8.城下町で
ふああああ。
『おはよう、ティンク。』
あくびをしながら伸びをするティンクの頭に鼻先を擦り寄せ、ミカが優しくティンクのほほを舐める。
「くすぐったいよっ。おはよう、ミカ。」
湖から王都までは距離があったようで、森を出たところにあった農具小屋に入り込んで寝た。
小屋を出ると、朝露に濡れた草花がキラキラと輝いている。
遠くの方の地平線からまだ暗い空が白んできている。
「朝のうちに王都の近くまで行って、ミカが隠れられそうな所を探そうね。僕は王都でアーサーを探さなきゃいけないし。」
『ティンクを送ったら、私は森で待っているわ。きっと、離れていてもティンクの声が聞こえると思うから、大丈夫。』
ミカの背中に揺られながら、ティンクはどうやってアーサーを探そうか悩んだ。
王都の門の手前でミカと別れ、ティンクは門番に呼び止められた。
「子供、どこから来た。通行証は持ってるか。」
うわあ。どうしよう。通行証なんか持ってないよ。
「おい、子供を怖がらせてどうする、顔面凶器。」
「ああ? お前も同じようなもんだろ。」
門番の男2人がティンクの頭越しに言い争い始める。
「綺麗な染め物の服を着ているし、近くの領主の子息じゃないか?」
「なんだ、迷子か。」
門番同士で話して勝手に勘違いしてくれたみたい。
「1人で大丈夫か?」
「なんなら送ってやるぞ。子供の一人歩きは危ない。」
「まあ、ウーサー王の領地で悪さする奴は滅多にいないがな。気をつけるに越したことはない。」
ティンクはペコリと頭を下げて門を通った。
はああ。よかったあ。困った時は黙ってると勝手に勘違いしてくれるみたいだから、これからもそうしよっと。
テッテッテッテッ
足取りも軽く、ティンクは町の中を彷徨った。
朝なのに人が多く、人の足並み(ティンクは背が低いので腰から下しか見えない)を何とかくぐり抜け、簡易テントの商店の隙間を通って裏道に出た。
「安いよ新鮮だよーっ」
さっきの場所は朝市のようだ。
春節祭が近く、王都にはいつもより多くの人々が集まって来ている。
これからどんどん人が増え、王都の外にも簡易商店や簡易宿泊テントが溢れるようになる。
「春節祭名物ブラックホーンの串焼きだよーっ」
お肉の焼けるジューシーな匂いがティンクの鼻をヒクヒクと引き寄せる。
「お金がないなら邪魔するなよ坊主。しっしっ」
追い払われ、ティンクはシューンと項垂れてトボトボと歩き出した。
『ティンク、大丈夫?』
「おなかすいちゃった。あっちからもこっちからも、すごくいい匂いがするんだよ。でも僕、お金がないから食べられないんだ。」
ミカの声が聞こえてホッとしたけれど、お腹がグウーッと鳴って、ティンクは道端に座り込んだ。
『森で集めた果物が鞄に入っているわよ。』
「!」
そうだった!という顔でティンクは鞄を早速ポンポンと叩いた。
『おはようございます、ご主人様。』
「おはよう、カバ。昨日入れた果物が食べたいんだ。少しだけ出して。」
すると、膝の上に赤い果物が現れる。
「わあ。ありがとう、カバ。」
『どういたしまして。』
「いただきまーす!」
鞄の使い方はミカに教えてもらった。
鞄に名前を付けると話せるようになるなんてすごいよね。だからカバにしたよ。
ミカは何でも知っているんだ。本当にミカは賢いなー。
『他の人間が使っているのを見た事があるだけよ。』
シャリシャリモグモグ
おいしいー(笑顔)
☆
「姫様ー! スターサファイア様!」
老大公が短い足で一生懸命走る。
侍女がメジャーをヒラヒラと泳がせながら走る。
近侍が布を巻いた巻物を何本も抱えて走る。
「いやーだよーおおおだっ!」
青いジュストコールに白いシャツ、白いズボンに白い靴のサファがピョンと跳ねて老大公の肩の上を飛び越えて行く。
老大公と近侍が頭同士をぶつけてひっくり返る。
侍女がヘナヘナと力尽きて座り込む。
「採寸させてください! お願いですからー!」
「新しいドレスなんか要らない!」
「要るんですよ! 春節祭で着るんですから!」
あっかんべー!
サファは廊下の突き当たりで舌を出し、去って行く。
「これは、、当日は大変そうだな。」
「当日は絶対に逃さないぞ、、。」
サファが居なくなった廊下で、老大公達は固く手を結び合った。
☆
「、、聞いてますか、マーディン。、、ふう。」
「んあー、うんー。」
マーディンの様子がどうもおかしい。
アーサーは、心ここに在らずのマーディンの様子に溜息を吐く。
何があったのか、朝起きてからずっとマーディンは、キッチンの方を見つめてぼーっとしている。
アーサーが起きた時にはもうずっとそうしているようだったから、もしかしたら夜中に何かあったのかもしれない。
春節祭の当日、マーディンが秘密裏に招いた特別な招待客が王宮に現れる。急な訪問に慌てるだろう老大公達の、そのドサクサに紛れて私とサファを入れ替える予定だったけれど、、。
マーディンのこの様子では、きちんと手筈を整えているかどうか信用出来ない。
これは計画を練り直すべきかしら。
☆
レオナルド王太子はまたキャメロット城下に来ていた。
「スターサファイア姫、、。」
深くフードを被って顔を隠した口元からその名が溢れる。
お忍びで来られるようにブリニアの魔術師長マーディンからの計らいで、修道院でマーディンの連絡を待っていたが、
待てども待てども一向に連絡がつかない。
セイラ・バレンシュタインも、そのうちそのうち、と誤魔化すばかりで話にならない。
痺れを切らしたレオナルドは、修道院を飛び出して城下まで来てみたものの、お忍びなので騎士も連れておらず、どうやって城に入ろうかと思案しながら朝市を歩いていた。
「スターサファイア姫、、。」
深いフードの中、金髪翠眼に整った顔立ちの口元から愛おしそうに熱のこもったその名が溢れた。