一、刺客(1)
煉瓦造りの建物が黄昏色に染め上げられた街。
国境付近だけにさほど大きくはないものの、交易の要所となっているのだろう、商人や旅人で、なかなかの賑わいを見せていた。
装飾品を並べ、中年の露天商が道行く人々を呼び止める。
家路を急ぐ街の人々が、次々にウェルティクスの前を擦り抜けてゆく。
家々からは暖かな暖炉の光や香ばしいスープの芳香が仄かに届いた。
そんな中――彼は困り果てた面持ちで、王国有数の名馬とも謳われた愛馬に視線を巡らせていた。
と、いうのも。
街の入口に着くや否や、泡を吹いて倒れてしまったのだった。
彼が殆ど睡眠をとらず馬を走らせて、かれこれ五日。
繰り手より先に馬が悲鳴を上げてしまった訳である。
……まあ、無理もあるまい。
この街を越えれば王都まで一週間――いや、これまでと同じペースで行けば四日程で着くだろう。
しかし。
これ以上の酷使は愛馬の命に関わると判断したウェルティクスは、旅人を相手に馬の売買を商う店の門をくぐった。
「これは酷いですね…さっきまで走っていたとは、とても思えない」
気のよさそうな小太りの店主は言葉もないというように、青年と白馬を交互に見遣った。
「ええ、申し訳ない事をしてしまいました。
アクディア公都メーベルから、かれこれ五日……殆ど休ませてやれなかったもので」
その言葉には、流石に主人も耳を疑ったようだ。仰天し、汗をかきかき早口でまくしたてる。
「メーベルからだって!?
早馬でもここまで、一週間――や、十日はかかる距離ですよ!?
それを、五日で来たって言うんですかい!」
はっきり言って、無茶苦茶だ。
眉を下げ、顔を赤くしたり青くしたり。そんな主人の様子に青年はどう答えていいものやら、曖昧な笑みを作って返した。
「はい。どうしても……王都フォルシアに急がねばなりませんので」
疲労を感じさせぬ、はっきりとした声で彼はそう告げた。
そして愛馬を主人に委ね、新しい馬の手配を頼みたい、と主人に願い出る。
と、
顔を上げ、青年はやっと異変に気付いた。
本来なら、多くの馬たちが控えているはずの厩舎はがらん、と静まり返っている。
そう、
奇怪なことに、馬の姿が一頭も見られないのである。
「それが……お客さん。
お急ぎのところ本当にすまないんですが、今朝方ここの馬全部を買い取って行かれたお客さんがいましてねぇ……」
全部――?と、鸚鵡返しに響く声に、店主はますます縮こまってしまう。
交易地だけに大層な数の馬が収容されていたであろうに、その全てが買い占められてしまったというのだろうか。にわかには信じ難い話ではある。
しかし、
「え、ええ。その、全部、……です」
言いにくそうにそう零し、いやあ、間が悪い――と付け加えながら汗を拭う主人に、ウェルティクスもそれ以上強くは言えず。
「……そう、ですか………」
深い落胆の溜め息が、狭い店内に虚しく響いた。
「大急ぎで馬を手配しても、三日はかかってしまうんですよ。ほんと、すまないんですがねぇ」
心底すまなさそうに、店主は何度も頭を下げてみせる。
これではまるでこちらが責めているようで、却って申し訳なくなってしまう。
「いえ、こちらこそ……無理を言って申し訳ありませんでした」
彼は店の主人に深く頭を下げると、愛馬を愛おしげに撫で、この子を宜しくお願いします――と、更にまた頭を垂れた。
そして踵を返し、ひとまず今宵の宿を探すことにする。
足を失った痛手は大きいが、沈んでいる余裕は残されていないのだ。
ウェルティクスの足下から、長い長い影が伸びていた。が、幸いにもまだ陽は落ちきっていない。
この時間ならまだ空いている宿もあろうだろう。――しかし。
ここから一番近い村まで馬で半日。
徒歩であれば、早くとも二日以上はかかる。新しい馬を待つか、それとも……。
青年があれこれ思考を巡らせていた、その時。
どすんっ!!
「きゃあぁっ!?」
何かが側面から、ウェルティクスに激突する。
衝撃にはっとして振り向くと、幼い少女がどっ、と街路に叩き付けられていた。