四、鳳雛の皇(33)
大剣が地面から引き抜かれたかと思えば、次の瞬間には、ウェルティクス目がけ斬りかかる。
横に薙いだそれを、辛くもレイピアで受ける。
――重い……!
びり、と腕が痺れを訴え、秀麗な眉が歪んだ。
イルク程の重さではないが、動きが速く剣線を受け止めきれない。
尚も斬りかかる相手。痺れに鈍る腕は思うように動いてくれず、苛立ちを覚えさせる。
――間に合わない。
そう感じた刹那、追撃を防いだのはイルクの大剣。
すとん。
ファングは後方へ飛び退くと、更に楽しそうに表情を崩す。
無造作に向かってくるように見えても、その動きは洗練され、一切の無駄がない。
圧倒的な威圧感が、小柄な彼をやけに大きく感じさせる。
『強い』――と。それが素直な感想だっただろう。
見縊っていた訳ではなかったが、それでもこうして対峙すると、『刀牙』と呼ばれたこの男の恐ろしさを有り余る程に見せ付けられる。
手負いのはずの相手、しかしその動きが鈍った様子はない。
長引けば、不利だ。そう瞬時に判断を下すと、ウェルティクスはレイピアを閃かせ、一気に仕掛けた。
盾としても優秀な大振りの剣を扱う相手は、得物だけをとってしてもけして有利な相手とは言い難い。
生半可な力で斬りつけても、防がれてしまうだけだろう。
ならば。
「……はっ!」
突きを主体とした攻撃に切り替え、縫うように細い剣先をファングへと向ける。
しかし、或いは乾いた音を立て跳ね返され、或いは肩を浅く切るのが関の山だった。
それでもウェルティクスは、攻撃の手を休めることはしない。
勝機があるとすれば――それは、ほんの一瞬。
――どんなに強い相手であろうと、その刹那を逃さず捕らえれば――!
……ぱたり。
ほんの僅か、ファングの腕から紅い雫が落ちた。
すかさず追撃を加え、持ち直す間を与えまいと牽制する。
そこに、
「ウェル殿ッッ!!」
背中から飛んできた声。青年は咄嗟に、横へと大きく飛び退く。
間髪入れず、そこにイルクの大剣が唸りを上げた。
予想外だったのか、一瞬目を丸くして。
ファングは嵐のような一撃を辛うじて受け止めると、ざっと後退し間合いを取り直す。
「ほう、即席コンビの割に連携がしっかりしてるじゃねぇか」
感心したようなファングの声。相変わらず楽しんででもいるのか、そこに苦い色はない。
「だが――余所見してる暇はねぇぜ」
じゃ、と剣を構え直して。
ファングは息吐く間もなく距離を詰め、イルクへと飛びかかった!
――しまった、と。
思った頃には、もう遅かったかも知れない。
視界一杯にファングのシルエットが映って――消える。
「……く、はっ――」
ど、っ。
腹に重く、鋭い一撃。
巨漢の体躯は、茂みへ盛大に叩きつけられた。
その手から、がしゃんと剣が離れる。ばき、と枝が啼いただろうか。
「イルク……!!」
体勢を直す暇も与えず、ファングの剣が一閃、倒れたイルクに振り下ろされた!
と。
……ひゅおぉぉんっっっ!
僥倖、だろうか。
それとも。
「ッ!
……ん、だ……!?」
突然吹き付けた突風に、イルクへと噛み付こうとしていた剣の軌道が逸れた。
手応えはある。しかし――
これでは恐らく、布か何かを切っただけだろう。肉を切った感触はなかった。
ち、と舌打ちひとつ。
顔に被さった髪を、邪魔そうに腕で払い退けたファング。
ひらけた視界に――彼は思わず、数度目を瞬いて。
「…………は、ッ?」
そこには。
イルクを庇うよう、その前に膝を落としたウェルティクスの姿。
マントの留め金と髪を結っていた紐が外れ、茂みの下に転がっていた。
深い藍のマントがばさりと落ち、ほどけた金糸の髪が支えを失い、肩にこぼれる。
はらり、と。
ファングの剣が裂いた金髪のひと束が羽根のよう、イルクの剣の上に落ちた。
「ウェル、ど……の」
「……私なら平気です。怪我はありません」
――そう、怪我はない。ただ。
暫し二人を眺め、呆然と立ち竦んでいたファングだったが、
「……、く……っはははははッッ!!!」
沸、と腹から込み上げる感覚に、顔を手で押さえ豪快に笑い出した。
「アンタが……『フォーレーンの王子』?
ははっ、こいつぁやられたな」
その切れ長の双眸は、す、とただ一点――ウェルティクスへ向けられる。
彼――否、『彼女』は、そんな視線にただ、曖昧な苦笑を返すのみだった。