四、鳳雛の皇(32)
ずん、と重い音。
土埃に沈む男を一瞥し、ウェルティクスは軽く息を吐く。
向かい来る敵を斬り捨てるレイピアに、うっすらと血油が浮かんでいた。
つまり――それだけ数多くの暗殺者を仕留めたことになる。
周囲を取り囲んでいた暗殺者は、僅か数名を残すのみ。中には逃走を図る者すら現れる始末だった。
ウェル殿――と呼びかける、よく知った声。
視線を飛ばせば、そこには大剣を携えたイルクの姿。あちこち返り血に染まっているが、大きな怪我はないようだ。
口を開き、相手の名を安堵の響きに乗せようとして。
「っ、イルク……!」
巨漢の背後から、彼を狙う刃がぎらりと閃くのを視界に捉えた。
はっとして切っ先を突き出す――が。
――間に合わない……!
しかし、暗殺者の進路は不意に何かに阻まれる。
レイピアの剣線は、間一髪というところで暗殺者を仕留めていた。
「……く!すまぬ、ウェル殿」
「いえ、何も無くて何よりです……しかし、今のは」
敵を妨害したそれに、ちらと目を向ける青年。
岩に突き刺さり、鈍い光を湛えたそれは、イルクのそれとよく似た大剣であった。
剣が飛んできた方角を確認すると、こちらへゆっくり歩み寄る人影がひとつ。
その姿にウェルティクスは、やはり――とちいさく頷いて。
「油断してんじゃねぇよ、ここは戦場だぜ?」
大剣をぐいと引き抜いて、ファングは顎をしゃくってみせる。
軽い挨拶のような仕種。
が、一寸の隙を見せないその姿勢は、既に臨戦態勢に入っている事を意味していた。
「余興が長引いちまった、早く始めようぜ?」
――いい加減待ち草臥れる。
得物を肩に担いだファングは、く、と喉の奥で笑みを零す。
「……どうしても、戦う――と?」
ちらりとイルクを一瞥し、重く問いかけるウェルティクス。
ファングは心底呆れ返ったという顔で、大仰に溜息を吐いた。
「甘っちょれぇ事言ってんなよ、王子さん。
これはもう、パニッシャーとあんたの問題じゃねぇ。俺とアンタ等の意地って奴さ」
――互いに退けねぇ、な。
不意に浮かんだ表情に、自嘲の色が滲んだのは気の所為だろうか。
しかしそれを確かめるより早く、ファングは担いでいた大剣をぶん、と振り落としていた。
「御託はもういい。始めようぜ」
ファングの言葉に青年は碧色の双眸を伏し、観念したようにレイピアを構え直す。
イルクに目配せをすれば、彼もまた、頷いて大振りの剣を構え直した。
「そうこなくっちゃな」
不敵に笑う『刀牙』。そこに剣を構え直す様子はない。
「……うぉぉぉぉっ!!」
最初に動いたのはイルクだった。
雄叫びとともに大剣を振り上げ、ファングへと斬りかかる。
ファングのシルエットはそれを紙一重でかわし、大剣を地面へ突き刺す。
次の瞬間には、柄に手をかけ高く地を蹴った。レイピアの一閃はぅん、と空を斬る。
空中から放ったファングの蹴りが、再度斬りかかろうとするイルクの肩を捕らえた。
がっ!
反動を利用し、そのまま勢いを落とすことなくウェルティクスへ蹴りが飛ぶ。
ばっと後ろに飛び退いて蹴りを避け、金髪の青年は何とか間合いを確保した。
「くっ……くくくっ……やっぱり――な」
嬉しそうな声音には、ほんの少し狂気の色も垣間見れたかも知れず。
「ラゼル以来だ。
――本気で戦えるのは」
にぃ、と。
深くファングの口元が笑みを象った。