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7 使わないに越したことはない

「念の為に、これをティアナ様にお渡ししておきます」


 そう言って、クラウスは俺に“それ”を手渡した。受け取ったそれはずしりと重く、正直に言えば「使いたくない」という甘えた言葉が頭に浮かんだ。




 乗合馬車は雨天の中を、それでも順調に進む。

 当たり前だが、この世界はコンクリートだのアスファルトだので道が補整されてなんかいない。雨が降れば当然のように地面が荒れる。結果、荒れた道を行く馬車はかなり揺れることになってしまうのだ。雨天時の馬車は正直乗り心地がいいもんじゃないと俺は思う。

 派手に馬車に揺らされても馬車酔いしないのは、ティアナとしての身体が丈夫に出来ているおかげだろうか。

 イザベルまでは途中野営や休憩を挟むと言えど、殆どノンストップである。そのことを考えると、自分の身体が酔いに強くて良かったと思わざるを得ない。これで酔いやすい体質だったとか言ったら、俺はきっと馬車がトラウマになっていただろう。

 とはいえ、大きく揺れる馬車に体の節々をぶつけたりするので、体中のあちこちが痛かったりはしている。短時間なら大したことはなくても、長時間この状況となるとちょっとした拷問でも受けている気分になる。

 体中が痛い。特に尻が痛い。椅子との接触面である限り、尻が一番衝撃が蓄積されている部位だ。馬車が揺れる度に積み重なっていく衝撃は、長時間の行程でそれなりのダメージを尻に与えていた。痔になったらどうしようかと半ば本気で考えてしまう。

 世界を救済する巫女は実は痔だったとか、誰も得しない事実だ。嫌すぎる。そこまで考えて顔をしかめたとき、ふと馬車の窓から見える風景がいつの間にか先ほどまでとは随分と雰囲気が変わっていることに気づいた。 

 雨が降っているため視界はあまり良くないが、はっきり分かる。今、馬車が走っているのは森の中だ。それも前世ではなかなか見ることが出来ないような緑生い茂る道。何とか乗合馬車が一台通れる程度の小道を囲むように、木々が絶え間なくアーチを作っている。

 街の外の光景にあまり馴染みのない身としては、馬車の窓からついついそんな光景を物珍しく眺めてしまう。

 鬱蒼と生い茂る森は、見る人が見れば不気味だと言うに違いない。実際、森の雰囲気は雨のせいもあるのだろうが全体として薄暗い。そんな雰囲気さえなければ、馬車から眺めるにはいい景色だと思えたかもしれないと、俺はそんなことを思う。

 空が雨雲に覆われているので、まだ昼間だと言うのに夕暮れどきと変わらないくらいに辺りは暗かった。これでは、森の中に何かが潜んでいても見つけるのは容易ではないだろう、という思考が何となく過ぎる。我ながら、どうでもいいことを考えていると思う。こんな森の中に一体何が潜んでいるというのだろう。聖石の力で森の中といえど、魔物が寄り付くことはないというのに。

 そんなことを一人考えながら苦笑する俺の視界を黒い影が横切った。それも一つじゃない。複数の影だ。


「あれ?」


 思わず声を漏らせば、隣に座っていたエリーゼが小首を傾げて俺を見上げてきた。


「どうかしたの?」


「いや、今何か黒い影が見えたような気がして……」


「うさぎやキツネじゃないの?」


 それにしては大きかったような。

 人と同じくらいの大きさはあった気がするのだが。人……?

 そこまで考えて、俺はようやく影の正体に気づく。が、気がついた時には既に遅かった。


「きゃあ!!」


 馬車が大きく揺れて、隣に座っていたエリーゼが俺を押し倒す勢いでのしかかってきた。他の乗客たちも、椅子から滑り落ち、全員が右方へと傾いている。

 そんな混乱が起きた理由はひとつしかない。馬車が転倒したのだ。

 大の大人が揃いも揃って、何の前触れも無かったといえど体勢を崩すくらいだ。馬車がどれだけ勢いよく転がったのかなんて語るべくもない。

 俺はエリーゼを押しのけるようにしながら、すぐさま上半身を起こすと目の前の車窓へとしがみつくようにして身を乗り出した。


「いったーい! もう、一体何なの?」


 後頭部をしこたまぶつけてしまったらしいエリーゼが頭を抑えながら文句を漏らした。けれど、今の俺にはそんなエリーゼに構っている余裕はない。

 先ほど、乗合馬車の車窓から見えた影。あれはおそらく人間で間違いない。

 では何故、人がこんなところにいるのか。わざわざ聖石で守護された街中ではなく、ここに人間がいる理由。森の中で行うのに向いている人の所業とは。

 そんなの考えるまでもない。追い剥ぎだ。

 聖石が寄せ付けないのは魔物だけだ。では、それ以外の生物ならどうなる? 例えば、人間ならば。

 悪人であれど、魔物でさえなければ馬車に近づくことも馬車を襲うことも可能な筈だ。ならば、追い剥ぎが乗合馬車をそのターゲットに選ぶことは想像に難いことではない。乗合馬車が賊に襲われるというのは決して珍しい話ではないだろう。


 そもそも乗合馬車はこの世界における最も一般的な移動手段と言えど、本数が限られる貴重な足でもある。金を持たない者が利用するということはまず有り得ない。よって、その乗客たちは乗合馬車を利用可能な程度に裕福な者たちだけだ。

 それに、“魔物と遭遇しない”ことを前提にしているのだから、当然徒歩で移動を行う冒険者に比べれば軽装だろうし、警戒だって薄いだろう。大体の場合においては、乗合馬車の乗客は腕っ節も心構えも冒険者のそれよりは劣るのではなかろうか。

 金持ちで戦闘にも向いていない人々。

 追い剥ぎを行うのに、これほど向いている存在もあるまい。

 勿論、乗合馬車はそういった追い剥ぎ対策として護衛を雇っているのが常だ。だが、雨天の視界の悪い森の中、護衛たちに馬車もろとも不意打ちで襲いかかることは不可能であるとは言えない。

 追い剥ぎの目的は所詮は物取り。乗客も護衛も死んでくれた方が、彼らにとっては都合がいい。手段を選んだりはしないだろう。馬車もろとも一旦吹き飛ばして、乗客の死体から身ぐるみを剥がしてしまえば良いだけなのだから。


 俺は急いで車窓から身を乗り出して、乗合馬車の上部を見上げる。

 馬車のすぐ近くには崖が存在していた。予想通り、崖の上には複数の人影が見える。その影を確認すると同時に俺は舌打ちをした。

 人影の中に、魔術師と思われる格好の人間が混じっていたからだ。

 魔術師は杖をこちらに構えている。おそらくは何らかの魔術を放とうとしているのだろう。

 乗合馬車の前方には焼け焦げたような跡と、乗合馬車の御者である男性と馬が倒れていた。

 彼らを助けなくてはという気持ちは当然ある。けれど、その前にあの魔術師を止めなくては魔術の第二波がこちらを襲ってくるだろう。

 焼け焦げた地面を見る限り、おそらくは先程もあの魔術師が炎の魔法か何かで馬車を襲撃したのだと推測できる。地面の焦げ具合を見る限り、その魔法は直撃すればただでは済まないに違いない。しかし、魔術師を止めようにも、崖の上に立つ人間を崖下から攻撃する手段なんか俺にはないのだ。

 『どうすれば』と俺が思ったとき、俺のすぐ横から声が降ってきた。


「動かないでください、ティアナ様」


 声がしたと思った瞬間、ひゅんと空気を割く音が俺の耳を打った。

 驚いて隣を見上げれば、俺のすぐ横にはいつの間にかクラウスが立っていた。その手には弓が構えられている。

 騒がしい音にクラウスから再び崖上へと視線を移せば、そこにはぐらりと倒れる魔術師の姿があった。その胸には一本の矢が突き刺さっている。

 この距離であの魔術師を狙い打ったのか。俺は即座に何が起こったのかを理解する。

 クラウスが弓の扱いに長けているということは、ゲームの知識としては知っていた。だが、その腕前をいざ目の前で見ると感嘆するしかない。見事だと、素直にそう思う。

 胸を射られたのだ。魔術師はすぐにこちらに魔法を放ったりはできないだろう。

 だが、これで安心とは勿論いかない。崖の上には他にも複数の人影がいる訳で、となれば賊はまだ多数存在しているということになる。これで相手も引いてくれれば良いだろうが、そう上手くはいくまい。

 崖下からとはいえ、こちらはあちらの姿を捉えているのだ。姿を見られた以上、生きて帰してくれる筈もないだろう。

 実際、すぐに崖の上から矢が飛んできた。

 咄嗟にクラウスが俺の頭を抱きかかえるようにしながら、地面に伏せる。そんな俺たちの頭上を矢が走っていった。


「こちらです!」


 クラウスは俺をすぐさま立たせると、近くにあった木の後ろへと回り込ませる。


「ティアナ様はここから動かないでください」


 ここからなら、賊の矢は木に阻まれて届かない。クラウスはそれだけを告げると、倒れたままの乗合馬車に向かって声を上げた。


「エリーゼ、聞こえるか!」


 ひょこり、と細い腕が車窓から出て左右に軽く手を振った。崖上から矢を射られたので、すぐさまその手は馬車の中に引っ込んだけれど。

 どうやらエリーゼもとりあえずは無事のようだ。


「そこから魔術で崖の上を狙えるか!」


 大声でクラウスがエリーゼに問う。


「できるけど、狙いは定まんないかもー!」


 すぐに大声でエリーゼが返事をした。のんびりとした口調に緊張感は感じられない。多分、二人とも俺とは違い、こういった状況には慣れているのだろうと思った。


「それで構わない! 範囲の大きい魔術で一気に崖上を狙え!」


 クラウスの言葉に、車窓から親指を立てた腕が現れる。

 それからすぐに呪文の詠唱と思える言葉と、青白い光が馬車から漏れた。


「全てを包むは白銀の女王の翼。怒れる凍河よ敵を屠る刃と化せ!」


 辺りの空気が一瞬で切り替わる。ピリピリとした感覚に肌が粟立つ。俺は思わず自らの両肩を抱きしめた。隣りのクラウスは平然としているから、ティアナとしての身体が放たれる魔力に反応しているのかもしれない。


「アイシング・ブルー!」


 エリーゼの声が高らかに辺りに響いたとき、乗合馬車の車窓から崖の上まで一直線上にあるもの全てが凍りつく。

 合間にあるもの全て。その全てには地面や森の木々、そして人間をも含む。

 崖の上で凍りついた賊たちの姿が、遠目からでも確認できた。

 この世界において、魔法というものが如何に強力であるかということは知っていた。ゲームとしての知識としてもそうだし、ティアナの経験としてもそうだ。

 強力な力を持つ魔術師というのは、それだけで兵器だ。一騎当千の実力を持つ。

 今の魔術で、賊の大多数は一網打尽にすることが出来ただろう。それでもまだ数人は魔術を逃れている。

 その僅かばかりの生き残りに向けて、クラウスが弓を構えていた。


「……殺すのか」


 思わず溢れた言葉に、一瞬だけクラウスが動きを止める。けれど、それは本当に一瞬で、すぐにクラウスは構えた弓の弦を引いていた。


「はい」


 簡潔な言葉でクラウスが返事をする。

 当然だ。ここで賊を生かしておくメリットはない。

 生き残った賊はこちらへの報復を考えるかもしれないし、そうでなくともきっとまた同じことを繰り返すだろう。そうすれば、罪のない犠牲者が増えるだけだ。

 生かして捕らえる、なんて手間のかかる手段を取る余裕がある訳でもない。

 それはおそらく最善の選択。

 それが分かっているから、俺はクラウスを止めたりはしない。

 気がつけば、木の幹の後ろに身を隠しながら、俺は無意識に自分の腰の辺りに右手を伸ばしていた。

 そこには街を出る前にクラウスが俺に渡したものが、ずっしりとした重さをもって確かに存在を主張している。

 それに触れながら、ニダヴェリーを出る前のことを俺はぼんやりと思い出していた。




 乗合馬車に乗り込む前に、俺はクラウスに呼び止められた。


「念の為に、これをティアナ様にお渡ししておきます」


 そう言われて、受け取ったものを見て俺は思わず眉間に皺を寄せる。ずっしりとした重さを持ったそれはRPGではお馴染みの武器である細剣レイピアだった。きっちり収められていたそれを、ほんの少しだけ鞘から出す。

 曇りひとつない刀身は銀の輝きを放っていて、当たり前だがそれが刃物であると思い知らされる。

 訓練用のフルーレとは違う。これは細身ではあるが、誰かを殺傷することが十分可能な程度には危険な代物なのだ。


「街の外は何が起こるかは分からない場所です。乗合馬車と言えども全くの危険がないとは限らない。使わないに越したことはありませんが、護身用としてお持ちください」


 護身用にしては過剰防衛過ぎやしないだろうかと、前世の感覚では思ってしまう。が、ここはあの世界とは違うのだ。魔物だなんてものが街の外に蔓延っている世界。過剰すぎる防衛は、街の外ではむしろ必要最低限なものなのだろう。

 郷に行っては郷に従え。あちらにはあちらの常識があるように、こちらにはこちらの常識がある。そして、こちらの常識で言えば、街を出る際に武器を携帯することは当然なのだ。

 俺はクラウスの言葉に素直に頷き、腰に細剣レイピアを吊り下げた。

 見た目以上にずっしりとしている細剣レイピアは、俺には重すぎる荷物だ。複雑な心中を秘めたまま、それでも俺は細剣レイピアを腰に携える。それが最善だと俺は知っていたからだ。




 俺が木の幹の後ろで物思いに沈んでいる間にも、賊との抗争は続く。

 魔術師の魔法は強大で厄介だが、故に近づいてしまえば強力な術を放つことは出来ない。自らや、自身の仲間さえも巻き込んでしまう可能性があるからだ。

 戦闘において、最初に狩っておく必要があるのは一番厄介な存在である魔術師であることなど言うまでもない。

 生き残った賊はそれを理解していたらしく、狙いをエリーゼに絞ったようだ。賊はエリーゼ目掛けて、崖上から一気に乗合馬車に向かって下ってくる。

 それをクラウスが矢で狙い打つが、数が数だ。全てを射終えるよりも早く賊が崖下を下り終える方が早い。

 崖下を下り終えた賊たちに対して、馬車の護衛たちやエリーゼも応戦している。が、乱戦の様を見せる戦いだ。エリーゼだって大きい魔術は使えない。本人は無事だが、護衛や乗客にも被害が出ている。

 護衛に対して非戦闘要員の方が遥かに人数が多いのだ。全てを守りきるのは、いくら何でも不可能なのだろう。


「ひぃっ!」


 聞こえた絶叫に、俺は木の裏からそちらへと視線を向ける。

 そこにいたのは、待合場所で見かけた行商人の中年男性だった。彼は地面に尻餅をついて倒れている。

 賊がそんな男性にシミターを向けていた。

 俺の頭の中で、あの待合場所での光景が過ぎる。

 はやくかえってきてねと告げた女の子。エリーの姿と被る。良い子にしていたら早く父親が帰ってきてくれると信じて疑っていない純真な瞳。もし、その父親が二度と帰ってこなくなったらあの子は?

 それは考えての行動ではなかった。おそらくは無意識の――、何にも考えていない咄嗟の行動だ。


「ティアナ様!」


 クラウスの声が聞こえたが、それよりも早く俺は走り出していた。

 キィンと金属と金属がぶつかり合う音が、雨音に混じって響く。

 賊が振り下ろしたシミターと俺の細剣レイピアがぶつかり合った音だ。


『使わないに越したことはない』


 ニダヴェリーでのクラウスの言葉が頭の中でこだまする。

 分かってる。分かってるさ、そんなこと。

 力任せに細剣レイピアを振り回し、賊と無理やり距離を取る。

 実践経験なんて当たり前にない。今世での俺は屋敷にいるとき、細剣レイピアを使った剣術の訓練をしたことがあったが、あれはあくまで護身用だ。下級の魔物ならまだしも知能を持った人間相手にどの程度通用するのかは分からない。

 前世では当たり前に剣術なんて習っていなかった。剣道だとかフェンシングだとか、そんな洒落たスポーツの経験なんて皆無だ。俺のスポーツ経験は卓球のみである。確実に荒事とは無縁だ。

 俺がやったことがある“けん”といえば、けんはけんでもじゃんけん。その程度の前世の経験が役に立つものとは思えない。

 前世の記憶というアドバンテージをなくせば、今の俺は多少運動能力に優れるだけの非力な女でしかない。


 冷静に、冷静になれ。

 自分の頭に言い聞かせるが、上手くいかない。俺は自分でもタフなメンタルの持ち主だと思ってはいるが、さすがに刃物を向けられて動揺しないほど人間としてブッ壊れてもいないのだ。

 相手に向けて細剣レイピアを向けたまま、じりじりと間合いを取る。

 雨だか汗だか分からないものが、俺の頬を伝った。

 怖い。

 正直に言えば、恐ろしい。許されるならば、今すぐ家に帰って毛布でも被ってブルブル情けなく震えていたい。泣きながら『何で俺がこんな目に遭わないといけないんだ』と叫びたい。それくらいには怖い。

 心臓の鼓動がうるさい。指先が震える。

 それでも、剣先は相手から外さない。

 相手に背中を向けるということがどれだけの悪手であるかなど、語る必要もない。逃走するには相手との距離が近すぎる。相手の目の前に飛び出した時点で俺には逃げるという選択肢は既に存在していないのだ。後退が許されない以上、怖かろうが敵と向き合うしかない。

 構えた細剣レイピアの剣先が不格好に揺れていた。指先に力が入らないのだ。そんな状況でまともに打ち合える筈がない。

 振り回された相手のシミターを、俺は咄嗟に細剣レイピアで受け止めようとする。

 細剣レイピアは元々突くことに特化した武器だ。まともに打ち合えばシミターとでは相手にならないことなど分かっていた筈だったのに。加えて、男と女では腕力に違いだってある。

 キンと高い音を立てて、俺の手に持っていた細剣レイピアはあっさり弾かれた。雨で泥濘んだ地面の上を細剣レイピアがカラカラとおもちゃのように転がる。

 咄嗟に細剣レイピアに向かって手を伸ばそうとするが、当然間に合う筈がない。俺が細剣レイピアを手にするよりも、相手のシミターが俺を切りつける方がずっと早いに決まっている。

 反射的に俺は、細剣レイピアを収めていた鞘でシミターを受けようと試みた。結果なんて見えているのに。

 死ぬ。

 脳裏によぎったその二文字に、俺は全身の血の気が引くのが分かった。


 その瞬間だった。


「炎の檻よ、愚かなる贄に無慈悲なる粛清を!」


 聞き覚えのある甲高い声が俺の耳に届く。

 俺はその時、それがエリーゼの声だと理解することすら出来なかった。俺がその事実に気がついたのは、全てが終わった時だった。


「フレイムプリズン!」


 声が聞こえたと思った瞬間、目の前の山賊の体が地面から現れた燃え盛る炎に包まれる。

 肌が焼けるように熱い。目の前で燃えているのだから当然だ。炎はあっという間に燃え盛り、やがて黒く焦げたかつて人だったものが俺の足元に無機質に転がる。

 俺はその様子を驚愕のまま見つめることしか出来ずにいた。目の前の状況に理解がついていかない。


「ティアナ、大丈夫?!」


 俺の元へエリーゼが走り寄って来たとき、俺はようやく我に返った。

 我に返った俺の思考を占めたのは、助かった安心感でもなければ、目の前で見た魔法への感嘆でもない。胸を圧迫するような形容しようのない不快感だった。

 焼け焦げたタンパク質の匂いの生々しさに途端に気分が悪くなって、俺は口元を抑えてその場にしゃがみこむ。


「ティアナ?」


 膝を曲げてうずくまる俺に、エリーゼが不安げに声をかけてくる。けれど、今の俺にはそれに答える気力はなかった。

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