三、刀牙(23)
一方、集落の中心を外れた裏路地。何かを探るよう辺りを見回し、イルクは眉間に皺を寄せる。
「む、見誤ったか?」
ファングが消えていったはずの裏路地を駆けてはきたものの、一向にその姿は見当たらない。
入る路地を間違えたのか、とイルクが戻ろうとした彼の真後ろに、ひとつ、気配が生まれた。
すとん、
何かが落下する音に、続いて布の擦れる僅かなそれが届く。
「いーや、間違っちゃいねぇよ。
たいしたもんじゃねぇか、お前の視界に姿を入れたのはあの一瞬だけのはずだぜ?」
よく正確に付いてこれたな――と、男はしんそこ愉しそうに喉で笑う。
イルクに姿を見せた後、ファングは屋根の上へと登り、気配を絶って上からイルクの様子を伺っていたのだろう。
イルクはゆっくりとファングに向き直ると、苦々しげにスペリオル――と、ちいさく零した。
「しかし、俺が相手だと判っているのに随分と余裕じゃねぇか、イルク?」
顎をくい、としゃくるファングの仕草に、イルクは眉を顰める。
「あの王子さんとは別々で行動、か。
はっ。まさか、この前みたいな小手調べの襲撃が続く、なんて勘違いしてねぇよな?」
「無論だ。スペリオルの実力は間近でいつも見ておった。
俺などでは、到底太刀打ちできぬであろうな」
機械がデータを弾き出すように、無機質な言葉の羅列を並べるイルク。その姿は、かつての彼と変わりなく見えた。
そう、唯一点――その両の瞳に煌々と灯る、強い意志の光を除いては。
――いい眼をしてるじゃねぇか。
彼に気取られぬように独りごちたファングの、口の端に不意に笑みが浮かぶ。
そして、
「成程な。お前の決意はしっかりと受け取らせてもらった」
男はくるり、とイルクに背を向け、片手を軽く挙げた。まるで、イルクの意志を確認し満足しているかのようでもある。
顔を虚空に向けたファングだったが、ふとそれを戻し、一瞬だけ相手に視線を投げかけた。
「イルク。次からは俺も本気で行くぜ。
油断して足下掬われねぇように気をつけるんだな」
にっと刃物のような笑みが、周囲の空気を凍らせる。男は路地の両端にある民家の壁を交互に蹴り上がると――そのまま見えなくなった。
イルクは暫くの間、ファングが消えていった屋根上を睨み据えていた。
しかし、去り際のひとことが妙に胸にこびりついて離れない。
次の瞬間に浮かんだのは、宿屋に残してきたウェルティクスの顔。
――まさか。
イルクは知らず、走り出していた。
進路は、当初の目的地である馬屋。この距離では、宿屋へ走っていくよりも馬を得た方が早い。妥当な判断だっただろう。
厭な予感が杞憂であることを心から願い、一刻も早く宿屋に戻らねばと、焦る思いを抱えながら巨漢は馬屋を目指すのだった。