20
朝の光が、柔らかく森を照らしていた。
夜露を含んだ草がきらきらと光り、春の空気はまだ少しだけ冷たい。
ラティアは結界の縁に立っていた。
目の前には、淡く揺れる光の膜。
長い間、ずっと守ってくれていた境界。
その向こうに——森がある。
昨日までと同じ景色なのに、まるで違う場所のようだった。
胸が、落ち着かない。
「……本当に出るのか?」
背後からカイルの声。
振り返ると、三人はすでに準備を終えていた。
サラは穏やかな表情で頷き、ユリスは静かにこちらを見ている。
ラティアは小さく息を吸う。
「……うん」
声が少し震えた。
「怖いけど」
正直に言う。
精霊たちがふわふわと集まってきた。
小さな光の粒が、ラティアの周りをくるくると回る。
まるで引き止めるように。
それとも、送り出すように。
ラティアはそっと手を伸ばす。
「大丈夫だよ」
精霊に言うように。
自分に言うように。
「すぐ戻るから」
光の粒がふわりと揺れた。
ユリスが一歩前に出る。
「俺が先に出る」
短く言う。
そして迷いなく、結界の外へ足を踏み出した。
光がわずかに揺れる。
だが何も起きない。
ユリスは外側からラティアを見る。
「来い」
差し出された手。
今度は、はっきりと差し出された。
触れれば、結界の外。
ラティアの心臓が強く鳴る。
怖い。
すごく怖い。
でも。
昨日、思った。
少しだけ見てみたい、と。
外の世界を。
人を。
その手を。
ラティアはゆっくり手を伸ばす。
指先が、ユリスの手に触れる。
温かい。
しっかりした手。
その瞬間、
結界がふわりと光った。
ラティアは思わず振り返る。
春の庭。
花。
小屋。
精霊たち。
全部が、そこにある。
変わらず。
失われるわけじゃない。
帰れる場所。
胸の奥が少し軽くなる。
「……いってきます」
誰に言うでもなく、そう呟く。
そして。
一歩。
ラティアの足が、結界を越えた。
光の膜が静かに揺れる。
痛みも拒絶もない。
ただ、やさしく通り抜ける感触。
次の瞬間。
空気が変わった。
風の匂いが違う。
音が違う。
森の気配が、ずっと濃い。
「……あ」
思わず声が出る。
世界が、広い。
ラティアは結界の外に立っていた。
ユリスが手を離す。
だがすぐ隣にいる。
「どうだ」
短い問い。
ラティアはゆっくり周囲を見る。
木々。
空。
遠くの雪山。
全部が少しだけ大きく見える。
胸の奥が、静かに震える。
怖い。
でも。
それ以上に——
「……すごい」
小さく笑う。
その瞬間、結界の中で精霊たちがぱっと光った。
まるで拍手みたいに。
カイルが笑う。
「おめでとう、初外界」
サラが優しく言う。
「世界へようこそ、ラティア」
ラティアはもう一度、結界を振り返る。
そして、前を見る。
そのときだった。
ユリスの視線が、遠くの雪山に向く。
わずかに眉が動く。
「……妙だ」
低い声。
カイルが聞く。
「何が?」
ユリスは答える。
「魔力が動いた」
その方向は——
先週、ラティアが“黒いもの”を消し飛ばした何かが来た方向だった。
ラティアの背中を、冷たい汗が流れる。
(……やっぱりあれ、ただものじゃなかった……!)
世界へ踏み出したその日に、
運命はもう——動き始めていた。




