1 ちくしょう、ふざけてやがる
「ちくしょう、ふざけてやがる」
俺の突然の悪態に周囲にいた貴族たちがギョッとした表情を浮かべた。
だが、俺はそんなことなどまるで気にもせずに、ひらひらしたドレスの端をつかみそのまま踵を返す。今の俺にとって貴族たちの反応も、王子の誕生日祝いもどうでもいいことでしかない。
幸い周囲の客人たちは何が起こったのか理解できないらしく呆然としていたため、ありがたいことに俺を止める者は誰もいなかった。
本日はおめでたい第一王子の誕生日。王子の従姉妹であり、公爵令嬢である俺はその誕生日祝いのパーティーに出席していた最中だった。
ついでに言えば、当の王子に『本日はお招きいただきありがとうござ……』とそこまで言いかけての豹変である。客人たちが驚いて硬直したとしても、仕方ないとは思う。だからと言って、同情も反省もする気はないが。
できるだけ急ぎ足でパーティー会場を出ようとしているのだが、ふわふわのドレスと高いヒールの靴が動きづらくて仕方ない。会場内が人で溢れているのも厄介だった。歩きにくさを感じながら、それでも俺は足を止めることなく、出口を目指して絶え間なく歩を進める。前世の記憶を思い出した以上、こんなところからは一刻も早く立ち去りたかった。
「ティアナ!」
聞きなれた声に名前を呼ばれて、一瞬だけ俺の足が止まる。
ティアナ・フォン・ニコラ・クヴァンツ。それが現在の俺の名前である。前世の俺からすれば随分と噛みたくなるような名前じゃないか。しかし、自分の名前なんてもんは自分で決めたもんじゃないのだからどうしようもない。
一瞬だけ思わず足を止めはしたものの、俺はすぐにまた歩きだそうと足を踏み出した。しかし、それは腕を掴まれたことによって未遂で終わってしまう。
「ティアナ、急に一体どうしたんだ」
手を掴んだ男はそう言って、眉間に皺を寄せながら俺の顔を見つめた。
心底心配しているのだろう。そう言った彼の声色はどこか不安気な印象を俺に与えた。とはいえ、今の俺にとってその男は、俺の道を塞ぐ邪魔者でしかない。俺は不機嫌を隠すことなく、仏頂面で俺の足を止めさせた張本人を見上げた。
現在の俺は少々小柄であるとはいえ、その男は俺よりも頭一つ高い位置から俺を見下ろしている。彼は『どうしたんだ』と訊いてくる声もイケメンボイスなら、見上げた顔も見目麗しいイケメンだった。
蜂蜜色の髪に、陶磁のような白い肌、そして翡翠の瞳。完璧だ。顔だけでなく、この男の性格もまたイケメンと呼ぶにふさわしい中身をしていることを俺はよく知っている。
基本的には生真面目な奴だが、俺が望めば公爵令嬢としてではなく同年代の友人として接してくることも厭わない。空気を読むとか、人との距離を図るとかそういうことに長けた男。だから、俺は彼に非常に懐いていたのだ。もう、今となっては過去の話だけれど。
「アル、手をはなせ」
アルフレッド・ベルトホルト・クレヴァー。
俺の従者であり、世話役であり、護衛である男だ。と、同時にティアナという女にとって、アルフレッドは従者である以上に、幼馴染であり、兄のような存在であり、“攻略対象”でもある。その事実が、アルフレッド自身には何の非もないというのに、俺をどうしようもなく苛立たせる。
「ティアナ、今の君は冷静さを失っている」
アルフレッドの言葉に、俺は忌々しげに舌打ちをした。それが間違いだからではない。まさしく事実であったからだ。正しい指摘は時として人に怒りを与えるものであり、俺の現状はまさにその状態だった。
ああ、そうだ。アルフレッドの言葉は正しいのだ。何せ普段なら大好きで仕方ない幼馴染の言葉を、今は微塵も素直に受け入れてやろうという気にはなれないのだ。今の俺はネジがぶっ飛んでいるに違いない。だが、それも仕方ないじゃないかと俺は声を大にして叫びたい。
だって、俺はここが乙女ゲームの世界だと思い出してしまったのだから。
前世の俺は端的に言えば、男だった。だからと言って、誤解しないで頂きたい。何も俺は男だった自分が乙女ゲームのヒロインという立場に生まれてしまったことに憤慨している訳ではないのだ。
勿論、何故俺が女にとか、乙女ゲームの世界にとか、理不尽に思う気持ちがない訳ではない。だが、生まれてきてしまったものはどうしようもなく、今更何を言おうと覆ることはないのだ。
大体、前世はただの一般ピーポーであった俺が公爵令嬢。立場だけ思えば、大出世である。飢えや貧困、ついでに言えば病気や怪我とも無縁の健康体。性別の一つや二つ、意に沿わぬからと言って、世を儚むほど俺の精神は打たれ弱くないと自負している。
問題はそこじゃないのだ。最大の問題は俺が“この乙女ゲーム”のヒロインであるという事実にある。
それを説明するに辺り、少しばかり前世の俺のことについて説明しようと思う。
前世の俺には妹が一人いた。妹は、俺の認識で言うところのいわゆるオタクであり、乙女ゲーだのビーでエルがつくゲームだの薄い本だのを大量に持っていた。俺にとって妹の部屋は魔窟であり、多分通常の兄妹とはまったく異なる意味で、妹の部屋は近寄りがたい場所であった。
そんな妹は何をトチ狂ったのか時々リビングの大画面テレビで、なおかつ家族が居る前で堂々と特殊性癖を露見するようなゲームを行うことがあったことを俺は今も覚えている。
大画面で繰り広げられるゲームの内容に、思わず頬を引きつらせる俺に「えー、別にこれくらい普通じゃん。本当にヤバイやつは部屋でしかやらないよ」と妹はのたまっていた。
『本当にヤバイやつ』の詳細を当然ながら俺は知らなかったし、別に知りたくもなかったので、それがどんな内容なのかは未だ知らないままだ。まぁ、そんなことはどうでもいい。
とにかく、そんな妹がやっていたゲームの一つに「恋愛公女革命~剣と魔法と恋愛と~」という今考えてもこのタイトルをつけたやつは頭がおかしいとしか言えない題名の乙女ゲームがあった。
確か、通称「恋革」と呼ばれるそのゲームは、ファンタジック恋愛アクションRPGというのを売りにして販売されていた筈である。
実際に「恋革」は、乙女ゲームである以上恋愛要素が多大に含まれるものの、RPGとしても普通に面白い出来であった。そのため、何だかんだと言いながら妹とそれなりに仲が良い兄妹だった俺は、妹に進められるがままに自分でもそのゲームをクリアしたのである。
俺の感想で言えば「恋革」は結構面白いゲームだった。アクションゲームとして必要なものは大体兼ね備えていたし、ゲームバランスも悪くない。エフェクトも綺麗で、戦闘のテンポも良かった。RPGとしてのやり込み要素も多く、俺は妹以上に「恋革」を楽しんでいたといってもいいだろう。
俺は結構「恋革」を気に入っていたのだが、反面、妹は「恋革」に対し俺とは全く逆の評価を下していた。
このゲームの出来は最悪である。それが妹の「恋革」に対する評価だ。
彼女曰く「恋革」は乙女ゲーとしては史上稀に見るクソゲーらしい。まぁ、俺は乙女ゲーに詳しくはなかったので、その評価が正当なものであるかどうかなんて分からない。が、妹が言わんとしていることは分からんでもなかった。
普通のRPGとしてなら面白かった「恋革」は、乙女ゲーなどまるで分からない俺にもはっきり分かるほど、乙女ゲームとしては致命的な欠陥があったのだ。
では、その致命的な欠陥とは何か。簡潔に言えばシナリオである。
何を隠そうこのゲーム、乙女ゲーを名乗っておりながら、どのエンディングを迎えても必ずプレイヤーの分身たるヒロインが死んでしまうのだ。
グッドエンディングを迎えても死ぬ。バッドエンディングを迎えても死ぬ。ノーマルエンディングを迎えても死ぬ。友情エンディングを迎えても死ぬ。隠しエンディングを迎えても死ぬ。いずれにせよ、ヒロインは死ぬ。とにかく死ぬ。とりあえず死ぬ。死というエンディングしか彼女に与えられた選択肢はないのである。
妹はこれに大変憤慨した。ヒロインが死ぬしか選択肢がない乙女ゲーなどクソである、製作者は絶対にいかれていやがるに違いない、と。
まぁ、俺もせっかくエンディング分岐があるんだから、一個くらいは生存ルートがあってもいいんじゃないかなとは思っていた。だが、妹ほど乙女ゲーに思い入れがなかった俺の感想はそれくらいなもので、妹のように怒りを覚えることはなかったと言っていい。RPGとして考えれば、主人公がエンディングで死んでしまうゲームはそう珍しいものではなかったので、俺にとってそれは重大な問題ではなかったのだ。
だが、今の俺ならば、心の底から妹に同意することが出来る。あいつの言葉は正しかったのだ。
あえて言わせてもらおう。
このゲームはクソである、と。
何故なら、「恋革」のヒロインの名前こそがティアナ・フォン・ニコラ・クヴァンツ。現在の俺の名前であり、俺はゲームの終わりには死を確約された存在だからだ。