4 お久しぶりです、ティアナ様
「お久しぶりです、ティアナ様」
そう言った男の顔は誰がどう見ても完璧な笑顔であるというのに、目だけは笑っていなかった。その予想外の遭遇に、俺が思わず頬を引きつらせてしまうのはある意味当然の反応だったに違ない。
メーヴェの試運転に成功したその日、ささやかながらお祝いをしようということになった。お祝いと言っても、貴族のパーティーのように派手なことをする訳じゃない。いつもより少し豪勢な食事を準備して、おめでとうと言い合うだけの微笑ましいものだ。
それは、華やかな貴族の晩餐会に比べれば派手さでは明らかに劣るだろう。けれど、家族の愛情に恵まれなかった俺としては、そちらの方がよっぽど好感が持てた。
エドガーさん父娘のためにも、今日は少しばかり気合を入れて夕飯を準備しようと俺は決意する。
とはいえ、メーヴェが完成したからとエドガーさんの懐事情が急に良くなった訳では勿論ない。豪勢な食事を準備するにしても、先立つものがなければ食材だって買えないのだ。
エドガーさんはお祝いと言っても身内で行うものだから、そんなに気にしなくてもいいと言ってくれた。けれど、俺としてもこれはかなり大きな意味がある一歩である訳で、できれば料理くらいは贅沢したいと思ってしまう。
そんな現状に見かねて、俺は自分のへそくりから資金を出すことに決めた。
俺の私物はそんなに多くはない。が、その多くない私物の中には屋敷から持ち出した装飾品の類がまだ多数残されていた。
何せこの世界はファンタジー世界なのだ。屋敷を出た当初は、もしかしたら貴金属の価値は大したものではないのかと不安に思ったりもしたが、俺の予想と異なり装飾品の類はかなりの高値で売り払うことができた。
なので、現在の俺は実は小金持ちだったりする。都市連合に来るまでの道中で日用品や服を買った時や、乗合馬車などでお金が必要になった時にはさすがに金を使ってはいるが、装飾品の多くはまだ手つかずのままで済んでいるのだ。
俺はその装飾品を売り払って、食材購入のための現金を得ようと決める。
エドガーさんから間借りしている自分の部屋に戻ると、バックを漁り、その中から翡翠の指輪を一つ取り出した。ほんの少し指輪に違和感を感じたような気もしたけれど、見たところ指輪に不審な点は見られない。きっと気のせいに違いないと、俺は感じた違和感をなかったことにする。
それよりも、今はこの指輪を換金して資金を調達する方が重要だ。
確か、この街にも貴金属の売買を取り扱う店があったと思う。俺は指輪を握り締めると、財布を持って家を出た。
現在俺が住まうこの街ニダヴェリーは、都市連合の南西部に位置する海に面した産業都市である。
ニダヴェリーは元々研究者の街としても栄えてきた場所だった。近年は、聖王国とも近く大陸南方に位置する立地的条件も相まって、貿易都市としても有名だ。
都市連合には大陸に存在する都市だけではなく、南方諸島にある都市もいくつか加わっていたから、ニダヴェリーは大陸と南方諸島とを結ぶ重要な拠点であるとも言えるだろう。
その構造は、街の北側にある小高い丘の上に居住地区と工業地区を構え、街の南部にある海に向かって下っていくと商業地区に至るという風になっている。
ニダヴェリーは、聖王国の王都に比べると、近年急発展を遂げているため建物も整然とはしていないし、いろんな文化や人種が混在するごちゃごちゃした都市だ。その分、王都よりも庶民的な部分が多く残されており、根が庶民である俺としては王都よりも親しみやすい場所だった。
一方で急発展の代償として、路地裏の辺りはスラム街と化しているからあまり治安がよくないらしい。絶対に一人でいる時にスラム街には近づいてはいけないと言ったのはエドガーさんだ。大通りを歩いている分には滅多なことは起こらないそうだから、俺はあまり気にもしていないけれど。
商業地区に下っていくにつれて、少しずつ潮の匂いが強くなる。
前世は日本という島国生まれの俺だ。海というものに思い入れは結構あったりする。潮の香りは何となく前世の記憶を思い起こさせてくれるので、この街のそんなところも俺は気に入っていた。まぁ、人によっては潮の香りは苦手という人もいるので、日本生まれだとか島国出身だとかは本当は無関係で、単純に俺が海を好きなだけかもしれないが。
ほんの少しだけ、普段より軽い足取りで俺は目的の店に向かって進む。
海が見える街で、一人で買い物。幽閉時代では考えられなかった自由だと思う。メーヴェも上手く空を飛んでいたし、エリーも元気に笑っている。いい事づくしだ。ついつい俺は上機嫌になってしまっていた。
だから、油断していたんだと思う。
「ごめんよっ!」
目的の店のすぐ近くに辿りついたとき、突然ドンと正面から男がぶつかってきた。思わず体勢を崩してそのまま尻餅をついてしまったが、幸い手のひらを少し擦りむいたくらいで大きな怪我はない。相手の男はそのまま走り去ってしまったから、多分怪我はしていないだろう。
それにしても、謝りはしたもののせっかちなヤツだなぁとそこまで考えて、はたと気づいた。これはもしかして、アレではないのだろうか。
俺は急いで上着のポケットに手を入れる。
「ない!」
俺の予想した通り、ポケットの中に入れていた筈の財布が消えていた。
「財布をスられた!」
どうやらあの男はスリだったらしい。
「クソッ! 待やがれ!」
男がスリだと気がついた俺はどうしたかと言うと、急いで立ち上がってそのまま男を追いかけるという行動に出た。年頃の女の子が口にするには明らかに好ましくない言葉を吐きながら、俺は全力疾走で男を追う。
猛追する俺に、男は一瞬だけ振り返ってギョッとした表情を見せたものの、当たり前だが立ち止まったりはしてくれなかった。むしろ、男は走るスピードをもう一段上げたくらいだ。
だが、俺は男を逃がすつもりはない。多少距離があるとはいえ、ここは坂道。走りにくいためか、男の走る速度はそう速くはない。それに、俺の足なら確実に追いつけるという自信があった。
「恋革」がRPG要素を多大に含むゲームである以上、ティアナは戦うヒロインである。基本的なスペックは元々高い。
精霊の巫女という立場上、潜在魔力も世界最高レベルであるのは間違いないし、屋敷に軟禁状態だったわりには運動能力だって優れていると感じる。
元々「恋革」では、かなりやり込んで育成すればティアナ一人でラスボスを倒せるくらいには強かった。ゲーム内におけるティアナは儚い印象のヒロインというイメージとは対照的に、「恋革」最強キャラ筆頭だったのだ。
ティアナのどの辺が優れているのかというと、例えば使える武器の種類なんかが一番に挙げられる。
ゲームではキャラクターによって扱うことが可能な武器が決められているのが一般的だが、ティアナは「恋革」で唯一全ての武器を使用可能というチート性能持ちだったのだ。おかげで、原作ティアナは前衛も後衛も任せられる万能型中衛だった。
多分、乙女ゲーム的な要素の問題もあってそういう仕様になったのだろう。原作ティアナは前衛も後衛も可能なので、ティアナさえいればパーティーメンバーを選ぶときプレイヤーの純粋な好みでメンバーを選んでもある程度は何とかなる。もうこいつ一人でいいんじゃないかなとは言ってはいけない。
では、現実での俺が魔法も武器もバンバン仕える万能中衛なのかというと、そうでもない。
一応、屋敷にいた時に細剣を使って護身術程度のものは習ってはいたが、それが実践で通用するかと言われれば謎だろう。弓だとか、槍だとかは正しい持ち方すら知らない。
勿論、訓練すればある程度は使用可能になるとは思う。だけど、やはりあれはゲーム上の設定でしかなく、原作ティアナが出来たことが俺にも必ずしも出来るとは限らないだろう。
まぁ、原作知識を使ってストーリーの先取りなんかをしている以上、逆のことも言えるとは思うが。
とにかく、今の俺は一般人よりも優れた能力を持っているのは間違いないというのが、ティアナとして生きている俺の実感だ。
実際に今だって、坂道でも全力疾走の追いかけっこを続けることが出来ている。前世の俺なら、とっくに力尽きていたに違いないというのに。
「待て! このドロボー!」
俺がそう声を上げたときだった。
「泥棒なんだね?」
後方から女の子の声が聞こえたと思ったら、突然俺のすぐ横を雷光が走る。俺が驚いている合間に、雷光は男の足元の地面を焦がしていた。
「今のは威嚇だよ。抵抗せずに盗んだものを返して。じゃないと、次はどこに当たるか分からないんだから」
驚いて振り向けば、そこには一人の女の子が立っていた。年頃はおそらく俺と同じくらい。短く切り揃えられた赤い髪と大きな翡翠の瞳がとても印象的だった。
彼女はローブを身にまとい、杖を男に向けている。どう見ても魔術師という服装だ。
「恋革」の世界では、実用的なレベルでの魔法の使い手はかなり珍しい。それに加えて、足元を正確に狙い打つなどという芸当を少女は行っていた。おそらくは繊細な魔術コントロールの技術を持っているに違いない。俺と同年代の少女でそこまでの技術を持つ者となると、これはかなり貴重な存在と言える。
そのためだろう。周囲の人々は驚いたように彼女を見つめていた。
俺も周囲と同じように、思わず彼女を呆然と凝視してしまう。だが、俺が彼女を凝視してしまったのは、周囲とは全く別の理由からだった。
どうして、彼女がここにいるのだろうか。突然の事態に思考が停止してしまう。
向こうは俺を知らないだろうが、俺は彼女を知っていた。
彼女は「恋革」に出てくる主要人物の一人だ。そして、その設定上本来なら一人でこんなところにいるなんてまず有り得ない筈の人物である。
どうして。思わず俺は口の中で小さくそんな言葉を呟いていた。
錯乱する俺とは裏腹に、少女はスリから取り上げた財布を持って悠然と歩いてくる。そして、穏やかな笑みを浮かべながら俺に財布を返した。
「盗まれたのはこれだけ?」
「あ、ありがとうございます……」
少女に声をかけられて、俺はようやく我に返る。いけない。不審な行動をして、彼女の注目を浴びるようなことになるのはごめんだ。
そう思い、咄嗟に礼を言いながら財布を受け取るもつい笑顔が引きつってしまった。彼女が不審に思っていなければ良いのだが。
「いえいえ、どういたしまして」
ニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべる彼女の表情に、よく知る知人の顔が浮かんだ。
よく見れば髪の色こそ大きく違うが、鼻や目など彼女の顔のパーツは俺の知人にそっくりである。二人並べば、二人が血縁関係にあることなど誰もが察することが出来るに違いないと思った。
もっとも二人の印象はまとう雰囲気のせいか、大きく異なっていたが。少なくとも、あの男のこんな子犬のような人懐っこい笑顔なんて俺は見たことはなかった。
まあ何にせよ、俺は彼女と関わりたくない。それが今の俺の最重要事項だった。
「すみません。できればお礼をしたいんですが、俺、今急いでいて……」
と、そこまで俺が言いかけた時だった。
「エリーゼ、そこで何をしているんだ!」
「あ、お兄様」
背後から聞いたことのある声がして、思わず俺は肩をびくりと動かしてしまう。
バレないうちにこっそりと退場しようと俺は密かに足を踏み出したが、そんな愚策が当然上手く行く筈がない。
「ティアナ様?」
名前を呼ばれると同時に、俺は走り出していた。その行動に、彼は俺の正体に確信を得たのだろう。
「エリーゼ、それが巫女だ!」
「え?」
青年は叫ぶが、目の前の少女は状況が理解できていないらしくパチパチと大きな瞳を瞬きさせるだけだ。
妹が役に立たないと知った青年は自分の足で俺を追いかけてきた。
ちくしょう。今の今まで鬼ごっこをしていたというのに第二ラウンド突入かよ。しかも、今度は攻守交替。俺が追いかけられる側である。
思わず舌打ちをかましてしまったとしても、俺は何も悪くない。当然の反応だ。苦い気分を抱いたまま、俺はそれでも追跡者を振り払うために懸命に走る。
けれど、それが無駄な足掻きでしかないなど俺は理解していた。今度の鬼ごっこの相手はその辺のスリじゃない。彼は「恋革」のパーティーメンバーになる人物なのだから。
「ってぇ!」
今度の追いかけっこは長くは続かなかった。
青年に後ろから馬乗りになる形で取り押さえられて、俺はみっともなく地面に這い蹲る。その状況を簡潔に表すのならば、現行犯逮捕と呼ぶのがふさわしいに違いない。
そんな状況だというのに、青年は腹立たしいほど完璧な笑顔を浮かべて俺に向かってこう言った。
「お久しぶりです、ティアナ様」
そう言った男の目だけは不自然なほど笑っていない。多分、本気で怒っているに違いない。俺は頬を引きつらせると諦めたようにため息を吐いた。
「……本当に久しぶりだな。元気そうで何よりだクラウス」
俺たちのやり取りにエリーゼと呼ばれた少女はどう反応していいのか分からないのだろう。ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
青年の名前はクラウス・ベルトホルト・クレヴァー。後ろの少女はその妹エリーゼ。共に聖王国の貴族である。
特に、兄の方は今まで何度か顔を合わせたことがあったので、俺とは顔見知りだったりする。
ちなみに二人共「恋革」ではティアナの仲間になる主要キャラでもあった。ティアナにとってクラウスは“攻略対象”であり、エリーゼはティアナにとって恋愛関係の“ライバル”にあたる。
と同時に、彼らはアルフレッド・ベルトホルト・クレヴァーの異母兄妹にあたる人物なのだ。
クラウスはクレヴァー家の正室の子であり、長男だ。よって、クレヴァー家の正当な次期当主という立場の人間である。
ただし、その性格は自由人。巷ではクレヴァー家の道楽息子として有名で、クソがつくほど真面目な異母弟のアルフレッドほど評判が良くない。
ゲームの中のクラウスは一言で言うと馬鹿だった。とはいえ、言動が頭が悪いという意味での馬鹿ではない。弟のために道化を演じる馬鹿だった。
クラウスは幼い頃から母が違うとは言え、同じ男同士ということもあってかアルフレッドと大層仲の良い兄弟だった。
現クレヴァー家当主は好色な男だったので、彼らの兄弟は多い。けれど、その兄弟は不思議なことに殆どが女ばかりだった。結果として、クレヴァー家の男児はクラウスとアルフレッドの二人だけという状況が生まれる。それがまた彼らの絆を深める要因になったのかもしれない。
ゲームの中のストーリーを思い出すに、アルフレッドは幼い頃から勤勉な少年だったようだ。クレヴァー家の一員として恥ずかしくないようにと、幼い頃から学術や武術に精を出していたらしい。
けれど、その一方でクレヴァー家内部でのアルフレッドの立場はあまり良くなかった。アルフレッドは早くに母を亡くしていたため、クレヴァー家内での孤児と化していたのである。
アルフレッドには同母の兄弟はいない。彼の母は元々身分がそれほど高い人ではなかったため、有力な後見人がいるでもない。頼みの父親は他に何人も側室や愛人を持つような男である。母を亡くした息子の最低限の生活こそ面倒は見てやれど、十分なほど彼に時間を割いてやっていたかと言えばそれは否だろう。
アルフレッドはクレヴァー家の中でもひっそりと忘れられた存在のようにして育った。
そんなアルフレッドを気にかけていたのが、他でもないクラウスだったのだ。
彼はやがてそんなアルフレッドの立場に気がつき、年も近い弟とできるだけ寄り添うようにしてクレヴァー家では過ごすようになる。
嫡男であるクラウスに逆らう者などクレヴァー家では誰もいない。彼がアルフレッドの傍にいるのだと強固に、絶対に折れることなく叫び続ければ、周りはそれを受け入れるしかないのだ。勿論、それにいい顔をしない者も多い。けれど、やんわりと注意を促されてもクラウスは決して言うことを聞かなかった。
クラウスにとってアルフレッドは唯一無二の弟なのである。
そして、共に過ごす内にクラウスはアルフレッドの才能に気づく。アルフレッドは本人の努力もあれど、非常に優秀な少年だった。けれど、それだけが彼の本質ではない。
その生い立ち故か、アルフレッドは謙虚な素直さも持ち合わせていた。その素直さからくる柔軟な発想で、画期的な政策を行い領地内の問題を解決にしたこともあるらしい。年頃になったアルフレッドはクレヴァー家を影ながら支える優秀な人材となり得たのだ。
そうなると、今度はアルフレッドの立場が変わってくる。
今まではアルフレッドに見向きもしなかった連中が彼の後見人に名乗りを上げ、クレヴァー家次期当主の座を狙い始めたのである。
おかげで、クレヴァー家はクラウス派とアルフレッド派で内部分裂が起こっているような状態になった。
その身内の抗争を収めるために、ある日クラウスは家督は継がないと宣言をする。勿論、彼の宣言が直ちに受け入れられた訳ではないし、一応その事件はクレヴァー家ではなかったことになっているらしい。
けれど、当のクラウスは自分にクレヴァー家を継ぐ気はないと言ってはばからない。巫女の護衛に抜擢されたアルフレッドに対し、宣言を覆す気はないと言わんばかりに、クラウスは毎日絵を描いて過ごすような自堕落な生活を送っている。
現クレヴァー家当主もそれに見かねてか、巫女が世界救済を終えたあかつきにはアルフレッドを当主にするという確約をしているのだと言う。
全ては弟にクレヴァー家を継がせるため。クラウスはアルフレッドが正式なクレヴァー家の後継者となった証には屋敷を出て行くつもりなのだ。
日の目を見ずに育ってきたアルフレッドが正当に評価されることだけが、クラウスの望みなのである。
そこまで彼の背景を考えたとき、何故ここに彼がいるのかとその理由を推測するのは非常に容易い。
簡単なことだ。彼は弟のために行方不明になった巫女を探しにこんなところまで来たのである。
「よくこんなところまで来れたもんだな」
俺は揶揄するように、クラウスに向かってそう言った。彼は一応現状ではクレヴァー家嫡男という立場のままだ。だというのに、驚くべきことにクラウスとエリーゼは護衛も付けずに二人だけでここまで来たのだという。聖王国の貴族が身一つで旅をするなんて、常識的には有り得ない。まぁ、一人でここまで来た俺が言えた台詞ではないが。
俺はクラウスに捕獲されたあと、彼らが泊まっているという宿にそのまま拉致されていた。さすがにお貴族様がお泊りになるだけあってそれなりに立派な宿だ。その宿は豪勢な割にはあまり部屋数は多くなく、そのためかここに至るまでの廊下でも他の客に会うことはなかった。
そのおかげで、今の俺の姿をあまり多くの人に見られずに済むのが幸いである。今の俺は逃げられないようにと、魔道具で手首を拘束されている状況だったりするのだ。他人に見られたら、気まずいことこの上ない。
「俺は道楽息子で有名ですからね。今更身一つで旅に出たって誰も何も言いませんよ」
なるほど。悪名も勝手気ままにするには役に立つということか。
当然のように説明するクラウスに俺はそんなことを思う。
「……どうして、俺がここにいると分かった?」
俺の質問にクラウスは元々切れ長の瞳をすっと細めた。
「アルフレッドが貴女は西海岸へ逃亡したと告げたからです」
言葉の意味が分からず、俺は眉をしかめた。クラウスは一体何を言いたいのだろうか。
けれど、俺の疑問は驚愕という形ですぐさま返ってくることとなった。
「弟は貴女をかばっている。そのせいで、命が危ない。今すぐ俺と一緒に王都に戻ってくれませんか」