夜行性な旦那様は、もう夜行性ではありません(4)
あれから。
初めて大泣きした私は頭の中で鐘がガンガン鳴り響いているのを持て余し、おぼつかない様子を心配してくれた皆にベッドに放り込まれました。
熱があるのでお医者様を、と言われましたがそれはやめてもらいました。たぶん体調不良の発熱ではなく、その、恥ずかしさのあまりずっと顔が火照っていただけだと思うので。
どちらにしろ恥ずかしい……
ベッドの上で上掛けを頭からかぶって唸っている私の様子を聞いたのか、翌日になってもセサルさんにお仕事を止められてしまいました。
「数日でいいので、ゆっくりお休みになってください」
私への配慮だとわかっていますが、私がいなくても大丈夫だと言われたみたいで落ち込みます。卑屈な考え方だと理解しているのに、私には「何もしない」ができません。
庭にいると日に焼けるからと、私は今日も温室にいます。
日光が直接あたらない位置に置かれたカウチの端で、ぼんやり、硝子の向こうに広がる青空や温室内の緑を眺めていました。
こうしていると殿下がいらっしゃらないお茶会を思い出します。王妃殿下のお庭も素敵でした。
あの時は考え事の時間と思って今後の予定や勉強の内容を頭でくり返していましたが、今日はなんだか考えがまとまりません。理由はわかっています。
私がライムンド様をお慕いしているとしても。
……旦那様は。
「エレナ様」
ぼんやりしていた私を呼んでくださる声が、少し離れたところから聞こえました。
それまで温室内を好きに散歩していたロペとルナが、さっと私の前に来てくれました。唸るような威嚇はしませんでしたが、二頭とも大型犬ですからホセ様はびくっとあからさまに驚いていました。
「大丈夫です、いきなり噛んだりしません」
「ははははい。あの、……そちらへ行っても宜しいですか?」
「もちろんです」
ゆっくり、おそるおそる近づいたホセ様を二頭が品定めするように匂いを嗅いでいました。黒と栗毛にぐるぐる囲まれて「ひっ」と小さく声をあげていましたが、噛んだりしませんよ。
私の護衛による検査は終了したのか、ロペは私の膝近くにお座りして、ルナはホセ様との間に寝そべりました。
「これ以上近づくなって事ですかね……」
「ホセ様。本日はどうなさいましたか?」
「辺境伯が討伐隊には休息日をくださったんです。なので砦の方にも邸にも許可は取ってます、押し通る真似はしてませんので。ただ、ええと、……僕はもう平民なので、敬称なく呼んでください」
「ホセ、…さん?」
「疑問形可愛いですいただきました違いますエレナ様どうぞ呼び捨ててくださいおまけに冷たく言い放ってくださると感無量です」
「……ええと?」
「ううん!失礼しました!」
早口でまくしたてられたのでよく理解できませんでしたが、謙虚や親しみを別として、立場を示すことは必要だと言われたような。合ってるでしょうか。
どうであれ、旦那様に恥をかかせるわけにはいきません。
「では、ホセ。私にご用ですか?」
「……イイ。はい。はい、ただのホセが厚かましくもエレナ様に聞いて頂きたい事があって参りました」
そういえば、初めから私に謝りたいと口にされていました。思い当たることは一つもありませんが。聞いてみないとわかりませんので、伺いますと返事をするとホセ様は(まだ慣れませんので、そう呼んでしまいます)ほっとした様子でした。
「無力な僕から、あなたに謝罪を」
「私は何も」
「はい、エレナ様には本当は関係ない話です。懺悔と言いますか、僕の昔話みたいなものです」
後で忘れてくださいと彼は言いました。
「初めてあなたを見た時、あなたが塔に来た時、同情めいた感情を抱きました。ああこの子も僕と同じ目にあうんだなと。不幸中の幸いで、僕には瘴気喰いの魔力があったので魔者にはなりませんでしたが。そうして次に、こんな小さな女の子が辛いことになる前に連れて逃げられたらいいのにと、王子様やどこかの英雄みたいな考えを持ちました。もちろん塔の『兄』たちにぺしっと簡単に阻まれましたが」
それは初めて聞きました。
塔には同じような境遇の子たちがいましたが、実際に行動に移してくれていたなんて。
きっとお仕置きを受けたでしょうに。
「僕に、本当にあなたを連れて逃げるだけの力があれば、あなたが王室に買われることはなかったはずです。役に立てず申し訳ありませんでした」
謝ることではありません。彼もまだ13歳くらいの少年でした。
むしろそんな風に思ってくれた人がいる、それだけで充分です。
「それから、あなたは王子の婚約者になりました。僕とは違う本物の王子様のところへ行ったのだと、最初は安心しました。その後の噂を聞いて、王室付きの術師としてあの第一王子に会って、……自分の無責任さに嫌気がさしたものです。何も持たない僕ではなく王子様なら、きっとあなたを助けてくれると、安易に思っていたこと。時折見かけるあなたの顔を見て、違うと知っているくせに何もしなかったこと。重ねて、申し訳ありません」
そんなこと。
ちっともホセ様のせいではないのに。
上手く立ち回れなかった私自身のせいなのに。
自分でどんな顔をしたか自覚はありませんが、私を見る琥珀色の瞳が細められて、「昔話だから聞き流してください」と言われました。
「あの夜、『長兄』に部屋から出るな何があっても口を開くなと言われて、ああこれはいよいよ詰んだなあと思っていたんです。最期になるなら、自己満足だったとしてもエレナ様に謝りたかったなあと考えていたら。扉を開いたのはあなたでした。……夢だと思いました」
ホセ様はこんなに気にかけてくださっていたのに、私が彼の名前を知ったのはあの日でした。
殿下の名で呼びつけられたので何かあるとは思っていましたが、男女の色恋に疎い私では頭がまわらず、結局ホセ様に迷惑をかけました。
どうしてか部屋の中まで改めると言う兵たちの前で、抱き寄せる形で私を隠してくれました。
その兵たちも殿下に命じられて来たのでしょう、顔が見えずとも私だと報告するつもりだったと思います。さらに魔力で光る髪なんて私しかおらず、もしかしたら、ホセ様に触れていつもよりはっきり光っていたかもしれません。
『僕を知らないなら名乗ろうか。オルテガ子爵パスクアル家、王室の星詠み師ホセだ。ねえ、僕の「食事」を邪魔する気?』
瘴気喰いだと誰かが言いました。彼がはっきりと名乗ってくれたおかげで、兵たちは任務を完遂したとばかりにすぐ出て行ってくれました。
荒事にならなかったのは良かったのですが、そのせいで、私の不貞行為という噂だけでなくホセ様に対する噂が出回ってしまったのです。殿下にはさぞ都合が良かったことでしょう。彼を解雇という形で遠ざければ、それがまるで事実のように見えます。
「こんな話を聞かせる僕が言えたことではありませんが、本当に、エレナ様のせいではないです。口を開くなと言われていたのに、兄の言いつけを守らなかった僕が悪いんです」
「でも全部私が巻きこんでしまったから」
「辺境伯の言葉を借りますが、あれは馬鹿王子のせいです。あなたは単なる被害者です。それに、……僕にも下心はありましたし」
ホセ様は両手を持ち上げて、自分の耳をふさぐ仕草をしました。
ルナが相変わらず寝そべっていて近づけないから、私にそうして耳をふさいで欲しいと言いました。
「これで、今から言うことはあなたには聞こえません」
そんなはずないのに。
「あなたのことはずっと気になっていました。無力だった自分の象徴のようで、見ぬふりをする自分への戒めのようでもありました。だからそうですね、あの夜に、星のように淡く輝くあなたに一目惚れしたと言うのが正しいと思います」
耳に手をあてただけでは、聞こえてしまいます。
だけどこれは聞こえない言葉。
「好きです」
届かなくても、口にしないと終われない言葉。
「あなたが好きです。エレナ様、お慕いしています。あなたの助けになりたかったのは、嘘ではありません。でも、触れたいと抱きしめてしまいたいと思ったのも本当です」
「ホセ様……」
「何も聞こえないのだから、答える必要はありませんよ。僕は、僕の自己満足であなたを傷つけるんです」
「違います。あなたは」
「あなたを助けられなかったこと、見ぬふりをしていたこと、こうしてあなたを傷つけること、申し訳ありません。許しを得たいとは思いません。ただ、……ごめんなさい、とても大好きです」
彼は笑ってくれました。私も笑顔をつくろうとして上手くいきませんでした。
「ホセ、さま…私は…」
「あなたは何も聞いていません。でもそんな、優しいあなたが好きです」
もう手を上げていられなかったので、耳をふさぐものはありません。だから聞こえています。
答える必要はないと言われても、私だって、口にしないと終われません。
「私は、……旦那様を、お慕いしています」
「はい知っています。これは僕が勝手に想っているだけです」
「ごめんなさい。あの方が、好きなんです」
「羨ましいとは、思ってしまいますね。だけどエレナ様、謝らないでください」
謝るべきは、むしろ辺境伯の方ですから。
ホセ様がにっこり笑ったのと、声が上がるのと、夏に実をつける樹木の下から影が飛び出したのがほとんど同時でした。
「エレナ!」
突然の出来事を把握できず息を呑んだ私の前で、大きな影が、旦那様がルナの脇を駆け抜けて滑り込むように体を丸めました。いつかのようにごつん!と額が大きな音を立てていました。
「すまないーーー!!」
何が。何が起きているのでしょうか。
大きな体を亀のように丸めて頭を下げる旦那様、その勢いに驚いていたロペも彼を認識したようで、じゃれるようにその背にのしっと乗り掛かりました。す、すごい状況です。
ルナは動じていないようで、おすわりの体勢になってツンとしています。
え?え?と思わず周囲を見回すと、ガサガサっと至るところで低木が揺れました。…もしかして囲まれてるのでしょうか。私の大好きな使用人たちに。
というか旦那様、どこから話を聞いて…
「すまない、年甲斐もなく浮かれていた自覚はあるんだ。君が可愛らしくて、笑顔で傍にいてくれて、それが君の強迫観念に近い使命感だと最初は理解していたのに、……浮かれて、自分を優先していた。本当に申し訳ない。彼に嫉妬する資格もない。君に愛を乞う前に、許しを得るのが筋だったのに」
……全部、っぽいです。
もしかしてホセ様がいらした時から、旦那様もみんなも温室内にいたんですか?
ということは、私の、旦那様が好きだって言葉を。
全部聞かれていたわけで。
熱が、熱が出てきました。頭がくらくらします。温室の床タイルの上で旦那様が頭を下げているという事実が、遠い世界のことのようです。ロペ、とりあえず、とりあえず旦那様の背中で遊ぶのやめましょう。
ロペの重みを気にせず、頭を下げたまま、旦那様は私に聞こえるように大きめの声で話されました。
「改めると謝る事項が多すぎるな…まとめると薄っぺらく感じるだろうが、これからは一つずつ、その時に君に伝えるようにする。だから今回は、どうか許して欲しい」
「いえ、あの、私」
「一人きりで辺境に送られた君の心境も考えず、自分のことを優先した。ひどい態度をとった。すまない。離婚歴をつけないようにと考えたこと自体が浅はかだった、女性の尊厳を傷つけた、まず私が君に向き合うべきだったのに」
それから。
朝の挨拶もろくに返さなかったこと。
領地運営の手伝いにも感謝をしなかったこと。
循環する魔力がわかってから、許可なく触れたこと。
その行為が、不安に思う気持ちを後押しさせたこと。
わかっていてやめなかったこと。
甘えていたこと。
何より私とその気持ちを傷つけたこと。
などなどたくさん謝ってくださって。
半分を過ぎたあたりで「改めて聞くとひどくない?!」と女の子の声がしました。たぶんリサです。
終盤あたりで「だめだもうだめだ楽しい」と軽快な笑い声がしました。たぶんアーロンさんです。
周囲の声にもホセ様の視線にもロペの重みにも負けず、旦那様はそうやってひとつずつお話くださいました。言われてみないと気づかないことまで。
「あとこれは言い訳じみているが…各区の花について、いや先日トッロの花に寄ったのはマダムと話があったからだ。利用したのは部下たちだけだ。花はヴァレンティン家で経営している、いわばこの領の公営扱いで、エレナに任せようとその相談に、……どう聞いても言い訳っぽいな。くそ。君が来てからは利用していない本当だ」
「私が来てからは」
言葉をそのまま抜き取ると、旦那様は大袈裟なほど肩をふるわせていました。そしてさらに縮こまった気もしますが、偽らずに「来てから、だ。それは誓う」と言ってくださいました。
大人の男性ですから、私の知らない旦那様がいるのは当然です。だけど私が妻の役目を果たしていないにも関わらず、婚姻してからは利用していないと言いました。書類上とはいえ、妻がいるからと考慮されたのです。
「ロペ、ルナ、おいで」
丸くなった背中でうとうとし始めたロペと、厳しく見守るような位置にいたルナを呼びました。二頭は腰掛けたままの私の脇に控えます。吠えたりせず本当にいい子たちです。
「旦那様。……顔を上げてくださいませんか」
そうっと頭を上げた旦那様は、眉を寄せた難しい顔でなく、優しい笑みでなく、困り果てた様子で幼く見えました。整ったお顔でそんな表情をされると、ちょっと可愛いと思ってしまいます。
「ね、旦那様。お願いがあるんです」
「まだ一番謝るべきことを伝えていない」
「はい。だから、お願いです。……手をつないでくれませんか?」
私のお願いに迷っていたようですが、旦那様は床タイルについていた手を自身の上着で払ってから、両手で私の手を包んでくれました。
大きな手です。挟まれると私の指まですっぽり隠れてしまいます。そうしてピカピカ光る私の髪が、この方の為になることが。
嬉しいです。
嬉しくて泣きそう。
「エレナ」
「はい」
「君が好きだ。好きだから、ここにいて欲しい。私の妻でいて欲しい。それを、きちんと伝えなかった」
「今聞きました。嬉しい、…嬉しいです」
「遅い、…遅いのはわかっている君を不安にさせたし誤解させた…ああウチの連中の視線が痛いな……本当にすまない。許してくれなくていい。一生根に持って詰ってくれていいから」
「はい。一生ですね」
「君がいなければ、私はあのままずっと人を避けて夜の中にいた。それでいいと思ったままだった。だから君と、朝陽を迎えられた幸福に感謝を。心から。……イングレイスに来てくれてありがとう」
愛してる。
エレナ、愛している。
悲しくてあんなに大泣きしたのは初めてでしたが、嬉しくて涙が出たのも初めてです。
「……泣かないでくれ。どうしていいかわからなくなる」
「ごめんなさい。でも、嬉しいんです」
涙を拭おうとしましたが、旦那様の手に包まれていてできませんでした。その動きが伝わったのか、旦那様はちゃんと「いいかな?」と許可を取ってくださいました。
私がうなずくと、手をつないだまま、旦那様の唇が頬に触れて涙を吸ってくれます。小鳥が鳴くようにち、ちっと音がして、目尻や睫毛に触れるとくすぐったくて笑ってしまいました。
これからは、触れる前にこうして訊いてくれるのでしょうか。それはそれで気恥ずかしいです。
「エレナ」
夜空に浮かぶ金色の星みたいな目に、私が映っています。
「唇に触れても?」
……き、気恥ずかしいどころではありませんでした。これは穴があったら入りたいほどです。私これから耐えられるでしょうか…?
「旦那様、私っ私もお伝えしたいことが」
「ああ、君の許可がなければ触れない。大事にする。エレナ、君の唇に触れたい。……どうか許しを」
…心臓が!壊れます!
確かに触れてはいませんけど、旦那様の息が、声がすぐそこにあって、私が言葉を発しただけでぶつかってしまいそうです。
だからそっと、注意深く、唇を動かしました。
「……あなたをお慕いしています」
それは許可なのかと問われたので、意を決して「はい」と答えました。
ここへ来て、旦那様に会って初めてのことばかりです。まさか初めての口づけが、半泣きのホセ様の視線の中、使用人たちの歓声の中とは思いませんでしたが。
これからもたくさん知っていくのでしょう。嬉しいです。
だから、
「ライムンド様、どうぞ、末永く可愛がってくださいませ」
これからずっと。ずうっとですよ。
【本編】としてはこれで完結でいいのですが
まあでもクリスマスですし いちゃいちゃしないと
クリスマスですし(二度)
後日談というか拾い損ねた伏線というかそもそもの題材というか
とりあえず書きました
よろしければ次へどうぞ




