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奥様と旦那様の家族

相変わらず山も谷もない ほんにゃりした話






 春の建国祭は、その名の通りこの国の成り立ちをお祝いする行事です。

 王都では七日間に及ぶ盛大なお祭りで、ここイングレイス領では当日のみ市が立ちますがやはり祝日前から賑やかな雰囲気になってきます。

 昨年は商談があって王都に出向きました。なのでイングレイスで迎える建国祭は初めてです。


 辺境軍の一番の仕事は領内の治安維持。なにも魔物の脅威と戦うだけが任務ではなく、人の出入りがあり気分が高揚して起こる騒動など祭の時期は警備に忙しくされます。

 ですので邪魔しない程度に。ちょっと。遠出はできなくてもヴァレンティンの邸があるトッロ区の様子だけでも。

 見たいです、とお願いしたら全力で却下されました。旦那様に。

「許可できない」

「紙の上で処理するだけでなく、体験できるのがイングレイスの素晴らしいところだと」

「駄目なものは駄目だ」

 む、と唇を結ぶと旦那様は眉間にシワを寄せた表情をされましたが、許可は頂けませんでした。


「エレナに、お腹の子に何かあったらどうする」


 旦那様の心配はごもっともで、私も楽観視しているわけではありません。ただ、置物のようにじっと動かないのも体に悪いと聞きますし。

「君を閉じ込めたいわけじゃない。ただ、王都の城下町とは比べものにならない騒々しさなんだ。普段なら構わない、だから祭の期間は諦めてくれ」

 むう、と唇をとがらせると旦那様は一瞬よろけましたが踏ん張ったご様子で、私のぼやぼや光る髪に口づけをひとつしてくれました。


 それが、大事にしてくださる気持ちが、嬉しくて幸せで。あなたのお父様は優しい人ですよとお腹に向かって今日も話しかけます。大変にありがたい話なのです。

 でも。


「過保護ねえぇ〜。まあ、あの領主様がそんなになってるのは面白いけど」

「元気なら楽しまないと。楽しいから元気になれるのにね?」

「というか奥方様この状態でお肌もちもちね。なに使ってるの? アタシたちでも買える?」

「アンタはそばかす隠すおしろいでも買いなよ」

「さあさ奥方様。特等席ですよ」


 皆さんとお祭楽しみたかったと呟いた私の言葉を拾い上げてくれて、じゃあ行きましょうと笑ってくれたのは美しい花たちでした。

 イングレイス領は広く、魔物討伐や治安対策などは分けた区画ごとに配置した辺境軍の砦を中心に行います。兵士が働きそこに家族と住み、人が行き交って町が賑わっていく。治安維持と統制のため、各区にひとつずつ設けられた娼館がイングレイスに咲く「花」です。

 これを経営しているのはヴァレンティン家で、花の館の管理は基本的に私がしています。

 各区の花たちに挨拶に伺った時は歓待してもらい恐縮してしまいました。どこも良い雰囲気で、個人の悩みや苦労はあるでしょうが店としての機能は滞りない様子でした。


 冬に子供がいることがわかってから遠くの区には足を運べていませんが、邸のあるトッロ区の館には何度か訪れていました。

 というか、美しい花たちの中にはマダムを始めとして子供を産んで育てた経験ある方もいるのでお話を聴かせてもらっていたのです。大変参考になっています。い、いろいろと。


 美しい花に彩られ、花の館もある街までやって来ました。

 丁寧にもマダムが邸まで迎えに来てくれましたので、こっそり抜け出したわけではないです。セサルさんも承知ですし、邸警護の当番である兵士さんも幾人か一緒に来てくれて、これはアーロンさんが調整してくれました。

 つまりその、旦那様にだけ、内緒なのです。


「秘密にするってドキドキしますね」

「一つも秘密のない女なんかいやしませんよ。それより、奥方様がアタシらの提案に頷いてくれたほうが、ちょっと驚きましたね。何だかんだ領主様の言葉が一番なのかと思いましたから」

「一番ですよ。私はライムンド様のものですから。ただ私、あまりいい子でないんです。ワガママで」

「あっはは、ワガママでない女なんかいやしませんよ」

 トッロのマダムは私と同じ背もたれ付きのベンチに並んで腰掛け、楽しそうに笑ってくれました。リサも来れたらもっと楽しかったと思いますが、今日は家族と約束があるそうです。


 街の広場には露店も出ていて、昨年からお付き合いしています商会の方もいました。じっくりとは見れませんでしたが、他の店も他領からの品が置かれている様子で安心しました。

「やだあ、奥方様ってば見るトコロが違うわ。これ可愛い! これ好き! で良くありません?」

「それがお仕事なんだからしょーがないでしょ。アンタなんで付いてきたの」

「マダムが奢ってくれるって言うから」

「はあー奥方様を身を呈してかばうみたいな誉れがあったら手当てやるよ」

 そんな事態いりません。絶対しないでください。というか買い物でしたら私が出しますよ、と言ったら背もたれに肘をかけて脚を組む、崩した姿勢でありながらどこか品のある雰囲気のマダムが自身の唇に人差し指をあてました。

「そこは恩を売られてくださいな。あとでワガママ言わせてもらいますから」

 わあ、……これは断れません。


 王城でパーティーで容姿の美しい方は見ました、王妃殿下なんて圧倒される美しさですし。華がある方も、自信にあふれ堂々とされる方も、威厳に満ちた方も、いらっしゃいましたが。

 魅了してある意味威嚇する貴族のそれとは違うんですね、懐に招き入れるというか、男性でなく私でもフラフラと吸い寄せられそうです。絶世の美女より花たちのがイイ、という兵士の言葉が理解できましたというか体験しちゃいました。


 花たちが連れてきてくれたのは街の広場。

 露店も出ていますが、中央から扇型に板を渡しただけの簡易ベンチを並べて即席の劇場になっています。イングレイスにも足を運んでくれる芸人一座や劇団が公演するそうです。今は準備中で、街の子供たちが可愛い歌を披露してくれたり、職人さんたちが鍋を叩いてリズムを取りながら鍬で戦ったりしていました。

 周囲の皆さんもそれを聴いたり聞き流したり、ベンチを休憩に使ったり囃し立てたりと、それぞれ賑やかに過ごされていました。ときおりびっくりするような大きな音や声は上がりますが、見渡すとどこかには兵士の姿はありますし危険はないように思います。


 いいお天気です。早い春に催される建国祭は土地によってはまだまだ寒いこともありますが、今日のイングレイス領はぽかぽかと暖かな陽射しに恵まれました。

 無意識にお腹をさすると、お若い花が「触っていーですか?」と不思議そうにしゃがんだのでどうぞと笑顔で答えました。


「ふしぎーすごいふしぎー。この中に赤ちゃんいるんですねー」

「奥方様は華奢だからお腹が目立つね。そろそろです?」

「お医者様には初夏の頃かと言われています」

「ひゃあ! 動いた?!」

「この子元気なんです。お祭楽しんでくれてるみたい」

「元気なのはいいけど、ぜひ奥方様に似て欲しいなあ。そうすると男の子?」

「お義母様が旦那様と同じ黒髪の凛々しい方でしたから、旦那様に似た女の子なんて素敵でしょうね」

「ううん……まあ領主様に似ても美形なんでしょうけど……キミ、がんばって! お母様大好きでしょ! お母様に似るんだよ!」


 あら、今からでも頑張れるなら旦那様みたいに素敵になってねってお願いしないといけません。マダムに見守られながらそんなことを話していると、先ほど可愛らしい歌を披露してくれた子たちがやっぱり不思議そうな顔でこちらを見ていました。

 王城で小さい子はほとんど見ませんでしたから、こちらに来てから初めて出会ったのですが。子供というのはこんなに可愛らしかったでしょうか。にこ、と笑うとあちらもにこぉと笑ってくれました。

「触ってみますか?」

「いいの?」

「おくさまのあかちゃんさわる」

「おとこのこ? おんなのこ?」

「それはまだわからないけれど。きっとあなたたちのように、可愛い子ですね」

 子供たちがお腹を撫でてくれる間、彼らの頭を撫でていたら甘い匂いがしました。今日はたくさんの花が街中にありますがそれとは違う、ミルクのような匂い。

 匂いまで可愛いなんて、それこそ不思議。


 美しい花と可愛い子供たちに囲まれていると、舞台のほうで声が上がりました。芸人たちがやって来たのかなと顔を上げると、思いがけない人物がこちらに、あからさまにこちらに両手を振ってくれました。

「トッロ砦第五部隊所属ホセです! エレナ様ぁ! 見ててくださいねー!」

 ええと。ホセはここで何を。

 首を傾げると一瞬よろめいていましたがすぐに気を取り直したようで、脇に置いていた大きな籠の中身を勢いよく広げました。

 わあ、という声がどこからともなく上がります。

 白い花弁が空に舞い上がり、広場全体を包みました。ただ手から放り投げただけでなくホセ得意の風の術式で高くまで遠くまで広げたので、まるで青空からの雪みたいにひらひらと踊ります。

 なんて綺麗。


 白い花は今回の建国祭に合わせて昨年植えたものです。

 以前、エステバン王太子殿下から手紙をいただいた時に、イングレイスには花を扱う商会はないの? エレナに花を贈れないんだけど? と書かれていたことが発端でした。調べてみると確かに花を商売として扱う所はありませんでした。

 王侯貴族には花を贈りまた邸など花で飾る習慣があります。それらは贈答用として庭で育てたり、庭そのものを美しく整えたりするのですが、じっくり何代にも渡って育て品種改良していくことを今はあまりしません。

 人気の薔薇が、東の珍しい花が、そういう要望に応えるために株分けの仲介や他国から取り寄せるためのルートも必要で、少なくない商会で花や樹木を扱っています。

 それがイングレイスにないのは、必要がなかったから。他領の方をお迎えすることも贈ることもありませんでしたからね。


 荒野に面して瘴気が濃いこの場所では領内での自給自足が優先でしたので、食用でないものの栽培はされていませんでした。自領だとおそらく唯一の出荷先になるだろうヴァレンティンの邸にも不要だったわけですから。

 もしかして取引材料になるかしら? と探したらなんと邸の庭にありました。


 薔薇のように花弁が幾重にも重なる華やかな様子ですが、薔薇よりも丸い花びらがころんとまあるく咲く花です。王都でも見た品種ですがやはり薔薇が好まれるので馴染みがなく、あちらでは黄色や橙色のような明るい色だったそれが、邸の庭では白色が咲いていました。

 可愛いのでこれにしましょうと中心になる花を決めて、春の早い時期に咲く花を邸の庭だけでなく農地をお借りして育てることにしました。食用作物の収益になるはずだった分はヴァレンティンで補助しましたので、この一年は花卉(かき)づくりをお願いしたのです。


 そうして建国祭を花で飾ることにしました。

「エレナ様」

 青空に舞う白を見ていたら、いつの間にか舞台から下りてきていたホセがころんと丸い花を差し出してくれました。

「どうぞ。いろいろありましたが、この国があり、あなたがいることに感謝を」

 胡桃色の髪に花びらがたくさんついています。どうやらホセも協力してくれるようですし、お花をもらうのはやっぱり嬉しいので喜んで受け取りました。


 建国祭で愛する方に花を贈る。

 この花の需要が高まるようにそんな話を広めましたが、素敵な習慣として定着したら嬉しいです。実は希望だけでなくいろいろ協力してもらってるんですけどね。旦那様とエステバン殿下に。

 イングレイスでは旦那様が妻に花を贈る話を。王都ではそれを聞いたエステバン殿下が「あの辺境伯がですよ。こればかりは倣っていいでしょう」と王妃殿下に花を捧げます。噂と流行は上位からが早いですから。あとで王都の様子を聞くのが楽しみです、白い花の問い合わせがあるといいです。

 いつか当たり前になったらいいなと思います。


 それから楽しい一座の公演に笑い驚き、夕暮れ前にはマダムとホセに邸まで送ってもらいました。旦那様には内緒ですからね。

 内緒だったんですが。

 馬車から降りると迎えてくれたのはなんと旦那様でした。まあ、ええと、……どうしましょう。

 忙しい日に早いお帰りで、本当なら嬉しいはずなのに。秘密があるとなんて罪悪感でしょうか。ホセがくれた白い花と私の顔をちらりと見た旦那様は、んん、と喉の奥で唸っていました。

「エレナ」

「はい。申し訳ございま」

「寝室に来なさい」

 謝罪の言葉を途中でさえぎられたので、驚いて下げようとした頭を止めてしまいました。そろっと旦那様の顔をうかがうと怒っているようには見えず、苦いような困ったような表情をされていました。


 旦那様は私の手を取り、腰を支えてゆっくりと一緒に階段をのぼってくれました。お腹が目立ってきた頃にふうふう言いながら階段を上り下りしていた私を見て、抱き上げて運んでくださろうとしたのをメイド長に大声で止められたのはもう前の話です。じゃあどこに触れたらいいんだと不思議な踊りみたいに慌てる旦那様も可愛かったんですが。

 今では安心してお任せできます。いえ、違いますね、私はいつでも旦那様に頼りきり。

 なのに皆が協力してくれて安全だからと、旦那様の心配を蔑ろにする真似をしました。ワガママで済まされる話ではありませんし、秘密だとドキドキしていたのは大変に不謹慎でした。


 せめて、きちんと謝罪をと寝室の前で顔を上げると。

「楽しかったか?」

 複雑そうではありましたが、旦那様は笑っていました。


 開けてくださった寝室の扉が起こした風で、部屋の中の雪が舞いました。ホセが見せてくれたのが降る粉雪なら、静かに降り積もった雪原のような。

 床一面の白い花びら。

「わ」

 敷き詰められた白が、窓からさし込む夕焼け色にほんのり染まっていました。

「トッロのマダムが君を連れて行くと言うから、その間に用意した」

「……今日の外出をご存知だったんですか?」

「最後まで反対したんだが、むしろ反対してるのが私だけでな。だったら用意する時間にあてようと。まあその、……心配で胃に穴があくかと思ったが」

 建国祭では、変人辺境伯すら妻に花を贈るんだろう?

 と、ホセがしてくれたみたいに小さな風を起こしたようで、花弁がふわっと軽やかに踊りました。


 旦那様に内緒だと思っていたのは私だけで、むしろこの準備のために邸を追い出されたみたい。秘密にしていたのは旦那様のほうだったんですね。

「ありがとうございます。とっても綺麗です。それと、やっぱり、……ごめんなさい」

「妻に騙されるのは夫の甲斐性だそうだ。マダムいわく」

「心配してくださって、ありがとうございます。嬉しいです。元気にこの子を産んで、お礼しますね」

「君も心配だが、自分の胃も心配だ。無事に生まれるまで気が休まらない」


 建国祭には愛する方に花を贈る。

 いつかそれが当たり前になる頃には、どんな家族がここに暮らしているんでしょう。

 お腹を支えてくれる旦那様の手に、自分の手を重ねて、あなたも心配性になるのかしら? と問いかけるとぽこんと蹴られました。答えとしては、どっちでしょうか。





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