二、闇の片鱗(14)
「踏み込みが甘ぇ!」
「っ!………くっ」
弾かれた木刀が回転しながら宙を舞い、イルクの倒れ込んだ直ぐ横へ転がった。
得物を失い、尻餅をついたまま木刀に手を伸ばそうとするイルクの喉元に、それと同じものがひゅ、と突きつけられる。
男はふん、と喉で笑うと、床の木刀を一瞥し、イルクへ向かって蹴りつけた。
そして、倒れたイルクを見下ろしたまま、彼――ファングはこう言った。
「何、踏み込む瞬間に躊躇してやがんだ?
気の抜ける攻撃しやがって」
頭を押さえむぅ、と呻くイルク。
彼はその巨体を起こし、ファングを見上げ。解せぬ、と言いたげに疑問を投げかける。
「スペリオルは何故、一寸の迷い無く攻撃に徹することが出来るのだ?」
彼等が用いる得物は大剣。破壊力には優れるものの、生じる隙も大きい武器である。
練習用に用意された木製のそれでさえ、細身の片手剣とは比較にならない。
そんな彼の言葉を理解しているのかいないのか、ファングはといえば、
「ふん。決まってんだろうが。
お前が弱くて俺が強いからだ」
と、身も蓋もないことを言ってのける。
「む?……むぅ」
判ったような判らないような表情のイルク。その間抜けな表情に苦笑し、彼は続けた。
「――斬られるのは、恐ぇか?」
ぎらり、と。
見透かすような鋭い眼光に、二の句が告げずにいる部下を、ファングはどう感じたのだろう。
「痛ぇうちはまだ身体が動くってことだ。なら向かってきゃいい。
弱ぇから、痛みに対して恐怖なんてもんがある――判るか?」
困惑するイルクの顔を見遣り、彼はふ、と軽く息をつく。そして、
――腕っ節の話じゃねぇよ。
と、苦笑混じりに言った。
「む?では……」
こっちの話だ――と、ファングは自分の胸を指で指し示した。
包帯の隙間から、無数の傷跡が見て取れる。
「俺は御館様――首領に恩がある。
その恩に報いる為なら、いつだってこんな命捨てられる。所詮、死に損なった命だ」
厳しい瞳に、不意に暖かな光が灯るのを、イルクは見逃さなかった。
その暖かさは、弱さではなく――彼の持つ強さの正体なのだと、朧気ながらにそう感じられたのだった。
「痛みも死も、恐くはねぇ。だから、一歩が踏み出せる。
――大切なもんを守れるなら、な」
――大切な。
大切な者達を心に描き、そう、心で繰り返す。
それこそ、彼が心なき殺人機械でなく人である、何よりの証。
スペリオル、と呟き真っ直ぐに見つめてくるイルクに、ファングは、ふっ、と――
笑った、
ように見えた。
「スペリオル?」
次の瞬間、
……どさっ!
怪訝そうに問い掛けるイルクの両手目掛け、何かが投げつけられた。
ずっしりと重みがある。が、不思議と手に馴染むような感覚。
それは、
「こ、この大剣は」
大事に使い込まれたものだということは、武具を扱う者になら一目瞭然であろう。
手入れも行き届いている。
見ようによっては使い古された剣だが、なまくら刀とはその輝きが全く違っていた。
些細な傷等もろともせず、血を身一杯に浴び、斬りかかっていく――その様は、『刀牙』の異名を持つファングそのものだ。
「お前にくれてやる。
いつか、お前が守るもんを見つけたときに――役に立つだろうよ」
「なっ……!?し、しかし、これはスペリオルの!」
剣とファングを交互に見て、目を白黒させるイルク。
「No05――いや、今は昔の名で呼ぼう。
……イルク」
ファングの唇から発せられた、忘れかけていたその響きに――イルクは一瞬、電流が迸ったような感覚に陥った。
構わずファングは続ける。
「俺達が生きてんのは、殺るか殺られるかの世界だ。
腹くくんねぇと直ぐに命を落とすぜ?」
その声の表情は部下に対する上官というより寧ろ、
仲間――或いは血を分けた兄弟のような、そんな色を湛えていた。