四、鳳雛の皇(26)
ふ、とちいさく息を吐いて。
「何から――話したものでしょうか」
ウェルティクスは困ったように、窓の外を仰いだ。既に月灯りもない、静かな夜更け。夕陽より朝陽の方が、今は近い。
「この首の『聖紋』は、生まれた頃に魔法で印を施されたもの。
――私がフォーレーンの王子であると、世を欺く為に」
マントを掴んで、軽く引く。その首元には、フォーレーン王家に生まれた男子が持つという『聖紋』――とても、偽物には見えなかった。
「これは父王――テセウス王も知らぬこと。
とはいえ、貴方を騙していたことに違いはありませんが」
寂しげに微笑んで、青年は話を続けた。
語られる身の上話は、イルクにとって時に理解の範疇を越えていた。しかし、それまで彼が抱いていた疑問は、ひとつずつ氷解していった。
「成程。そういうことであったか」
やはり、俺の考えは正しかったようだ――そう独りごちる巨漢に、ウェルティクスは首を斜めにして見上げる。
「情報が間違いであったということだ。
貴公が真に『第三王子』でなかったとして、誰よりも祖国を愛し、憂いていることは俺にも伝わった。となれば、本来パニッシャーの敵ではない」
ぎこちなくではあったが、イルクは微笑んだようだった。
「風に愛されし繁栄の国、フォーレーン王国――俺はまだ、行ったことはないが。
王都もきっと、素晴らしい場所なのであろうな」
まだ遠い、東の都。四角く切り取られた景色に映る程近くはなかったが、きっとこの先にあるのだろう。
イルクがそちらを眺め目を細めれば、ウェルティクスもまた、同じように表情を緩ませた。
と。
ランプの蝋が沈むように、短い沈黙が落ちて。
イルクはきゅ、と口を引き結び、その肉刺だらけの掌を固く握り締めた。
遠慮のない、強い視線が青年へと注がれる。
彼はベッドに手を付いて立ち上がり、ひとつ、ふたつ青年のもとへ歩を進めた。
「イルク?まだ、立ち上がっては――」
制止の声にも、足音は止むことなく。ひたり、といやに床に響きをもって。
「今、俺の心は決まった。
……ウェルティクス殿」
見据えてくる瞳の力強さは、彼が振るうあの大きな剣を思わせた。
イルクの足は、ウェルティクスの一寸、手前で漸く停止する。と――彼は何を思ったか片膝を床へ沈め、傅いた。
その所作は、まるで――主君に忠誠を誓う騎士。
「イル、ク?」
「険しき己が運命を受け入れ、そして立ち向かう貴殿の姿に感服した。
――願わくば。この短き旅の間だけでも構わぬ、この命の限り貴殿に仕えたい」
深々と頭を下げるイルクを、きょとんとした表情が暫し見つめる。
ぱちくり、と瞳を何度か瞬かせ。ウェルティクスは珍しく狼狽えた様子で、鶯がかった金の髪に手を添えた。
「え、っと、その……イルク?」
――それは、つまり。
そう、行き着いた答えに口を開きかけ、言葉に乗せようとしたところに相手の声が重なる。
「受け入れては、貰えぬだろうか?」
驚きの表情はいつしか、落ち着いたいつものそれへ変わっていた。
苦笑交じりに、軽い息を落として。ウェルティクスは、腰のレイピアを抜き放つ。
しゅ、と啼く金属音に、刀身が描く流麗な曲線が優雅な旋律を奏でる。
かちり、とそれはイルクの左肩へ乗せられた。
「フォーレーン王国第三王子ウェルティクスの名に於いて、イルク=ブランクルーンを新たなるヴァユの僕とする。
万民を守護せし盾となり、災いを退く剣とならんことを――!」
祝福の声も、葡萄酒色の絨毯もない小さな部屋の中。風の王国に、新たな騎士が誕生したのだった――