第二王子とお星様
マトモ王子のターン
エレナ・モンテスは星みたいな女の子だった。
静かに瞬いているから夜空のたくさんの星から見つけるのは難しい。だけどよく晴れた夜に見上げると、いつもの場所にいて、まるで僕だけが知っているようで嬉しくなった。
お祖父様である先王が逝去されたのは、僕が3歳の時。だから正直覚えてない。
現国王である父はその時まだ三十。若き王であることより周囲の重きがまだ先王にある状態だったから、人との関係が大変だったと聞いた。
ようやく落ち着いた頃に開かれたのは、兄上の婚約者候補選定。
陛下としてはやはり何があるかわからないと危惧されて、早めに第一王子の婚約者を決めたかったんだろう。妃教育も時間がかかるし。何より母上いえいえ妃殿下のような方が滅多にいるわけじゃないしね。
僕のためにわざわざ別開催する必要もない。
第一王子の候補に選ばれても正妃は一人、他の候補は僕の婚約者候補も兼ねていた。それを、兄上自身が、どう考えていたのか手にとるようにわかるけどあんまり考えないようにしてた。面倒臭いから。
エレナに初めて会ったのは10歳の時。
彼女の語学の教師が実家の都合で急遽城を辞したので、僕と同じ先生に習うことになった。本当は兄上も一緒のはずなんだけどね、四年も先に終わられているからって言われてるけど絶対終わってないでしょあの人。
彼女と一緒だったのはその十日間だけ。
静かにそおっと目立たないようにしている第二王子(そうしなくても兄上はいつも大騒ぎだから隠れるには都合がいいけど)と、母上監修の妃教育を受ける彼女の学習内容は似て非なるものだから。
幾人かいる妃候補の中で、彼女がとっても優秀だとは聞いていた。でもあの兄上のお嫁さんとか大変だあと思っていたら、僕はその十日間でぺっしょりヘコんだ。
エレナは辞書の内容丸暗記してるの?という程度には堪能だった。母国語じゃなくて神語と大陸語をね!
大陸語なんて普通男しか習わないんだよ。隣国との言葉はあまり変わらないから話すにはいいけど、国の外交とか大きな商会がやり取りする時の文書類は大陸語だ。結構な範囲で使う公用語みたいなもの。
つまり女性は母国から出ないでしょ?ていうか口出すな?という風潮が未だあるので貴族だろうと基本的に習わせない。昔は女性が大陸語を使用するのもそれを教えるのも罪だったそうだ、その王様バカじゃないの?
だから女性の一般教育の項目にはない。自身が官吏を目指しているとか外交に関わる家の令嬢でないと、習う機会がない。モンテス家もそうだったはずなんだけど。
ということは。彼女はここへ来ての僅かな学習でここまで習得したと。そうか。
ヘコむわ!これでも母国語以外を日常会話に盛り込まれて育ったんですけど!
いや神語は面倒臭いと思ってちょっと逃げてたけど…だって神官にならないと絶対使わないし使わない言語って忘れるんだよ…丸暗記ならともかく会話構築できるもんか…
十日間の終わりくらいに、神語での会話文どうやって作ってるのって聞いたんだ。先生が教えてくれるのとは違う、ちょっとコツみたいなのがあればと思って。
そうしたら、歩廊の角で振り返った彼女の髪が淡く光っているのに初めて気づいた。
話は聞いていたけど、今まで太陽の光が入る部屋でしか見たことなかったから忘れていた。へえ本当に光ってる、不思議だなって、思ったらエレナは抱えていた神書を胸にぺこりと頭を下げた。
「申し訳ございません」
どの話の流れでそうなった。
僕は、勉強のコツを訊ねたんだけど。
「何が?」
「殿下の目にふれました」
いやいやいや今まで机を並べてたよね?視界に入らないとでも?あれもしかして、逆に、彼女の視界に僕が入ったの初めて?
「すぐに下がりますので、発言の間だけお許しください。神語の会話文は、第二章三節から始まる主神と地上の対話にほとんどの構文が含まれています。そちらを引用する時に」
コツっていうか先生みたいな答えが返ってきたけど。
そこじゃない。だいたい察した。
あの、馬鹿王子。
こんな優秀な婚約者候補がいて何してるんだ。違う。女の子に対して「視界に入るな」とか言ってんの?信じられない。
しかも優秀な彼女に劣等感が、とかじゃないだろうなあ、単に見た目が好みじゃないだけだろうなあ、ああもう。
確かに他の令嬢たちのようにピカピカのツヤツヤに磨かれてないけど。自身の容姿に無頓着というか諦めているというか。
でも顔立ちけっこーかわいいよね。
いや、ううん?
……かわいいな?
先生が聞いても納得の内容を伝授してもらって、エレナとは別れた。彼女に新しい先生がやってきて僕との授業が一緒になることもなかった。
次に会ったのは13歳の時。
兄上がどこぞの未亡人と出掛けるのを半目で見送った後、噂を確かめに庭園に出た。
あの人はなあ、僕や後の正妃が補佐するってレベル超えてるんだよなあ、っていうか王家の種をなんだと思ってるんだ。成人してからひどいんですけど。
呆れながら空を見ながら王妃殿下の庭に行くと、噂通り彼女は一人、四阿から庭を眺めていた。
傷ついているような悲壮感はなく、ただぼんやりと花々を眺めていて、状況は噂通りだけど内情は違うかもと近寄った。
「兄上を待ってるの?」
「第二王子殿下。ご無沙汰しております、エレナ・モンテスにございます」
あ、いちおう憶えてくれてる。
「あの人出掛けたみたいだけど?」
「左様でございますか。ではお時間までここにおりますね」
うん、淡白だね。
兄上が彼女を気味が悪いと言って遠ざけているのも、その兄上が成人しても態度が改まらないのに大きな失策がないのは彼女のおかげとも、いろいろな話はあるけれど。
僕は彼女を知らないから。一緒にお茶を飲むことにした。
結果。……めっちゃいい子か!と僕が降参した。
王城内の人物関係も各領についても国外の情勢もきちんと勉強している。ここから出られず机上の話ではあるけどそれを考慮したら充分すぎるほどだ。
そして時には母上みずからが指導しているほどの淑女教育も、見惚れるほど素晴らしい。所作も、言葉も、僕の話を聞いて待って促すのも、13歳でこれなら完璧と言っていいんじゃないかな。
だけど名前で呼んでってお願いした時に、素の表情でキョトンとしたのは可愛かった。兄上!可愛いですよ!あの香水臭い未亡人より絶対可愛いですよ!
「すみません。…驚いてしまって」
「どうして?」
「殿下には、名を呼ぶことを禁じられておりますから」
あーあーだから僕のこと第二王子殿下だったんですね。そうですね。
「僕はあの人じゃないよ。だから名前で呼んでね、僕もエレナって呼ぶから。はい決定」
「え、……っと」
「なあに?エレナ?」
「名前、呼ばれたのが久しぶりで。嬉しいです。エステバン殿下」
あのバカ兄。どうしてくれよう。
それから僕は、本気でどうしてくれようか考えた。
考えて、ここはやはり事実上エレナの後ろ盾ともいえる母上だなと至った。あの人が僕に味方してくれるとは思えないけれど。
少しでも、妃殿下としての考えがわかればと話をしたら。
「エレナ・モンテス嬢は、王太子妃候補として教育しています」
直接話法だった。母上にしては珍しいというか、これは僕が見抜かれているというか。
第一王子がいよいよ危ういか。
「エレナ嬢が公の場でも兄上を補佐するのは、その意味でございましょうか?」
「不要だと、アレは申しているそうですが」
おそらく妃殿下は半ば諦めている。陛下が、自身の苦労を息子らにさせたくないって気持ちなんだろう。あの人は国政に対しては誠実だけど、変なところで情けが出るな。
妃殿下が彼女を兄上のところへやるのは、あっちが優勢というわけじゃない。陛下からの情けだ。
エレナがいらないって、それは王太子の座を捨てると同意なんだけど。
兄上がそうと気づく前に、手に入れないとね。
特別王位が欲しいわけじゃなかった。ただ、兄上のフォローをしながらやりくりしていくぐらいなら、面倒事は排除した方が楽だろうって思っただけだ。それなりに責任と自覚はあったし。
あれから兄上のために設定されるお茶会には僕が出向いた。妃殿下は知っていて口を出さない。給仕しているメイドも僕についている護衛も、そして王城のたいていの人間が知っている。
エレナは兄上の婚約者じゃない。
初めから、兄上と僕の、王子たちの婚約者選定だった。
邪魔な樹を剪定しようと思ったけど、根本から倒してしまう方がいいよね。
それとも勝手に根腐れしているかな?待っていれば倒れるかもしれないけど、彼女が兄上のところにいる限りあまり大きな失態は見込めないから。
それに表立って僕からエレナに関わると、兄上の機嫌が悪くなる。
いらないなら放っておいてよ!と思うけれど、きっと自分のものを僕にくれてやるのが嫌なんだろう。くっそ、元々あなたのものじゃないだろうに。
僕が16歳で成人を迎える年に、エレナも成人になる。
だけどその前にあの馬鹿がやらかしてくれた。エレナに不貞疑惑だって?王子の婚約者候補でありながら塔の術師と密会してた?あのエレナにそんなことできるわけないでしょう!っていうかするなら僕と会って欲しいね!
最初は陛下も妃殿下も気にしてないようだったけど、どうにも噂の回りが早かった。あの兄にそんな手腕が、と感心しかけたけど、よく聞けばご夫人ネットワークの怖さが浮き彫りになっただけだった。兄の種馬活動がここで役に立つとは。
妃教育をほとんど終えているエレナは、妃殿下に少し休みましょうと言われて事実上の謹慎。
王城で行われる、成人祝いの夜会に彼女は当然不参加。
つまりあのバカ兄は、どうしても、成人の夜会にエレナを連れて出たくなかったらしい。それだけか。それだけのために、彼女は、他の令嬢たちが簡単に享受できる楽しいことひとつできないのか。
僕だったら大事にするよ。そう思っても。
謹慎中の彼女を成人祝いの夜会に伴ったとして、その時に発生する諸々を天秤にかけて結局言い出さない僕はちっとも優しくない。
エレナは可愛い。小さい。すき。
とても優秀で。笑ったらもっと可愛い。
エレナが欲しくて王太子を目指しても、そのために彼女を優先できないんだからこの世界はおかしい。
それを飲み込んでる自分が一番おかしい。
ああ、もしかしたら僕は王様に向いてるのかもね。
夜会の日に、こっそり彼女の部屋に行ったら驚いていた。窓から入ったからね、それはごめん。
庭とも呼べない、日当たりの悪い彼女の部屋の前で、ただ星が綺麗だった。夜だから彼女の髪が淡く光っているのがわかって、ただ綺麗だった。
「ありがとうございます」
笑顔でエレナは言うけれど。それは彼女の処世術。
魔力で光る髪を、きれいだと嘲る人にも薄気味悪いと詰る人にもそう返せば会話が終わるから。
「ドレスは仕立てなかったの?母上が予算は組んでたはずだけど」
「私のために用意くださるなら、そのまま頂きとうございますと申し上げました」
「……で?ドレスは?」
「先日のドロエット大使と殿下の会談後に、その、……補填が必要でしたので」
あの馬鹿が破談にした賠償金がここから出てた!ほんとあの人勘弁して!!
いちおう皆さん目を瞑ってくれてますから、内緒です、ってお願いされたから言わないけど。けどさあ。もうさあ。
「エレナ。踊ろうか」
ぱちぱちと瞬いた目が、星の海に浮かぶ月みたいだ。
「私こんな格好で、それに音楽も」
「エレナはいつでも可愛いし、音楽は、拍子だけ取ると練習みたいだな。そうだ、エレナが唄ってよ」
「え?ええ?……では『砂糖の星』を」
「あはは。長い長い子守唄だね。そんなに僕と踊ってくれるの?」
「私、先生以外と踊るのは初めてです」
ほろりとこぼれる笑顔が眩しい。
疎まれている人の背中でも凛と背筋を伸ばしている姿も、ちょっとだけ気を抜いて笑う表情も、すき。
乙女が夢見る恋物語の主人公みたいに、真綿で包むような溺愛は、王様向きの僕にはできないけど。
それは君も同じだろうから。
大事にするよ。
まずは、まだやわらかい蕾のような君を日の当たる場所へ。
たっぷりお水をあげて土も良いものにしよう。慣れない内は眩しいだろうから、僕が日陰をつくってあげる。
そうしたらエレナはきっと綺麗に咲く。
兄上になんかやらない。
誰にも、あげない。
そう思ってたのに。
僕の花は、母上によってさっさと植え替えされてしまった。
よりによってイングレイス領に!遠いな!!
だけど僕は、そこでなりふりかまわず追いかけるような真似を、やっぱりしない。
だってこれで僕が出奔したら残るの、アレだよ?それはさすがに無責任だし。できなかったね。
まあ、泣いたけど。
……とはいえ到底納得できるものでもないので。
謹慎処分になった兄上を、小さな王領に送る前に去勢くらいはしておかないとね?それくらいはしていいよね?