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父親、そして母親

 父親、そして母親


 山脇が旅立って二月すぎました。蝉からコオロギへ、キリギリスへと虫の音が季節の移ろいを報せてくれます。神無月は秋真っ盛りです。


 雪絵にも定かでなかったことがありました。それは宗旨です。禅宗であることは間違いなさそうでした。門徒らしいというのもまず間違いなさそうです。では、西か東かとなると、どうも定かでないようです。間違えては具合が悪かろうということで相談した結果、天台に供養を頼むことにしました。天台なら仏教の総本山のようなもので、どの宗旨であろうが引き受けてくれるのです。

 きっと西だろうと見当をつけ、三十五日が忌明けでした。だから、忌明けからまだ十日ほどしかたっていません。


 話し合った通り、喜助は検番の小出に事情を説明し、雪絵の処遇に心を砕いたのですが、ここでも喜助の実直な生き方が功を奏しました。よくよく説明すれば、雪絵の窮状を誰もがわかってくれたのです。そして、お茂が望んだ通り、士分のまま喜助、お茂を掛かり親とする裁可が得られました。町名主も異論をはさまかったので、雪絵はどことも知れぬところへ引き取られる心配がなくなったのです。


 神無月といえば、出雲にすべての神様が集まるといわれている月。なら、伊勢の神様も留守のはずなのに、そんなことにおかまいなく伊勢参りが続いています。

 喜助の一件で宿の外周に辻番小屋がかけられ、大瀬子橋の向こう岸にかけられた番小屋は、まだ取り払われずにありました。


 お茂は、雪絵に台所仕事を教えながら、また客引きを始めていました。

 あとを絶たない盗賊被害。いつぞやの若者のような不埒者はごくまれで、ほとんどの人は本当に困っているようです。反面、旅人というのは案外に用心深いものです。身ぐるみ剥がれたようでいて、実は非常の銭を忍ばせているものです。とはいえ、盗賊もそんなことは先刻承知。人目のないところに連れ込んで、それこそ身ぐるみ剥いでしまうことがありました。鼻緒屋の世話になるのは、そういう下帯に隠した銭まで奪われた者ばかりなのです。


 お茂は、素泊まりにするかわりに格安の宿賃にしました。しかし、飯代すら持っていない旅人には、ありがたみは半分でしかありません。しかたなくご飯だけは食べさせました。それはお茂が率先して行ったことではありません。喜助に泣きつかれて、嫌々していただけでした。


 そのお茂が、粗末ながら食事を供すると言い出したのです。

 世話になった旅人が再び訪れることは前にも書きました。と同時に、お茂の見も知らない町で、村で、鼻緒屋の評判が流れ始めていたのですが、お茂も喜助もまったく知るところではありません。しかし、評判になればなったで、どんな旅籠なのか泊まってみようという者も現れます。鼻緒屋を名指しでやってくる旅人がちらほら現れたことを、宿の者は怪訝に思うのでした。が、とにかくそうして普通の客、その場で宿賃を払ってくれる客が増えることはありがたく、ご飯と漬物くらいしか出せなかったものが、だんだん煮物を出せるようになりました。


 ――うちは素泊まりですから。――


 お客はそれを承知して泊まってくれます。不審に思って訊ねてみれば、誰某に教えられたという者ばかりでした。と言われても心当たりがありません。とぼけた返事をしていると、

「どこの誰某が旅の途中で難儀をしたそうだ。その時、親身になって泊めてくれたのが、熱田宿の鼻緒屋だ。そういう評判ですよ。だったら私も世話になろう……。いやいや、宿賃はちゃんと払いますよ」

 それで謎が解けたのです。喜助は正しかったと、お茂はしみじみ思いました。


 雪絵を引き取ったのも運を上向かせていました。雪絵が鼻緒屋の手伝いを始めると、その行儀よさと言葉遣いがまた評判をよびました。雪絵自身、なにも特別なことをしているとは思っておらず、いたって素直です。雪絵の何気ない立ち居振舞いを感心して眺めたお茂は、躾けの大切さを思い知ったのでした。


「雪絵、私、また客引きをすることにしたから。お前がお客の世話をするんだよ。できるだろう?」


 ありがたい評判のおかげで売り上げが少しづつ増えています。しかし、せめて人並みな食事をとってもらうためには、決して無駄にできない銭です。また、いつ無くなるかもしれないのも銭です。一日でも長く旅人の世話を続けるためにも、現金収入は欠かせません。そしてお茂にしてみれば、もっとも短時間に稼げる割のよい仕事は客引きでした。

「ふふふ、昨日は五百文稼いだよ。この調子なら、正月までに三両かそこいらは稼げるよ」

 自分の欲のためではありません。お茂には生きがいが芽生えているのです。


「とんだ災難だったけど、あれで厄払いできましたからね。きっと無事に帰りつけますよ」

 天道さんが顔をのぞかせていくらもたっていません。しかし、いくら検番でいくらか借りたにしても、余分な銭などないはずです。幸いなことに旅にはお誂え向きの陽気です。たとえ一つでも先の宿へ行けるよう、お茂は夜明けには旅人を送り出すのです。

 昼のために握り飯を二つばかり竹の皮に包み、固辞する旅人の懐に捻じ込んでやります。人づての評判は侮れないと知ったがための行動でした。


「お気をつけて。これで旅の無事は約束されたようなものでございます」

 雪絵が馬鹿丁寧に旅人の世話をしていました。何をしているのか、気になったお茂が振り返ると、雪絵が旅人の草鞋に赤い布を結び付けています。

「雪絵、なんだい? それ」

「はい。父上が怪我をされた折に用いた布でございます。赤い布ゆえ、縁起が良いとぞんじます」


 意外な言葉が返ってきました。赤い布……。たしかに縁起物に使われる色ではあります。旅人も喜んで雪絵のすることを受け入れています。しかしあれは、元はといえばお茂の腰巻なのです。


「へーぇ、そんなものかねぇ……」

 お茂は、握り飯を包みながら、雪絵と、そして旅人を眺めていました。


 さらに日が移り、やがて師走。そろそろ冷たい風が吹き始めています。

 雪絵は鼻緒屋の仕事をすっかりのみこんだようで、お茂が用を言いつける前にすでに始めるようになっていました。ただ、いくら言葉を変えるように迫っても、呼び捨てにする以外は特に定めがございませんの一点張りなのです。せめて父上と母上だけでもやめさせようとするのですが、そこは武家娘、頑として譲らないのです。お茂も喜助も、今ではもうすっかり諦めていました。



「雪絵、柿をもらってきたぞ。お客に食べさせてやってくれ。配ったらこっちへ来いよ、いっしょに食べよう」

 どこからか喜助が柿をどっさり貰ってきました。赤く色づいて、丁度食べごろです。


 篭いっぱいの柿に雪絵の顔が綻みました。

「お客様に食べていただいてかまいませぬか? みな喜びましょう。では早速剥いてまいります」


 篭に山盛りの柿を、雪絵は大事そうに抱えて勝手へ立った。

「なぁ、失敗したなぁ。このぶんじゃ直らねぇぞ」

 喜助は雪絵の後姿を目で追っていました。


「……うん」

 お茂は気がなさそうに一言答えただけです。

「どうかしたか? 元気ねぇみたいだな。頭でも痛ぇか? それとも腹か? あっ、そうか! お通じがねぇんだな?」

「……ばか」

 喜助の軽口にものれないのです当惑する喜助には悪いけど、今は冗談を言う気すら失せていました。困ったように口を噤んだ喜助を放っておくことにしました。


 シュンシュンと鉄瓶が湯気を上げています。お茂が素っ気ない態度を崩さないので、喜助は急須にしかたなく湯を注ぎました。急須に残った茶はいつのものかわからりません。その褐色の液体と白湯が交じり合い、うすい黄色に変わりました。湯を吸って伸びきった茶葉が浮き沈み、急須の中でモワモワと舞い踊るさまがお茂にもチラッと見えました。そして、まだ早すぎるというのに、喜助は湯呑に注ぎました。

 喜助に限らず、男はそういうことにこだわらないものなのでしょう。


 熱い湯呑みをお茂に一つ。そして自分も手に包んだ喜助は、ゆっくり回しながら冷ましていました。


 じっくり冷ました湯呑みを口に運ぶ喜助。しかし、お茂はそれでも黙ったままでした。


「お待たせしました。お客様、皆様が大層喜んでおりました。遅くなりましたが、どうぞ」

 雪絵が柿を勧めました。鼻緒屋では、どんな物でも客に食べさせるのが先です。だから、遅くなったことを咎めているわけではありません。でも、やはりお茂は黙ったままでした。


「ありがとよ。雪絵も食べな。遠慮するんじゃねぇぞ。お茂、お前ぇも食べろよ。柿、好物だったろう?」

「……」

「どうしたよ、具合でも悪いのか? 熱があるならちょうどいい熱さましだ。ほれっ、一つ食べろよ」

 柿はお茂の大好物です。こりっとした歯ざわり、ほのかな甘み、種をくるんでいる薄い膜などは特に好きです。饅頭とは違う上品な甘さが好きです。でも、お茂は決して手をつけようとはしません。そればかりか、黙ったまま喜助を見つめたのです。


「……」

「なんでぇ、どうしたよ」

「……」

 何かを言いかけたお茂は、言おうかどうしようかと躊躇う素振りをみせました。


「本当に大丈夫か? お前ぇ、ちょっとおかしいぞ」


「柿……、せっかくだけど、……食べずにおくよ」

 お茂は、柿を見さえせずに呟きました。


「お茂、どうしたんだ? 食いたくないのか? 大好物だろ?」

「……うん。だけど、食べずにおくよ」

「おっかしいなぁ。本当に食いたくないのか?」

「……じ、実はね、食べないほうがいいから……。……体が冷えるし」

 不確かなことを言ってはいけない。特にこういうことはもっとたしかめてからにしなくては。でも、こうでも言えば気付くのではないかと思い、お茂はぎりぎりの謎賭けをしたのです。でも、喜助は朴念仁です。こういう場合、察することもあるだろうに、なにも気付かずにいます。

 自分では言えないけど、早く気付いてほしいとお茂は願っているのです。


「母上、お加減が悪いのですか? 夕餉もすすまぬようですし、何度かもどされていましたね」

 雪絵はお茂の変化を見逃していなかったのです。が、それを聞いてもなお、喜助は事の真相に気付くことがないのです。つまり、お茂が言わないかぎり喜助には見当がつかないのです。


「お茂ちゃん、いるかい?」

 帳場のあたりで大きな声がしました。声の様子からして隣のお豊婆さんのようのようです。


「おぅ、俺が出てやらぁ」

 気軽な調子で喜助が立ちました。


「新物の大根が手に入ってね、美味しく煮えたからさ、おすそわけ。お前が食べるんじゃないよ、お茂ちゃんに食べさせるんだよ。いいか? 大根は体を温めてくれるからね、それに、こなれもいいし」

 お豊はくどくどと念をおしています。


「そいつはごちそうだなぁ、俺もご相伴にあずかるよ」

 喜助はいつも通りに冗談まじりの礼を言ったつもりなのに、お豊は剥きになって喜助を叱りつけました。


「喜助! あんたはだめだよ!」

「なんでだよ……」

「何も知らないの? これだから男は……、お茂ちゃん、きっと子供ができたんだよ。何も言わないの?」

「こども?」

 喜助の声は裏返っていました。夢にも思わなかったことです。しかし、まさかという想いもあります。というのも、お茂が離縁された直接の原因は、五年たっても子ができなかったからです。絶対とは思いたくはありませんが、お茂は子供に縁のない女かもしれない。喜助はそう思っていたのです。だから安心して毎日何度も……。

 喜助とお茂が深い仲になったのは今年になってからです。つまりまだ一年足らず。そんなことがあるのだろうかと喜助は思いました。


「あんたって本当に馬鹿だねぇ。何度も吐いてるのを、あんた、まさか見ていないのかね?」

「こども……、俺にこども……」

 お豊の言葉など、もう喜助の耳には聞こえていません。夢にまで見た父親になろうとしていることに、総毛立つほどの喜びを感じていたのです。


「お茂! おい、お茂。子供か? 子ができたのか? どうなんだ、黙ってちゃわからねぇだろうが。お茂!」

 お豊から皿をひったくった喜助は、礼も言わずにお茂の前に立ちました。そして矢継ぎ早にこども子供と喚き立てたのです。


「……たぶんね」

 あまりに嬉しそうに騒ぐ喜助をじっと見たお茂は、照れくさそうに微笑みました。

「そうかぁ……。俺、俺が親父だとよ。えぇ? 孤児の俺が親父になれるんだとよ。よかったぁ、やっぱりお茂でよかったぁ。で? いつだ? いつ産まれるんだ? 男か? 女か? そんなことどうでもいいや、どっちだっていい……」


「気が早いよ。ばかだねぇ、きー公は」

「ようし、明日から忙しいぞ。検番だろう、町名主だろう、それに、世話になってる人たちにも挨拶しなきゃぁな」

 喜助はウキウキとして指折りしながら挨拶のことをいい立てました。


「……きー公、約束覚えてる? ……忘れてないよね」

 お茂は、あの夜の約束を喜助が覚えているか不安でならなかったのです。もし忘れていたらどうしよう。つい悪いほうに気持が傾いてしまいます。

 子ができたことは嬉しいのですが、手放しで喜ぶ気持にはなれませんでした。


「約束? なんだった? ……馬ぁ鹿、忘れるわけねぇだろ。誰に仲人してもらうか、ゆっくり相談しようぜ」

 忘れたふりをされたとき、お茂は耳を疑いました。しかし、そのすぐ後に、例の悪戯っぽい表情で喜助が言ったのです。何を覚えているではなく、仲人を誰に頼むかという言い方で。

 一瞬とはいえ不安な気持を感じさせた喜助が憎い。しかし、そういうことをするのが喜助です。喜助と懇ろになって何度目でしょう、お茂はじんと痺れるような喜びに満たされていました。


「きー公……」

 きっと聞こえてなどいまいとわかっていながら、お茂は擦れた声で喜助の名を呟きました。



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