表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

3 きっと望む未来だって得られる

 頭の上の方で左右二つに束ねた髪を揺らしながら、一人の少女がぱたぱたと走っている。

 彼女の名前はエリー・ヘレーネ・シュヴァルツマン。御年六歳になる女の子だ。

 彼女の父は“けんきゅうしゃ”という仕事をしていて、自宅の敷地内に研究室を構えている。エリーの今の任務は仕事をしている父にお弁当を届けることだ。お弁当を準備してくれたおねえさんの「あまり振り回さないように」という言いつけを守り、大事に大事にお弁当を抱え込みながらエリーは研究所を目指している。

 具体的に“けんきゅうしゃ”がどんな仕事をしているのか、エリーは父の仕事に詳しくはない。エリーにとってお父さんとはいつもヨレヨレの服を着て、ボサボサの頭をしただらしないおじさんのことを指す。

 放っておくとこのおじさんは、身だしなみにはちっとも興味がないらしく、無精ひげをぐんぐんはやして元々細身でみすぼらしい格好をしているくせに益々みっともない格好になっていく。

 それだけならまだしも、そのジョリジョリの顎でエリーに頬ずりをしてくるのだ。ジョリジョリの顎はすごく痛くて変な感触で、だからエリーはお父さんに毎朝ちゃんと髭を剃るようにと注意をする。けれど、その注意が聞き入れられることはあんまりないので、エリーはいつもお父さんに対して怒ってばかりなのだ。

 エリーに“おかあさん”はいない。気がついた時にはもう既にいなかった。

 エリーは一度だけ“おかあさん”について聞いたことがあったが、お父さんは「僕に甲斐性がないからねぇ……」と大人のくせに今にも泣きそうな情けない顔をしていたのでそれ以上聞いたことはない。多分、“おかあさん”のことは聞いてはいけないことなのだとエリーは幼いながらに察した。

 エリーには兄弟もいない。いわゆる一人っ子だ。エリーのお父さんは元々貴族出身らしく食い扶持に困るほど貧乏という訳でもなかったが、お父さんの“けんきゅう”には色々とお金がかかるらしく、元々あった財産もどんどん食いつぶしていっているので、生活に余裕がある訳でもない。

 そのため使用人を雇うことなど当然できる筈もなく、エリーは日がなお父さんと二人きりの生活を送る毎日だ。

 そのお父さんも“けんきゅう”が忙しいので常にエリーに構ってやることもできない。だから、エリーはいつも、ほんのちょっとだけ寂しいと思っていた。

 もっとお父さんと一緒にいたい。本当は“おかあさん”とも一緒にいたい。エリーは“おとな”だから、そんなことは絶対に口にしなかったけれど。


 そんなエリーたち父娘の元に“おねえさん”がやってきたのは、もう一ヶ月ほど前の話になる。

 どこからともかく現れたおねえさんは、「ここで働かせてください。何でもやります。……いや、やっぱり何でもはやらないですけど、できることはやります。賃金はいりません。お手伝いをさせて下さい」といきなりお父さんに頭を下げた。

 お父さんはすごく困っていたようだけれど「帰るところがないんです」というおねえさんの言葉に、結局は折れた。エリーのお父さんは基本的に人が良いのだ。近所のおばさま方が言うには『ひとがよすぎるからよめににげられた』のだそうだけど。


 こうして、エリーたち父娘の生活におねえさんが加わった。

 おねえさんは、お父さんのけんきゅうに興味があって隣りの国からわざわざ身一つでここまでやってきたのだそうだ。

 そのくせ、お父さんのけんきゅうの内容についてはまったく理解できないらしく、「手助けにはなりそうもない役立たず」とは本人が語るところである。

 その代わり、おねえさんは家事全般を一人で全部引き受けてくれていた。

 時々、おねえさんはエリーから見ても何でこんなことを知らないんだろうという常識外れなことをやらかすこともある。でも、おねえさんはいつもすごく真面目に一生懸命働いてくれていることはエリーにも分かった。

 おねえさんの作ってくれる料理は簡単なものばかりでレパートリーも少ない。それでも、おねえさんの料理はいつもすごく温かくて美味しい。

 放っておくと研究ばかりのお父さんも、おねえさんがいつも無理やりにでも連れてくるので、必ず一緒にご飯を食べるようになった。だから、余計に美味しいと感じるのかもしれない。

 おねえさんは、毎日、洗濯や掃除もきっちりこなしてくれるので、豚小屋と称される散らかし放題だったエリーたちの家は見違えるほど綺麗になった。

 おねえさんが来てから、エリーたちの生活水準は随分と上がったと思う。まぁ、それまでの生活が酷かっただけとも言うけれど。

 時々おねえさんはちょっと怖くなる。人参やピーマンをエリーが残そうとするときなんか特にそうだ。

 そういう時のおねえさんは眉を釣り上げて、エリーが食べ終わるまでは絶対にテーブルから離れさせてくれない。おねえさんが言うには好き嫌いばかりしていると病気になってしまうらしい。病気になるのはエリーも嫌なので、エリーは頑張って野菜を食べる努力をした。

 いつもはお姉さんはすごく優しい。暇があれば、エリーに算術や文字を教えてくれるし、エリーがおねだりすれば絵本も読んでくれる。だから、エリーはおねえさんが大好きだ。

 エリーがおねえさんに抱きついてみせると最初はびっくりしたような顔をしていたけれど、最後には必ず優しく笑ってエリーの頭を撫でてくれる。そんなおねえさんからは石鹸の香りがして、何となくエリーはおかあさんがいたらこんな感じなのかなと思っていた。


 お父さんも最初はおねえさんのことを困った顔をして受け入れたのだけれど、最近では「よく働いてくれるしすごくいい娘さんだ」と褒めている。賃金は要らないとおねえさんは言っていたのに、それでは申し訳ないからと少ないながらもお父さんがお金を渡していたこともエリーは知っていた。

 元貴族らしいお父さんが言うには、立ち振る舞いを見る限りおねえさんの正体は本当は“いいところのおじょうさん”に違いないらしい。

 どうしてそんな“いいところのおじょうさん”が大した地位も財力もないコブ付き中年男の家に押しかけてきたのかしらねぇというのは近所のおばさま方のいつもの話のタネである。おばさま方は実は何か事情があるんじゃないのかと色々おねえさんを邪推していたりするけれど、そんなことはエリーには関係なかった。


「お父さん、おひるごはんだよー!」


 お弁当を持って、お父さんの研究室のドアを開ければ「もうそんな時間か」とお父さんが顔を上げた。おねえさんが持たせてくれたお弁当は二つ。忙しくても食べやすいように、と中にはサンドイッチが詰められている。

 色とりどりのサンドイッチは、おねえさんとエリーが一緒に協力して作ったものなのだ。お父さんに早く食べてもらいたい。

 エリーはサンドイッチを広げながら「早く、早く」とお父さんを急かした。


 エリーは大人びた子どもだったけれど、それでもまだ六歳に過ぎない。料理なんてできないから、こんな風に手作りのサンドイッチを持ってお父さんとお昼ごはんを食べるだなんて今までしたことがなかった。

 これも全部、おねえさんがエリーの家に来てくれたおかげだと、エリーはちゃんと知っている。

 この間だって、エリーが風邪をひいたとき、一番におねえさんが気がついてくれたのだ。そして、エリーの熱が下がって元気になるまで、ずっと付き添いながらおねえさんはエリーの看病をしてくれた。

 ただの風邪なのに本当に心配そうに付き添ってくれるおねえさんに、申し訳ないと感じながらもエリーは少し嬉しくもなったのだ。


 おねえさんが何者であったとしてもいい。

 ずうっとずっと、今みたいにおねえさんとお父さんと三人で暮らしていけたらいいなと、エリーは幼な心に思うのだった。



 ※※※



 さて、精霊の巫女行方不明事件が世間を騒がせているその頃、件の精霊の巫女さまである俺が一体何をしているのかというと実は家政婦の真似事をしていたりする。


 俺はアルフレッドと別れたその後、屋敷の馬を一頭かっぱらいそのまま東南へと馬を走らせた。何故、東南だったのか。それを語るには、この世界の地理について少し説明する必要があるだろう。


 「恋革」の世界は分類すると、主に四つの国と地域に分類される。

 西に構えるのは、肥沃な大地と強大な軍事力を持つアースガル聖王国。ティアナの出身もこの国で、土地に恵まれ、軍事力に優れるのは精霊の巫女がこの国の王家に連なるものから必ず生まれるからとされている。面積自体は広くはないが、経済、軍事、文化などの面で、この世界で一番強大な力を持つ国である。

 南に構えるのは、ミッドガル都市連合。技術者たちの街や研究施設を多く構える都市が多く、それらの都市が各自で政制を敷いている。単体での技術や技能では聖王国より優れているものが多く見られるも、所詮は小さな都市に過ぎず、各自の軍事力も財力も個別では聖王国には太刀打ちできない。そこで、聖王国に対抗するために各都市が同盟を組んでいるのが都市連合である。

 北に構えるのは、広大な国土を持つ帝国ニヴルヒム。しかし、国土の半分以上は氷土と未開の地に囲まれているため、聖王国ほどの発展が出来ていない。

 東に構えるのは、独自の文化を持つ中原ちゅうげんと呼ばれる地域。聖王国とはほとんど関わりがなく、ゲームの中でもあまり出て来なかった。こちらの地方に向かうには、東方山脈を超えねばならないため、他の国々や地域とは全く異なる文化を発展させたと言われている。

 ネーミングから分かるように、「恋革」の世界は基本的には西洋風な世界観だ。それにしては、中原ちゅうげんなんていう中華風要素も含んでいるのが不思議だが、まぁ所詮はゲームの世界。深く気にしても仕方ないだろう。


 とにかく、俺は聖王国を出ることに決めて東南に向かったのには訳がある。

 まず第一に、聖王国の西方には海しかなく、東方にしか陸が続いていなかったからだ。

 勿論、海を渡って中原へと向かうことも可能性としては出来るに違いない。けれど、海を渡るには船に乗らねばならず、こちらは陸地を行くよりも身バレする可能性が高い。

 聖王国から離れることを決めた理由の一つに、身柄を確保されないためということがある。

 俺が精霊の巫女だとばれてしまえば、たちまち屋敷へ強制送還になってしまうだろう。もしかしなくても、その後に待っているのは巫女として役目を果たすまでの幽閉生活である。それでは、屋敷を出た意味がない。

 ティアナは殆ど幽閉状態だったので顔は知られていないし知名度もないに等しいが、それでも精霊の巫女だ。行方が知れないなんてことになったら、国が総出で探すに決まっている。手配書の一つや二つ出回っていると考えるのが無難だろう。

 何せ、世界の命運を握る巫女だ。それを探すのに、外聞など構ってはいられまい。

 だとすれば、聖王国を出て出来るだけ影響力の小さい他国に逃亡した方がいいというのだけは間違いない。だから、聖王国を出るというのは、俺にとって必須の条件だった。

 そして、二つ目。今俺が世話になっている相手、エドガー・シュヴァルツマンに会うために、彼がいるミッドガル都市同盟に行きたかったからだ。


 きっぱり言ってしまうと、エドガーは攻略キャラではない。当然、仲間にもならない。ゲーム的に言えば、名前のあるモブキャラというところだろう。

 エドガーは普通のおじさんで、何の権力もなければ地位もない、嫁にも逃げられたコブ付き中年だ。だが、彼は研究者であり「恋革」でとても重要になってくるものを発明する。

 では、重要になってくるものとは何か。飛空挺だ。


 以前にも述べた通り、「恋革」は乙女ゲームという体裁をとってはいるものの、RPGとしての側面も強く持つ。

 RPGにとって飛空艇、飛行船といった空を飛ぶ移動手段の持つ意味合いは大きい。これらは大抵ゲーム中盤から終盤にかけてしか入手できず、かつ、これらの乗り物がなければ辿り着くことができないダンジョンというものは必ずと言っていいほど存在する。

 俺の最大の目的は、ティアナの死を回避することだ。

 そのためには、原作に存在するありとあらゆるティアナの死亡フラグをボキボキと折る必要がある。結果として、様々なダンジョンに潜り込むことも時としては必要となってくるのだ。

 そうなった時、絶対に必要となってくるものが飛空艇なのである。

 この飛空艇――「恋革」では厳密には飛空走行型魔導機関メーヴェというのだが――、を発明するのがエドガーなのである。

 エドガーがメーヴェを完成させるのは、原作中盤での出来事だ。俺は現在十五歳であり、原作の開始はティアナが十八歳の誕生日である。当然、まだメーヴェは存在していない。

 それでも、俺が彼の元を訪れたのには当然意味がある。

 エドガーの娘、エリー。鍵は彼女が握っている。


 原作でティアナがエドガーの元を訪れたとき、エリーは既に故人だった。

 エリーは原作開始二年半ほど前に病が原因で亡くなってしまっていたのである。

 エリーの死因は、風邪をこじらせた肺炎。

 メーヴェの完成間近となっていたその時、エリーは肺炎にかかってしまう。しかし、エリーは病気を隠して平気なふりを続けた。父思いだったエリーは、あと少しで長年の夢を叶えることが出来ると仕事に没頭する父の手を煩わせたくなかったあまりに自らの体調不良を父に訴えなかったのだ。

 エドガーもまたメーヴェの製作にかまけてばかりいたため、娘の不調に気がつくことが出来なかった。気がついた時には、エリーは手の施しようがない程衰弱しており、そのまま亡くなってしまう。

 エドガーは最愛の娘を自分のせいで死なせてしまったことの自責に耐え切れず、そのまま酒に溺れて完成間近のメーヴェをも放置してしまっていた。

 ティアナたちは、エリーもメーヴェの完成を望んでいたことを思い出させるために、エリーが一番好きだった花を求めて風の洞窟へと向かう。……というのが、原作でのエドガー関連の話である。


 原作のストーリーに対する批判をしようとは俺は思わない。ついでに言えばエドガーを責めるつもりもない。

 その経緯が如何であろうと、俺にはどうだっていいことだ。あれはここと同じ世界のことだが、こことは違う世界の話なのだから。

 そんな創作の世界の話よりも、俺にとっては移動手段メーヴェの入手手段の情報の方がよほど有益だ。

 そして、メーヴェの入手のみに焦点を当てたとき、一つの可能性が提示される。

 その可能性とは、エリーさえ生きていてくれればエドガーさんは原作開始以前にメーヴェを完成させることが出来るかもしれないという可能性だ。


 正直に言えば、エドガーさんのところに辿りついたとき、エリーがまだ生きているかは分からなかった。俺がエドガーさんの元を訪れた時期が、ちょうど原作開始から二年半前に当たる時期だったからだ。手遅れかもしれない。そう思って、訪れたエドガーさん宅には、嬉しいことに俺の不安を裏切って元気に動き回る小さな女の子が存在していた。

 そして、そのまま俺はエドガーさんに無理を言って、家政婦まがいとして雇ってもらったのである。


 これが例えばエリーの死因が不治の病だとか、とんでもない難病だったらこうはいかなかっただろう。だが、風邪をこじらせた肺炎ならば、エリーをしっかり見ていてやれば問題ない。元々、原作でも発見が遅れたから死んでしまったのだと言っていたじゃないか。

 専門知識も技術もない俺は、メーヴェの完成に役立てることは一つもない。

 けれど、子どもの面倒を見ることくらいは俺にだって出来る。そもそもエリーは大人しくて、手間のかからない良い子だ。彼女の面倒を見ることは苦痛ではなかった。





「うわぁ! お父さん、すごい!」


 空を飛ぶメーヴェを見上げながら、エリーが歓声を上げる。

 エリーと手を繋いだまま、俺は完成したメーヴェの試運転をする姿を見つめていた。

 エリーは俺と繋いでいないもう一つの方の手を、メーヴェの操縦席に座る父親に向かって元気よく振り続けている。

 その日の天気は晴天で、青い空を泳ぐようにメーヴェは自由に宙を舞い続けた。


 原作よりもかなり早い時期であるにも関わらず、飛空走行型魔導機関メーヴェは苦もなく空を飛んだ。勿論、エドガーさんの傍らには愛娘のエリーがいる状態で。


 ほら、原作にない未来なんてこんなにも簡単に作れるじゃないか。きっと俺が望む未来だって得られるに違いない。

 青空に浮かぶメーヴェの遠影を眺めながら、俺は心の中でそう呟いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ