離縁予定の奥様が、夜行性旦那様に嫁いだ理由(前)
馬鹿王子のターンです
お嫌な方は飛ばしても支障ないです
エレナ・モンテスは亡霊のような女だった。
美しくもなく、ぼんやりとした顔でぼんやりと部屋の隅に控えている。そういうつまらない女だった。
なのに珍しい魔力を持っているとかで、この俺の婚約者を選ぶ茶会に参加していた。
茶会は俺が12歳の時。
同年代の令嬢たちは可愛らしく着飾って、少しでも印象を残そうと愛らしい笑顔で話しかけてきた。
多少面倒ではあったが、まあ求められるという優越はあったし、この国の第一王子として相応しい妃を迎えなければならない事は理解していた。
つまり、俺と並んでも許されるような美しい妃だ。
だがエレナ・モンテスは、珍しいと言っても老婆のような髪が薄らぼんやり発光しているだけで、それが何か役立つわけでもない。本人の魔力量も大したことないどころか、一般的な貴族のそれよりだいぶ劣る。
だからそんな女がどうして婚約者候補になったのか、まったく理解できなかった。
侯爵家の三女らしいが、一緒に参加していた姉とは比べものにならない。姉の方は華やかだった。
幼くも美しい令嬢たちの中で悪目立ちしていたせいか、印象には残っていたが。
だが本当に候補に残るとなれば別だ。
俺が良しと思った幾人かは、改めて諸々が調査された。その上で城に呼び立て茶会と称して礼儀作法を確認し、王城を案内する名目で官吏たちが学習度合いを計る。
やっていることはわかる。だが基準がどうなっているのかまったくわからない。
どうしてあの女が、エレナが一番優秀だとか言われるんだ。
8歳かそこらだ。あれよりも俺に年の近い令嬢も候補に入れた。彼女たちより優秀であるはずがない。
この世に迷い出た亡霊のようにぼんやりした、そして実際に光る髪をしている薄気味悪い女など冗談じゃない。前例のない魔力らしいが、それが何かあるのかと思って確認してみても特にないと言われる。王城で抱える術師が「何の力もないただ光っているだけ」だと判断したにも関わらず。
それでも候補に残るのは、本当に優秀だからとでも言うのか。
魔力調査のためにエレナは王城の一室に住まわせていたから、他の者より勉強の機会が多かっただけだろう。俺もそうだが、普通は人との付き合いが生じてそこまで勉強に時間など取れない。あれは調査のための官吏としか話す機会がないからだ。
「エレナ嬢には、正式に教師をつけます」
俺は思わず「は?」と返してしまい、母上に、いや王妃殿下に扇の向こうから睨まれた。
「何か不満でも?などと問いませぬよ。決定事項です」
「しかし、他にも候補はいます。今の時点で俺の、私の婚約者を決めるのは勢力の均衡を崩しかねません」
「ほほ。お前の口から勢力などと。誰もお前の婚約者を決めるなど申していません、ただ、優秀な令嬢に才を伸ばしてもらうだけです。王室の用意する人材からしっかりと学ぶようにと」
エレナの教育費を王室が負担する。つまり後に同等以上の貢献をせよという意味だ。
もはや決定したも同然ではないか。
父上がどこまでお許しになっているかわからない。婚約者とするには、王家に迎えるにはもちろん父上の決定が必要だが、「妃教育」に関しては母上の管轄だ。
「お前も精進なさい。エレナ嬢に負けないように」
あんな美しくもない女のどこに、俺が劣るというのか。
婚約者だと決められたわけではない。あくまで候補だ。だから母上が用意したアイツとの茶会には行かなかったし、俺が16歳で成人してからのパーティーにも連れて行った事はない。他の候補である令嬢を伴った。
だが王室が催す会には顔を出してくる。
いつ見ても薄気味悪い髪で、それで人前に出るなと黒いベールをかぶせておいた。
エレナ・モンテスは、美しくないばかりか可愛くもない。
「殿下。ドロエット大使がいらっしゃいます。どうぞご挨拶を」
友人との歓談中につまらないことを言って近づいてくるのは、エレナくらいだ。他の婚約者候補たちも会場にいるが、皆きちんとわきまえている。
だいたい我が国が招いてやっているのに、どうして俺から挨拶をしなければならないのか。
「どうも最近、夜になると女の亡霊が出るらしい。城に怪談話は尽きないな」
言うと友人たちは黒いベールを見ながら笑ってくれた。エレナが婚約者同然の扱いなのを皆が知っているが、あんな亡霊で可哀相にと同情してくれている。
黒いベールの位置が下がったので一礼して離れたのだとわかった。すぐに引き下がるなら初めから来なければいいのに、本当に面倒だ。
『ドロエット大使。私からお声掛けします無礼をお許しください』
『おや、ずいぶんと綺麗な発音だね。君は?』
『カルデイロ侯爵家の者にございますが、今はただ我が殿下から放たれた伝書鳩でございます。殿下が多忙ですので代わりにお伝えに参りました。先立って国境での大使がなされた尽力に感謝を』
『殿下の耳にも入ったか、お恥ずかしい。あれは我が国が取り逃した犯罪者たちだからね、かえって貴国に迷惑をかけた』
『いいえ。これは、市民に被害が出ないようにと第一に進めてくださった大使への感謝でございます』
『可愛らしいお嬢さん。それについての場を設けるようにと、殿下にお伝えできるかな?』
『私は伝書鳩ですので、そのようなお手紙をくくりつけて下されば、主の元へ戻りましょう』
『文書を所望か。殿下はしっかりなさっているな』
何を話しているのやら、しばらく後に見やっても黒いベールをかぶった女は大使といた。
普段が王城の奥でひきこもっているからな、伝手づくりに勤しんでいるようだ。浅ましい。妃教育で何を教えられているのだか。
勘違いされては困る。
教育に関しては母上の管轄だが、選ぶのは俺なのだ。
一度、夜の庭園に呼び出したことがある。
淑女であれば婚約者でもない男からの、そんな時間の呼び出しに応じるはずがない。
なのにアイツはのこのこやってきた。月明かりしかない夜に、浮かび上がるようなぼんやりと光った髪が、不気味というよりいっそ可笑しくなった。愉快じゃないか。髪が光ってるんだぞ、しかも、ただそれだけだ。
笑った。若くして夫を亡くした夫人も、「そんなに笑うものではない」と言いながらクスクスと笑っていた。
一通り笑われてもぼうっと突っ立っていたエレナは、俺と夫人が睦合い始めるとようやっと立ち去った。
アイツを選ぶ気など毛頭ないが、かといって他の候補を選ぶのもつまらない。しばらく過ごす内に可愛らしいと思っていた顔にも慣れてしまった。
候補者自体も見直していいかもしれない。今では妃教育をまともに受けているのはエレナだけになってしまった。
父は若く、俺が政務に関わるのなどずいぶん先の話だ。必要な事はそれまでに終わればいい、だから妃を決めるのもまだ先でいいだろう。
決めるのは先で良いが、その前にあれが成人してしまうと厄介だ。母上の圧力が日に日に増してくる。エレナが成人でもしたら、今度こそ正式に婚約をさせられそうだ。
断固、却下だ。
何より俺のとなりに相応しくない。
だがどうする。婚約者であれば逆に婚約破棄をすれば関係は切れるが、アイツはただ俺にまとわりついているだけで、立場は普通の侯爵令嬢だ。それにしてはアイツの親を王城では見ないな、姉の方は夜会で会うが。
まあいい。とにかく母上も認めるような落ち度が、アイツの方にあればいい。
第一王子の婚約者なんて噂がひっくり返るような。
ま、手っ取り早いのは不貞行為だろう。
以前にも夜の呼び出しに応じている、俺が呼べばどこであっても来るだろう。さて相手はどうするか。友人たちを犠牲にするのは忍びない、俺は友人を亡霊の贄にさし出すようなクズじゃないからな。
考えて、思い出したのは、王室付き術師の一人。
常に顔色が悪く今にも倒れそうな不健康そうな男で、まだ若いだろうにひどく老けて見えた。あれがどうして王室付きになれたんだと聞くと、奴は「瘴気喰い」だという。
表向きには「星詠み師」と呼ぶ。
彼らの魔力は瘴気を引き寄せて体内に取り込む、それはもう魔者だ。それが正しく人なのか正気なのかどうか、誰にわかるというのだろう。
魔者に穢された女が王子妃に、王妃に相応しいわけがない。
エレナを術師の塔に呼び、「瘴気喰い」の男は筆頭術師からの使いでそこへ行く。女として穢されようが文字通り喰われようがどちらでもかまわなかった。
ただ、現場を押さえるためによこした兵士の話だと、まともに抱き合っていたようだから満更でもなかったんじゃないか?
噂を派手に大きくした上で「瘴気喰い」の男を解雇したら、いよいよ傷モノは王子妃にできないだろうと言われ出した。ようやくだ。エレナは16歳になっていた。
「星詠み師を解雇したのはお前でしょう?彼が今、王都で唯一の星詠みだと知っていて?」
「ご安心ください母上。俺も剣は扱えるのですよ、湧き出る魔物などすぐ退治してみせます」
「……わかりました、陛下にはわたくしが話しましょう。エレナにも」
さて、これでやっと亡霊に取り憑かれたような日々が終わる。
とても清々しい気分だ。
「エレナの輿入れ先がどこか、気になるかしら?」
「いいえ。本人の希望通りどこかの修道院に入って、神の花嫁になるのでは?」
「そう、希望していましたね。けれどエレナは、イングレイス辺境伯のところへやります」
知りたくもなかったが、母上は美しく笑ってそう教えてくれた。
それは父の采配なのか母の思惑なのか判断できなかったが、どちらにせよご無体な事だと思った。
辺境伯は人嫌いの変人と言われ、俺も実際に会ったことがない。辺境とはいえ広い領地を与えられながら、王家に対して何と不義理な奴だろうか。
辺境伯は星詠みの魔力持ちだ。きっと奴も正気ではないに違いない。
瘴気喰いの男と噂になって王城を追われた女が、同じような男のところへ嫁ぐ。
なんとも愉快な話で、最後にもう一度、笑ってやればよかった。
「殿下。今年の建国祭はいちだんと豪華ですね」
「女性たちも華やかだ。誰が殿下を射止めるのか、私たちの間でも話題ですよ」
「美しく咲く花々のどちらを手に取られますか?」
知った顔が笑いながら近づいてくる。まだ夜会の会場に移動してもいないのに、酔っている様子だ。
「さあ。花なら部屋に用意してくれ。俺は誰かに捧げるような花を持っていないからな」
婚約者の話が白紙に戻されてから美しい花には困っていない、むしろ花に寄ってくる蝶のように向こうから来る。いや蝶というより王子妃の座を狙う蜂か。
いささか激しい時もあるが、それも俺が求められているからだ。誰もが欲しがる存在だからだ。
それらを実感できるのは、非常に気分がいい。
憑かれていた亡霊が取り払われて俺はすっきりしていた。
「ああ、殿下。それと」
今年の建国祭には、イングレイス辺境伯がお越しですよと。
誰かが言った。
建国祭とは、つまりこの国を建てた我が王家を敬い祝う催しだ。国王陛下と王妃殿下、そして俺と弟の第二王子に挨拶を捧げるところから始まる。末の妹王女はまだ成人していないので夜会には不参加だ。
なので本来は建国祭の初日に顔を出すのが礼儀なのだが、イングレイス辺境伯は堂々と遅れて来てこの夜会から参加なのだという。
「イングレイス辺境伯、ライムンド・ヴァレンティンがご挨拶申し上げます」
陛下に向かって頭を下げる黒髪の男を、これが、と物珍しい気持ちで眺めた。
俺には及ばないが、なかなかの美丈夫だ。年は三十前後か。脂ぎった他の当主たちに比べるとずいぶんと若く、いちおうは術師らしいが辺境軍を束ねる男という雰囲気とそれに見合った体躯は目を引く。
だが瘴気喰いの魔力持ち。どこまでまともか、わかったものではない。
「久しいな。卿が跡目を継いで一度、二度ばかり顔を見せた以来だ」
「若輩者ゆえ務めを果たすことで手一杯でありましたが、ようやく、落ち着くことができましたので」
「ああ、……そうだな。ぜひ、卿から紹介してくれ」
「御意に」
二段高く誂えた席につく父に向かって話していた辺境伯の、立派な体躯でドレスの裾しか見えていなかった。
彼は自分より半歩前にその手を促した。彼女は凛と美しい礼をした。
銀とも金とも見える文字通り輝く髪を真珠で絡めてまとめて、片側の胸の前に垂らしている。深みの葡萄色のドレスだが薄い生地を重ねているのかとても軽やかな印象で、それが胸元から裾へ向かって生地の染めと刺繍で淡色になっていく。
小さく華奢な肢体を包むドレスは、静かな立礼にもふわりと広がった。
それは春に生まれた可憐な妖精のように美しい。
「ーーー私の妻、エレナにございます」
エレナ・モンテスは亡霊のような女だった。
それがこれほど美しいなど、そんなわけがあるか。