black~帰路~
「......よっと」
半ば照明も消された店内、シェンはちょうど今最後のグラスを洗い終わった。
あとはグラスに付着している水気を丁寧にふき取り、元あった棚に仕舞えば本日の業務は完全に終了だ。
「お~い、まだかシェン。 はよせんと置いてくで~」
「おう、もう終わるとこだ」
棚の扉を閉め、また催促されないうちに外へと向かう。
この店は地下に作られているタイプの店な為、入り口のドアを開ければすぐに上り階段がある。
催促の声をよこしていた人物は、その階段を上りきって一般道に出たところでシェンを待っていた。
金髪でかなり長身の男だ。
だいたい185から90といったところであろうか。
「シェン、遅いで。 グラス洗うのに何分かかっとんねん」
「すまん、ちょっと眠くてな。 たまに意識飛んでた」
「おい、グラス割ってへんやろな? あそこに置いたあるやつは異常なまでに高いやつが多いんやからな」
「分かってるっつーの。 つか、俺の店だよここは」
そうなのである。
この店、バー``Colors``はシェンが完全に個人の出資で開いた店だ。
金髪の男、春日家辰夫は一応、不定期なバイトという扱いなのだが......
残念なことに、常連客の中にも辰夫の店であると勘違いしている者が多い。
「鍵は閉めたんやろな?」
乗ってきたバイクを取りに駐車場に向かう道すがら、辰夫が念のためといった様子で確認する。
「おい辰、俺は子供か! 閉めたに決まってんだろ、喧嘩売ってんのかこの野郎! ぶっ殺すぞ、コラ」
「はいはい、売ってへん売ってへん。 さーせんした」
何となく両者の関係がよく分かる会話である。
「つーかシェン」
「あ? んだよ?」
「お前まさか、そのままの格好で帰るつもりなんか?」
シェンは未だにバーテン服から着替えていないのであった。
本来なら朝にこんな格好をしていればかなり目立つのであるが、幸いこの付近一帯のエリアは夜間の仕事に就いている者が多く、朝に活動している者はほとんど居ないのだ。
「あ~、人もたいして居ないし、いいだろ別に」
「さよか」
シェンは止めていたバイクに掛けていたチェーンを外し、ヘルメットをかぶりながら車体にまたがる。
「違う区に住んどると、通勤するのも大変やなぁ」
「ああまぁ、中央区だからさほど遠くないけどな。 西区とかだったら正直きつい」
この学園島は大まかに分けて五つの区画が別れて存在している。
元からある群島という地形を多くのフロートで繋げ、それぞれの島があった部分を区として誇称しているのだ。
飲食店などが多く存在する東区、政府の建物が多くある西区、ほぼ全てが研究機関関係の建物である北区、主にベッドタウンとして存在している南区。
そして、学園が堂々と鎮座する中央区。
もちろん南区以外でも居住施設が無いわけではない。例外として、北区へは一般人の立ち入りが禁止されているため、住めるところはほとんどない。
シェンのバーがあるのは東区であり、シェンが入居しているのは中央区にあるマンションである。
ついでに、辰夫は東区に住んでおり歩いて通勤している。
「いや、中央区みたいに家賃がバカ高いとこ住んでられるかい。こちとら善良な一般市民、真っ当な稼ぎしかないんや」
「俺は家賃なんざ払ったことねぇけどな」
「は? じゃあ、どうやって住んどんねん。 ......まさか」
「借りてるんじゃなくて、持ってんだよ」
「金持ちやコネ持ちやて思っとったけど、ここまでやったとは......」
心底憎々しげにこぼす辰夫に苦笑で返す。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「あいよ、気をつけてな、お疲れさん」
「お疲れ」
バイクに乗ったシェンが見えなくなると同時に、車体の長い黒塗りの車が辰夫の目の前を過ぎていった。
厚いスモークが張られていて、中の様子は分からなかったが高級な部類であることは間違いないだろう。
その車が過ぎ去り、見えなくなる。
「......俺が思ってるより、世の中に金持ちて多いんやろか」
辰夫は一言だけこぼしてから帰路へとついた。