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その二

 あたしはわからなくて、夢の中で必死に助けを求めた。

朝起きて、現実は何も変わっていないことに気がついて、はじめて泣いた。





泣いたままの礼奈を見下ろした灰色の男は、つまらなそうな顔のままどっかりと腰を落とした。

畳敷きの部屋に敷布団、という典型的な古い日本の寝具の上で、礼奈は混乱のあまりただただ泣き続けていた。

響くのは彼女の嗚咽のみ、というこの空間は、八畳ほどの寝具以外は何もない部屋だ。三方が襖で囲まれ、一面だけが障子の扉で閉ざされている。障子からは外からの明りがもれ、すでに日が昇って久しいことを教えてくれている。


「あんた、慰めるとかしないの?」


しゃくりあげながらもようやく泣き止んだ礼奈は、開口一番憎まれ口を叩く。

男は、たいして気にもせずそれに軽口で答える。


「なんで俺が」

「女の子が泣いてたら慰めるのが男の仕事でしょう」

「そうされるだけの価値がある女ならね」

「どういうことよ」

「そのままの意味だが?」


礼奈は、一般的に美人と呼ばれ、異性にはちやほやされることが多い。同性にはその性格から敬遠されていたのだが、それを「妬み」だと決め付け、彼女らを見下していた。当然彼女の周囲には、似たような意識の人間しかおらず、もてはやした男たちもまた、それに釣り合う程度の人間ばかりであった。

見た目だけは華やかな、中身は乏しい人間たちの集団。

礼奈のいたグループはそう目され、遠巻きに見られていたことを彼女は知らない。

だからこそ、こんな風に面と向って彼女を批判した異性は初めてで、心細さと混乱から、口調がさらにとがったものとなっていく。


「あたしの何がわかってんの?」

「少なくともおまえよえりわかっていると思うが?」


目の前の男は、初対面の謎の男だ。

しかも、自称カミサマという世迷言をためらうことなく口にするほどの。

だが、どういうわけかそれら全てを飲み込んで、礼奈は対峙している男が、人間ではない何か、ということを認めつつあった。


「まあ、時間はあるからな。少しは勉強したらどうだ?そのからっぽの脳みそが少しはましになるんじゃないか?」

「いやよ!あたしは帰るんだから」


じっと、灰色の男は灰色の瞳で礼奈を見つめる。

その視線に耐えられなくなり、彼女は顔を逸らす。目に付いた畳みの縁は新しく、どういうわけか、森の中で見かけたような気がした、手入れされた古びた社を思い出した。


「どこに?」


優しさのかけらもない男の言葉に、礼奈は再び彼と視線を合わせる。

射抜くような視線は、何もかもを見通されているようで、彼女はそれを避けるようにしてうつむいた。


「ようするに、おまえは捨て子みたいなものだろ?」

「違う」


自分の何をわかっているのかもわからない男が、正確に彼女の状況を暴きだす。

いたたまれなくなって思わず掛け布団を握り締める。


「じゃあ、君がいなくなって、誰が君を探すのかを言ってごらん?」

「それは」


うつむいたまま、誰の名前も挙げられない自分に、礼奈は知らずに再び涙をこぼす。

あふれ出る涙は、先ほどのものとは違い、憐憫の気持ちが強く出た涙だ。

そう、彼の言うことは、全てがあたっているのだから。


「いたぶりたいわけではないんだがな」


彼は立ち上がり、そして静かに障子を開け、部屋を出て行った。

残された礼奈は、耐え切れずに布団に突っ伏して声を上げて泣いた。

誰も、助けにはこない。

誰も、探しにはこない。

それを知っていたはずなのに、突きつけられた現実は、もっとずっと冷たいものだった。





 礼奈は、普通の家に生まれた一番目の女子だ。

同居していた父方の祖母は、彼女を溺愛し、共働きで働いていた両親に代わって彼女を育てた。いや、どちらかといえば、礼奈を取り上げ、その母親業を実母から取り上げたともいえる。そのせいなのか、礼奈は祖母にはよく懐き、そして実母には壁をつくるような少女へと成長した。

そのまま行けば、ただの三文安の子供、というわけなのだが、皮肉なことに二番目の子供が生まれたことから彼女の生活が一変した。

次の子は待望の男児だったからである。

祖母は狂喜し、再び取り上げるべく、あれこれ采配をはじめた。しかし、年月というのは残酷なもので、祖母は老い、そして実母は強くなっていた。

祖母の支配を良しとはしない実母は、産後すぐ息子だけを連れ彼女の実家へと逃げ帰り、そして戻ってはこなかった。あっという間に家族が瓦解した佐々木家では、全く何も言わずに何もしなかった実父でさえ、家を出て、彼の妻、つまり礼奈の母と息子と暮らし始めた。

取り残されたのは老婆と孫娘。


 そして、彼女はろくな躾も教育も受けてはいない、典型的なわがままな少女だった。

祖母は、あれほど溺愛していたにもかかわらず、手に入らなかった孫息子を嘆き、手に負えなくなった孫娘を嫌悪した。顔をあわせることもない二人、礼奈の様子さえ気にもならない両親たち。

悪くなっていく素行も、彼らにとってはただただ迷惑なものでしかなかった。

ひとかけらの心配すら、礼奈には与えられなかったのだ。





 泣きつかれ、そのまま寝入ってしまった礼奈は、再び日の明るいうちに目を覚ました。

瞼の腫れをかんじ、せめて洗顔だけでも、と立ち上がり、初めて部屋を出た。

襖を開けた瞬間、ガラス戸の向こうに、こじんまりとした庭園が目に入った。それを見入り、しばし立ちすくむ。

涙が、再び伝ってきたことにも気がつかずに、礼奈は、ただただ立ち尽くしていた。


「ほらよ」


唐突に何かが頭の上に投げかけられ、それが手ぬぐいだと気がついた。

いつのまにか男がすぐ側まで近寄っており、礼奈は見慣れない彼に小さく驚いた。


「顔洗って来い」


黙ったまま頷き、彼の言われるまま、洗面所で顔を洗う。

普通の水道水より冷たいそれは心地よく、礼奈は何かが落ちていくような気がした。


「来ちまったもんは仕方がねぇ。多少の面倒はみるが、まあ期待はするな」


ここがどこなのか、どうして自分がいるのか、という根本的な疑問を残したまま、彼と礼奈の同居生活が開始された。



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