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——遠く離れた王都で、ひとつの報告が上がっていた。
「北峰山脈の最北端に、“魔王復活”のお告げが聖女様からありました」
お告げを受けた神殿の面々は顔を見合わせた。
それは世界に二度と起きてはならぬ“魔力異常”の兆候。
そして、王命が下る。
「勇者一行を向かわせよ」
⸻
吹雪の中、雪を踏みしめて進む三つの影。
先頭を歩くのは、灰金色の髪を持つ青年——
国認定の勇者、ユリス・アルフェード。
その背には伝説の聖剣が下げられ、
雪に触れるたび淡い光を散らしている。
後ろには弓使い、僧侶が続く。
「……おかしい。ユリス。
この辺り、魔力が濃すぎる」
弓使いカイル=ランスウッドが眉をひそめた。
勇者ユリスは、冷たい風の中でも静かに周囲を見回す。
「濃すぎる、ではない」
「魔力の“源”が近いんだ」
彼の視線の先。
本来なら白銀の荒野であるはずの場所に——
緑が……ある。
森が……ある。
雪の中に、不自然に浮かぶ“春の領域”。
「……間違いない。
ここは異常な魔力に満ちている。
いずれにせよ、行かないわけにはいかない」
仲間たちは不安げにうなずき、結界へ足を踏み出す。
⸻
春の結界はふわりと温かく、雪原の冷気と衝突して揺れていた。
僧侶のサラ=エンブリスが手をかざし、結界の強度を確かめる。
「この結界……人が作ったものではありません。
自然発生にしては、魔力が異常です。
まるで……内側の魔力が勝手に膨張しているような……」
サラが青ざめる。
「内部に“魔力の主”がいるはずです。
しかも、とんでもなく強い……勇者様でなければ近づくことすら——」
ユリスは言葉を遮り、聖剣を抜いた。
「俺が行く。
これは……放置すれば世界を飲み込む」
剣が光を放ち、結界へそっと触れた瞬間——
ぱん、と柔らかい音を立てて春の膜が割れ、
勇者たちは中へ踏み込んだ。
⸻
「……ここ、本当に冬山の中なのか?」
カイルが呆然と呟く。
十年分の春が凝縮された世界。
花がほほえみ、光が降り注ぎ、
精霊たちが木々の間をふわふわと飛んでいた。
そして……
春の中心で。
長い銀髪を水に濡らし、
少女はひざ下まで透明な水に浸かりながら、
草原の池で静かに身を洗っていた。
朝の光を受け、銀の髪は水面にほどける光の糸のように広がっている。
肩を伝うしずくがきらきらと落ち、池の水輪に溶けていく。
「人間……? いや、違う。
あの魔力……あれが、この領域の源だ」
勇者ユリスの目が細められる。
ラティアはまだ気づいていない。
精霊と動物に囲まれ、
いつも通りの、十年来の春の午後を過ごしていた。
だが——
⸻
少女の姿を見た——
その“瞬きほどの刹那”のあいだに、ユリスはすでに動いていた。
気づいたとか、判断したとか、
そんな悠長な段階は存在しない。
それより前。
もっと本能の奥底。
(——いまだ)
その意識が生まれた時には、
もう足は地面を蹴り、
剣は鞘から抜けかけていた。
森に入ったときから感じていた“格の違う気配”。
彼女が強大であると理解していたからこそ——
いま無防備に背を向けている一瞬が、唯一の隙だと身体が即座に選び取った。
地面が、爆ぜた。
ユリスが跳び出した瞬間、
草原に放射状の衝撃が走り、土が舞い上がる。
ほんの一瞬の動作なのに、風景すら揺らぐ。
カイルは、ただ“空気の揺れ”でそれに気づいた。
「……っ、ユリス!?」
叫びが終わるより早く、
ユリスの影は少女の目前へ迫っていた。
水浴びする少女の銀髪が、
振り返るかどうかの微かな動きを見せた、その瞬間。
剣閃が、白い光跡となって空間を断ち割った。
彼の中ではこうだ——
(覚醒される前に、“落とす”)
ただそれだけ。
ただ一度のまばたきに収まる、一撃必殺の動き。
勇者ユリスは、
“その一瞬”を逃さなかった。




