離縁予定の奥様は、夜行性旦那様のお役に立ちたい(後)
「どうして知らないと思うんだ……」
「興味がないかと思いまして」
「どうでもいい人間について来ようと思ったのか君は」
「違いますよ。私は、旦那様と仲良くなりたいんです」
そう言うと、旦那様はどうしてかむすっと唇を結んでました。
旦那様と私は、会話できるくらいの距離で馬を並べて歩いています。
最初は辺境軍の方々もいたのですが、いつしかそっと離れて、馬につけた灯りが見える程度の距離まで離れてます。本当にいつの間にか。
夜道は私のぼんやり発光する髪が目立ちます。邸を出る時には黒いベールをかぶっていたのですが、すぐに旦那様に取れと言われたので今は何もつけていません。
消えかけた蝋燭の明かりみたいな私。
旦那様は、それを「夜道に便利だな」と仰いました。初めて言われました。
便利ですって。えへへ。
旦那様のお役に立てたようです。
黒毛のロペと栗毛のルナは、道を照らすように先行する兵士の方を目印に、きりっと護衛の役割を果たしています。撫で回して褒めたいです。
「エレナ」
「ひゃい?!」
「どうしてそこまで驚くんだ」
「す、すみません。私あまり名前を呼んでもらったことがなくて、その、慣れなくて」
「……どうしてだ?」
どうしてと質問されました。どうしてでしょう。
私の名前。
旦那様の前に呼んでもらったのは誰で、いつのことでしょう。
うーん。
「必要なかったからだと思います」
たぶん。と、付け加えると旦那様はきゅっと眉を寄せていました。
私の髪は彼のお顔を照らすほど眩しいものではありません、でも夜目に慣れやすくする程度には明かりになっているようです。
「本当に今までどういう扱いを……」
ただ小声で話されるとよく聞こえません。
「旦那様?」
「では、どうして私の名前を呼ばない?」
お話があっちこっちに飛んでいる気がしますね。旦那様の方こそどうしたのでしょう。
早朝の挨拶をしつこくしていたら「おやすみ」と返してくださるようになってしばらく経ちますが、私のことを気にかけてくれたことはありません。
ですがこれは、ちょっと仲良しになれたということでしょうか。
「それは、旦那様にお名前を教えてもらっておりませんから」
そうなんです。私、旦那様に名乗ってもらっていません。
だからお呼びできませんと伝えると、きょとん、とあどけない表情をされました。いつも男前ですけど可愛らしいお顔もされるんですね。
「名乗って、ない?」
「はい」
「それは、……すまなかった」
「いいえ。旦那様にとっては押し付けられた亡霊みたいな妻ですから。そのおつもりなのかと思ってました」
離縁するつもりの厄介者です。当然だし「旦那様」と呼んでご挨拶を返してくださるので、お優しい方だなあと思ってました。
「はあああ? 半年あって何してんだあの人?!」
「それが領主様だよ……」
「だからって、エレナちゃんがどんだけ頑張ってると…!」
「くっ、これで手作りの差し入れがなくなったら領主様を恨む」
「ていうか奥様は今日もちっちゃ可愛い……」
後方の兵士さんたちが何やら騒いだようで、馬がたたらを踏む音がしました。大丈夫でしょうか。
旦那様は「はあ」と息を吐いてから、手綱を少し引いて方向を変えました。街道から外れますが。
「お前らはついて来なくていい。私はお前らの悪意まで喰うつもりはないからな」
ちょっと賑やかだった後方の方々からさらに「きゃー」とか「領主様やらしー」とか言葉が投げられたんですけど、い、いやらしいって何でしょう……
それに彼らには「お前らは」って言ってましたけどこの場合、私はついて行くべきでしょうか。
一緒に行っても、いいでしょうか。
「エレナ。おいで」
迷ったのは一瞬でした。
旦那様にそう言われてしまえば、私は嬉しくなって喜んでついていきました。
街道から外れて、浅い木立の中を旦那様の馬はゆっくり進みます。
どこへ向かうのかわからないので、今度は横に並ばずその後ろをついていきます。お利口なロペとルナは暗い中でも私たちを見失わずついて来てくれますが、時々名前を呼んで確認しながら。
イングレイス領に来てから、たくさんの方の名前をお呼びしている気がします。
名前を呼ぶと私がほっこり嬉しい気持ちになるから。私のためでした。
今もそう。名前を呼ばれて嬉しい気持ちになるのは、私の方ばかりです。
「妻がいらないのは本当だ。私はこういう体質だからな」
旦那様は静かにお話してくれました。
「王都で私が何と言われているか、だいたい知っている。間違いでもないしな」
「旦那様はお優しいです。日中に眠気がひどいのは、魔力酔いみたいなものですよね。ご自身の魔力が溜まりすぎて、身体維持のために睡眠という休息を求めるからではないでしょうか」
「詳しいな」
「色々調べられましたし、自分でも調べたんですよ。魔力について」
「そうか」
旦那様は静かに馬を止めました。
木立の中にぽっかり、まあるい広場が現れました。自然にできたものではなくて、人が伐採して作った場所なのだそうです。
「星詠みの場所ですか?」
「王都ではそんな綺麗な言い方をするのか。私の『食事処』だな」
馬から降りなくていい何かあったら逃げろと言われ、旦那様は一人で広場の真ん中あたりに立ちました。
王都では、旦那様のような魔力特性の方を星詠み師といいます。
天の運行から吉凶を占う占術とは違うものですが、彼らが星を詠むと大地が穏やかになると言われています。
瘴気を祓う聖女はあくまで伝説。でも元になるような話は存在する。
それが星詠み師。
彼らの魔力は瘴気を食べるのです。
言い換えれば瘴気に取り込まれても魔者にならない人。
物語の聖女さまは、綺麗な容姿で美しい光をまとい、キラキラと降り注ぐ星の光で結界をつくって瘴気から魔物から民を守ります。
その姿から、彼らは星詠み師と呼ばれるのかもしれません。
もしかしたら、そうやって綺麗に誤魔化しているのかもしれません。
旦那様は、何度か大きく息を吸って吐いて。私には夜の中でもさらに暗い何かを、靄のような綿のようなものを食べているように見えました。
黒い得体の知れない何か。瘴気と呼んで忌むもの。
それを体の中に収めて魔力で消化する。消化しきれないと、体が悲鳴を上げて寝ろ休めと訴えてくる。
手早いのは攻撃系の術式を放って発散することだそうですが、野生の魔物が都合よく発生するものでもないので旦那様はいつでも眠いらしいです。
それって常に消化できていないのでは?
セサルさんに尋ねてみましたが、その時は曖昧に「そうですね」と言われただけでした。
王族の住まう都や、荒野に面した辺境では星詠み師は大事な役目を負っています。人に動物に瘴気が取り憑いてしまう前に防ぐという、なくてはならない存在。
取り憑かれた魔物や、魔者は討伐対象になってしまいますから。元が何であっても、誰であっても。
けれどその反面、彼らは、彼ら自身が魔者ではないかと恐れられる存在でもあります。
私みたいな役立たずな魔力と違って、とっても大事なのにひどい話です。
何だか悔しい気持ちになってむくれていると、「どうしたんだ」と旦那様が近くにいらっしゃいました。怒ってたんです。
私は馬に跨ったままなので、背の高い旦那様を見下ろします。初めて見る角度です。
「眠くないですか?」
「まだ大丈夫だ」
「まだって、旦那様は魔力量が多いからたくさん食べれられるんですね。お腹いっぱいになる前に帰りましょうね」
「気味が悪いだろう?」
「いいえ。役立たずの亡霊の方が不気味ですから」
「そんなことはない、夜の君は初めて見たが」
とても綺麗だ。
何かいたのか、ロペが不意にわん! と大きな声で吠えたので私は心臓がどきりと跳ね上がりました。
そのままでも馬から落ちることはなかったと思います、でも、危ないからおいでと旦那様に言われて。
「はい。旦那様」
私がそうしたいと思って。
今なら怒られないかなと、思い切って、えいっと旦那様が伸ばした腕に飛び込みました。
とたん、じんわり温かくなったなと感じました。
風向きが変わったかな、南風がまとわりつくような、と思って。しがみついた腕を緩めて旦那様のお顔を見たら、出かける前のように目を丸くしてらっしゃいました。
お顔がはっきり見えます。明るいです。
私を草地に下ろした旦那様は、髪を一房すくって二人の間まで持ち上げました。光ってますね。いいえ、いつも光ってるんですけど。
ぼんやり消えそうな光でなくてこう、ピカピカっていうか。
彼の手が光を離すと、髪が胸に落ちます。私の髪、なんですよね。ううん、灰色というか光って金色ぽい? かも?
もうわからないのでちょっと思考を放棄していると、そんな私の前で旦那様は髪を離した手をぷらぷら振ってました。その後に首をコキコキ回して。なぜだかぴょんぴょん跳ねてらっしゃいました。
どうしたのでしょう。
「あの、旦那様」
「これはすごい! これほどスッキリしたのは随分久しぶりだ! 消化するどころか、私の余剰な魔力も持っていかれた!」
「まりょく? ですか。誰が」
「ちょっと確かめてみよう!」
なにを、と口にする前に。正面から旦那様に抱きしめられてしまいました。
私は小さいのです。旦那様は背が高いのです。すっぽりです。あと自分から飛び込むのといきなりされるのは覚悟が違います。
「ひゃああああああ?!」
奇怪な私の悲鳴を聞いた兵士さんたちに、領主様が捕縛されるという事件があったのは内緒なのです。
そうして翌朝。
早起きなセサルさんとメイド長に呼ばれたリサが私たちの前で固まりました。
そう「私たち」です。
「坊っちゃま…! 私めは坊っちゃまをそんな子に育てた覚えはございません嘆かわしい!」
「奥様を離してえええ!」
大変です。二人とも落ち着いてください。でないと私、恥ずかしくて泣きそうです。
「うるさい。エレナは書類上は私の妻だ。ごく普通の状態だこれは」
「なんと! あれだけ進言しても奥様にお礼の一つも言わなかった小僧っ子が、しかも書類上の関係だと理解していてその態度、なんとなんと!!」
「奥様が食べられちゃう…!!」
食べられません。食べられませんからリサ落ち着いて。
混乱がぐるぐる渦巻くこの状況がどういうものかというと。
まず、早朝とはいえ日が昇った時間に旦那様が起きていらっしゃいます。
そしてここは邸の応接間。寝室に連れ込まれそうだったのを断固拒否しましてここになりました。
そしてそして、ソファに腰掛けた旦那様に背中から抱きしめられている状態です。拘束とも言います。
両腕で、強くはありませんがお腹をがっちり抱えこまれています。
さらにはいつもより元気よく光っている私の髪に、時おり旦那様の顔が触れます。私もこれロペとルナによくします。頬ずりです。
なんで、抱っこされているのか。
どうして頬ずりされているのか。
旦那様いわく、くっついていると魔力が正しくすごい勢いで循環するらしくて、消化不良もなければ眠気もなくなるそうです。
代わりに私の髪がピカピカ光ります。朝でもわかるほどです。
恥ずかしい。いろんな意味で恥ずかしい……
決死の覚悟のリサに救出してもらい、私は朝から湯浴みという贅沢をいただきました。
夜に外出してましたから清潔にしてくれるのだとありがたく思っていたら、リサは泣きながら他の女性使用人さんたちと一緒に私をすみずみまで磨いてくれました。
なぜ?
「うわーん、こうなる日を願っていたのに悔しいなんか悔しい! 旦那様なんか奥様の可愛いところ全然知らないくせに! 奥様は外見も中身もいつでも可愛いけどなんか違う悔しいいい!」
な、なにを嘆いているのかわからなかったので、とりあえず「ごめんなさい?」と謝っておきました。
そのあとは朝食を旦那様ととることになりました。
この半年間で食事をご一緒するのは初めてです。しかも朝食です。
とはいえ正餐室に用意するほどじゃないと旦那様がいうので温室になりました。どうしてですかと聞いてみたら、「他の者からもよく見えるようにです」と答えてくれたのはセサルさんです。給仕さん以外にも見えるように、ですか。公開処刑ですか。
いつも美味しいヴァレンティン家の食事に味がありません。
ううもったいないです……
旦那様の私服も初めて見ました。
早朝にお帰りの時や、お出かけ前はお仕事モードなので軍服ですから。そうして当然のように隣りに腰掛けるのやめてくださいませんか……
離縁されるといっても仲良くできたらな、と思ってました。
星詠みの魔力も気にされることは何もないですよってせめてお伝えしたくて、お仕事に同行させてもらいました。
だからってこれは急展開すぎませんか。
「急じゃない。セサルに言われなくても、礼は言おうと思っていた」
隣りに並んだ旦那様の左手が、私の右手をつかんでいます。手の平を合わせて指の間に指が絡まる形。手だけなのに密着度がものすごいですこれ。
今は瘴気の消化がすっかり済んだのか、旦那様に触れても私の髪はそこまでピカピカ光りません。いつも通り薄らぼんやりしているだけなので、朝陽さす温室の中ではほとんどわかりません。
でも手は離してくださらないんですね。
なぜ?
「君が来てさほどしない内に、砦の中の書類が劇的に片付いてきた。セサルたちが持ってくるものも簡潔で、急ぎでないからと後回しにしていた案件も含んでいた。君が手をつけたいと許可を求めたのは覚えていたが、まさかここまでと思わなくてな。最初は信じられなかったんだ。けれどセサルもアーロンも砦の連中も君のことばかりで、だいぶ叱られていた」
ありがとう。
とても仕事がしやすくなったと。
旦那様は仰いました。私は照れ隠しに絡んでいた指をきゅっきゅと握ってみたら、もっと恥ずかしくなりました。
旦那様は十年前、突然の事故でお父様を亡くされて若くして辺境伯を継いだ方です。
星詠みの魔力を辺境軍で振るうことと、お父様の跡を継いで領地を治めることと、ご家族で話し合い領民にとって危険がないよう良きよう決めていくところを。全部がいきなり旦那様にのしかかってきたのです。
精神的負担や肉体的疲労が重なって、魔力の制御がうまくできない時期があったそうです。
瘴気を消化するどころか取り込むのもままならず、万が一にも旦那様自身が魔者になっては大変です。
なので、皆が基本的に眠っている夜間に活動することで瘴気の取り込み量を調節したところから始まり。
今ではすっかり昼夜逆転生活が日常になったとのこと。
「それにしても、私に消化作用があったとは知りませんでした」
「胃薬みたいな言い方だな。もっと驚いていい、これは本当に稀有な魔力だ」
私の髪がいつでもぼんやり光っているのは、常に魔力を発散している状態だそうです。だから私の中を調べても魔力なんてこれっぽっちしかなかったんですね。
それで、これ、自分の魔力だけでなく摂取した魔力も全部発散してしまうっぽいです。
瘴気混じりの魔力って放出して平気なのかと思いましたが、旦那様が言うには昨夜たくさん食べても私に触れるとピカピカ光るだけで瘴気は出てなかったそう。
そうなんです。昨夜は旦那様「お食事」する、私をぎゅっとする、のエンドレスだったんです……死ぬかと思いました……
体は元気なんですけどね。精神的に。
「浄化というより、君の性質は循環なんだろう。正しく血がめぐり身体が健やかになるような」
人間濾過器ですね、理解しました。
セサルさん含めて控えてます使用人さんたちも、うんうん頷いてますので間違いないと思います。
「私の『瘴気喰い』を嫌悪しないどころか消化までしてくれて、その上領地の仕事をこなして。君は停滞していた邸の、いやイングレイスの時間を循環させてくれたんだ」
「いいえ、そんな大層なことはしていません。これでもそれなりに妃教育を受けましたので、お役に立っているなら嬉しいです」
「ああ、……それに関しては噂を聞いている。あの馬鹿王子が。アレをそのまま王位につけるならイングレイスが王家を滅してやろう」
「うーん。殿下がああでしたので、私の勉強がああだったのは確かですけど。やめてください、旦那様が怪我したら悲しいです」
「するものか。……いやしかし、君の魔力循環が知れたらアイツら何を言ってくるかわからないな」
言ってきますでしょうか?
殿下は私のことは不気味だと仰って慣れた頃には笑ってらしたので、興味ないどころか相当お嫌いだと思いますよ?
婚姻できる年齢になってしまった私を辺境に追いやるくらいには。
でも私自身もこの特性は知らなかったですから。
もし、知っていたら、王城でいつもお疲れだった星詠み師さんを元気にできたのかもしれません。それだけは残念です。
よし、と掛け声をかけて旦那様は立ち上がりました。
ずっとくっついていた手の平が離れて、指が離れて、淋しい気持ちになりました。
旦那様は胸に手をあてて、ソファに腰掛けたままの私をのぞきこむようにちょっと腰を折りました。
「ご挨拶が遅れました。イングレイス領主、ライムンド・ヴァレンティンと申します。あなたと、朝陽を迎えられた幸福に感謝を捧げましょう」
わあ、格好いいです。照れますね。
今までは眠くてふらふらして壁にぶつかったり足をぶつけたりする旦那様しか知らなかったので。
これからたくさん知っていくのでしょう。
それはとっても嬉しいです。
立ち上がって、私も礼を返します。
「ありがとうございます。エレナでございます。ライムンド様、どうぞ、可愛がってくださいませ」
離縁まであと二年以上ありますから、それまでがんばりますね。
旦那様は私の言葉に赤くなったり青くなったり、セサルさんに「ほら大事なことが伝わってない!」と叱られたり、「良かったけど良くない奥様違います!」と私がリサに怒られたりしました。
どうしてでしょうね?