と心得、見ると思はず習ふと思はず、贋物にせずして、即ち我心より見出したる利にして、常に其身になつて、能々工夫すべし。
(現代語訳)
兵法二天一流の心、水の様に変幻自在を本意として、兵法の理法を追求することにより『水の巻』を編む。
当流(二天一流)の太刀筋を、この書に書き表す。ただしあらゆることを細やかには書く事は出来ない。例え私の言葉は完全ではないと言えども、修行のうちに当流の理法は自ずと体得出来るだろう。
この書に書き付けた事は、一言一言、一字一字思案して欲しい。適当に考えては勘違いをすることが多い。
兵法の理法において一対一の勝負の様に書いたところもあるが、万と万の戦いにも通じると心得て、大勢を見誤らないことが重要である。
兵法は、少しの見誤りも道を違えることとなり、さらに迷ってしまえば完全に誤った方向に向かってしまうだろう。
この書を見ても兵法を会得することにはならない。書いてある事を自分のための書き付けと思い、完全に自分のものにして、自身が見いだした理法として、私と同じ境地に立って、よくよく工夫をして欲しい。
水之巻第一節
一 兵法心持の事
(原文)
兵法の道において、心の持様は、常の心にかはる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少もかはらずして、心を広く直にし、きつくひっぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬやうに、心を直中に置て、心を静にゆるがせて、其ゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。静かなるときも心は静かならず、如何に疾き時も心は少もはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心に用心して、身には用心をせず、心の足らぬことなくして、心を少しも余らせず、上の心はよわくとも、底の心をつよく、心を人に見分けられざるやうにして、小身なるものは心に大き成事を残らず知り、大身なるものは心に小きことをよく知りて、大身も小身も、心を直にして、我身の贔弱をせざる様に心持ち肝要なり。心のうち濁らず、広くして、ひろき処へ智恵を置べきなり。智恵も心もひたと研くこと専らなり。智恵を磨ぎ天下の理非をわきまへ、物事の善悪を知り、万の芸能、其の道々をわたり、世間の人に少しもだまされざる様にして後、兵法の智恵と成る心なり。兵法の智恵に於て、取分けちがふ事ある物なり。戦の場万事せわしき時なりとも、兵法の道理を極め動きなき心、能々吟味すべし。
(現代語訳)
兵法の道において、心の持ち方は常に平常心である。平時も戦う時も少しも変わることなく、心を広く素直に持ち、緊張せず弛ませず、執着しないように心を落ち着かせ、静かに働かせ、その働きの一瞬も止まることがないよう、よくよく心得よ。
まわりが静かであっても、それに釣られてはならない。せわしない時は動じてはならない。心は身体に惑わされてはならない。身体も心に影響されてはならない。心に用心をし、身体には用心をしない。
心の働きに不足、余りが無いようにし、外見の心は弱く見せても内心は強く、人に心を見透かされないようにして、身体が小さい人は心を大きく持ち、身体が大きい人は細やかな心持ちを忘れず、身体の条件に関わらず心を素直にして、楽な方に流れないように心掛けることが肝要だ。
心を濁らせず広く持ち、自在に知恵を出す。知恵も心も一心に磨くことを心掛けよ。知恵を磨き、物事の善悪を知り、色々な芸能、技術を知り、世間の嘘を見破れるようになって後、ようやく兵法の知恵が得られる。兵法の知恵はそれらの知恵を凌駕しているものだ。いくさの場で戦況がせわしくなった時でも、兵法の道理を極めて動じない心を持つ事。よくよく考えて欲しい。