奥様は、旦那様のお役に立ちたい(4)
R15の残酷な表現ありチェックを入れました。
暴力を示す表現あります。ご注意ください。
「行方をくらませた後は良くて国外逃亡、悪くて王都での政変、最悪は国境でやらかして戦争というところだろう」
瞬くこともできず旦那様の言葉を聞いていました。
彼がすべてを企てたとは思えませんが、実際に王領から出奔したのならもう、どの結末になっても彼がすべての原因だと言われるであろう状況です。成功した時の責務も、失敗した時の罪も。
決して良い思い出のある方ではありません。でも、あの方の為にとずうっと過ごしてきたのは事実です。
重い結末を望んだことはないです。
「誰よりも君が、断ずる資格を持っていると思うがな」
「ありません。そしていりません。廃嫡されてもあの方が王族の血筋であることに変わりないです」
「だからこそ罪状に対する罰は重い」
唇をきつく結ぶと、旦那様は難しい顔ではなくちょっと困ったような表情で眉を下げました。
国土と軍備の縮小は、周知されていませんがすでに他国との決定はされているそうです。なので軍事責任者であるバニュエラス公が恒例行事の狩猟会に参加されるのは問題ありません。
閣下が王都を離れていること、しかも隊を引き連れてではなくわずかな人員だけでこちらにいらっしゃること、誰の進言かわかりませんが王女殿下も狩猟会に参加していること、旦那様方の見通しでは王都での争乱が濃厚というお話でした。
「そこは王太子殿下も承知しているから、騒ぎになっても市民に被害が出る状況にはさせないと思うが。こちらに呼ばれてしまった私には手出しできる問題じゃない。する気もないしな」
エストラダ公爵領での懸念は、バニュエラス公個人への危険です。少しの使用人と十名に満たない兵士と遠出するような機会はめったにありませんし、狩りならば誰が武器を持って閣下に近づいても不審ではないからです。
「もしかして、旦那様は閣下の護衛に呼ばれました?」
「そんなのは公の部下たちで充分だ。その意味が皆無ではないだろうが、主に国軍からまったく切り離された辺境軍の体制と情報が欲しかったそうだ」
先に知らせてくれれば君を連れてこなかったと言われて、自分の唇に手をあてて考えてしまいました。
招待をいただいた時、公からの私信がないなと思いました。お会いした時には私を呼びたかったと仰いました。
先に知らせると、参加するにしても旦那様は単身でこちらに来たと思います。
つまり私がこちらに来るようにしたかったと。
王女殿下のために?それだけ?
アーロンさんが、旦那様の傍ではなく私の護衛についてくれたのは。
「あの馬鹿が館からいないとわかったのは先ほどだ。やるだろうとは考えていたが、出奔が確実になるまで人をさけない、だから足取りはまだつかめていない。後手に回るしかないから小さな可能性をいくつか用意した、その一つだ」
王女殿下が私を呼んだという、情報。
……あの方は私なんか興味はなさそうです。囮になるでしょうか。
「あれは諸々を捨ておけるような器量ではなさそうだから、執着だろうと逆恨みだろうと忘れてはいないだろうな。私だって君の話でなければ手の一つとして考える。ただ、ここでノコノコと出てきたらいっそ感心するという程度だ」
アーリーシャ様を王都から離したのはおそらく危害を加えないため。あの方にとっても王太子殿下を廃したい一派にとっても。だから彼女の近くの方が安全だと旦那様は言いました。
「わかりました。非力ではありますが、王女殿下をしっかりお守りしますね」
「いや違う」
「荒事になったら私は邪魔でしょうから、おとなしくしてます。だから、お迎えに来てくださいな」
「それも、……いや。こちらの配置が済んだらすぐに行くから」
「はい。お待ちしております」
風を通すために開けていた窓をぱたんと閉めた感じがして。見ると、お菓子の入ったバスケットを持ったメイドがホセに話しかけているところでした。
私は自分の魔力も触れた魔力も全部逃してしまうので、術式を使うという感覚がわかりません。不思議ですね。内緒話が終わって旦那様を見上げたのは、いってきますの言葉をかけたかったのですが。
「エレナ」
夜に浮かぶ金色の目が近づいたな、と思ったら唇にふにっとやわらかい感触がありました。
…………いきなりは!びっくりします!
それを考えると、今まで本当にちゃんと言葉にしてくれていたのだと改めて思いましたが。だからこそ余計に驚いて目を閉じるのを忘れてしまい、黒い睫毛にふちどられた金眼がこちらを見つめているのをしっかり見てしまいました。
「旦那さ、んぅ」
呼びかけるための隙間を埋めるように、口いっぱいをふさがれてしまいます。ようやくぎゅっと閉じた瞼の裏からわかるくらい強い光は、私の髪が光っているからだと思うのに、そ、それどころではなくて。
息が乱れて苦しくなって、旦那様の服をすがるようにつかんだところでようやく離れた唇を目で追ってしまいました。やめればよかったです。
私の唇から移った紅に気づいたのか、親指でそれをぬぐう仕草が、もう、……赤面どころではないです腰が抜けそうです。
「だいぶ魔力を流してみたが、まったく混じらないな。エレナ。防護の術式ひとつもかけてやれなくてすまない、ホセのことは魔力道具か防壁だと思って近くに置いておくように。いいね」
「ア、辺境伯ハ僕ガイルコト忘レテナカッタンデスネ」
「わざとだからな」
「わざとですかーそうですかー」
「だからお前を連れてきてるんだ。ウチにだって他に術師はいるが、お前なら、何があってもエレナを優先するだろう?」
「あの馬鹿王子とは別方向の殺意がわきますねえ」
二人がぽんぽんと言葉を交わしていますがとりあえず、とりあえずですね。
お化粧を直したいと、バスケットを持ってきてくれたメイドに頼んだのですが、彼女の顔が私以上に真っ赤だったのがいたたまれなかったです……
気を取り直して別館に向かうと、殿下の侍女が一人とメイドが迎えてくれました。
お菓子のバスケットをメイドに渡すと彼女は準備をすると言って下がり、侍女の案内で二階の殿下の部屋に向かったのですが。
「……昼間はこうじゃなかったんだけどな」
ホセの苦々しい声に一度足を止めました。どうしたのかと問いかける前に大股で私より前に出て、「失礼します」の言葉と同時に侍女の肩を叩きました。
冬の毛糸にはじかれるような仕草で驚いた彼女は、瞬いてホセを見つめました。その先に。
階段をのぼった廊下の先に。
王女殿下がお泊まりの部屋近くには侍女が控えるだけで、他に過ごされている方はいません。だから廊下の灯りも減らしているのかなと思うくらいに、その先は暗くてよく見えませんでした。
夜に続く道のように暗い。黒いものが廊下の奥に溜まっているような。
あ、と私なんかが声に出すより前にホセが進み出て、彼が近づくと周囲は明るさを取り戻しました。
黒いもやのような、霧のような、それを旦那様が食べている姿を見たことがあります。
「ホセ!」
「うえ、気持ちわる……」
彼の背中に手を置いただけで、私の髪がぱっと強く光りました。取り戻した蝋燭の光なんかよりよっぽど目立つ明るさです、追い越して後ろにいる侍女が小さな悲鳴のような驚きをもらしていました。
瘴気が。どうして。
「昼間は悪意程度だったんですが、これはもう駄目ですね。エレナ様、予定変更です。王女殿下を連れてすぐここを出ましょう」
「わかりました」
ホセが言うには一緒の侍女は「無事」だそうなので、彼女に殿下を連れていってもらいましょう。礼儀を無視して私は殿下の部屋の扉を乱暴に叩きました。
「アーリーシャ様、エレナ・ヴァレンティンにございます。失礼ながら入室します」
「お姉様?」
室内で読書中だったらしいアーリーシャ様は、突然押し入った私にきょとんと無防備なお顔をされました。説明をするより先にホセに阻まれ、彼は無礼を承知で王女殿下の手首をつかみました。
「なっ、無礼者!離しなさ、いたっ」
「痛いですね?『正気』なようで何より」
ホセの確認ができたので、私も駆け寄って「申し訳ありません殿下」と謝罪しましたが説明は後です。万が一にも殿下が瘴気に取り込まれてはいけません。
瘴気は動物だけでなく、人にも取り憑きます。
魔者といわれる彼らは討伐対象です。誰であっても。
星詠みの魔力を持つホセがいてくれるのが不幸中の幸いです。せめてアーリーシャ様を無事にお連れしなければと、殿下の手を取ると名前を呼ばれました。
「エレナ様。殿下と一緒に本館に戻ってください。できれば辺境伯に来てもらいたいです」
「ホセは」
「これだけ取り憑いたのに、まだウヨウヨしてるっぽいんです。できるだけ『喰って』おきますが僕だけじゃ無理かなと」
言って、ホセはごめんなさいと謝りながらも遠慮なく、外に面した壁を壊しました。
ええ壊しました。
館内の使用人たちが取り込まれた可能性がある、それでもまだ瘴気が残っている、だから手っ取り早く外に出て逃げてくださいという説明を受けましたが。壁に、私が大きく腕を広げるより大きな穴があきました。風の術式が得意とは言ってましたけど、風圧でそんな簡単にあくものですかすごいです。
「ここは二階なのよ?!飛び降りろと言うの?!」
「侍女さん、殿下をお願いしますね。それから辺境伯への伝言も」
「わたくしが聞いているのよ答えなさい!」
「そうですよ殿下。風が受け止めますが暴れると本当に落ちますから」
説明がされないままの殿下にとっては、まるでホセが悪漢のように見えているでしょうね。ごめんなさい後でちゃんと説明しますので。
侍女に抱きしめられる殿下を、ホセはまたも遠慮なく突き落とした、わけじゃありませんよ風の術式で地面に運んだんです。そう見えたのはきっと間違いです。
「というかエレナ様」
「はい」
「あなたも逃げてくださいっていうかこの体勢はいったい」
いったい。ええと。ホセの背中から腕を回して巻きつくようにぎゅっとしている形ですが。
王女殿下を外へ運ぶ突風にも負けないようにと、私がくっついていれば瘴気を食べた魔力を少しでも循環できるかなと思って。
「僕の理性と忍耐力を試されているのかと……新手の拷問?」
「ホセ細いですね。旦那様はもっと厚いです」
「それをこの状態で言わないでくれますか!」
両手で顔をおおってあーうー唸っていたホセは、特大の溜息を落としてから私の腕を外しました。
どうしてか泣きそうな顔をして。
「ええー……っと。おそらく、館内の使用人たちはほとんどが魔者になっていると思います。確実ではないですが。僕が壁をぶち壊してあんな大音量させたのに、誰も騒いでないですよね?使用人なんて主人のすることに我関せずが基本ですから、刺激しなければ彼らは自分の仕事をまっとうして寝てくれると思うんです」
瘴気に取り込まれた人を、魔者といいます。
彼らは何も特別な力は得られませんが、理性のたがが外れるらしく暴力的な行為に及ぶ事例が多いのです。
「たとえば辺境伯が浮気して、エレナ様が頬を叩いてやろうとします」
「浮気されるんですか」
「例えです」
王女殿下がいた部屋から出ると、廊下にまた黒いもやもやが溜まっていたのでホセは大きく深呼吸しました。巻きつくのは絶対ダメということで、私は彼の手を握っているので髪がピカピカします。
子供が親に手を引かれているみたい。
「頬を叩かれたら痛いだろうなと考えたり、叩いたら自分の手も痛いだろうなと無意識に力を加減したりするものです。一般的な人というのは。魔者化するとそれがない。嫌だと感じて相手を排除しようとする時に、たとえ自分の腕が折れようとも排除することが優先されてしまいます」
普段から「主人の行動に口を出さない」と思っているなら、それが徹底されるので騒ぎにはならないだろうとホセは言いました。
だから彼らの対処は辺境伯やバニュエラス公の仕事だ、と。
自分はできるだけ瘴気を食べてこれ以上の被害を出さないようにすると。
ホセが言うことはわかります。だったらやはり私がいた方がたくさん食べられますよね?と答えると、泣きそうな顔のままつないでいた手をぎゅっと握ってくれました。
「エレナ様は、実際に魔者に会ったことは?」
「いいえ、知識があるだけです。普通の人と見分ける方法はあるんですか?」
先ほど、侍女や王女殿下にホセがしていたように魔力で判定はできるそうです。でも、それには魔力を流せるよう体に触れなければいけません。
外見など何か特徴があるのかと尋ねると、ホセはうーんと少し考えていました。
「臭いますね」
「……ええと?」
「瘴気に取り込まれると魔力が蝕まれます。魔力回路は全身をめぐってますから体の方も内側から壊死していくんです。だから死期が近い生物と一緒で、甘い不思議な匂いがします」
ただ取り込まれてすぐだとまだ腐ってないので確実ではない、昼間のお茶会の時はこういう状況でなかったから、現状で判断基準にはできないと。教えてもらいました。
魔物は、動物たちも同じでしょうか。動物にも魔力があるとは聞いたことがありません。
その辺は血液が、とホセが言いかけましたが、これ以上は時間がある時に説明しましょうと言われました。
人の魔力については自分でも調べたことはありますが、魔物については詳しくないです。瘴気の濃いイングレイスにいるのなら、きちんと知っておかないといけませんね。
後で教えてくださいと頼むと、ホセは泣きそうな顔のまま口の端をあげてくれたので笑いたかったのかなと思います。
二階をぐるりと回って、黒い淀みがなくなり蝋燭の光が届くようになったらホセは最初の部屋に戻ってきました。階下に降りる階段ではなくて壁に穴を開けた部屋です。
「エレナ様。やっぱり本館に戻ってください、もうすぐ辺境伯も来られるでしょうから」
「でもまだ全部は回っていませんよね」
「一階は台所や使用人部屋があるので、あれらと出くわす可能性が高いです。辺境軍でだいぶ鍛えられたので、相手が使用人なら僕でも対処できると思いますが。その、あなたの前で討伐するのは、……ためらいますので」
それで危険な目にあわせたら本末転倒だからと、ホセは言いました。
たくさん瘴気を取り込んで体調不良になるのは心配ですが、私がいることで私を優先した結果、彼が物理的な被害にあってはダメです。
「心配はしていますから」
「はい。それだけでお腹いっぱいです」
つないでいた手を、両手で包まれると私の髪がピカピカ光ります。
向き合っていたホセの向こうでひゅっと風が鳴いて。
聞いたことのない鈍い音がしました。
ホセの胡桃色した髪が舞って、床に落ちて、手をつないでいた私は勢いに引きずられるように床に膝をつく格好になりました。
「なんだ。辺境伯ではなかったか」
鞘に収められたままの剣で人の頭をなぎ倒すという、最悪の事態も容易に起こりうる行為にためらいがなかった。それにぞっとします。
淡い金髪に宝石のような緑の瞳。物語の王子様のように美しい容貌。お姿は何も変わりがないように見えるのに、ふわりと漂う白百合のような甘い香り。
「お前は本当に、男に媚を売るしか能がないな。どうした、いつものように頭を下げて俺に許しを乞うべきだろう?」
甘い、でも不思議な香り。
鞘から抜かれた剣が横たわるホセに振り下ろされる前に、私は殿下に平伏しました。




