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その五

 あの男の体温は嫌いじゃない。

ここにいていいって、思わせてくれるから。

好きだとか嫌いだとか。

そんなことはわからない。

ただ、必要とされるのがこんなに嬉しいだなんて知らなかった。





 礼奈が数えることをやめたほど季節が過ぎていったころ、男と彼女の距離はいつのまにかひどく縮まっていた。


 甘やかで濃密な空気が支配する中、礼奈は蚊帳の中でしどけない姿をさらしていた。

ここでの生活は基本的に古典的衣装が多い。

どこから差し入れされるのか、礼奈によく似合うそれは、大人びた紬であったり、艶やかな振袖であったり。まるで季節も用途もばらばらなそれを、人でないものに着付けられ、いつしか礼奈も受け入れていた。

当然寝所では浴衣であり、昨夜は紺地にアジサイの白い花が散ったものを纏っていたはずだ。

それはすでにどこかへと追いやられ、礼奈は掛け布団でその白い肌を隠す状態となっている。

隣には灰色の男。

不気味で正体もわからなくて、名前さえ知らぬ男。

二人きりの生活は退屈なようにみえて飽きることはなく、男の蔵書と時折運ばれる外界の情報、そしてなにより博識な男と会話をすることで日々を満足に過ごしていた。


「礼奈は帰りたくないの?」


いつしか呼び名さえ変化しており、二人の心理的距離も近いものとなっていた。


「ない」

「即答だねぇ」

「居場所なんてないから」


時折思い出さないこともない家族は、自分を快く迎えることはないだろう。いや、ともすれば突然帰ってきた娘に困惑さえするだろう。礼奈はその時の情景をありありと思い浮かべることができ、ややうんざりとした表情を浮かべる。

男は頭を振った礼奈の首筋を撫で、そして自らの胸へ引き込んだ。

お互いの体温が交じり合っていく。

礼奈は全てを委ね、そしていつしか眠りへと落ちていった。





 きゃらきゃらと笑い声を上げ、子鬼たちが庭を駆け回る。

その姿を見ながら、礼奈は男と二人スイカにかぶりついていた。

新しい浴衣を身につけ、うちわを縁側に置く。盛夏にふさわしい衣装と果物に、礼奈は満足していた。


「あのさ」

「何?」


男の口端についた果汁をぬぐいながら礼奈が尋ねる。

知らぬことはない、と思わせるほど知識が広い男は、こうして彼女の問いに答えることが多い。


「なんか、あの辺おかしくない?」


礼奈が指差す方向は、木々に埋もれた空間だ。

コケが生え、日差しは生い茂った木々に遮断されたそこは、ひっそりとして人々を寄せ付けぬ雰囲気をかもし出していた。

その空間が、どこかおかしいと気がついたのは最近のことだ。

先の景色がゆらゆらと歪み、時折、先を見通せぬほど木々が折り曲がって見えるときがある。体一つ分ほど隣の景色を見渡せば、そこにはやはり木々が地面から正しく生えており、そこだけが何か異変を生じているようだ。

礼奈は何度も見返し、目をこすり、不思議に思ってようやく男へと疑問を口にした。


「ああ、ほころびだな」

「ほころび?」

「ここの空間は信心だけでもってる」

「信心?あの社のこと?」

「まあ、あれだけじゃないが。そういうことだな」

「世話してくれる人がいなくなった?とか?」

「だろうなぁ。いや、よく持った方じゃねーか?さすがの田舎でもああいったもんは廃れていくもんだろう」

「ほころび続けたらどうなるの?」

「さぁ」

「さぁ?」

「わからん。俺はよそのカミサンのことは知らないし。この空間がなくなっちまうのかどうなのか」


しゃくり、とスイカをかみ締め、まだ冷たい果肉の感触を確かめる。


「あのさ、そうしたら、あたしたちどうなるの?」

「消えるんじゃね?」


その声にはかけらの寂しさも感じさせず、淡々としたものだ。

礼奈はその言葉に多少の驚きは示したものの、慌てることなくただ男の隣でスイカを食べ続けている。


「一緒に?」

「ああ」

「だったらいいや」


礼奈は再び男の顔を拭い、自分の口元も丁寧にふき取る。

遊びつかれた子鬼たちは、笑顔のまま一人、また一人と別の場へと消えていった。


「まだ、先のことだからな」


男の背中に自らの背中を預け、礼奈は頷く。

ぎらぎらと照りつけていた太陽もいつしか沈みかけ、屋敷は再び夜の世界に支配されていった。


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