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2 私はこの世界を、そして貴方を愛しています

「私はこの世界を、そして貴方を愛しています」


 画面の向こうでティアナはそう言うと、封印の剣を掲げた。彼女は自らの命と引き換えに大精霊の封印を解き放ち、世界に平和をもたらすつもりなのだ。


「ティアナ、私がこの国の王子でなければ、君が精霊の巫女でなければ、私は君を連れて逃げることが出来たのだろうか……」


 王子は荘厳な光を放つ剣を掲げるティアナの後ろ姿に向かって、嘆くように呟いた。

 その王子の手の中では金剛石の指輪が光っていることを俺は知っている。もう後ろ姿しか見えないティアナの薬指にも同じ指輪が輝いていることは、その場にいる全員が気がついていたことだろう。

 薬指の指輪。それが示すことは、どちらの世界でも同じであった。


 王族の結婚とはすなわち政略である。いかに王子と言えど、自分の意思のみで婚姻関係を結ぶことは出来ない。

 だが、それを咎める不躾者は少なくともこの場にはいなかった。

 ここにいる皆が知っているのだ。王子とティアナの想いを。そして、その想い故に彼らに幸福が訪れることがないことも。

 それは同情であったし、温情であった。

 死にいくティアナとそれを見送るしかない王子のささやかな我が儘を、せめて黙認することだけが彼らに許された贖罪だったのだ。


「ありがとう、私の愛する人。私の愛したこの世界で貴方は幸せに生きてください」


 そうして、大精霊の復活と共にティアナは神々しいままに果てた。と同時に、彼女は世界を支える大樹へと生まれ変わり、世界から枯渇していた命の源であるマナをもたらす存在へと生まれ変わったのである。こうして、世界は平和と安寧を約束され、永久の幸福を享受するのであった……。

 めでたし、めでたし。


 じゃねーよ、バカヤロー!

 俺は当然今現在、手元にあるはずもないコントローラーを全力で投げ捨ててやりたくなった。




 ティアナ・フォン・ニコラ・クヴァンツ。

 本作の主人公であり、王家とも姻戚関係のある公爵令嬢である。銀髪で小柄な少女であり、博愛で純粋無垢。強い自己犠牲精神の持ち主。両親とは疎遠であるものの、彼らに娘として深い愛情をもっており、もっと良い関係を築きたいと思っている。


 それが「恋革」の取り扱い説明書の最初のページに書かれていたティアナのキャラクターの説明である。

 それは正しく、前世の記憶を取り戻すまでの俺自身を簡潔に表すには最適な文章だった。

 ……いや、博愛で純粋無垢で自己犠牲とか、自分で言っちゃうのはどうかと俺も思う。けれど、今までの俺は本当にそう称するにふさわしい女の子だったのだ。自分自身のことだからこそ、俺は断言できる。

 昨日までの俺ならば、世界のために、或いは愛する人を救うためにならば命を投げ出すことも厭わなかったに違いない、と。

 ティアナという少女は客観的に見れば、そういう女の子なのだ。自分に自信がなく、誰かの役に立ちたいと願っている。その為なら、自分のことなどどうなってもいいと思っている。

 ティアナがそうなってしまったのは、両親からの愛情を真っ当に受けてこなかったせいだと俺は考えていた。

 彼女は説明書にある通り、両親と疎遠だ。疎遠というよりも存在を無視されていると言い換えたほうが正しいのかもしれない。前世の言葉で言うところのネグレクトである。

 彼女の世話は屋敷の使用人たちに任せっきりで殆ど顔を合わせることすらない。ティアナが勇気を出して両親の元を訪れても政務を盾に、彼らはティアナを徹底的に避けていた。最早、いじめと言ってもいいレベルである。

 それでも、ティアナは根が純粋無垢だというのだから恐ろしい娘だ。実際に今までの俺は両親に愛されたいとは願っていても、彼らを恨んだり憎んだりすることはなかったと思う。

 普通ならひねくれた娘になっても仕方ないと思う生い立ちなのだが、ティアナはあくまで品行方正で博愛主義者だ。

 必要なら、よく知りもせぬ子どもを庇うために我が身を盾にするくらいは平気でやるだろう。随分とお優しいことである。主人公補正と言ってしまえば、多分それまでなのだろうが。

 そんな今までの俺を大した女だと尊敬すればいいのか、愚かな女だと馬鹿にすればいいのか、今の俺には分からない。ただ記憶を取り戻した今となっては、俺はもうそんなティアナには戻れないだろうことは間違いなく言えた。

 前世の記憶を取り戻した時から過去の俺の性格が強く出過ぎているせいで、俺は自分が昨日までのティアナとはまるで別人になっているという自覚がある。同時に、元の自分ティアナに戻りたいとも思えなかった。


 昨日までのティアナは確かにヒロインとしては最高の女の子だったに違いない。心優しく、公平で温厚。見ている人に儚げな印象を与える姿はゲームのヒロインとしては最適だ。そして、他人のために命をも尽くせる自己犠牲的性格だなんて美談の一つも生み出すのに、これほど適した性格はあるまい。


 だが、俺は思う。自己犠牲が美しいなど誰が決めたのか、と。


 物語の中なら美談であるが、現実になってしまえばそれは最早笑えない。悲劇どころか、喜劇にだってなるものかと思う。

 人間生きていてなんぼのもんだ。死んだら何が残るというのか。自己犠牲だなんて、ただの自己満足じゃないか。我が事だからこそ俺はきっぱりと言い切れる。そんなものはクソくらえだと。

 桜は散るから美しい? 愚か者め。散れば地面を汚すだけ。ゴミとして箒で掃いた挙句にゴミ袋行きだ。

 現実はいつも美しい物語にはならない。ロマンチックな幻想のようにとはいかないのである。

 世界のために死んでくれと言われたのならば、今の俺なら「冗談じゃない」と切り捨てるだろう。俺は今までのティアナとは違う。

 前世の俺は不特定多数の人間のために命を投げ出すだなんてことが出来るような善人ではなかった。唯我独尊とまではいかなくとも、我が身が一番の身勝手な人間なのである。

 そして、その身勝手な人間の思考が蘇った今の俺は、もう既に原作のティアナのような聖人君子にはなれない。それが良いことなのか、悪いことなのかはこの際どうでも良い話である。重要なのは、そんな自己犠牲を俺はよしとするつもりがこれっぽっちもないということなのだ。


 原作なんて知るものか。

 原作に沿わないと世界が大変なことになる? そんなもん流れを変えてどうにかすればいい。

 決められた道筋通りにいかねば世界が滅ぶだなどと誰が決めた。ティアナ一人がいなければ立ち行かない世界などあってたまるかと俺は思う。

 ティアナが犠牲にならなくても何とかなる選択肢は絶対にある筈だ。例え、原作のゲームにはなかったとしても。


 攻略対象たちと恋愛フラグが立たない? そんなものはどうだっていいわ!

 そんなものよりも遥かに重要なのは、如何にして俺が生き残るかということである。いくら恋愛関係が成就しようと死んだら何にもならないではないか。男としての意識が目覚めた以上、別に野郎と恋愛関係を成就したいとも思えなかったというのも本音の一つではあったが。

 とにかく、俺は死にたくない。よって、行動するしかないのだ。




 王子に無礼としか思えない態度をとり、パーティー会場を後にした俺はアルフレッドを振り払いそのまま屋敷へととんぼ返りを決めた。

 屋敷に戻って真っ先に向かったのは自分の部屋だ。そして、自分の部屋に戻ると同時に、俺はためらいなくクローゼットの中身をひっくり返した。俺が探していたのは大きめで丈夫そうな鞄だ。出来れば背負えるタイプのものが理想だが、俺はそんなものを持っていただろうか。ガシャガシャと音を立てながら、家探しするように自分の部屋の中を荒らす。五分も経った頃には、俺の部屋は足の踏み場もなくなっていた。

 しばらく部屋を荒らしていたら、おそらくは俺を追いかけてきたのだろう、アルフレッドが俺の部屋に現れた。アルフレッドは俺の部屋の惨状を見て、ギョッと驚いたように目を丸くしている。

 俺はそんなアルフレッドを一瞥すると、気にせず家探しを続けた。


「何をしているんだ、ティアナ!」


 我に返ったらしいアルフレッドが、珍しく声を荒げた。もう夜だというのに迷惑な。その夜に部屋を荒らしまわっている俺が言えた義理ではないが。

 アルフレッドの存在など今の俺としてはどうだって良いのだが、ふと下手に騒がれて使用人たちが俺の部屋に集まってもらっては困るのではないかということに気がついた。そう考えた俺は、アルフレッドを自分の部屋の中に押し込め、そのまま部屋の扉を閉ざす。

 とりあえずこれでいい。我が家は伊達に公爵を名乗っていない。扉さえ閉ざしてしまえば、重厚な壁は簡単には音を通さないから少し騒いだくらいでは問題にはならないだろう。それに、使用人たちに礼儀のなっていないものなどいないから、ノックもなしに誰かが俺の部屋に入ってくることなど有り得ない。

 一度部屋の中に入ってしまえば、案外何をしていたとしてもばれないものなのだ。内緒話をするにはもってこいだろう。


「出て行く」


 部屋の扉を閉ざした後、驚き固まるアルフレッドを尻目に、荷物を適当に鞄に詰め込みながら簡潔に俺はそれだけを答えた。

 ちなみに背負えるタイプのものは残念ながら見つからなかったので、俺が今手にしているのは肩に掛けるタイプの大きめのバックである。その中に、俺は主に装飾品の類を無造作にぶち込んでいった。服だの下着だの日用品だのは、一旦屋敷を出てから揃えるのがいいだろう。今、俺に必要なのは現金になりうる金目のものだ。

 はっきり言って、公爵令嬢として育ってきた俺には金銭感覚はほとんどない。何せ、屋敷を出たことなど数える程度にしかないのだ。この世界の貨幣だってあまり目にする機会もなかった。だから、何が一番金になるのかなんてよく分からない。とりあえず前世の知識で言えば一番かさばらず金になるだろうものは貴金属の類であるという結論を下した俺は、今世でもその常識が通じることを祈りながら装飾品の類を持ち逃げするのみである。


「ティアナ、君は何を言っているんだ? 一体、君に何があったんだ?」


 アルフレッドはさっきから同じことしか言わない。まぁ、俺が彼の立場だとしても似たようなことしか言えないだろうから、それに対しては何の感慨もわかなかった。ただ本気で心配しているだろう幼馴染に、申し訳程度には罪悪感が湧く。

 いくら前世の記憶が蘇ったとはいえ、今までの俺が完全に消えたわけではないのだ。アルフレッドを兄のように慕っていたティアナである部分が、無意識のうちに俺を責め立てていた。

 俺は諦めたようにため息を一つだけ吐くと、バックを手にしたままアルフレッドを正面から見据えた。


「もう俺はお前の知るティアナじゃない」


 薄々アルフレッドも気づいてはいるだろうことを俺は断言した。そして、その次に彼が予期していなかっただろう言葉を続ける。


「今の俺は全てを知っている。精霊の巫女として死んでやる気はさらさらないんだ」


 俺の言葉にアルフレッドが言葉を失う。

 当然だろう。それはアルフレッドが俺に隠し続けてきた最大の秘密なのだから。





 精霊の巫女。

 この世界に存在する大精霊を目覚めさせる力を持つ者をそう呼ぶ。

 代々王家に血縁の近いものから生まれ、その者は聖痕を持つ。巫女という名からも分かるようにその力を持つ者は女のみであり、総じて彼女たちは強い魔力を持っていた。


 「恋革」の設定によれば、正しくは王家の者から巫女が生まれるのではなく、巫女が生まれる家系であるから王家であるのだそうだ。巫女は救世主としての側面を持つため、その存在が尊ばれるのである。


 現に、今の俺は公爵令嬢という立場であるが、父は元々地方の弱小貴族に過ぎなかったし、母は前王の娘と言えど、側室の三番目の娘に過ぎない。そんな地位しか持たない筈の両親が国王に次ぐほどの権力を持ち得たのも、ひとえに巫女である俺の両親であるからだった。


 ただし、巫女はその力と引き換えに死ぬ宿命を背負っている。

 ティアナの設定に「両親と疎遠」とあるのは、それが理由だ。ティアナの両親は娘を人柱にすることの代替に異例の昇進を遂げており、それに罪悪感を抱いているのである。

 いずれ死ぬことが定められた娘の愛し方が分からず、本当は誰よりも愛し守ってやりたいけれど巫女が命を引き換えにしなければ世界は救われない。

 結果、ティアナの両親は我が子から目を逸らすこととなった。


 ちなみに、ティアナが巫女だということは一般には知らされてはいないし、ティアナ自身も知らない。巫女の存在を知られることで、その命を狙われるようなことがあっては困るからだ。

 何で世界の救世主を殺そうとする輩がいるのかについてはとりあえず置いておく。


 とりあえず重要な部分だけを要約すると、ティアナは世界救済のための生贄であり、彼女自身はそれを知らず、周りはそれを黙認しているというのがティアナを取り巻く環境なのである。


 ティアナが殆ど屋敷を出ることのない半幽閉的な生活を送らされているのもそれが原因だ。

 多分、国王あたりが大事なものなら屋敷の奥で大事にしまっておこうとでも考えているのだろう。

 まるで、子どもの発想だ。大事な宝物は誰の目にも触れないところで隠し通すのが一番安全だと盲目的に信じている。くだらない。

 おかげで、ティアナがまともに外に出られるのは、王族の誕生日を祝うパーティーくらいなものだった。

 実際、今日のパーティーに行く前までのティアナはすっかり浮かれてはしゃいでいた記憶がある。

 あれは今朝のことだというのに、もう何年も前のことのように遠い。

 今となっては、自ら喜んで着た美しいドレスも鬱陶しいばかりである。


 ティアナを哀れだと同情するのは容易い。同情は誰にでも出来る。何をしようとしなくても出来る。

 だから、俺はティアナを可哀想だと同情したりはしない。

 ただそれが自分のことになってしまった以上、最善を尽くすのみだ。


 目の前の優男アルフレッドとは俺は違う。運命に流されるままの優しいだけの男になるくらいなら、俺は毒を撒き散らす強者でありたい。


 アルフレッド・ベルトホルト・クレヴァーの本当の役割はティアナの監視だ。

 今でこそ公爵であるクヴァンツ家は、しかし元を正せば一弱小貴族でしかない。対するクレヴァー家は古くから王族に仕える騎士の家系だ。当然身分も高い。アルフレッドはクレヴァー家の側室の子ではあるが、彼以外にクレヴァー家には男児は一人しかいない。十分、アルフレッドはクレヴァー家の後継になりうる可能性を持つ人間なのだ。そんなアルフレッドが、ティアナに仕えるというのは普通ならば有り得ないことなのである。

 それが現実にはアルフレッドはティアナの従者という立場に落ち着いている。それは何故か。言うまでもない。ティアナが巫女だからだ。

 アルフレッドの本来の役割はティアナの護衛であり、万一ティアナが真実に気がついたとき、彼女を逃がさないようにする鳥かごである。

 ちなみに、ゲーム本編ではアルフレッドのルートに入ると、彼がティアナを騙していることの罪悪感や、自分の立場よりも彼女の幸せを願うようになる葛藤が見れたりもする。

 実際、アルフレッドは根っこが優しく誠実な人間なのだということは、ティアナとして十五年間生きてきて、俺はとてもよくわかっているつもりだ。

 ゲームでも、彼だけは世界のために死ぬことを決意するティナに「生きろ」と言ってくれる。まぁ、その優しさに心打たれて結局ティアナは彼のために死を選ぶので本末転倒な結果にはなってしまうのだけれど。


 そんなアルフレッドに、俺は今真実を知っているということを告げた。

 隠し通すという選択肢がなかった訳じゃ勿論ない。けれど、前世では俳優志望であった訳でもないし、ティアナとしての俺も嘘は苦手だった。この察しのいい幼馴染を騙し通すことが出来るとは到底思えない。

 正直に言えば、アルフレッドを慕っているティアナとしての部分が彼にだけは真実を告げたいと思っていた部分もあることが否定は出来なかった。

 両親と疎遠なティアナにとってアルフレッドは唯一心開ける相手だったのだ。まぁ、その唯一心開ける相手も思いっきりティアナを騙していたのだから、原作のシナリオというのはえげつない。


「……ティアナ」


 呆然としたまま、俺の名前を呟くだけのアルフレッドの横を俺はすり抜ける。

 監視役としての立場を思えば、アルフレッドは俺を無理矢理でも止めるかと思ったが、彼はそんな素振りを見せなかった。


「すまない」


 小さく呟かれたアルフレッドの言葉が背中に降りかかる。

 けれど、俺はそんなアルフレッドに視線を向けることもなく外に出た。


 それは一体何の謝罪なんだよ。

 苛立ちを覚えないではなかったけれど、それを突っ込むほど俺は空気の読めない男ではない。今は女ではあるが。

 だから、俺はそのまま振り返らずに彼の元を立ち去った。




 第一王子の誕生日であるこの日、精霊の巫女であるティアナ・フォン・ニコラ・クヴァンツが行方不明になるという大事件に国中が大騒ぎになるまで後もう少し。

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