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その三

どうしてあたしがここにいるのか、あたしは知らない。

だけど、ここにいていいという男の言葉は、あたしにはとても気持ちが良かった。





「っていうか、あんた名前は?」

「あんたって言うな。言葉遣い悪いなぁ」

「人のこと言えないじゃん」


本能的な恐怖すら覚えた男の家に、礼奈はあっさりと住み着き、すでに幾日か経過していた。

誰が用意しているのかすらわからない朝食を目の前に、礼奈は唐突に疑問を口にした。


「カミサマでもカミサマでもカミサマでも、どうとでもご自由に」

「自由じゃないじゃん」

「どうせ名前なんてないしな」


香がたつ味噌汁を飲みながら、男が嘯く。

それを嘘だ、とも、からかいだともとらずに、礼奈はただ同じように汁物を口にする。


「おいしぃ。まあいいや、それで」


あっさりとそう了解し、二人は沈黙のまま質素な朝食を再開する。

礼奈は彼に名を聞かれてから、彼の言葉の真偽を体のどこかで感じ取る、という不思議な感覚を味わっている。

彼の言葉一つ一つが、口に出して問いただすことをせずとも、真実なのかどうなのかがただわかる。ここに来る前ならば、到底想像することすらできない現象に、すっかりと馴染み、日常生活と同じこととして受け取ってしまっている。


 年頃の娘が食べるには、やや少ない量の朝食を食べ終え、箸を置く。

食べ終えた膳の上の惨状に、男が片眉を上げ、叱責の言葉を飛ばす。礼奈はふくれっ面でそれを受け取り、大人しく茶碗の中の体裁を整える。幾度も繰り返されるやりとりに、それでも男は根気よく彼女を叱り付ける。


「で、何すればいいわけ?」

「とりあえず本でも読んどけ?それだけは大量にある」

「めんどくせぇ」

「女の子がそういう言葉遣いするのはだめだといっただろ?」


舌をだし、礼奈は食器を片付ける。

初日は汚く食べ散らかしたあげくに、そのままどこかへ行こうとした礼奈だが、カミサマの一言で何かに取り付かれたかのように強制的に食器を片付けさせられたあげく、どういうわけか家中を掃除するはめになったせいなのか、大人しくここの規則にしたがっている。それでも、食べ方だけは上達はみられないが、箸の使いかただけはややましになった。それを褒める人間はここにはいないのだけど。




「退屈ぅ」

「本でも読め」


畳敷きの部屋に仰向けに寝転がりながら、礼奈は足をばたばたさせていた。

それをしたところで窘めるものはここにはおらず、ただ男がわずかばかり眉根を寄せるだけだ。


「あたしばかだし」

「そうやって卑下しときゃ楽だよな」


一刀両断される会話にも慣れ、少しもへこたれずに礼奈は続ける。


「漫画とか」

「ねーよ」

「雑誌とか」

「ないったらない」

「ああああああああああああああ」


四肢をばたつかせ、礼奈の叫びが屋敷に響く。

その声に驚いたのか、屋敷の中に居る「何か」が気配を振るわせる。

当初はその何かに一々びくついていた彼女だが、月日が流れることでいつしか馴染んでいった。

ふいに姿を現す人ならぬ者は、どちらかといえば礼奈に脅えるほど気の小さいものが多く、先ほどの礼奈の声でいくつかは屋敷から逃げていったようだ。


「うるさい」


叫び疲れてだらりと手足を投げ出した彼女に、男が叱責の声をあげる。

一人きりで暮らしてきた彼は、静寂を好み、このどちらかといえばやかましい小娘が空間を乱すことを良とはしていない。

だが、自分に責任がないとは言い切れないせいなのか、男は同じ部屋に彼女がいることを許容している。

それでもその距離は徐々にではあるが、縮まっていった。

全ての疑問を飲み込み、ただ居心地のよさに身をゆだね、礼奈は男と供にあることを選んだのだから。




 ゆるやかに時は流れる。

全く伸びない髪の毛と、成長しない手足。

礼奈は、幾年かたった後、ようやくカミサマに尋ねた。


「そういえば、あたしってどうしてここにきたの?」

「それ、最初に聞くべきじゃないか?」

「最初に話しとくことじゃない?」


縁側に並んで座り、何かが飛び回る庭を二人で眺めるのはここのところの日課だ。

得体の知れない男として一定の距離を保っていた礼奈も、いつしか彼に慣れ、そして生意気な小娘だと思っていた礼奈に、彼も幾ばくかの親近感を覚え始めた頃からの距離感だ。

触れる、わけでもないその距離は、それでも礼奈を安心させるには十分だった。


「イケニエ、って言ったよな?」

「それは聞いた」


クラスメートの実家に誘われ、それが今まで見たことのない山奥の田舎の村だったため、どういうわけか受諾し、そして礼奈は現在に至っている。

蚊帳をつった畳の部屋で寝たところまでは覚えているのだが、いまどうしてここにいるのかは彼女にはさっぱり記憶がない。

無意識に、縛られていた痕があった手首をさすりながら、彼の顔を見つめる。

灰色の男。

何もかも薄い灰色に彩られた男は、人形のように美しい。

そして、人形のように人間味を全く感じられない。

灰色の瞳が、礼奈を捉え、彼女はその中に自分の姿がうつりこんでいることを知る。

記憶にあるころの自分と全く変わらない自分、が。


「ここが閉鎖的な村だっていうのはわかるよな?」

「よく、わからないけど、私が遊びに行った日に、随分色々な人にじろじろ見られた覚えはあるけど」


同級生に連れられて、あの村に足を踏み入れたときの感覚は、一言で言うならば不快なものであった。

ちらちらと覗き込むくせに、声を掛けるわけでもない。さらにこちらが見返せば、突然家の中に隠れてしまう、といった扱いはどう考えても気持ちのよいものではない。

さらには、気がつけば視線を感じ、挨拶一つしない後姿を見送ってばかりなのは、鈍感な礼奈にしたところで滅入るものだろう。


「で、水不足だったんだな」

「そうだっけ?」

「礼奈が住んでたところはまあ関係ないがなぁ」


水不足、と聞いたところで、礼奈に全く実感がこもらないのも無理はない。彼女の住む街は、非常に豊富な水源を持ち、また川からの取水が減少しようとも、いくらでも地下から水が沸いてくることで有名だからだ。周辺の市町村が渇水に喘いでるなか、彼女の街だけは体育の授業で水泳の時間を減らさなかったのだから、どれほど水不足と縁遠かったかがわかるだろう。


「どういうわけか昔から使ってた地下水が枯れたみたいでね、運の悪いことに」


村の人口は少ない。だから日々を暮らせるだけの水量を確保することは出来ないことはない。だが、さらに農業だの畜産だのとなれば話は別だ。

追い詰められた村人たちは、どういうわけか昔ながらの方法に縋ろうとしていた。

つまりは、村を守る鎮守さまへ生贄を捧げよう、と。


「ばかじゃない?」

「ばかなんだよなぁ」


冷静に考えれば、そのような非現実的な事をしても無駄だ。市町村レベルで援助を請う方が先だろう。

だが、閉鎖的な村において、狭い考え方をする彼ら彼女らは、最も安易で愚かな方法をとってしまった。

それを、愚鈍である、と切って捨てるのは簡単である。

だが、彼らの中には彼らの中で息づいた法則があり、規則がある。

因習、とも呼べるそれらは、彼らを容易に縛り、身動きをとれなくさせる。

誰が言い出したかもわからないそれに、あっという間に群がり、村はそちらの方向へなだれ込んでいってしまった。

幾ばくかの後ろめたさが、彼らに誰にも探されない少女を求めさせ、それに合致したのがたまたま礼奈だったのだ。


「それであんだけ熱心だったんだ」


同級生からもやや浮いていた自分を誘った理由を理解した礼奈は、僅かに肩を落とした。

家の中にも居場所がない彼女にとって、その誘いはかすかな明りを照らすようなものだったのだから。


「で、雨降ったの?」

「いつかは降ったんじゃね?たぶん」

「カミサマじゃないの?」

「そんな大層な力もってねーよ。もってたらこんなとこいねーって」


それは、確かにその通りである、と、礼奈は周囲を見渡す。

閑寂な、と言えば聞こえはよいが、何もない木々の中に取り残されたかのようにたたずむ日本家屋、わずかばかりの庭。それだけが礼奈のいる空間だ。

気まぐれに森の中を歩くものの、そこには稀に動物たちが紛れ込むぐらいで、何か楽しいものがあるわけではない。どういうシステムになっているのかはわからないが、人ならぬものが現れ、新鮮な食材や男が求める本などを置いていく。

彼によると、ここは色々な道が交雑する場だというが、礼奈はよく理解してはいない。


「まあいいや」

「いいのかよ」

「生活が変わるわけじゃないからねー」


そう言って礼奈は男に自らの背中を寄せ、初めてその体重をかけた。

わずかばかり寄った眉根も、それ以上不快を表すことはなく、二人は日が暮れるまでただじっとそこにいた。


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