おまけの一
人ではないものたちがそこここに気配を漂わせている。
今となっては懐かしさすら感じる家屋の中に、よく手入れされた庭のあちこちに。
礼奈は、文庫本を読む手を休め、行儀悪く足を庭先へ投げ出しながら庭を眺めた。
「なんか、増えてない?」
礼奈が視線を走らせた先には、人ならぬものたちが声を上げ、球遊びをしている最中だ。
どういうルールなのかは知らないが、彼らなりの規則性をもって遊んでいるようだ。
「増えてる」
音もさせずに礼奈の後ろ近寄り、彼女の隣に座った男が事も無げに答える。
礼奈がこの「場」へ迷い込んだ当初は確かに人外の数は多かった。人里から隔離され、わけがわからない気配におびえ、何より隣にいる人ではない人の存在に恐怖しながらも礼奈はたくましく過ごしていた。
それらが数を減らし、わずかばかりの寂しさを感じ始めた頃、礼奈の目で見ても明らかに「場」がほころび始めた。
それは、迷いこむ人の数の多さであり、ときおり揺れる空間であったり。
異変は、じわじわと染み込んでいくかのように侵食し、いつしかは礼奈をも飲み込むだろう。
――そう、感じ取っていた。
礼奈はなんともない風に答える男に振り返る。
「社でも増えたの?」
「そうでもあり、そうでもなし」
この空間、ひいては彼らの存在は、彼を信じる人々の信仰心によって支えられている。
男は、大昔からここの土地神として君臨し、敬われてきた。
時代によって名前が変わり、その属性が変えられたとしても、彼は彼である。
「でもそんな時代でもないよねぇ」
「・・・・・・まあ」
いささかの歯切れの悪さをみせながら、男は礼奈の髪と戯れる。
礼奈は、ある意味信仰心に厚い時代に、ここを支える村人たちによって生贄にされた少女だ。
騒々しく、男の頭痛の種にしかならぬ存在が、いつしか唯一の人となり今に至っている。
そして村の方も変化していった。
村は大きな町と立派な道路でつながり、若者は土地を離れ年寄りだけが残されていく。
いつしか清浄に保たれていた社さえみすぼらしいものとなり、村人の中からカミへの信仰心が忘れ去られていった。
ゆるゆると朽ちていくはずだった。
それがどういうわけか、この場はかつて以上に賑わい、そしてほころびすら目立たなくなっている。
「ブーム、というやつになっているらしい」
「ブーム?」
本をぱたりと閉じ、礼奈は男の膝に頭を乗せる。
仰向けの顔は男を見上げ、男は礼奈を見下ろす。
「パワーがつくとかつかないとか」
「なにそれ?」
礼奈は時から切り離された少女だ。
年もとらず、そして外界のことをほとんど知ることもない。
幾度か外出をしてみたものの、あまりに自分の知っている世界とは異なった現代にたじろぎ、積極的に外へ出る気さえ失ってしまっている。
「あと、町おこしだな、あれは」
「町おこし?」
いつのまにか名物ができるのはいつの時代でもあることだが、ここが霊山だのパワースポットだのともてはやされ、特に若い女性が大量に詣でるようになったことは男にとって意外であった。
何が流行るかわからないものだが、まさか己の存在がそんなものの一翼を担うようになるとは思いもしないだろう。
恋結び、恋愛成就、という属性を勝手に付加され、男を祀る社はいつのまにか建て直され、随分と立派なものになっている。
彼女たちのどれほどが真剣に信じているのかはわからない。
だが、あの荘厳な森の中で、敬虔な思いを持たないものは少ない。
カミへ、ではなくとも、自然への信仰心にも似た心が溢れ、めぐりめぐってここの場が活況というわけだ。
「まあ、ともかく当分こうしていられるってことでしょ?」
べったりと両腕を男の腰に回す。
その距離感がすでに当たり前となってしまった男は、彼女のそんな仕草をすっかりと受け止める。
「そういうことだな」
いつのまにか日は暮れ初め、球遊びをしていたモノたちの姿が消えている。
いい香りが漂い、彼女たちの夕食が運ばれていることを知る。
夜のにおいが濃くなり始めたころ、寝所に立ち入らぬよう人ならぬものたちは遊ぶ。
寝所では、どれほど繰り返されたかはわからない、二人だけの挨拶を酌み交わしていた。