それからの奥様と旦那様と、
最終話はいっこ前です
こちらはライムンド目線でエレナちゃんを愛でるターン
(ポンコツ旦那様は仕様です)
首のあたりに寒気を感じて目が覚めた。
瞼を上げると、すぐ傍に真珠のようにまろやかな光をまとった私の宝物があった。
寝台の帷を下ろしたままの薄暗い場所でも、シーツに散った銀色の美しい髪が星の瞬きに似た静かな輝きを放ってその肌を浮かび上がらせる。
寒気の原因はすぐにわかった。南部のイングレイス領とはいえ新年を迎えようという季節は寒い、上掛けを抱き込むように眠る妻に持っていかれて裸の背中が冷気に触れていたからだ。
目の前に人肌があるというのに上掛けを選択したのはどうしてか。悋気を含んで上掛けをゆるゆると引っ張り上げると、不満そうな声が「む」ともれて髪と同じ銀色の睫毛が何度か揺らめいた。
「おはよう。エレナ」
「…おはよう、ございます。…旦那様」
寝転がって向かい合う形。まだ覚醒しきっていない様子のエレナは、ぽんぽんとシーツの上を何度か叩いてから放られていた私の手を見つけたようだ。
指を開かせて、小さな手を滑り込ませて、手の平を合わせると指の間に自分の指をさし込む。
「あったかい…」
「エレナ。おはようのキスをしても?」
「…はい」
触れる前には必ず許可をとる。ちゃんと約束は継続している。
だがこれはまだ起きていないなと確信しながら、顔を寄せて額に口づけた。ちゅ、と音が鳴るとくすぐったそうにするので、そのまま瞼に、頬に唇で触れているとようやく目が覚めたらしい。
絡んだ指をきゅっきゅと二度、握られた。キスをやめて鼻先が触れる距離に頭を転がすと、青みがかった湖水のような瞳が私を見ていた。
笑っていた。
「旦那様。おはようございます」
なんだろうなこの可愛い生き物は。私の妻だな。そうか何と幸せなことだろうか。
先ほど取り返した上掛けの中に腕を入れると、ひゃ、とあせったような声が上がった。体の位置がずれたので鼻がぶつかった。可愛い。ああ可愛い。そのまま頬を頬にすり付けて、やはり何も身につけていない背中をもう少し自分の方へと寄せた。
「お、おはようのキスですか?」
「それはさっきした」
「旦那様、起きました、私起きましたので」
「エレナ、ーーーキスをしても?」
頬と頬を合わせていたので、ちょうど彼女の耳元で訊ねる形になった。肩をすくめるように震えたので、耳たぶに唇が触れたのは不可抗力だ。そして可愛い声が私の耳元でするのも、体勢的に必然であってわざとではない。
「君に口づける許しをくれないか?」
「ど、……どこに、ですか…?」
それを聞き返していいのか。可愛すぎて笑い声がもれそうになったが我慢だ、ここで機嫌を損ねたら本当に寝台から逃げられてしまう。
「どこなら許してくれる?」
「おはようの挨拶の、範疇でしたら…」
それは触れていい場所なのか、程度なのか。限定される前に唇に触れておいた。
冬の空気のせいで乾いていた唇が、離れる時に少しくっついた。小さくて愛らしい唇を潤してやりたくてぺろりと舐めれば、つないでいた手が離れて私の胸を押し返してくる。
「旦那様、…んっ」
だが先ほどからすでに背中に腕が回っているので、それ以上離れることはできない。唇の上と、下を、それぞれ食んでからもう一度舐める。小さい。丸ごと食べられそうだ。
エレナはどこもかしこも小さくて、可愛い。どこもだ。
何も身につけていなくても、上掛けがはだけても、朝の空気が気にならない程度に温まって。
淡く光る髪の中に横たわる妻を見下ろす。
「エレナ」
許可を求める。
ちなみに夜の間も律儀に約束を守っていると、途中で彼女の方が根をあげる。どこにどう触れていいのか都度言葉にするのもいいものだと思っているが、限界を迎えるその瞬間がいつもたまらない。
羞恥に、もしくは悦びの感覚に負けて、
「旦那様の、お好きになさってください」
そう、彼女が口にするのが最高にくる。
一番新しい記憶の、昨夜の妻を思い出しながら許可を待っていると、何ということか、無遠慮に私の寝室をノックする奴がいた。
「旦那様。朝で、ございます」
セサルだった。まあ彼以外にはいないが。
言葉を区切って強調してくるあたり、向こうも慣れたものだ。エレナが小さくて可愛くて繊細で可愛いのは充分わかっている、年はいっても魔物討伐などで数日間の行軍も平気でする私に付き合わせるべきではない、わかっているが妻が可愛いので仕方ないだろう。
はあ、と溜息を落とすとそういう空気が霧散したのを察したエレナが、「朝、そうです朝です」とあからさまにホッとしていた。うんまあ男としては朝だからなんだが。
仕方ないので服を着る前の状態でぎゅうと抱きしめておいた。
朝食の席でエレナが「お義父様やお義母様の肖像画はありませんか?」と訊ねてきたので、その一室を案内した。
イングレイスの辺境伯はもう長いことヴァレンティン家が継いでいるが、だからなのか歴代当主たちはあまり肖像を残すことを好まなかった。そして最低限の社交しかしてこなかったのでエントランスや客間に続く廊下に飾る必要もなく、邸の北側に位置する二部屋にとりあえずおさめられている。
遠い昔の血縁であっても知らないおっさんの顔など興味もなく、彼女の希望する父と母の絵がある近代の部屋に通すと「まあ」とエレナは声をこぼした。
「想像と違いました」
「どちらが?」
「お義母様が。お義父様は、バニュエラス閣下と同期と聞きましたので、旦那様のような軍人さんだなと思っておりましたけど」
答えながらも食い入るように絵を見上げる横顔を、そうかと笑って眺めた。
母は先々代辺境伯の一人娘だ。マッサーナ家の三男だった父が婿に入って辺境伯を継いだ形になる。
見上げる絵は父が辺境伯を継いですぐの頃に描いたものだそうで、腰掛ける父の背に母が立っている姿絵だ。
一般的な夫婦の肖像画であれば夫人を腰掛けさせるだろうが、この絵の母は立っている。それはもう凛々しく。夫婦の肖像というより、辺境軍指揮官と副官にしか見えない。二人とも軍服なので。
さすがの私もどうしてこうなったのか父に訊ねた事があるが、どうも母に押し切られたらしい。
「ドレス姿の絵を残してどうする。我が子孫を騙すつもりか」と。
つまり母はこういう人だったのだ。父に出会わなければ、法を変えてでも自分が辺境伯を継ぐ気でいたそうだから。
母は黒髪をひとつに束ねて詰襟の軍服を着こなし、鞘におさめた剣の柄に両手をかけている。父も同じ辺境軍の軍服、公爵家の出なのもあってなかなかの色男なのだが、どうしても母の方に目がいく絵である。
「凛々しい方ですね。素敵です」
「この絵を見た全員がそう言うが、素敵まで口にしたのは君が初めてだ」
「とても美しい方でいらっしゃるのに。旦那様の黒髪は、お義母様ゆずりなんですね」
貴族の令嬢がこれでは眉を顰められるのが普通の反応だ、祖父はどういうつもりだったのか、遅くにできた一人娘だったからか母がこうだっただけなのか。
私は知らない。
母は、私を産んだ時に亡くなった。
その時の様子を父が語ったことはない。セサルやメイド長など、当時からこの邸にいた者から聞いた話だと、私が取り上げられて湯につかっている間にもう息をしていなかったそうだ。だからきっと、母が最期に見たのは父の顔ではなく部屋の天井だったのだろう。
妻の生命と引き換えに生まれた私を、父はごく普通に育てたと思う。むしろ剣の鍛錬など他の者に任せず自ら教えてくれた。
私の魔力が、何代か振りに生まれた瘴気喰いの特性だと知った時も、「あの人の子供だなあ」とむしろ納得したような懐かしむような態度だった。
そんな父も、嵐に荒れた河に呑まれて死んだ。遺体が上がったのは奇跡だった。
あの年は無我夢中で記憶が定かではない。水害は区をまたいで河が通る全域に広がり、住民だけでなく救難にあたっていた兵士も、父を含めて相当の犠牲が出た。やるべきことが山積みだった。
だから正直悲しむ間もなく、数年が経ち、ふとここへ立って絵を見上げた時には二人とも戦場でない所で死んだのは幸か不幸かと考えたものだ。
「旦那様」
呼ばれて、私の肩より低い位置にある青味の銀目を見ると、嬉しそうに笑っていた。
「ようやくお義父様とお義母様に会えました」
「……前科があるからあえて訊ねるが、私は君をここへ連れてきたことはなかったか?」
「はい。あ、いいえ、ちょっとだけ違います。一度だけこの部屋のことは教えてもらいました。ただ離縁される予定の嫁がご挨拶申し上げてよいものかと、私が足を運びませんでした」
駄目だ。どう足掻いても抉られる。自業自得なんだが。
エレナとの初対面から半年、彼女に名乗りもしていなかったという前科があるので言葉にしたが、どうしたって私のせいだった。
「すまない。その、君に見せないつもりだったとかではなく」
「わかっています。これは、私が勝手に遠慮していただけです」
「これは」
私はたかだか半年や一年の間にどれだけやらかしているのか…
「お二人の絵はこちらだけですか?うーん、でも素敵ですからこちらがいいです。旦那様。新年の祝祭ではこちらの絵を正餐室に飾りたいです」
春の建国祭が国の行事なら、新年の祝祭は教会の行事だ。
まあイングレイス領ではあまり関係がない、どちらも「お祭り」でしかない。領内にも教会はもちろんあるが、昔は中央の左遷先だった場所だし、今では区の教会で育った子が神官の資格を取ってそのまま入るというのが何代も続いているくらいだ。
ただ感謝を捧げるという慣習だけが残って、それが教会が唱える神ではなく身近な家族に対しての感謝となっているので、一般的に大切な行事ではある。
基本的には新年を祝うものだが、その前後の二十日くらいは祭りの雰囲気が漂う。教会に言わせると何日には何の意味がとあるらしいが、ウチの領ではもうあまり重視されていない。
それに祭りになれば警備の面で忙しくなるのがヴァレンティン家なので、さらに信仰が薄いのが正直なところだ。祝祭が楽しみというより警備計画が忙しいという感覚で過ごしてきた。
「なので旦那様。一日だけでもいいので、邸で晩餐はできませんか?」
つまり、私はここでもやらかしていた。
去年の私も警備計画が忙しいの感覚のままだった。エレナと、過ごしていない。
「……休もう。いつがいい?」
「旦那様のご都合でけっこうですよ。無理はしないでくださいね、昨年もずっとお忙しくて砦に差し入れに行ってもいらっしゃらなくて」
「いや休む!新年の前後七日は休むから!」
アーロンを働かせればいいだけだ。
喰い気味に宣言した私に驚いた様子だったが、エレナはすぐに小さく笑って、上衣の袖あたりをちょいとつまんでいた。
「えへへ。楽しみにしてますね」
どうして、私は、この笑顔を放っておいたのか。去年の自分をぶん殴りたい。
だが時間は取り戻せず、しでかした諸々もなかった事にはできないので、生涯かけて償うしかない。いや償うのではなくその倍も、何倍も彼女に与えていかなければならない。
だが、妻に尽くす生涯など幸福でしかないな。
私は彼女に何をしてやれるだろうか。
つまんでいた袖を離すと、エレナはぎゅっと小さな手を握ってなんだか決意したような表情をした。
「だから私、がんばりますね」
彼女の「がんばる」は言葉通りなんだが。どうして今ここで宣言されたのだろうか。そして得られる結果が不安であるはずもない、しかし、心配になる。
どうもエレナは自身への配慮が足りない気がする。がんばりすぎると言うのか。
「ほどほどにな」
「大丈夫です」
「君が心配なんだ。私は君を大事に、大切にしたい。だがこの通り気の利かない男だから、どうか自分を大切にして欲しい」
心からの言葉だが、前科がありすぎてどうにも胡散臭いな。我ながら。
頬を少し染めながら「はい」と返事をしてくれた姿が可愛いなんだもう可愛いどうしようもなく愛おしくて、抱きしめたかったが空気をあえて読まないアーロンが迎えに来た。この親子は本当に…!後で馬車馬のように働かせてやる。
そうしてどうにか予定を詰め込み、馬を走らせて各区の砦を回るのを前倒しして、アーロンやホセに計画書を書かせた。
ホセは春にやってきた星詠み師で、最初はエレナに対しての態度がものすごく気に食わなかったので第五部隊に配属したが、王都の塔にいた元貴族というだけあって兵のほとんどが嫌がる内務処理に役立っている。悪い意味で人の顔色をうかがって生きてきたせいで、人の機微にも聡い。役立っている、不本意ながら。
「祝祭の季節ですかあ。イングレイスの人たちはある意味穏やかですよね、楽しみにしてる感じが伝わってきてこっちまで嬉しくなっちゃいます。それに近くにエレナ様がいる新年ですよたまらないですああいえ物理的な距離は王城の方が近かったですけど心の距離が近いというかふふ人生初の新年の感謝をエレナ様にいただけるかもしれないわけですね頑張りますよ」
近くない。燃やすぞ。
こいつのコレはもはや恋慕というより執着いや崇拝みたいになってきているな。ある意味害はないんだが…
新年の感謝をもらうのが初めてだと口にするホセに、同情しても仕方ないが想像はする。エレナもそうだったはずだ。まともに祝祭を迎えるのは昨年が初めてだったろうに。
これから何度も迎える一年の、たった一回だと言うつもりはない。
人はいついなくなるかわからない。倒れていった兵たちのように。母や父のように。
そうだ、北方に出征命令が下ったのもあの頃だ。
我が国は海に面しておらず四方を他国に囲まれていて、昔々にいた征服王とやらのせいでだいぶ国土は広いのだが、伸び切った戦線が千切れて潰されるように国境では小競り合いが絶えない。
イングレイス領は荒野を挟んでいるので隣国との直接交戦はしばらくないが、各方面軍はどこもジリジリと削られている。そんな戦況や政など今では知ったことではないが、あの時は北方で開戦宣言がされるか否かという状況で軍持ちの領から手駒を寄越せと言われたのだ。
我が辺境軍にのみ下された命令ではない、だが水害の状況を再三報告しているにも関わらず平然と命令してきた中央に文句を言うため私自身が出向いた。
その時にセサルに言われたものだ。「何があるかわからない。ヴァレンティン家をどうするのか」と。絶対はない、人はいついなくなるかわからない、だが私は自身とアーロンと志願兵五十名程で王都に向かい(本当は一人で行くつもりだったがアイツらが勝手についてきた)それで何ができると、国軍にも各方面軍にも笑われたものだ。
なので「防衛」の大義名分で宣戦布告を受けてこいと、つまり死んでこいと言われた戦線に出てすべて焼いてきた。昔から辺境軍は魔物を相手にしていたから蛮族だなんだと言われてきたが、現在噂されている「野蛮人」は確実に私を指しているのだろう。
まあ瘴気喰いの魔力のせいもあるが。
瘴気がどこからどうして湧いてくるのか解明されていない、などと。確かに国民は知らなくていい。だが多分この特性を持ってしまった連中は誰もが気づいている。
それを隠し通したか、記録に残したか、それぞれによるだろう。だから塔の奴らや王室が知らないはずはない。
瘴気は意思だ。負の感情と言ってもいい。
動物も身の危険を恐怖として感じるかもしれないが、明確に悪意を持つのは人だ。
だから幾度となく戦場となった荒野や、人の意思が渦巻く王都では瘴気が濃い。自分の手で大量に嘆きを生んで確信した。人の歴史が続く限り瘴気はなくならない。
初動を殲滅した功績と引き換えに、辺境軍には口出しをするなと王室を脅しいや約束させて今に至る。
なのに従姉である王妃殿下から手紙がやってきて、年若い令嬢を妻にしろときたものだ。ああ確かに軍についてはバニュエラス閣下が約束くださったが、私自身については言及しなかったなと十年近く経ってから思い出した。
負の感情は、瘴気は夜だとわずかに薄くなる。生きている人が眠るからだろうか。
日中に喰い続けていると消化できずに数日昏倒するをくり返してから、ずっと、昼夜逆転の生活をしていた私に良き夫が務まるわけがないと。
思っていたし、実際に良き夫ではないだろう。
……自分で言って心に刺さるな。
これからは、せめてこれからは誠心誠意妻に尽くそうと決意を新たに迎えた祝祭の晩餐で。
妖精を見た。
もしかしたら私の妻だったかもしれない。
「綺麗だ。とても。……とても」
私がこぼした言葉にリサを中心としたメイドたちから物凄い抗議の視線を浴びたが、仕方ないだろう、他に何と表現すればいいんだ。
深めの青いドレスだが冬の澄んだ夜空のようで、散りばめられた金糸の刺繍が夜空に浮かぶ星に見える。冬の妖精だ。
「旦那様の黒にしたいって言ったら止められたんです」
だからせめて金色、と照れたように笑う妖精はやっぱり私の妻らしい。ホセの言葉を借りるなら尊い。美しいのに可愛らしく笑うとかもうそれ以上言葉が出ない。
正餐室の広いテーブルには、十二本の蝋燭に半分だけ火が灯っている燭台。これも祝祭の慣習だった気がする。
まずは席にエスコートしようとしたら、その前に挨拶がしたいと言うので、正面に据えた父母の絵まで案内する。
「お義父様、お義母様。改めまして、エレナでございます」
王族にするような最上級の礼。妃殿下お墨付きの揺るがない美しい礼を見ながら、そういえば家族に感謝を捧げる日かと思い出した。
「旦那様に、ライムンド様にお会いできた幸いはひとえに御二方のおかげでございます。ライムンド様を生んでくださってありがとうございます、育ててくださってありがとうございます。至らない私でありますが、どうか、新しい家族を温かく見守ってくださいませ」
不思議な言い回しだった。エレナは姿勢を直し、まっすぐに軍服姿の二人を見上げた。
「来年は、この子とまた挨拶に参ります」
そうして隣の私に向き直り、ふわりとやわらかく微笑む。今まで見たことのない、これが、女性でも妻でもない母の表情なのか。
「男の子でも、女の子でも、喜んでくださいますか?」
そう問われて、胸からあふれる衝動で彼女を抱きしめたいのと同時に。頭が冷えたのは。血の気が足元に落ちるような感覚は。
「エレナ。子供が」
「はい。お医者様もそうだろうと」
嬉しい。ただ嬉しい。今まで以上に大事に大切に真綿で包むように優しくしたいと思いながら。
もしも、母のように。
「エレナ。……愛してる。愛してるんだ、君がここにいてくれることが嬉しいんだ」
「私も、ライムンド様を愛しております。だから嬉しいんです」
「君を失いたくはないんだ」
「大丈夫です。腕は二本あるんですよ、旦那様とこの子と一緒にぎゅーってできます」
嬉しい。だが混乱する。エレナが危険に晒されるくらいならと思う。けれど彼女が受け入れてくれた証のようでもある。他の女性よりよほど屈強だった母ですら。
「旦那様。絶対に大丈夫です」
絶対はない。想像だがきっと母だってそう言ったはずだ。けれど産んだ子を抱く前に、父を待つこともできずに逝った。
「お義母様が応援してくれます。それに、皆さんに聞いてたくさん勉強してます。貴族は家にこもるからいけないんですって、食堂の女将さんは前日まで働いていたのにとっても安産だったって。体にいい食べ物とか、冬の季節ですけど口にできる果物とかたくさん聞いて」
「すまない。エレナ。嬉しいのは本当だ、ただ、君が好きでそれが一番だと思ってしまう。愛してる。エレナ。エレナ」
「旦那様。私は今までたくさん勉強したつもりでした。でも結局はからっぽで何も持たない亡霊でした。旦那様が、私にたくさんくれるんです。居場所も、大好きも、この子も。だから私、まだまだたくさん持てます」
だから旦那様は、私を抱きしめてくださいな。
彼女の許しを得た私は、その前に両膝をついた。ドレス越しに下腹部に触れると「まだわかりませんよ」と笑われたので、そこに顔を埋めた。
繊細な硝子細工に触れるより慎重に、細腰に腕を回して抱きしめた。この小さな体で命を育てるのか、すごいな、それはもう奇跡みたいだ。
「来年は三人で挨拶しよう。約束だ」
「はい。約束しました」
「エレナ。愛してる。……ありがとう」
「嬉しいです。だから泣かないで、私の可愛い旦那様」
聞き捨てならない言葉があったな。かわいいって何だ。情けないのは認めるが。
ひとしきり私の頭を撫でてくれたエレナは、晩餐のテーブルに用意された燭台にひとつ、火を灯した。一日ずつ蝋燭を灯していって新年を明るく迎えるとかなんとかの燭台だったか。
やってみたかったんですと彼女は笑った。火のついていない蝋燭は後六本だ。
こんなに休むのは父の後を継いで初めてで、なぜか給仕を買って出たセサルが「だから言ったでしょう」と得意げに告げた。
奥様は、ヴァレンティン家に明かりを灯しに来たのだと。
きらきら星
夜の旅人を照らす小さな光




