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夜行性な旦那様は、もう夜行性ではありません(2)


 ヴァレンティン家の応接間は、文字通り凍りつきそうな温度でした。旦那様、寒いです。

 一人掛けではなく男性が三人腰掛けても余裕のあるソファに旦那様が腰を下ろしたので、私は後ろに控えようかと思ったら呼ばれました。

 隣に、と言われたので従いましたが変な距離が空いてしまいます。

 旦那様はわずかに眉を寄せて、でも腰掛け直すのもおかしな気がして。そのまま黙っている私にか、向かい側にかわかりませんが、浅い息をもらしてました。

「ーーー掛けたらどうだ」

「ふぁい!!」

 頭のてっぺんから出たような裏返った声で返事をした彼は、私たちの向かいにカチコチとぎこちない動きで腰掛けました。


 ホセ・パスクアル様。

 胡桃色の髪に琥珀の瞳。確か殿下のひとつ上だったと思いますので、22歳になられたでしょうか。

 以前は王室付き術師として、王都唯一の星詠み師としてお勤めでした。

 私が知るのはそれくらいです。


 私に謝るべきことなんか、ひとつもお持ちでないと思うのですが。


 お話しくださったのは、王城での職を失ってからご実家のパスクアル家からは絶縁され貴族籍を抜けたので今は平民の身であること。王都から離れて仕事を探したそうですが、星詠みの魔力のせいで体調が優れずどこも長く勤められなかったこと。

 私がイングレイス領に来たと聞いて訪ねてくださったこと。

 そうしたら瘴気濃い荒野が近づくにつれ、どんどんと悪くなる身体に限界がきてパタリと倒れてしまったのが門前でのこと。

 聞けば聞くほど、私の方が謝罪すべき内容です。

 ホセ様が王室付き術師を解雇されたのは、私のせいですから。


「だがお前はオルテガ子爵家の名前を出した。たとえ血統が正しかろうと、貴族籍剥奪を自覚した上で口にしたなら詐称罪だ。平民が、貴族の名を語るのは罪だからな」

 ここはイングレイス領で旦那様は土地を預かる領主です。国の法はありますが、第一の裁可は旦那様がなさいます。そして口にされた内容はとても正しいもの。

 ですが。

 ホセ様は顔色を悪くされましたが、魔力の消化不良のせいでないと思います。大きな動物に睨まれた、大きな熊に対峙した野兎のようにふるふるしてました。

 ついに耐えられなくなったホセ様は、椅子から立ち上がってごつん!と額を床に打ちつけました。

「ももももも申し訳ございません!仰る通りでございます!罰は如何様にも受けますので、どうか、どうかその前にお願いが…!!」

「ああ。エレナに、ーーー我が妻に伝えたい事があるとか?」

 旦那様の低い素敵な声が、氷となって床を這った気がします。寒いです。部屋の壁付近や扉近くにはセサルさんやメイドたちが控えておりますが、みんな身震いしています。

 だけどどうしてか、床に散らばった胡桃色の髪の間、ホセ様の耳が真っ赤になりました。


「よし燃やそう」

 待って。待ってください。燃やしたらダメです。


「旦那様。お咎めなしに、とは言いません。ただホセ様は私を助けてくださいました、ですから、一度だけ私にも彼を助ける権利をくださいませんか」

「先ほど膝枕してや、…魔力を発散してやっただろう」

「あれは触れて発動する私の魔力です。私の意思ではありません」

 屁理屈なのはわかっています、でもこじつけでもしないと、旦那様が本当に燃やしてしまいそうだったので。

 不快な感情を隠そうともしない旦那様の、指が私の髪をちょっとだけつまんでいきました。

「王都の星詠み師。……君の『噂』の相手だろう?」

「そうです。つまり私の被害者です」


 噂は人を殺せるとはよく言ったもので、事実はどうあれ耳にした方々の印象は左右されます。

 そう、と周囲が決めた人物像こそが正しいかのように。

 私はいいのです。私の代わりになるご令嬢は王都にたくさんいると思います。けれどあの時の王城に星詠みの術師は彼だけだったのに。

 不貞を働いた相手が殿下から解雇される、という話を作るためだけに犠牲になったのです。

 ご実家との話は言及できませんが、その後のしなくてもよい苦労は私のせいです。

「言いたいことはわかったが、それは違う。どう考えてもあの馬鹿王子のせいだ」

「そうですが。殿下の言動を抑制できなかったのは、私が至らないから」

「エレナ」

 旦那様は、つまんだ私の髪を指に絡ませて、つん、とご自分の方に引かれました。痛いほどではなかったけれど、気を引かれて口を閉じてしまいました。


「君の『それ』が根深いのは、多少は理解しているつもりだ。だが、混同してはいけない」

「旦那様」

「……嫌な言い方をしようか。君は、私の妻だ」

「はい。私はライムンド様のものです。ご指示に従うと申しました、でも一度だけ」

「ーーー違います!!」


 大きな声に驚いてそちらを見ると、床に両手両膝をついたホセ様が、それでも顔を上げて私たちをいえ旦那様を見据えていました。

「僕たちは、ものではありません。誰かの所有物ではありません。身分や立場、従うべきものや無力ゆえにどうにもできないことはあります。それでも。……違います」

 彼の言葉を聞いて、その内容よりも今発言すべきタイミングだったかと思う私と違い、旦那様は淡く光る髪を指からほどいて「ああ」と呟きました。

 そうだな。塔の術者だったなと。


「エレナ」

「はい、旦那様」

「君は妃教育を受ける前に塔に入ったか?」

「はい。お父様から王城の術師に魔力調査をしてもらうようにと」

「それで、魔力ではなく君の能力が王室に買われたか」


 言葉の通りです。

 魔力は役立たずでしたが、私が教育を受けると決まった時点でモンテス家には王家から報奨金が支払われています。

 文字通り買われたのです。

 なので私は殿下に、王室に尽くさねばなりません。けれど醜聞を広めてしまい、貢献するどころか権威を傷つけてしまったのです。私が受けた教育は一生働いてもお返しできる額ではありません、でも実家に迷惑はかけられないですし、どうにか収束させてお許し頂かないといけなかったのに。

 手立てがないまま話は広がって行き、私は、妃殿下に辺境伯へ嫁ぐよう命じられました。

 細かな誓約を持たされると覚悟していた私に、妃殿下はただ「あの子をよろしくね」と言われただけでした。王室が実家に何か要求することなく、侯爵家からも籍を抜かれずにこちらに嫁いで来ました。

 手立ても頼れる人もいなかった私には有難いお話でしたが、こんな亡霊を押し付けられる辺境伯には申し訳ないと思ったものです。


 私は侯爵家でも、術師の塔でも、王城でも役立たずでしたが。

 せめてそこで貢献できれば。

 できなければ。


 私は本当に亡霊です。いないものと同じ。

 だからがんばるのです。


 そうして私は、イングレイス領にやってきた時の気持ちをようやく思い出しました。

 建国祭でも反省したはずなのに、ダメですね。

 がんばる気持ち、本当に庭にありました。ホセ様が持ってきてくれました。


「ホセ様。ありがとうございます」

 彼の前に膝をついたら、驚いて真っ赤な顔のまま背筋を伸ばしていました。膝の上で握られている拳まで赤くなって、震えているようです。

「エレナ様なにを」

「私のことを考えてくださって、ありがとうございます。だけどどうぞ、あなたのことを考えてください。今度こそあなたを大事にしてください。それから、許されるとは思っていませんが、……ごめんなさい」

「いいいいいえ、僕こそっ、最初からあなたを」

「ごめんなさい。あなたがこんなに苦労したというのに、私は、あのおかげだと思っているんです」

 にこりと笑ってみせると、ホセ様は盛大に首を傾げました。

 やっぱり、辺境伯は吸血鬼だとか変人だとか思っていらしたようです。違いますよ。


「私は、ライムンド様の妻になれて良かったです」


 旦那様がお望みでないとしても。

 私は、ここへ来て良かったです。本当にそう思っています。

 どうか伝わりますようにと思って精一杯の笑顔をつくったつもりでしたが、なぜだか、応接間内が静まり返っているような。

 ホセ様は赤い顔のまま何かを言おうとして言えずにモゴモゴしてました。


 そこに、ノックの音と同時に扉が開かれて入って来たのはまたもアーロンさんでした。すぐに室内の空気に気づいてくれました。

「あのさ、俺がいない時に面白いことすんのやめてくれる?ライムンドは大体わかるけど、なにそこの仔犬くんもそう?そうなの?若いって怖いねえ。で、リサたちはとにかく、親父まで今にもお迎え来そうな顔してるな」

「奥様の笑顔が…尊い…っ!」

「迎えなど不要、私は、奥様にじいやと呼ばれるまでお仕えする所存いやそれ以降も」

「ウチの使用人が全体的に壊れたな…」

 壊れてません。皆さん優秀な使用人だと思います。


 長い長い息を吐き出した旦那様は、頭痛を押さえるように片手をこめかみに当ててどうにか顔を上げていました。眠いでしょうか。それとも本当に体調が悪いでしょうか。

「ホセと言ったな」

「はいぃ!」

「お前に職をやろう。辺境軍のトッロ砦に配属する。私の権限で第五部隊にやるからそこで適当に教えてもらえ」

「はい?!何をですか?!」

「魔物討伐時の装備や心得だな」

「え、すでに魔物化済みですか、え、僕はそんな前線で役に」

「アーロン」

「はいよー。大丈夫だ仔犬くん。トッロの第五部隊は術師の集まりだ、ライムンドほどじゃないがなかなか強烈だ、協調性皆無だ、まあ味方の術式で怪我しないようにまずは頑張ってみよーか」

「不安しかありませんが?!」


 ホセ様は琥珀色の瞳を揺らしておろおろとアーロンさんと私を見比べましたが、すみません、私は軍の配置については何も言えません。砦の内側というか経理的なものは私もお手伝いしていますけど。

 先ほどの赤から青に顔色を変えたホセ様に、がんばってくださいとしか言えませんでした。



 それから数日して、なんとトッロ区の南に討伐隊が出るという話になりました。

 旦那様も参加されるということで、おそらく、ホセ様もご一緒でしょう。塔の書物はほとんど読んだと仰っていましたが、他に星詠み師のいない王都では実際に魔物討伐に出向くことはなかったと思います。大丈夫でしょうか。

 邸でお留守番の私は、仕事はしていましたが少しでも手があくと心配で、意味もなく部屋をうろうろしてセサルさんに「大丈夫ですよ」と嗜められてしまいました。

 イングレイス領ではわざと瘴気に取り憑かせるための動物を育てています。ロペとルナはそうした中から私の我儘で連れてきた子です。

 でも野生の魔物は、野生動物が取り憑かれた場合はどんな種類か数がどれくらいか、そういったものが事前にわかりません。

 旦那様は大変優秀な術師で、この一年で怪我などされた姿は見ていません。ただ疲れて眠くてふらふらしていることはありますが。

 だけどホセ様は初めての討伐で、なんだかまた私の事情に巻き込まれたような感じですから。どうしても不安でした。


 出発から四日後。討伐隊が無事戻られると聞いていてもたってもいられず、些細な理由をつけて砦に向かうことにしました。

 きっと皆さんお腹をすかしているでしょうから、食堂のお手伝いでもできればいいなと。

 馬車では時間がかかるので馬に乗ります。ロペとルナを連れて出ようとしたら、一度止められてしまいました。すごく、止められました。

 トッロ区はヴァレンティンの邸もある広い区ですが治安がよく、強盗のような犯罪はほとんどありませんが、そうです魔物が出た直後でした。その砦に行くのに一人でなんてとんでもないと叱られてしまいました。

「行くなとは言いません。旦那様も奥様の顔を早く見たいでしょう。でも、交代の兵が来てからです」

 邸の警護に来ている兵士さんの交代に合わせて、私と一緒に砦まで帰ってもらう形です。


 砦まで来ると、討伐隊はすでに帰還していてざわざわと普段よりも騒がしく、全体的に浮き足立っている空気です。一緒に来てくれた方にお礼を言って別れようとしたら、「領主様かアーロン隊長に確実に引き渡さないと!」と案内までしてくれました。優しいです。

 ご面倒をかけますが、不慣れな私が右往左往している方が邪魔でしょうからお願いしました。


「エレナ様?!」

 門から近い広場にアーロンさんがいて、手招きしてくれたその足元にホセ様がいました。探しているお二人に会えてよかったです。

 遠くからはぐったりと座り込んで見えましたが、私が近づくと豆が弾けたように勢いよく立ち上がってました。お疲れならそのままでいいのに。

「ご無事で何よりです。怪我はありませんか?瘴気の食べ過ぎで具合を悪くしてませんか?」

「三つ編みとか可愛すぎます…!乗馬服希少ですありがとうございます…!!」

「ホセ様?」

「若いって元気だな。奥様は気にしないでいいですよー。それに仔犬くん、けっこう頑張りました。実戦初めてだろうに物怖じせずでかい術式ぶっ放してくれて、ライムンドが言うには制御が甘いらしいけどウチの術師たちは味方が避けてやるみたいな所あるから、充分でしょ」

「ではこれからも辺境軍で?」


 星詠み師は、自身の魔力だけで瘴気を消化できない場合は術式を放って魔力を使用するといいそうです。体内を魔力が巡るらしいです。私には自分の魔力というのがほとんどないので、感覚はさっぱりですけど。

 危険な仕事ではありますが、そうして消化できれば具合が悪くなることも少なくなるかもしれません。私もいますし。

 ホセ様が良ければ、星詠みの魔力に振り回されず生活できるのではないでしょうか。

「はい、僕からお願いしたいくらいです」

「よかったです。あまりに具合が悪くなったら私に言ってくださいね」

 旦那様とは違う大きな手をすくいあげると、私の髪が淡く光りました。日中の屋外ですからそこまで目立ちませんが、ピカピカしているのはわかります。


「…………え?魔物討伐するとこんなご褒美が??」

「んな訳あるか。調子に乗ってるとライムンドに燃やされるぞ」

「辺境伯は本当に桁違いでした。猪の丸焼きができるかと思ったら、黒焦げでもなく骨も残りませんでした。……そのレベルでないとハグのご褒美はないと?」

「うんまあ、お前長生きできないな」

 長生きしてください。危険はできるだけ回避してください。


 アーロンさんは、きっとホセ様の面倒をみるようにと言われてご一緒だったのでしょう。

 その指示をされた旦那様の姿は、ここにはありません。

「あの、旦那様は」

「ライムンドは、小隊とトッロの花に行ってるな。朝には直接邸に戻るんじゃないか?」

「トッロの花」

 私がそのまま言葉を返すと、アーロンさんは「あれ?」と首を傾げていました。


 荒野に面するイングレイス領は広くて、けれど魔物が多く出没しますので領内をいくつかの区に分けて兵が配置されています。区に一つは砦を設けてそこを拠点に領内の治安維持を行い、魔物が発生した場合もその区域から討伐隊の編成を行います。

 砦に人が出入りすれば、付近が賑わいます。人と物が集まって町の規模が広がります。

 トッロの花。

 つまりそれぞれの区の、人が多くて、兵士が多く集まる近くに。それはあります。

「各区の花の管理は、いずれ奥様がやるんだと思ってたけど。まだ手をつけてないです?」

「……はい。旦那様からは何も」

 各区に咲く花。娼館です。


 私は本当に王城から出たことがなくて。勉強したといっても机上の話、本から誰かの口から知るだけです。だから、戦場など危険な任務から帰る途中に、男性は寄るものだからと。知識だけはありますが。

「旦那様のお戻りは、朝になるんですね。……わかりました」

 砦に来たりせず邸で待っていれば、朝に帰ってきた旦那様にいつも通りの挨拶ができたのに。

 どんな顔で、なんと言って、お迎えしたらいいのでしょう。





ホセの愛称がぺぺとか クソ可愛いと思ってます

わたしが

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