24
四人は森の小道を歩いていた。
しばらく進むと、木々の間から淡い光が見えてくる。
ラティアの足が、ふと止まった。
「……あ」
春の結界。
雪山の中にぽつりと広がる、小さな春。
花が揺れ、草が光り、精霊たちがふわふわと漂っている。
ずっと、ここで生きてきた。
ずっと、ここに守られてきた。
ラティアはゆっくり結界へ近づく。
光の膜が、やさしく揺れる。
カイルが後ろで腕を組む。
「寄ってくか?」
ラティアは小さく頷いた。
結界の中へ一歩入る。
春の空気が、ふわりと包む。
精霊たちが一斉に集まってきた。
金色の光の粒――光の精霊リュミ。
髪の間をくるくる飛ぶ小さな風の精霊フィーネ。
水の粒をふわりと浮かべる水の精霊アクア。
そして足元の草が、もこりと動く。
小さな土の精霊グラスが、ゆっくり顔を出した。
ラティアは少し笑う。
「みんな、来てくれたんだ」
そのとき。
花畑の向こうで、草が揺れた。
ゆっくりと、大きな影が現れる。
白い毛並み。
静かな足取り。
雪狼フロスだった。
ラティアの顔がぱっと明るくなる。
「フロス!」
フロスはゆっくり歩いてくる。
相変わらず大きくて、堂々としている。
ラティアの前で止まり、じっと見上げた。
ラティアはしゃがみ込む。
両手でふわふわの首元を抱きしめた。
「……ごめんね」
小さな声。
「ちょっと出かけてくる」
フロスは黙っている。
ただ、大きな頭をラティアの肩に寄せた。
重たい。
でも、あたたかい。
ラティアは少し笑う。
「そんな顔しないで」
フロスの耳が少し下がる。
分かっているのだ。
ラティアがどこかへ行くこと。
しばらく戻らないかもしれないこと。
ラティアはフロスの額を撫でた。
「大丈夫」
優しく言う。
「ちゃんと帰ってくる」
フロスの金色の瞳が、じっとラティアを見つめる。
そしてゆっくりと――
「……ヴゥ」
小さく鳴いた。
それは反対でも、不満でもなく。
どこか、送り出すような声だった。
ラティアは笑った。
「うん」
もう一度撫でる。
「待っててね」
フロスは静かに座り、ラティアを見上げる。
精霊たちの光がふわりと漂う。
ラティアは立ち上がる。
春の庭を見渡す。
小屋。
花畑。
池。
全部。
「……ありがとう」
小さく呟く。
「ここがあったから、わたし生きてこれた」
深呼吸する。
春の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「だから」
精霊たちを見る。
フロスを見る。
「少し、行ってくるね」
静かな声。
「でも——」
結界を見渡す。
「帰ってくる」
その言葉は約束だった。
「ここは、わたしの家だから」
リュミの光がぱっと弾ける。
フィーネがくるくる回る。
アクアが水の粒を弾ませる。
グラスが土をぽこんと盛り上げる。
フロスは静かに尾を振った。
ラティアは結界の外へ歩く。
光の膜が、やさしく揺れる。
振り返る。
春の結界。
フロスが、まだそこにいる。
精霊たちの光が漂っている。
ラティアは小さく呟いた。
「……いってきます」
そして前を向く。
カイルが笑う。
「ちゃんと挨拶できたか?」
ラティアは頷いた。
「うん」
サラが微笑む。
「ここは、あなたの帰る場所ですね」
ユリスは結界を一度だけ見た。
そして言う。
「……行くぞ」
短い言葉。
だが、不思議と背中を押す声だった。
ラティアは前を向く。
王都へ続く道を、四人で歩き出した。
雪山の風が静かに吹き抜ける。
森を少し進んだところで、ラティアはふと振り返った。
木々の向こうに、春の結界が淡く光っている。
その瞬間。
春の結界が、ふわりと光を揺らした。
花が風のように揺れ、精霊たちの光が結界の縁を巡る。
それに応えるように——
フロスが空を見上げた。
「――――――オォォォン」
長く、澄んだ遠吠えが響いた。
雪山へ。
森へ。
空へ。
声は遠くまで広がっていく。
まるで、ラティアの旅立ちを告げる声のようだった。
ラティアは立ち止まり、目を閉じた。
その声を、胸いっぱいに受け止める。
そして小さく笑った。
「……うん」
聞こえたよ、とでも言うように。
もう一度、結界を見る。
フロスはまだそこにいる。
春は、変わらずそこにある。
帰る場所。
ラティアは前を向く。
ユリスたちは、少し先で待っていた。
カイルが肩越しに振り返る。
「おーい」
笑いながら言う。
「置いてくぞ」
ラティアは小さく走って追いついた。
サラが優しく微笑む。
ユリスは何も言わない。
だが歩く速度を、ほんの少しだけ緩めた。
ラティアはもう一度だけ振り返る。
遠くで、春の結界が淡く輝いている。
フロスの姿は、もう小さくなっていた。
ラティアは静かに呟く。
「……いってきます」
その声は風に乗り、
春の庭へと帰っていった。
そして四人は歩き続ける。
王都へ続く道を。
ラティアの世界は、
いま、少しずつ広がっていく。




