異母兄弟のラクダとカマキリが成人して吐き気のする純愛をしつつの密室殺人(冷やし中華)
この陰鬱とした重い空気を変えるためか、それともただ思いついたことを話したかっただけなのか、堕田は自分の子供のころを話し始めた。
「思い出したんだよ。昔さ、家に人形があった。赤い洋服を着たお人形さんでさ。俺すごいそれが苦手だったんだ。夜小便行くとき、その西洋人形がいる部屋を通るんだけど。背中向けてるその人形がこっち向くんじゃないかって怖くてたまらなかった」
なぜそんな話をと僕は苛立ち怒鳴りそうになったが、無音に近い部屋で頭を抱えているよりも耳障りな彼の話を聞いている方がまだましだった。
堕田はそれからも家の話をした。シングルマザーの母親に育てられという情報が興味もないのに頭に入ってくる。それでも昔から不自由もなく、父親が建設の社長をしていると聞いて僕は詳しく聞かざるを得なかった。
彼の父親の話を聞いて確信した。
「それは俺の親父だ」
今までだらだらと話していた堕田の口が止まる。
「僕の親父は昔に愛人と子供を作ったって聞いてる。その子供が俺と同い年だってことも」
「笑えないぜそれ。俺も父親のとはあまり知らないけど、現実味がないし」
珍しく焦る堕田に父親の特徴と生年月日を伝えた。一段と顔を青くさせ、堕田は乾いた笑いが漏れた。
嘘だよなと目線で問いかけてくる。僕は目をそらせた。
「当分、驚くようなことはないって思ってたんだけどな。これは、やられたな。はは、傑作だな」
心にもない笑いが部屋に響いたのち堕田は静かになった。同じように天井を見つめ、半分開いた口から何かが漏れ出しているように堕田は空っぽに見えた。
彼女のことを見たときも、予想以上に反応を示さなかったのにここまで狼狽する落差はなんだろう。僕はすでに頭がパンクしているのでもうどうにでもなれという感じだが、普通の立場で今までの友達が実は腹違いの兄弟だったなんて知ったらショックだろう。
もし、今よりも少し前にそれを知っていたら。
「こんなことにならなかったのかもな」
僕は目の前の赤い服を着た人形に目を向けた。
白かった服はざっくりと開いた首からの血を吸い真っ赤になって、うなだれたように座る彼女は本当に人形のようだった。
趣味の悪い人形だった。
そして僕らはその人形を部屋の隅で鑑賞する趣味の悪い観客だった。
どうして、こうもうまくいかないのだろうか。
密室殺人を犯すはずの僕が、どうして密室に閉じ込められているのだろうか。
仕掛けは簡単だった。携帯で作動する装置をあらかじめ作り通話ボタンを押せば外からでも鍵が閉まる。あとは受け口からそれを回収すればいいだけだ。
別にこんなちんけなトリックで完全犯罪にしようとは思っていなかった。少しでも世間の話題になり、あの女の醜いところを見せたかったのだ。
そうすれば僕の自尊心が少なからず回復するはずだった。
途中で堕田さえ来なければ。
あとは証拠を消して帰るだけだというところで堕田が現れたのだ。慌てた僕は誤って指を添えていただけのボタンを強く押してしまった。しまったと思った時には機械音がなり後装置が作動し自動で錠が閉まった。
計算外だったのはその部屋はうちから開けることができなくなっていたということだ。
いいさ、こういうものだ。うまくいかないときというのは。
今はじっと耐えるしかないんだ。
「震えてるのか?」
いつもの冷静さを取り戻した声だった。堕田の優しさにあふれた目。きっと本当に心配しているのだろう目に僕は耐えられなくなりうつむいた。
「……そっち、いっていいか」
誰にでも優しく誘いかけるその声。それだけで腹が立ってきた。誰のせいで鈴夏を殺すことになったのか大声で叫んでやりたかった。
「こっち来るな」
歯ぎしりを抑え僕はうなった。
どうして僕はいつも我慢だけなのだ。それに対して目の前の男はどうだ。自分に正直で人に嫌われることなんてこともない感情だけの男のせいで、僕は人を殺してしまった。
理不尽じゃないか。
「……そうか」
感情を表に出すことなく言って堕田は言い煙草に火をつけた。赤い火をつけるライターの音がやけに響いた。煙をゆっくりと吸い込みゆっくりと吐き出す。
いつもの仕草だった。
いつもの堕田だった。
彼のそのしぐさを見ると、今まで煮えたぎっていた感情がすっと冷めていくのが分かった。
いつもそうだ。堕田と一緒にいるといらつくことばかりだった。煙草のにおいも、誰にでも優しく誰からも好かれる堕田が嫌いで仕方なかった。何度も怒鳴りつけた。そのたびに彼は軽く微笑んで煙草に火をつける。
僕の心はスイッチが入ったように自分の感情を抑えることができた。
いつもの光景だった。
その中で自分だけが臆病に震えている。
今まで麻痺していた感情が、少しずつ上ってきた。それはもう胃の上あたりまでやってきて、叫び声と一緒にあふれてきそうだった。
「なんでかなってずっと思ってたよ」
突然、独り言のように堕田はいう。
「性格も全然違うお前にどうしてこうも長い付き合いになれたのかって。一緒にいてて分かるんだよ。俺にいらついてるんだってことも分かってたけど、どうして、お前は俺の前から消えないのか。全然わかんなかった」
白い煙が天井に上っていく。
「俺たちって半分同じ血が流れてたんだな。ようやくわかったよ。つまりはさ、俺とお前は似てたんだ。兄弟だからだろうけど。心の芯が同じなんだ」
「違うだろう……全然似てない」
いったいどこが同じだというのか、自分なんかと堕田のどこが一緒だというのだ。
「僕はお前と違って強くない。僕が威張れるのはお前だけだ。でも堕田は違う。もとが強いんだ」
堕田は黙ってそれを聞いていた。
「俺はしょせん虫なんだよ。威張り散らす虫なんだ。ほかの虫を食べる捕食者で、虫の中では自分が誰よりも強いと思ってた。それなのに、ある日出会ってしまったんだ。動物に。いくら僕が動物に強く言って勝負をかけても、やつはそうだお前の方が強いぞって言うんだ。自分の足の蹄より小さい虫にだ」
「お前らしいな。分かりづらい比喩だ」
堕田は笑っていた。カチンときていつもの調子で皮肉の一つでも言おうとして口をつぐむ。
ここがどこなのか、思い出した。
殺人現場。人間が一人死んでいる場所なのだ。それなのに堕田は笑っている。いつもと変わらない。
また、優しく言われているようだった。
お前の方が強いよと。
ずっと上から言われているようだった。
「……なんで怒らないんだよ」
「何が」
「俺が殺したんだぞ。お前の恋人を」
堕田は何も言わない。その姿は怒っているようにも、考えているようにも見えた。
向こうが黙ってしまえばこちらは何も言えない。
また長い沈黙が続いた。
「さっき」
何を怖がっているのか呟くように僕はいった。
「こっちに来るって言ったよな。怖くないのか僕が」
僕の手にはまだナイフが握られている。
血でぎとぎととしたナイフ。今でも鈴夏の首元を切った感触が残っている。思った以上に人の肌というのは柔らかかく、思った以上に血は動脈から噴きだす。その返り血はまだ乾ききっていない。
「これで刺されるかもしれない。それでもこっちに来れるのか?」
挑戦するように言うと堕田は黙って立ち上がった。
「おい、僕は……」
ナイフを上げるよりも早く、堕田は僕の隣に腰を下ろした。一本どうだと煙草を差し出してくる。
僕はまた顔をそらした。
「いらないよ。それに僕の前で吸うなっていってるだろ」
「たまには許してくれよ」
そういって煙を吐いた。堕田のにおいがした。
「……おい、なんで泣いているんだよ」
言われて初めて自分が泣いていることに気づく。涙が出ているなんて知らなかった。それでも自分は嗚咽し顔を下に向けている。
言いたくもないのに自然と言葉が出てくる。
「……僕ひどいことしちゃった。堕田の恋人。殺しちゃった」
「お前ももう成人したんだろ。男がめそめそ泣いてるんじゃねえよ」
「……ごめん。ごめんなさい」
「いいさ、あいつは俺の女じゃない」
「……え」
手に痛みが走った。とっさに手を引く。ナイフが地面に落ちた。
驚いて痛みの先を見ると、手の甲に煙草を押し付けられた痕があった。
どんな顔をしていたかはわからない。それでも縋るように堕田の方を見ると、彼は立ち上がり手には僕のナイフを握っていた。
「時間、かかっちまったな」
そういって蹴り飛ばされた。堕田がのしかかる。両腕を膝で固定され身動き取れない。
やっぱりそうだったんだ。
堕田はあいつのことが好きだったんだ。
ずっと復讐する機会を待っていたんだ。
「やっぱりあの女が好きだったんだ。やっぱり……やっぱりそうだったんだ」
叫びは震えていたが、やがてその声も出なくなった。
口から真っ赤な血があふれ、言葉は血と一緒に地面に落ちる。
裏切られたんだ。
ずっと裏切られてたんだ。
「また、泣いてるのか」
堕田は僕の目を優しく拭う。
そっと優しく僕の口元にキスをした。
「愛してるよ」
愛してるよ。
本当だ。俺にはお前だけだった。だからこそ辛かった。
きっと言い訳になるかもしれないが、俺はお前に幸せになってほしかった。不器用なお前でも普通の幸せを手に入れてほしかった。
そのために俺は不要なんだよ。
お前は普通の女と結婚して普通の生活から幸せを見出してほしかったんだ。
俺とお前が異母兄弟だったのも実は知ってたんだ。少し、わざとらしかっただろ。笑っちまったよ。それを知ったときは。そうでなくても俺の気持ちなんて言えないっていうのに。血のつながった兄弟だってよ。
俺は一週間泣いて考えたよ。
その答えがこれだ。
お前の幸せのために俺はいらない。
いてはだめなんだ。
だから、お前から離れることにした。女を作って遠ざかった。
……分かってる。そんなまどろっこしいことしなくても、実際に消えちまえばいいんだってことは。それこそあてつけみたいになっちまった。
心の奥では、そうだったんだよ。
俺の気持ちはお前にあった。それに応えてくれるのを見たかった。
……最低だよ。俺は。
だから、迷わないことにした。
ナイフを奪ってからは、迷わないように何も言わずに刺した。できるだけ苦しまないように心臓を刺した。
煙草はあれだ、俺の最後の我儘だ。俺がやったっていう証拠をつけたかった。
嬉しかったんだぜ。
いつものようにお前の後ろを尾行してあのシェルターに入って鈴夏を殺しているのを見て、俺嬉しかったんだ。喜んじゃいけないはずなのに、嬉しかった。
それほど思ってくれていたんだって思った。
なあ、鎌木。
結局は全部俺の我儘だったのかな。
お前を幸せにするって前の言葉には一緒にって言葉が抜けてたのか。
もう分かんねえよ。
じゃあ、俺もそろそろ行くわ。
最後に冷やし中華が食いたかった。それだけは言わせてくれ。
それだけは、言わせてくれ。