離縁予定の奥様は、離縁予定ではありません(前)
王都の建国祭は、七日間続く大きな行事です。
周辺諸国から大使や時には王族の方も招いての外交の場でもありますので、私も会場の隅に控えたことがあります。年齢的に夜会には出席しませんでしたが。
ちなみにイングレイス領での建国祭は、各区で当日にお祭りを出すだけです。
それでもとっても賑やかだそうで、人の多い町では恒例の出し物があったり芸人さんを招いたりするそうです。辺境軍の皆さんはその警備で忙しいようですが、後日に砦でお酒がふるまわれます。これの発注書をまとめましたが、びっくりする数でした。
旦那様のお使いでアーロンさんに会いに行った時、建国祭は王都にいるという話になったら皆さんとてもがっかりされていました。
今までも旦那様は夜間警備でしたけど、やっぱり領主夫妻がいないのはよくないですね。目先の商談に夢中になって失念していました。
まだ、後二回は機会がありますので、来年は領内で何かできたらいいですね。
一日だけのイングレイス領でも大変なのに、七日間も続く王都の建国祭はもっと大変です。
王都にいる間、私たちがお世話になっているバニュエラス公爵閣下は軍の責任者とも呼べるお方で、王都内や王城の警備に大変忙しくされていました。
そしてなぜか旦那様は、日程の多くを閣下に連れ回されていました。
軍部のことは私が口を挟むべきでありませんから、詳しくはわからないのですけど。二日酔いで唸ってらした日以外は、セサルさんが紹介してくれた商会の会頭さんとお会いしたくらいでしょうか。半日、のんびりした日もありましたか。
旦那様も閣下も、「あんな事があったのだから王室関係の行事は出なくていい」と仰るので、つまり私はお留守番なのです。
だけど、ちっとも退屈しませんでした。
バニュエラス公は当時の王弟という立場から一代限りの公爵を賜った方です。誓約を違える事なく軍部に身を置いて国と王のために尽くされ、子孫に苦労をかけたくないと奥方も迎えておりません。
閣下曰く「あまり使わないが広さだけはある邸」には、これを維持するためにそれなりの数の使用人がいます。この、いつも公爵邸をピカピカに磨いているメイドさんたちが、私の滞在をとっても喜んでくれました。
ヴァレンティン家からも夜会用の身支度のため何人かメイドを連れてきています(もちろんリサもいますよ)。でも後は荷物の運搬だったり御者だったりの男手がいくつかあるだけです。旦那様は、基本的に軍人さんなので何でもお一人でされてしまいますからね。
リサたちと公爵邸のメイドがとても、とても楽しそうに私をピカピカにしてくれました。
ほんの三日くらいで、灰かぶりと言われた私の髪が艶々の銀髪みたいになりました。びっくりです。お肌ももちもちです。我ながらちょっと美味しそうです。
「これ!これなの!奥様の本来の髪はこうなの!!頑張ってるのに〜私の技術ではできなかった〜悔しいよぉ〜」
「うふふ、リサちゃん。これよこれ。今王都の貴婦人たちが自ら店舗に足を運んでも欲しいという、このオイル!」
「それは!ビヒル商会が独占している幻のオイル!というか女主人のいない公爵邸になぜ?!」
「辺境伯夫人がいらっしゃると聞いて、閣下にお願いしたのよ」
「これが…権力…!」
「というか素地が良すぎです。ちょっと日に焼けていらっしゃいますけど」
「そんなもの滞在中に帳消しにしてみせますわ!」
「メイドの憧れ奥様磨き!それがこんな可愛いから美しいまで網羅できる方なんて腕が鳴りますね!」
「お、奥様、このオイル旦那様に頼んだら買えますか?領地に帰ってもぜひこの状態を保ちたいです!わたしお姉様方からすべての技術を盗みますので!」
「辺境伯夫人。華やかな王都を好んで、夫と離れてお住まいの夫人も多くいらっしゃいますわ。いかがですか?いっそこちらに居を構えては」
「お姉様方が何か誘惑してくるぅ!魅力的ぃ!」
皆さんが楽しそうで何よりです。
そういえば私、王城の一室にいましたけど外に出たことはありませんね。モンテス領にいた時も邸から出たことはもちろんないですし。
王城とは、外朝や王族の私的生活の場だけでなくたくさんの施設建物を含んで言います。王族のお住まいを俗に城と言ったりします。
なので軍の訓練場だったり馬場だったりもあるので、室外には出ても王城から外に、という意味ではないですね。本当に。
イングレイス領に向かう時に初めて、外の景色を見ました。
ドレスや装飾品の流行りや話題の劇や本、それらの動向の先見は教育の一環として扱いましたが。
実際にドレスを仕立ててそれに合わせた装飾品も選んで、そうして身につけて夜会に出席するなんて想像もしていませんでした。
旦那様のおとなりで。
来年は、イングレイス領のお祭りに参加してみたいです。
建国祭が最終日を迎えて、エステバン第二王子殿下が立太子することが国民にも伝えられて、お疲れの旦那様を引きずるようにして帰られた閣下はもう少し滞在するようにと仰いました。
「せっかくここにいるのに、夫人とまともに話もできていない。身が空いたらゆっくりしよう。それまで、ライムンドとここにいれば良い」
「人を連れ回しておいてどの面さげて仰いますか……」
「ん?このような髭面だな」
悪かった、だから数日くらい仕事を忘れろ。と豪快に笑ってくれました。
この方があのオレンジの香りのオイルを買ってくださったんですね、不思議ですね。
旦那様もお疲れのようですし、「お言葉に甘えよう」と言うので私はもちろん「はい」と返事をしました。
イングレイス領にいても旦那様は忙しいです。
セサルさんの話だと以前よりずっと邸に帰って来ているそうですが、邸から遠く離れた区に行かれる時は数日がかりです。会えない日もあります。
「旦那様。明日は一日いらっしゃいますか?」
「ああ、朝寝坊して一緒に食事をしよう」
「ずっと一緒ですね。嬉しいです」
本当に嬉しかったんですが、旦那様はぎゅうっと眉間にシワを寄せて難しい顔をされてました。やっぱりお疲れのようですので、早くお休みいただきましょう。
眠る前にはリサが「何しましょう、どの服にしましょう、楽しみですね」と言ってくれました。
旦那様はきっとお疲れで、王都の瘴気もたくさん食べてしまうかもしれないから、眠くなってしまうかも。だからゆっくりお話したり微睡んだり。できるかなお隣にいていいかなと思ったら、嬉しくなりました。
だから、とっても楽しみですって。リサに言いました。
その翌日。
宣言通り朝寝坊をした旦那様と、お昼近くに食事をして、公爵邸のお庭がよく見えるサロンで。
お客様が到着されたと聞きました。閣下は午後を過ぎてからお戻りだそうですが、公爵邸執事の言葉では元からの予定みたいですね。
「ーーーー来ちゃった」
軽やかな声と一緒にサロンにいらしたのは、なんと、エステバン殿下でした。
「どうぞお帰りください」
「ひどいな!バニュエラス公には許可取ってるし先触れも出したしこの為に昨日から机にかじりついて仕事終わらせてきたんだからさ!」
「……アレと違ってひどくマトモでいらっしゃいますね」
「どうもお褒め頂きまして」
旦那様が冷ややかに一蹴した時は私の背中がひやっとしましたが、もちろん追い返すわけにはいきません。先日もわずかにお声がけいただきましたが、挨拶すらまともにしていませんからね。
「エステバン王子殿下。イングレイス辺境伯夫人が、夫と共にご挨拶いたします」
「……ライムンド・ヴァレンティンにございます。殿下」
やっぱり冷ややかな、いつもより低い声の旦那様にきゃーっと悲鳴をあげたくなりました。ど、どうして旦那様はとっても不機嫌なんでしょう。
機微というよりあからさまですが、それでお怒りになるエステバン殿下ではありません。むしろちょっと楽しそうな表情でした。
「牽制がいたーい。大事にされてるみたいで安心した。これでも心配してたんだよエレナ…あっ痛いっ視線で殺される間違えたイングレイス辺境伯夫人。ええと、ささやかですがあなたに」
どうぞ、と。さし出された小さな花束。
ピンクと白の、細い花びらが重なるように広がった小さくて可愛い花が、殿下の片手におさまるくらいの本数で。
私の前にあるのですが。
「……私に?」
「女性に会いに来るのに手ぶらはないでしょ。でも邪魔になってもいけないから小さ」
「え、わ、わあ!嬉しい、嬉しいです!お花なんて初めてもらいました!」
両手で持ったら本当にいただいたんだと実感して、顔が緩んでしまいました。とっても可愛いです!ありがとうございます。嬉しいです…!
舞い上がってしまった私は、花束をくださったエステバン殿下が笑顔で固まったのも、旦那様が無表情で固まったのも気づきませんでした。
「初めて。うんそう、初めて。えー……前言撤回。イングレイス辺境伯、ちょっと詳しく聞こうか?」
エステバン殿下は第二王子。私と同い年で17歳になられます。
蜂蜜のような濃いめの金髪に翡翠色の瞳、お兄様と一緒で王妃殿下ゆずりの大変整ったご容貌です。まさに物語の王子様みたいな方です。
公の場では穏やかな笑みで一歩控えている印象で、お兄様がその、ああでしたので、その振る舞いに対しての声や噂が大きく第二王子は目立たない方。と言われていました。
でも非常に努力家で、そして優秀で、大きく立ち上げた政策はまだありませんがそれも各部署にそうっと持ちかけてご自分の発案だと露見しないように根回ししているだけで。
公式記録には残っていませんが、きっと陛下や妃殿下はそのことをご存知だったと思います。
どうしてそうするのか、尋ねたことがあります。
するとエステバン殿下は「効率だ」と仰いました。上から思いっきり叩いてへこませるより、根本を刈った方が大木だって容易く倒れるだろうと。
大木が何を指すのか言及しませんでしたが、彼が立太子するのは、何も今回の騒動をきっかけに殿下が廃嫡されて継承権が回ってきたから、という訳ではないはずです。
普段の印象は穏やかで控えめな方。私もそう思っていましたが。
その印象がくつがえされたのは、私が現れない方をお待ちしてぼーっと庭園にいた時です。
王妃殿下のご指示で殿下とのお茶会が設けられるのですが、私は避けられるどころか嫌われておりましたので、この時間は考え事にあてていました。
そこにエステバン殿下がひょいと顔を出されました。
『兄上を待ってるの?出掛けたみたいだけど?』
『左様でございますか。ではお時間までここにおりますね』
『母上、時間まで決めてるのかー無駄なのになー。わかった、じゃあ僕にもお茶をくれるかな』
設定された時間いっぱい、エステバン殿下はお話をしてくださいました。
その時に「名前で呼んで」って言われたことに、びっくりしたらびっくりされて、殿下には名を呼ぶことを禁じられていると告げたら「僕もエレナって呼ぶね。はい決定」と押し切られました。
私と話してくださるエステバン殿下は、公の場よりずっと軽快で。
面白おかしく話してくれる中に、ちょっとずつ、各部署に回した政策の話や市井の噂から回ってきた他国の話が混じっていて。私はこの方以上に学ばなければ、殿下を助けることもできないと気を引き締めたものです。
そんなこと、全然無理でしたけど。
私なんかがまったく敵うはずありませんでした。
申し訳ないですが、私は殿下に思い入れはなく、ただただ彼の為になる事が私の理由でしたので。今回、エステバン殿下が立太子されると聞いて「よかった」と思ったのが正直なところです。
「んー……雛鳥?」
エステバン殿下はそう仰いました。どういう意味でしょう。
お話を聞き出すのが上手な方だと思っていましたが、彼が旦那様や私から聞いたのは、領地の様子や魔物の発生状況、昨年の収穫高などまるで領主が報告する内容ばかり。
それでどうして雛鳥?
「夜会でも綺麗になったねって思ったけど、夫人は公爵邸でますます磨かれたね?」
「エレナは元々かわい」
「そうなんです!メイドたちががんばってくれました!すごいですよね、私の髪じゃないみたい」
日中のサロン内なので、いつもぼんやり光っている私の髪もそんなに目立ちません。
ピカピカにしてもらってからは、それがまるで髪の艶やかさのように見えて気にならないくらいです。
気づいてくれたのが嬉しくて、思わずはしゃいでしまいましたがエステバン殿下は笑顔のまま「ううん」と唸っていました。
「辺境伯も夫人を使い倒そうってわけじゃなさそうだし、エレナがこれだからなあ……どっちもどっちだね」
殿下が何を納得したのか正しくはわかりませんけど、旦那様はそんなことしませんよ。私がお手伝いしたくてしてるんです。
旦那様のお役に立ちたいです。でないと、私には理由が何もなくなってしまいます。
エステバン殿下はカップを持って少し飲まれてから、それをソーサーに戻さず自身の手の上に乗せました。旦那様は、どうしてかずっと難しい顔をしています。
「エステバン殿下。本日はどのようなご用件で」
「最後にちゃんと見送れなかったから会いたかったのと、エレナが綺麗になった理由を知りたくて」
「私にですか?」
「僕にとって辺境伯は親類になるけど、会った事もなかったし。母上が大丈夫って言っても、あの人の大丈夫ってどの観点で言ってるかでだいぶ変わるからさ」
殿下は先ほども心配していた、と仰いました。
特に親しい間柄ではありませんでしたが、それでも先生たちを除けば王城内で一番たくさんお話した方かもしれません。
気にかけてくださったのが、嬉しくて。ほわっと温かくなりました。
でも、これだけはちゃんとお伝えしないといけません。
「旦那様はとても優しいです。イングレイス領の皆さんも、ヴァレンティン家で働く人たちも、私に親切にしてくれます」
「いや嘘とか無理とか疑ってないよ。ただエレナはさ、基準があの兄上だったでしょう。初めて見たものを親と思う雛鳥の状態なわけじゃない?」
確かに私の状況は間違ってません、なるほど言い得て妙です。でも、皆さんが優しいのは本当です。
「旦那様は、突然送られてきた私を邸に置いてくださいました。すぐに離縁して追い出しても良かったのに、婚姻無効まで好きにしていいと言ってくださったんです」
そうです。あの時の旦那様は眠くて面倒臭かったんだと思いますが、起きて待っていてくださっただけ、がんばってくれていたんです。
放り出したりせずに、三年待てと。
……早いですね。もう後二年もないですね。
ちょっとしんみりしてしまいましたが、エステバン殿下が、手に持っていたカップを音を立ててソーサーに戻した音ではっとしました。珍しいです。そんな無作法をされる方ではありませんから。
見ると、それまで表面上は穏やかに笑顔を浮かべていた殿下が、なんというか……怒っていらっしゃいます、か?
「ーーーはあ?」
殿下のそんなお声は初めて聞きました。
普段は穏やかで静かで、私と話す時は先ほどまでのように軽快で砕けた感じで。だからこれは、ちょっと怖いです。
「婚姻無効って、なに、辺境伯は白い結婚の証明でもするつもりだった?」
「……そのつもりだと、口にしたのは、…確かだ」
「今は違うって?そうだろうねあれだけ人を殺しそうな目をしておいて。でもエレナがそう言うってことは、継続中なんだ?ああそう?ほんと、ーーー来てよかった」
言って、殿下は前髪をくしゃくしゃにするような乱暴な仕草をして、立ち上がりました。
どうしてか、先ほどの声に驚いたからか、びくっと肩をすくめた私の前でエステバン殿下はちょっと困ったような笑顔を浮かべました。
彼と私たちの間にあったテーブルには、先ほどいただいた花束を活けてもらってました。
可愛い、初めてもらった花、ピンクのそれを一本抜いてエステバン殿下は改めて私にさし出しました。
「ね、エレナ。君が兄上の婚約者候補だったのはいつ?」
「いつ…?あの、一年前に旦那様に嫁ぐ前までですか…?」
「あのね、そんな事実はないの。あの人は聞いてなかっただろうし、逆にあんまりひどいから母上もエレナに補佐させてたけど。君は、最初から『王太子妃候補』だったよ」
正面から、ぱきりと腰を曲げた姿勢でのぞき込んでくるエステバン殿下の、きれいな翡翠の瞳に自分の姿が見えたような気がします。
それくらいにじっと見つめてしまいました。
すぐおとなりに旦那様がいて、できれば、いつものように手をつないでいたかったです。
でもきっと今はできません。
「そして僕は、来月正式に立太子の儀が決まった。エレナ。僕の妃になってくれるね?」