野暮
私は兎角趣味というものがない。
例えば読書。筆者がべらべらとウン百ページ言葉を並べたところで私に伝わるのは数パーセントだろう?物語にしろエッセイにしろ、そんなものを読むくらいならあらすじだけで十分だ。
例えば絵画。風景画と風景の差は一体なんだ?
また例えば音楽。何がどう違うのかわからん。友人にはコードがどうの構成がどうの語られたが訳が分からん。
それから食。これに関しては一言しかない。まともに食えればよかろう。
……という友人がいる。凄く、もったいない。
「変わらないな、お前はそのスタンスを辞めないのか」
「辞めるも何も辞める必要が無いだろう」
そういう事じゃない、そういう事じゃないと首をひねりながら言葉は彼をすり抜けた。もどかしい、張合いが無いな、と言えば、張合いなど無くていい、と返された。
全く、娯楽を持たないことの悲惨さは凄い。暇がないから娯楽がないのか、娯楽がないから暇もないのか分からない。ザ・仕事人と言えば彼が全日本を代表出来る程だと言える。僕はそう断言出来る。端的にわかりやすく言うと、こいつは、ヤバい。
そうやっているからいつまで経っても裕福にならんのだろうと言われたから裕福だぞと答えた。そしたら彼はこう主張した。
「君のワンルームに君のたくさんの趣味のものがこうも置いてあるのはわかる、だがそんなものを買っておいておくことが裕福なのか?私にはわからん、そういうものが。」
僕は即座に反論した。
「馬鹿め、そりゃ何が裕福かわかってないやつの言い分だ。」
「では君の言う裕福とはなんだ」
「ちょっと待て、まず君が思う裕福がどんなものか僕に教えてくれないか。」
分かったというように頷いて、彼は説明し始めた。
「仕事と休暇のバランスが取れていて、毎日が平和で、自分にやれるだけの仕事がやれる分だけやって、それで生きていけるのが、私の思う裕福だよ。……待った、ちょっと違うから訂正させてくれ。毎日平和で、仕事と休暇のバランスが取れていて、」
「自分にやれるだけの仕事をやれるぶんだけやって、」
人の話を遮るなという顔をされた。
「そう、それをした分だけ老後が……いや未来が明るくなる、それでいい。働いた分だけ未来が明るく見えるのが、私の裕福だよ。そのために会社の上層部になれるなら良し、安定した職につけるならそれも良し。君のようによくわからない職を幾つか兼業してお金も貯まらないって言うのは、とても非合理だと私は思う」
それを受けて僕は済まし顔で自分の思うところを話した。
「僕はそれも一つの裕福だと知ってる。だからあえて話してご覧と聞いてみたのさ。」
「なら俺が話してきた意味はなんなのだ」
「まぁまぁ、……僕はこう思ってる。お前のその裕福ってのは金を貯めた結果だろう?」
「何かあった時の為の備えをしておくのは普通じゃないのか?」
「てことはお前はお金が貯まるのを見てグヘグヘ笑ってるってことか」
「聞こえが悪すぎる」
「そうじゃないのさ。金の為じゃない、地位や名声のためじゃない、増して安定のためじゃない。変に言えばスリルのためさ。僕にとってお金を稼いで一生溜め込むなんて生活は、平和でしかない。」
「平和の何がいけない」
「いけないね、とてもいけない。日常の中にも何か非日常がなきゃ、人間廃人になっちまう、木になっちまう。でもどれくらいが非日常かは人によって違う。丁度お前と僕のように、お前はお金を貯めることがスリルだと思ってる、でも俺はそれ位の事スリルに感じなかったのだ」
彼は首をかしげたが、黙っていた。
「いいか、地位や名声や金の為じゃない。そういうものにお金を使って、色んな職をやって、沢山の刺激を貰って生きていくことが僕にとってはとても楽しいものなのさ。刺激を貰うんじゃなくて勉強と言ってもいい。ある程度の知識がなきゃ好きな物は楽しめん。本にしろ音楽にしろ役者やコレクションにしろ全部そうだ。君は僕を馬鹿な人間のように見ているかもしれないが、僕は君がとても勿体ない人間に見えるよ」
彼はやっと口を開いた。
「君が好きだからあまり言う気にはならないが、そういうものが嫌いな人もいるだろう。嫌いなものを好きになれないのは勿体ないのか?」
「お前は俺の好きなものが嫌いなのか?」
「いや、あってもなくても関係ないものだと思っている」
「そういう事だよ、興味が無いものには興味を持たなくていい。好みがあるものだけ、極めればいいのさ。でも大概、趣味になりうる事ってのは何かしら人を惹き付ける力がある。だから磁石のS極とN極が引き合うように、お前も好きなものを見つけたら触れてみた方がいい」
「それで続いた試しがない。というか君の言い分からすると、私は君の趣味に興味が無いのだから興味を持たなくていい事になるぞ」
「合ってる。だから自分から探す必要がある」
彼は無くてもいいと思うんだけどなぁと言った顔をして口を噤んでしまった。
「好きな物は好きで、興味が無いものはそれでいい。でもそれを自分に試すには、少なからず興味を持たなきゃならん。食わず嫌いが良くないと言われるのがちょうど良く似ている。……それから興味が無いものは無くていいって考え方はちょっと違う、ちゃんとそれが好きな人が居ることを考えたらそんな事言えないだろう。」
彼はなんで俺の心のうちが読めるのだという顔をした。その顔だぞと心のうちでからかっておいたら、彼はこう答えた。
「分からん。君とこういう話をするといつもこうなる気がする。」
「仕事だけやってろ必殺仕事人」
「俺は江戸の殺し屋じゃない」
そんな会話をしたのは上京した彼が地元に帰ってきた時の、僕の家だった。ゴチャついた部屋で悪かった。
「とはいえ汚い部屋だな」
「うっせえ!」