表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わすれもの  作者: 水瀬
4/7

04:新暦824年 4の月

 幸せでした。幸せでした。叶うはずのない恋だけれど、それでも夢見ていられたのです。

 だから、それでも自分は幸せでした。遠い日のこと。





 ぱしゃり、と服の裾に水が掛かる。

 じわりと染み込むその光景に、セリアはしまったと苦い表情を浮かべた。

 侍女という立場のため、与えられている制服は汚れ傷みに強い生地だ。しかしここは上級貴族の屋敷のため、そこでは侍女といえどある程度は見栄えがよくなければならない。ぼろぼろの服など着ていては、主人の格が知れるというものだ。

 そのためここでは侍女の服であっても一般よりは高級品。そうしてその高級品の中でも一応強い生地なのだが―――高級品、という分類上、やはり弱さは切り離せない。

 光沢があって綺麗なのになあ、とセリアはスカートの裾をひらりと揺らした。本当に、素敵な布地ではあるのだけれど。


「・・・まあ、かかったの前掛けの方だし、平気だよね、うん」


 服の上に羽織っている見栄え重視のエプロンをちらりと見つめ、セリアは呟いた。汚れるものに、こんなにレースやフリルをつけなくてもいいじゃないかと思うのは、自分が貧乏人だからだろうか。

 今勤めているプレスコット家と自らの家を比べ、その違いにセリアはほんの少しだけ眉を下げた。ここまで違うと、もう嫉妬すら浮かばない。

 同じ貴族という名ではあっても、明確な格差が存在するこの現状に世知辛いものを感じながらも、セリアはまた水桶を持ち上げた。庭の花花に水をやる仕事を手伝おうと思っていたのだ。

 侍女ではあってもいいところのお嬢様方は、そんなの庭師の仕事だろうというけれど、時間が余ってしまったのだ。それに、庭師の老人と言葉を交わすのを、セリアは嫌いではなかった。暑い中でも真剣に仕事に取り組むその姿が、幼い頃亡くなった厳格な祖父を思い出すのだ。


「よい、しょ、っと」


 少しよろけながらも扉をくぐり、日差しが照らす外に出る。すると、緑豊かな植物たちの中心で、髪に白さの見える老人が顔を上げた。


「おうセリア嬢ちゃん、悪いねえ、重かったろう」

「いえ、大丈夫です。いつもお疲れさまです」

「そりゃあお疲れさ。自分もそう若くないからねえ」


 人好きのする穏和そうな老人に、セリアもにこりと笑い返す。お花はどうですか。今日も元気だよ。そんな変わらない平和な会話と空気を、セリアは好いていた。


「っと、いかんいかん。セリア嬢ちゃん、ちょっとこっちおいで」

「はい、どうしたんですか?」


 手招きされ、不思議そうな顔で近寄ったセリアの髪に、老人は愛らしい水色の花をさした。

 ぱちぱちと瞬きをしているセリアの前で、老人はうんうんと頷いている。


「よお似合っとる。あの人の見立ては大正解だなあ」

「えっと?あ、花ですか?わあ、ありがとうございます」


 最初は現状を理解できなかったセリアだが、自分の髪に飾られた花に触れ、嬉しそうに表情をゆるめた。

 愛らしい水色の花は、セリアの幼く柔らかい雰囲気に欲に合っていた。素晴らしい見立てだと、老人はまた感心したように頷いたが、誰の見立てかは最後まで言わなかった。





 綺麗な花に喜びながら、与えられている自室への道を歩く。ひと段落しているとはいえ一応まだ仕事中。いつまでも花を頭にさしてなどいられない。

 いい花瓶とかあったかしらと機嫌よく歩いていたセリアは、ふと窓の外に見知った姿を見つけ、足を止めた。


「あ、サイラス様だ」


 好きな人の姿を見ることができたと、ただそれだけで喜ぶ自らの単純さに苦笑しながらも、セリアは窓に駆け寄る。二階の窓から見える外に、僅かにサイラスの姿が見えていた。

遠いから大分小さいが、それでも姿を見ることができセリアは喜んだ。

 表情をゆるめながら窓に近寄り、窓に手を触れかけて慌てて手を戻す。せっかく磨いてあるのに、触ったりしたら仕事が増えてしまう。

 今日もかっこいいなあと頬を染め、それからそうとしかいえない語彙の少ない自分を恥じた。ただの、叶うはずもない片思いだ。生まれとしての身分の差だけでなく、育ちの差も大きすぎて、彼らと自分とでは本当に同じ人間なのかと思ってしまいそうなほどだ。自分だってこの家に勤められるくらいだから、マナーや常識、知識だって詰め込んであるつもりだけれど、生まれた瞬間からこの世界で生きていた人には当然かなわない。

 きっとサイラス様も、素敵な良家の方をお迎えになるのよね、とセリアは目を伏せた。そうして、何を一丁前に悲しんでいるのかと首を振る。そもそも。そもそも―――サイラス様は私の存在なんてきっと知らないのに。

 自分は侍女。何人も何十人もいる侍女の一人だ。おい、とか、お前、とかで呼べてしまえる有象無象だ。花壇の中の山ほどの同じ種類の植物から、毎回一本だけを覚えて見つけられるわけがない。覚えたつもりでも、少し離れたらきっと忘れてしまうだろう。

 ―――あ、でも庭師のお爺さまなら花木の一個一個も見分けられそうね。

 ふとそう思いついて、セリアは少しだけ笑って、窓から離れた。

 可能性のない恋でも、まだ夢見ていられた頃の話です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ