6.堕ちた天使
「いやあぁーん、、んっ、、」
空の彼方から堕ちた天使ティンク。
マーディンが見た吉凶の彗星。
太陽神ルーの持つ、世界最強のブリューナクの魔槍の触手に放り投げられたティンク・エシェルは、その胸にガッチリと剣を抱き、触手に拘束されたまま、真っ逆さまに地上へと堕ちていた。
そして今まさに地上に叩きつけられるっと覚悟したティンクは目を閉じた。
その瞬間、触手は光を増して膨らみ、ティンクの体を包み込むと、ゴムボールのように地面を跳ねた。
ぼよよーん
「んっ、、わっ、、」
ぼよよよーん
「のわっ」
ティンクは光るゴムボールの中で、百面相のように表情を変えてゴムボールに顔を打ちつけている。
頬がむにっとなって涎が飛び散り、顔面がゴムボールに押し付けられて目や口が糸のように伸ばされたり。
外から見ているととても楽しい。
バチンッ
そうして跳ねていると、尖った小石にゴムボールが割れてティンクは地面にキスをした。
「ぐぶっ」
ひどいよーいたいよーすんすん
うつ伏せのまま暫く痛みに泣いていたが、ムクリと起き上がると空に向かって叫んだ。
「無視すんなー! 可愛い子供が泣いてるぞー!」
空は青く澄み渡り、春の風がそよそよとティンクの髪を揺らした。
「ちぇーっ。何だよもー。ここどこなんだよー。」
辺りは木々が立ち並び、小鳥の声や獣の匂いがする。
「誰かいませんかー? おーい! だーれーかー!?」
普通ならこんな森の中にひとり、大声を上げて獣を呼び寄せるなんて自殺行為だが、今までたったの一度も身の危険なんてありもしない世界で生きたティンクに、そのような知恵があるはずも無い。
、、そこに、木々の影から1匹の熊がノソリと現れた。
親と逸れたか、自立したばかりの子熊は、毛艶が良く、木々の木漏れ日を受けて茶色い毛色が金色に光る。
額には三日月型の白い毛が、微風に揺れている。
「よかったー。ひとりで寂しかったんだよね。」
ティンクは満面の笑みを向けて熊に抱きついた。
きゅうん
熊は愛しげな声を喉の奥で鳴らした。
すると今度は、ウサギや鹿達が木々の間から姿を現し、ティンクを囲んだ。
「皆ありがとう、心配してくれて。ケガはないよ、でも少しお腹が空いちゃった。」
ティンクは動物達と言葉がなくても気持ちを通じ合わせる事が出来た。
仕草やちょっとした反応、目の動き口の動き全てがティンクには無意識下で理解する事が出来、それはティンクを前にした者全てにも当てはまる。
尚、ティンクを前にした者は全て、その存在を慈愛の対象として認識する。
それは天使の生まれ持つスキルのひとつなのだろう。
ピチチチチチ
小鳥達が降りてきて鹿の頭や、ティンクの頭に乗る。
「あっちに水場や木の実がある? 連れて行ってくれる? ありがとう! 皆優しいんだね。」
ティンクは小動物達に囲まれて、森の奥へと進んで行き、その後を、ティンクが忘れた剣を咥えた熊がノソリ、ノソリとついて行く。
「おいしーい!」
甘くて柔らかくって瑞々(みずみず)しい。
真ん中にタネがあって邪魔だけど、ぷっと吹き飛ばしちゃえば楽しいし。
きゅうーん
頭に小鳥を乗せた熊が剣をティンクの足元に置く。
「忘れてた! ありがとう! これ無くしたら大変な事になるところだった! はい、君も食べな! おいしいよ!」
ティンクは木の実をアーンと開けた熊の口にのせる。
きゅうん
「ね! 、、ふああぁー、お腹いっぱいになったら、、ねむくなってきちゃった。」
きゅうん
「ちょっとだけ。ちょっとだけ、、」
丸まった熊のお腹で、ティンクは包まれて眠った。鹿や、ウサギや狸が、周りを囲んで。
ピッピッ
「うぅーん、、。あれ? ここどこ?」
頬を小鳥が突っついてるのに気が付いて目を開けると、小鳥はどこかに飛んでいってしまった。
辺りは暗くなりかけている。
小動物達もいなくなっていて、熊だけが心配そうにティンクを見ていた。
「君の家族は? ひとりなの? 僕と一緒だね。」
きゅううん
「僕はティンク。君は、、じゃあ、僕が付けてもいーい? じゃあねー、ミカ! 三日月のマークが可愛いから、ミカ! 気に入ってくれて僕も嬉しいよ。」
ミカが立ち上がってブルブルッと身震いすると、全身の毛色が白く変わっていった。
額の三日月は、木々の木漏れ日に金色に煌めいている。
「そういえば、天使が動物に名前を与えると星獣になるんだっけ? すごいね、ミカ!」
『なんだかわからないけど、ティンクが喜んでくれて嬉しい。』
「わっ。ミカの声が聞こえるよ。ミカって本当にすごいんだね! 喋れるようになっちゃうんだもん!」
ミカは首を傾げてティンクを見つめる。
『私は話せるようになったわけじゃないみたい。だってほら。』
「があうぉうぉーう(私はミカ)。」
『私が声を出すと言葉にならないよ。』
ミカは申し訳なさそうに少し鼻先でティンクの頭に触れる。
「そっかー。でも僕にはミカの話してる声が聞こえるよ。とっても綺麗な声をしているんだね。もっといっぱいミカとお話したいなー。」
『私もティンクといっぱいお話したい。』
「、、それでね、ぼよんぼよーんって、落ちてきたんだよ。ほんともう、大変だったんだからー。」
ティンクは何故天上から落とされてきたのかミカに説明した。
『そう、よくわからないけど、大変だったのね。』
ミカは慈しむようにティンクの頭を鼻先で突っつく。
「ねえミカ。僕、どうしたら帰れるのかなー。羽も無くなっちゃったから、飛んで帰れないんだよねー。」
『そうね、とりあえず、その剣を湖の乙女に届けるといいんじゃないかしら。』
「そうだった! でももう夜になっちゃったから、湖の乙女がどこにいるか探せないよ。」
『この近くの湖なら私が知ってるわ。私なら月明かりでも歩けるから、ティンクは私の背中に乗るといいわ。連れて行ってあげる。』
「ありがとうミカ! ふあああぁ、ミカの背中って暖かくって、また眠くなってきたみたい、、。」
月明かりに歩くミカの背中で寝息を立て、ティンクは安心して夢を見た。
悪戯をするティンクを追いかけてくるラルク、禁断の甘い果実でジュースを作って飲もうとすると、ラルクと取り合いになって太陽神ルーの頭に零してしまったり。
くすくすくす
ミカの背中でティンクは寝ながら笑っていた。
湖に辿着くと、ミカは咥えていた剣を足元に置き、ティンクを起こす。
「んんー。なあに? もう朝?」
『違うわ、湖に着いたのよ。』
ティンクが眠い目を擦って開けると、月明かりがキラキラと湖面を漂い、星空の真ん中には満月が登っていた。
「うわーーあ。すごく綺麗な湖。」
微風に波が立ち、ミカの足元の地面に軽く飛沫が飛ぶ。
ティンクがぴょんっとミカの背中から飛び降り、湖面を覗き込むと、湖に手を入れた。
そこから広がるように、湖の水が浄化され、湖面の底が透き通るまでに澄んだ水を、ティンクは両手で掬って飲んだ。
「おいしーい。ミカも飲んで。すごく美味しいよ。」
ミカもティンクに続いて一口飲むと、その美味しさに驚いて、ゴクゴクと喉を潤した。
そうしていると、少し先の湖面の底から、月明かりとは違う閃光が立ち、中から湖の乙女が現れた。
「うひゃあ、びっくりした。いきなり現れないでよもう。」
ティンクは驚いておしりを地面に落とす。
「我が名は、ビビアン。月の女神ダイアナの末裔ぞ。其方が湖の水を浄化したのか?」
水面に浮いた爪先からポタリポタリと雫が落ちる、その足元までスラリと伸びた月光のような金髪。
優しくティンクを見下ろす碧眼。
「うーん、そうみたい? 美味しい水をありがとう。ごちそうさま。」
「そ、そうか。妾からも礼を言う。何か褒美が欲しければ申してみよ。」
「そうだ! 僕ね、この剣を持って行けって言われたの。」
ティンクが足元の剣を拾ってビビアンに見せると、ビビアンは目を見開いた後、嫌そうにティンクを見た。
「それは、まさか、名剣カリバーンではないのか、、。」
「知ってるの? よかったー。はい、受け取ってください。」
「(引)、、っ。」
ビビアンは引き攣った顔でたじろぎ、視線を泳がせた。
「申し訳ないが、その、妾は用事が、、」
と逃げようとするビビアンの様子に、ティンクは思わず言った。
「褒美をくれると言いましたよね?」
「(ギクッ)、、妾は、、」
「世界の理。」
「(ギクッ)。」
「相応の対価。」
「(ギクッ)、、くっ。」
ティンクの一言一言に身を爆つかせるビビアン。
ビビアンは、天を仰ぎ、ギリギリと歯を食いしばり、拳を固く握り震わせ、やがて諦めたように俯いて、
はあーっ
と溜息を深く吐くと、
「その剣を渡しなさい。」
とティンクを嫌々見据えて呟いた。
ティンクの両手から剣が浮き、それをビビアンは右手で掴むと、
ぶうんっぶうんっ
と二度ほど振り回して、湖に突き刺すように沈めると、湖面を切るように持ち上げ、高々と天に剣を掲げた。
掲げた剣は、湖の水を滴らせて輝き、月の光帯びてそれを炎のように纏、刀身は太く、鋭く、纏った炎が刀身を包むように姿を変え、鞘となった。
「聖剣エクスカリバー。英雄の魂が宿る剣と、魔法の鞘だ。剣は振るうごとに手に馴染み、鞘は持っているだけで持ち主を守る。」
「うわあー。すごい、強そうな剣になっちゃったー。」
『強そうなのではない。俺は強いのだ。』
ティンクはどこからともなく聞こえた声に、瞼を瞬いた。
『ここだ。わからないのか。剣だ。』
「ええええ。剣が喋ったの!?」
『正しくは、剣に宿った魂の俺、アーサー・ペンドラゴンが喋っているのだ。』
「うわあー。本当に剣が喋ってるんだー。」
『全く、クソガキめ。誰のせいでこうなったと思ってるのか、まるで理解してないな。』
「ううん、ごめんなさい。僕、わかってるよ、僕のせいだよね、、。」
ティンクが、しゅん、、となって縮こまると、ミカが優しく鼻先でティンクの頬に擦り寄る。
『なっ、、う、、反省してるならもういい。済んだことだ。』
天使のスキルは聖剣にも効くらしい。
「挨拶は済んだか。」
ビビアンは右手に持つ聖剣を振り翳し、湖の中央を指した。
夜空に月、湖面に反射した月、その湖面の月を指し、ビビアンは聖剣を投げた。
聖剣が湖面の月に刺さって沈むと、地響きと共に大岩に刺さった聖剣が現れる。
「これを引き抜けるのはアーサーの体を持って生まれた者だけだ。その者を連れて来て引き抜かせれば良い。」
『くおらあー! クソ女神! いきなり何しやがる!』
「女神ではない、湖の乙女だ。、、女神と見紛う容姿ではあると認めるが、、。」
頬を染めるビビアンがドヤ顔で、岩に刺さる聖剣を見る。
そうして振り返り、ティンクを見据え、
「よいか、童。聖剣は、魂の欠片だけでは力が足りず、英雄の記憶も手繰り寄せて封じてある。故に、あの中にいるのは、ブリニアを統治した後のアーサー王なのだ。困った事があれば彼を頼ると良いぞ。」
とティンクの頭を撫でる。
ふわふわと柔らかい子供の髪がビビアンの指を擽る。
可愛いのー、と思わずビビアンの口から溢れた。
湖の乙女にも天使のスキルは有効です。
「それともうひとつ、願いが叶ったならば、必ず聖剣と鞘を私に返しなさい。この鞘は、私の魔力を込めて作った私の分身のようなもの。必ず返すと約束してください。」
「必ず返すと約束します。」
ティンクがはっきり答えると、ビビアンは満足して頷き、湖の底へと帰って行こうとして、戻ってきた。
「これはおまけです。」
ビビアンがティンクの頭を撫でると、ティンクの布一枚の服が、可愛い黄緑色のポロシャツとジャケット、茶色いズボンになり、足には丈夫な靴を履いて、腰のちっちゃなポーチをビビアンが人差し指で突っつく。
「これは魔法の鞄です、両手に抱えるほどの荷物なら入りますよ。」
とウィンクし、湖の底へと帰って行く。
あーまじ可愛いわー。と呟きながら。
『まさか俺はこのままなのかよ!? まじか!』
「ごめんね、アーサーを探して連れて来るから、それまで待っててね!」
「行こうミカ。」とミカの背中に乗って、ティンクは湖を後にした。
『ひどい、、あいつらまじ、、ひどくね?』
彗星が夜空に流れ、微風も止み、静かになった湖面に、聖剣に封じられたアーサーの愚痴が飲み込まれた。