2 三級機関士
街の中をスイスイと横切って、フランツは十分ほどで機関庫に着いた。
機関庫は町の中心からは少し外れた場所にある。
敷地は高い壁で街と仕切られている。通りに面する入り口には、機関車が数台まとめて通れそうな大扉が付いているが、これが開いたところをフランツは見たことがない。
フランツは壁に埋め込まれた守衛の詰め所に向かった。
窓ガラス越しに手を振ると、顔見知りの守衛が帽子をクイッと上げて挨拶する。それを確かめてから、フランツは詰め所の横にある小さな通用口を押し開けた。
目の前に、機関庫の風景が大きくひろがる。
ガラス天井の無い、大きくひらけた砂地。そこに扇のような形の大車庫が五つと、小箱のような車庫が二十近くも建っている。
建物の間には、線路が網の目のように敷かれていた。
フランツは車庫と車庫の狭いすき間を、ヒョイヒョイと走り抜ける。
ほどなく彼は、小さな町工場ほどの、ずいぶんこぢんまりとした車庫にたどりついた。レンガ造りの黄色い建物の裏には、鉄さびが浮いた青い扉がはまっている。
その扉を押し開けたとたんに、フランツはもわっとした生暖かい蒸気に包まれた。少し驚きながらも、フランツは急いで車庫の反対側にあるロッカーへ向かう。
彼が通りすぎる横には、青と緑の二台の機関車が縦にならんで停まっていた。
それぞれが背中に、何人ものツナギ姿の整備員を乗せて、今まさに発進準備の最中だ。
天井に走る蒸気管からは長いホースが何本もたれ下がり、車体のあちこちにつながっている。
「ラッツ! 急いで!」
声に振り向いたフランツは、ロッカーで下着姿になって手を振るリンテを見つけた。
「せっぱ詰まってるみたい。ノンビリしてたら殺されるよ!」
手招きするリンテに急かされ、フランツはロッカーに駆けよるなり、中から大きなバッグを引っ張り出した。
閉じ紐をゆるめれば、中には空色を基調にした服が入っている。
これが機関車に乗るための特別な服装、俗にいう乗務服である。
色や取り合わせは個人でまちまちだが、基本的には内着服と耐熱服を組み合わせて着る。
ちなみにある事情から、内着服の下には下着しかつけないのが機関士の常識だ。
脱ぎっぱなしのハーフパンツとジャケットを、リンテがぐるぐると適当に丸め、ロッカーに足で押し込む。
それを横目でジトッと見てから、フランツは手早く服を脱ぐと、わざときれいにたたんで、ロッカーにすっきり収めた。
見ていたリンテがムッと顔を曇らせるが、フランツは素知らぬ顔でバッグに手を突っ込む。
そんなフランツたちの横に、静かな足どりで一人の男性が近寄ってきた。
驚くほどに背が高い、渋い雰囲気を漂わせる人物だ。
「二人とも来たか」
「どうも、オーラフさん」フランツはペコリと頭を下げる。
この男――オーラフ・レストーは、あのハンスの部下、というよりはパートナーのような人物だ。
斡旋会社の会計長で、冷徹で計算高く抜け目がない。いろんな意味でハンスとは正反対の人物だ。
手足はすらりと細く、豊かなアイスブロンドの髪をオールバックにしている。顔つきはとても鋭く、ややひんやりとした印象を与える。
「勝手とは思ったが、先に準備させている」
ビリビリとした低音の声でそう告げて、オーラフは尖ったデザインの老眼鏡を指でクイッと直す。
そして几帳面な動作で、脇にはさんでいた紙ばさみを開くと、手を止めている二人に顎をやる。
「そのままでいい、着替えながら聞け」
着替えを再開する二人。
オーラフはふたたび書類に目を落とす。
「仕事は事故の復旧補助だ。直ちに出庫して、〈第二山岳線〉へ向かってもらいたい」
「オーラフさん、事故の詳細はありますか?」
フランツは内着服の首についた金属リングを止めながら質問した。
オーラフは軽く肯いて、書類を何枚かめくる。
「口頭で説明するぞ。
事故便は貨物列車FBT412。ホッパー貨車のみの十三両編成で、積み荷は建築用消石灰。
現場はフェルナ・ブルッハイ=エルザブリュック間の〈第二山岳線〉四号付属信号所。貨車二両が転轍機で脱線、機関車を含む先頭三両が待避線にて停止中。
残りの貨車八両が停止せず、〈第二山岳線〉を低速で暴走中。これはおそらくブレーキ故障と見られる。
列車の運行元であるフェルナ鉱業公社は、荷物と貨車両方を無事に確保することを希望している」
「それってさ」リンテが内着服を着ながら「まさか走ってる貨車を止めろとか言わないよね?」と口をはさんだ。
オーラフが片眉を意外そうについっと上げる。それからすばやく首を横に振った。
「いや、それはない。途中の信号場、おそらく三号になるはずだが、そこで止める予定だ。君たちは貨車を引き取って、ここに戻ってくればいい」
「なら、いいんだけど、さっ」
返事しながら、リンテは内着服をあっちこっち引っぱっている。
体型にピッタリと合った服の、シワを取ろうと悪戦苦闘しているらしい。途中でお腹がぷにんとはみ出て、慌てて裾を下げたりもする。
「フランツ君は、なにかあるかね?」
顔を向けたオーラフにそう聞かれ、フランツはゴワゴワとした耐熱服の襟を整えながら、首を横に振って答える。
「いいえ、ありません。詳しいところはマットが持ってきてくれるでしょうから」
「そうだな。では後はマテウス君に任せよう」
バネ仕掛けの人形のように、オーラフがキビキビと書類をたたむ。
来た時と同じように、彼は静かに歩み去っていった。
フランツはベレー帽を被ると、ロッカーの扉にかかった小さな鏡をのぞき込む。
鏡の向こうから、まるで少女のような顔が覗く。あどけなく線の細い顔だ。
ちょっと端のつり上がった、薄い緑の瞳が印象的。真ん中が太くなった山型の眉毛が活発そうな雰囲気を与える。
これが見慣れた、フランツ自身の顔だ。
帽子からはみ出した砂色の髪をクイッと押し込んで、フランツは薄く笑ってみる。あわせて鏡の中の少女、いや少年も、どこかイタズラ好きな笑顔を浮かべた。
他人からは女っぽいとよく揶揄されるフランツだが、自分ではこの外見をとても気に入っていた。
(なんといっても、見た目に騙されてくれる人が多いからね)
「なにやってんのラッツ? 鏡見てニヤニヤしちゃってさ」
横からリンテがのぞき込んでくる。
「いや! べ、別になにも?」
フランツはあわてて鏡から目を逸らすと、横に下げられた安全メガネをつかんだ。
それは革とガラスで作られた高級品だが、ずいぶんとくたびれていて年期を感じさせる。
リンテがしばしの間、ジトッとこちらを見る。
やがて肩をすくめて、彼女はおもむろにパンパンと手を打つ。
「……まぁいいや。さて、服の確認やるよラッツ!」
「わかった、始めるよ」
二人は向かい合うと、互いの服装を指さしですばやく確認する。
耐熱服や内着服に破れやほつれがないか、金属リングはにヒビや変形がないか、その他装備は全部そろっているか。
全て、機関士として必要なチェックだ。
一見すると些細なことのように思えるが、これら全てが非常時には重要になってくる。
例えば耐熱服に小さな穴があるだけで、事故の時に火傷する危険は大きく増す。装備が欠けていれば、それだけ操作に支障が出る
一通り確認し終えたフランツは、最後にリンテの肩に光るプレート、アルミ製の機関士等級肩章を見る。
黒い金属プレートに〈三級機関士〉を表す銀の一本線が誇らしげに光っていた。
それと同じ物は、フランツの肩にも光っている。
機関士は機関車の運転をつかさどる仕事だ。
強い責任感と高い能力が求められる仕事であり、線路に出るためには、かならず正式な機関士資格が必要になる。
二人の肩章が示す三級機関士は一番下の等級だが、取るためには高い費用を払って、きびしい試験をパスしなければならない。
普通なら長い下積みを経て手に入れる資格であり、十六歳の二人の肩には、少々場違いな代物だった。
「よし……問題ないよリン」
「うっし、ラッツも大丈夫!」
空色と若草色、二人の若き三級機関士は、グローブに包まれた互いの両手をパシンッ、と音高く打ち合わせた。
フランツは手にしていた安全メガネを、頭ではなく首にかける。
リンテはロッカーから取り出した、四十センチもある〈特大スパナ〉をホルダーにストンと落とし込んだ。
この二人の行動は幸運の儀式、いわゆるゲン担ぎだ。
危険と隣り合わせの機関士には、迷信や運を信じる者が多い。決められた行動で着替えを終わらせるのは、わりとポピュラーな行動だ。
ちょうどそこへ「お二人さーん!」と擦れた声がかかった。
赤い作業服を着た、褐色肌の少年が機関庫に入って来る。
少年は頭には灰色のバンダナを巻き、さらにその上から。鉄板の付いた赤い安全帽子を被る。ちょっと奇妙な格好だ。
少年は分厚い書類をしっかりと両手で持ち、こちらに向けて勢いよく走ってくる。そして二人のところで足を止めると、荒い息をつきながら書類を差し出した。
「ぜぇ、ぜぇ……あーもう、ようやく取れたぜ! 救援列車の〈計画書〉だ! ……あぁ、まったく、事故一つで管理局も駅公社もエラい騒ぎでよ、認可取るのが遅くなっちまった!」
「そんなに大変だったの?」
フランツは親友であるマテウス・マルモァから、差し出された書類を受け取った。
横でリンテも「おつかれマット」と、残る一束をサッとつかむ。
「大変だったかって? 大いに大変だともさ。急行が追い抜くなんて、ちょうどマズいタイミングで事故っちまったんだよ。第二線は完全にマヒ状態だ。いま第一と予備にそれぞれ列車を振り分けてるけど、元通りにするには夜中までかかりそうだぜ」
マテウスはひどい早口で、一気にまくし立てた。
彼はフランツより一歳年上の十七歳だが、これでもエルザブリュック駅公社のれっきとした職員である。
運行管理の助士として、メキメキと頭角を現している若手の星だ。
しかし、そんな親友にかまうことなく、フランツはすばやく書類に目を通す。
「……プラン番号は、EEBK0―52C631か……うん、うん……よし、マットありがとね、これで走れるよ。いい〈計画書〉だ」
フランツは軽く笑って、マテウスに拳を差し出した。
計画書、正式には〈運行計画書〉というこの書類は、あらゆる列車の運行に絶対に必要なものだ。
運行に関わる指示書であり、認可を受けた正式な許可証でもある。
使用する路線、通過する施設、時間や速度に関する指示などが全て記載されていて、機関士はこれに従わなくてはならない。
フランツの拳に、同じく目を通したリンテが拳を重ねる。最後に息を整えたマテウスが拳を重ねて笑った。
「よし! じゃお二人さん後は任せた。一丁ピシッと片付けてきてくれよ?」
「ういうい、まかされよ!」
「うん、最善を尽くしてくるよ」
言葉を交わして、三人は拳を解いて互いの手を握る。
これもまた幸運の儀式だ。
親友同士である三人はいつも、仕事で組む時にこれを合図にして出発の準備に取りかかる。
そして今も、三人は素速く走りだすと、それぞれの持ち場へと散っていく。
フランツは愛車に飛び乗るまえに、ちらっと車庫の天井近くに下がった時計を確認した。
太い針は、六時二十分を指していた。




